2017/9/21, Thu.

 茶を用意しながら居間の南窓を見通すと、眩しさの沁みこんだ昼前の大気に瓦屋根が白く彩られ、遠くの梢が風に騒いで光を散らすなか、赤い蜻蛉の点となって飛び回っているのが見て取られる明るさである。夕べを迎えて道に出た頃にはしかし、秋晴れは雲に乱されて、汗の気配の滲まない涼しげな空気となっていた。街道に出て振り仰いでも夕陽の姿は見られず、丘の際に溜まった雲の微かに染まってはいるがその裏に隠れているのかどうかもわからず、あたりに陽の気色の僅かにもなくて、もう大方丘の向こうに下ったのだとすれば、いつの間にかそんなに季節が進んでいたかと思われた。空は白さを濃淡さまざま、ごちゃごちゃと塗られながらも青さを残し、爽やかなような水色の伸び広がった東の端に、いくつか千切れて低く浮かんだ雲の紫色に沈みはじめている。
 裏通り、エンマコオロギの鳴きが立つ。脇の家を越えた先のどこかの草の間から届くようだが、思いのほかに輪郭をふくよかに、余韻をはらんで伝わってくるなかを空気の軽やかに流れて、それを受けながら歩いて行って草の繁った空き地の横で、ベビーカーに赤子を連れてゆったり歩く老夫婦とすれ違うと、背後に向かって首を回した。夕陽が雲に抑えられながらも先ほどよりも洩れていて、オレンジがかった金色の空に淡く混ざり、塊を成した雲は形を強め、合間の薄雲は磨かれている。歩く途中で涼しさのなかに、気づけばふと肌が温もっている瞬間があったが、あの時、周囲に色は見えなくとも光線の微妙に滲み出していたらしい。それから辻を渡って、塀内の百日紅が葉の色をもう変えはじめていると見ていると、もう終わったと思っていた樹の枝葉の先に、手ですくわれるようにして紅色が僅かに残って点っていた。