この朝もやはり、正式な起床よりも前に、二度くらい覚めた記憶の感触が稀薄に残っている。例によって起き上がることはできず、一一時四〇分を起床時刻として定めることになったわけだが、四時三五分から数えて七時間五分なので、量としてはそれほど悪くはないだろう。肉体の感覚も、前日よりはかなり軽かった覚えがある(しかし、体温はやはり下がっていたのではないか。また、いま思い出したが、起床以前に一度覚めた際、下腹部に鈍痛がわだかまっていたのだ。胃と言うよりは、腸のほうが痛んでいるのではないかと思われたが、胃のあるあたりまでも波及してくるようでもあった。その痛みとともに覚醒した時には仰向けの姿勢を取っていたのを、まず左向きになると、これでもいくらか痛みの和らぐようではあった。しばらくしてからまた仰向けに直ると、やはり痛みが復活したので、今度は右向きに寝ると先ほどよりもさらに楽になったのだが、そんなことをしているうちにふたたび微睡んでしまったのだ)。床を離れてからは、すぐに上階に行ったわけではなく、まず隣室に入ってギターに触れた。寝床にいるあいだから、目を閉じた視界のなかに指板の配置と指の動きを思い浮かべて、頭のなかで音を鳴らすようにしていたのだ。ただ実際に楽器を弄ってみると、寝起きで脳があまり回らないこともあって、音が良く「見えない」ようだった。
しばらくしてから上階に行き、食事はうどんを前日の野菜スープの残りに投入して煮込んでこしらえた。(……)新聞のなかからは、レバノンとジンバブエの情勢についての記事を読んだ(この二記事に関しては、先ほど(というこの言葉を書きつけている現在は、一一月一九日の二二時五一分である)書抜きを済ませておいた)。それで片付けなどをしてから室に帰ると、一時半頃だったらしい。いつものように他人のブログを読み、その後は普段なら日記の読み返しをするところだが、この日はすぐに運動に移っている。例によってtofubeatsをBGMとして流し、しばらく体操と柔軟を行ったあと、そのまま歌を歌ったようである。Mr. Childrenなどを最近は良く歌っているのだが、自分の音楽遍歴はこのミスチルから始まったと言って良い(小学校の五、六年の頃ではないかと思うが、兄が好きで、隣室で流しているのを自ずと聞き知ったのだ。ついでに言えば、兄はまたRadioheadも好きで、『Kid A』に収録されている"Everything In Its Right Place"とか、"Idioteque"のあのふわふわとしたファルセットなどを聞いて、これは多分頭のおかしい人が作った音楽なんだな、と素朴に思っていた記憶がある。さらについでに付け加えておくと、こちらの音楽的起源をもう一つ挙げるとするならばそれはB'zで、これもやはり自宅に兄が持っていたベスト盤があったのを中学生になってから聞くようになったのだが、Mr. ChildrenとB'zと言えばおそらく当時のJ-POPのなかでも合わせて最もメジャーに売れただろう、二大巨頭のようなグループだったはずで、そうした言わば「本流」ど真ん中のところからこちらの音楽的嗜好が始まっているというのは少々興味深い(もっとも、B'zからすぐにAerosmithやVan Halenに流れた時点で、周囲の大勢からは逸れてしまったようだが))。近年のMr. Childrenには特段の興味はないが、『DISCOVERY』(このアルバムはRadioheadの『The Bends』や『OK Computer』から影響を受けていると思われる)の曲などはいま聞いてもそれなりに楽しめる(彼らの曲を歌う際もいつも"光の射すほうへ"から始めている)。この日はまた、ものすごく久しぶりのことでJohn Legendの『Live From Philadelphia』から"Heaven"と"Slow Dance"を流した。彼のアルバムを良く聞いていたのは大学時代、パニック障害が最も猛威を奮って心身がどん底まで弱っていた時期のことであり、当時は"Ordinary People"などを聞いてそれなりに慰められてもいたのだ(凄まじく紋切型の、ありふれた「物語」的な慰めがまだこちらの精神にポジティヴな力を及ぼしていた時代)。John Legendまで流すと、どうも随分とポップなほうに寄り過ぎたなという感じがしたので、Derek Baileyの"Laura"の独奏(『Ballads』)と、『Duo & Trio Improvisation』の最初の一トラックを聞いて聴覚的口直しをした。すると三時半を回ったあたりで、外出の支度を始めた(歌を歌っている最中、三時になったあたりで一度部屋を出て、洗濯物を取りこんで畳むものを畳んだはずである)。
この晩秋で始めてモスグリーンのモッズコートを着用することになる肌寒さだった(マフラーはつけなかったが、それがあっても何の支障もなかっただろう)。リュックサックにコンピューターと古井由吉『白髪の唄』を収めたのを背負って、玄関を抜けると、取っ手のところに回覧板の入った袋が掛かっている。それを室内に入れておき、ポストまで行って夕刊を取るとそれも玄関に置いておき、そうして道に出た。明らかに肌に冷たい冬の空気で、前日にも張り詰めた、という言葉を思ったが、あれはもう日も暮れたあとのことでいまはまだ四時前で太陽が落ちきっておらず明るさも残っているにもかかわらず、さらに張ったような感じのする冷気が顔や首もとに触れてきた。坂を上って行くと、駅舎前の椛の木が色を変えているのが正面に現れるが、あまり赤や紅という色合いではなく、オレンジの色味のほうが定かに瞳に入るようだった。ホームに渡って先のほうへ進み、立ち止まると林の縁、黄色く染まった葉の群れの一角に視線を定めて凝視したのだが、するといくらかくらりと来るような感覚と言うか、平衡感が僅かに乱れる感じがあった。以前は駅のホームのように、周りに掴まるものが何もなくひらけた空間に立ち尽くすと良くあったことで、この時もちょっと不安(という語を使うと言葉のほうが強すぎるくらいのささやかなものだが)を覚えはしたものの、それ以上何の問題も起こりはしなかった。
電車は行楽に行ってきた帰りの人々で混んでおり、扉際は埋まっているのでなかにちょっと進んで身を据える場所を見出して、リュックサックを足もとに下ろすと、左方の会話が耳に入る。髭を白くした声の大きな老人と、こちらもわりと高年らしい女性が話しており、女性の口から南千住という地名が洩れると、老人のほうは対して三河島とか言っている。そのあたりに住んでいたという昔話を交わしているようで、老人は、国鉄の事故があったところだが、とかその地にまつわることをいくつか挙げながら、いまの若い人などは知らないだろうと繰り返していた。国鉄の事故と聞いて(「国鉄」などという(「古い」/「歴史的な」)語が実際に人間の口から音として発されるのを聞くのは、ほとんど初めてではないか)、こちらは戦後すぐの頃にあった怪事件のことを思ったのだが(『白髪の唄』のなかでそれがほんの僅かに触れられていたのだと思ったが、詳しい記述と箇所は覚えていない。また、この時こちらが思い出した怪事件というのは、「下山事件」と呼ばれているもののことだったはずだが、のちになって調べてみると(つまり検索してみると)これは国鉄の総裁だった下山定則が失踪後に変死体となって発見されたという事件であり、正確には列車事故ではなかったようだ。さらに余談を続けると、この事件は、浦沢直樹の『BILLY BAT』のなかで物語上の一挿話として組み込まれていた記憶がある(この漫画を読んだのはもう相当に前のことで、それもどこかのブックオフで立ち読みをしただけなので、細部はまったく覚えていないが))、それは外れで、この日のことをメモに取っている最中(それは現在=一九日の二三時五八分からすると昨日にあたる一八日の午後四時台のことだが)に検索してみたところ、まさしく「三河島事故」という列車事故があったらしい。一九六二年のことだと言う。それでまた思い出したのがやはり『白髪の唄』のことで、この作の冒頭の篇では、山越(「やまごし」なのか「やまごえ」なのか読み方がわからない)という青年が病院の談話室で語り手と初めて会った際に、自分の家では家族の生まれたり死んだりが大きな事故と重なるのだと言って、つらつらと「細った節をつけて唄うようにして」(一三頁)列挙する場面があるのだが、そのなかにちょうど六二年頃の事柄が含まれてはいなかったかと思ったのだ。それで確認してみると、まさしくはっきり「三河島事故」という語が記されていた(ついでなのでここにそれを含む一文を引いておくと、「姉の生まれたのはその前の年で、三河島事故とか、やっぱり二重衝突が起って、同じぐらいの数の犠牲者が出たそうですね」(一一頁)となる。「その」が指示しているのは、山越自身が生まれた年として設定されている「昭和三十八年」(一九六三年)のことで、その年にもやはり、「鶴見事故という列車の二重衝突と、三池炭鉱のガス爆発が、同じ日に起った」と言う)。
降りると乗り換えだが、向かいの電車の発車まで間がなく、普段は先頭車両まで行くところだがそんな余裕は与えられずに、すぐ手近の口から乗るほかなかったが、車内も移った人々で混み合って歩いて抜ける隙間もない。次の(……)駅で一旦降りて隣の車両に移り、そこから揺れるなかを先頭まで歩いて行った。座ってからは本を読む気が起こらなかったので休むことにして目を瞑ったが、すぐに目の前が真昼のような白さに染まって思わずひらき返すと、西陽がちょうど山際に入って峰を越えていくところである。こちらと向かい合って並んでいる線路の近間の建物まではもう陽射しはあまり届かず、その北向きの正面も薄暮れているが、側面にオレンジ色を掛けられた遠くの家並みの様子が時折り覗いて、電車のなかにまで光が届いてくる瞬間も何度かあった。瞑目を続けていると、(……)で勢い良く隣に座ってきた者があったので思わず目を開けると、艶を帯びた金髪の高校生で、この時はその顔をまっすぐ見たわけでないが髪の色合いからして外国人の血が混じっているらしいと思われた(あとで横顔に視線を向けると、やはり大層高くすらりとした鼻があった)。彼はイヤフォンをつけてスマートフォンでゲームをやりながら、鼻をずるずると頻繁に吸っており、時折り苦しげな呻き声まで洩らしているのを聞くとこちらもそれに影響されたのか、何となく鼻水が分泌されてきて、くしゃみが二、三度、出ることもあった。
立川に就くと、便所に寄ってから改札を抜ける。平日の四時半であっても人波は厚く、そのなかにいると不安とまでは行かないが、周囲がやたらと忙しないように感じられ、どことなく落着かない気分を覚えたようだ。オリオン書房へと向かい、ビルに入ると、本屋に上がる前にHMVに寄ろうかともちょっと思ったのだが(FISHMANSが欲しいし、Suchmosも買っても良いかなとも思っていたのだ)、結局入らず素通りしてエスカレーターを上がった。フロアに踏み入るとまず最初に、久しぶりに音楽の棚のところへ行った。あれが出たのはもう去年のことか一昨年のことか忘れてしまったが、Derek Baileyの本のことを思い出して、もしあれば欲しい気もすると見に行ったのだったが、棚の前には人がいて書籍の並びが良く見えない。それで(……)海外文学のコーナーへ行った。区画の端のほうに、お目当てのミシェル・レリスの新しい邦訳(岡谷公二訳『ゲームの規則Ⅰ 抹消[ビフュール]』と『ゲームの規則Ⅱ 軍装[フルビ]』)が平積みで置かれていたのを確保し、一角の入口付近に戻ると、そこに特別に設けられた棚(ナボコフの『アーダ』の新訳が目立つように取り上げられていたと思う)から、トリスタン・グーリー/屋代通子訳『日常を探検に変える――ナチュラル・エクスプローラーのすすめ』という本も手もとに保持した。これは先週この書店に来た際に見つけて、なかなか良さそうな本だと目をつけていたもので、とは言っても自分はこの「日常を探検に変える」ということを、多分既に大方実践していると思われるので、わざわざ買って読むまでもないのかもしれないが、そう思いながらもともかく購入することにした。その場を離れて続いて岩波現代文庫の棚の前に行ったのは、田村俶・雲和子訳『自己のテクノロジー――フーコー・セミナーの記録』という講義録が欲しかったからである。並んだ背表紙をつぶさに眺めても見つからなかったが、二〇〇四年に発刊されたものだからさすがに仕方がない。棚の上に視線を滑らせる過程で、入矢義高『自己と超越』という著作が目に留まったので、このタイトルは忘れないように手帳に記しておいた。それから音楽のコーナーに戻ったのだが、Derek Baileyの本も見当たらず、代わりというわけでないがケネス・シルヴァーマン『ジョン・ケージ伝』が置かれているのには、やはり欲求を駆り立てられるものの、七〇〇〇円くらいしたので諦めてメモを取るのみとした。その後、コミックの区画に移る。これは、『ロトの紋章』の続篇の所在を確認しておこうと思ったのだ。藤原カムイ作画『ロトの紋章』という漫画は、「思い出の」などと言うほどではないが、兄が持っていたのを子供の頃に楽しんで読んだ懐かしの作品であり、先日になって大変に遅まきながらその続篇が(もうこれも随分長く)描かれていたということを知って、物語の続きを読んでみたくなったのだった。しかしこの時には棚を回っても、その在り処を見つけられなかった。それでまあ良いかと払い、三冊を持って会計に行った。(……)
ミシェル・フーコーの講義録を収めた文庫本がないかどうか、淳久堂のほうも見に行ってみるつもりだった。ビルの外に出ると、既に落日も終えてあたりはよほど暗んでいる。高架の通路を通って高島屋の前まで来たところで、長いコートを纏った男性が目に入り、その外套の色に気を惹かれた。臙脂色、と一旦は思ったが、そうと言うにはそこまで紫を含んでおらず、むしろ色味の強い紅葉のような渋い赤、と続けて当て嵌めて、あのような素敵な服を自分も身につけてみたいものだと、ちょっと心に働いたようでもあった。なかに入るとエスカレーターに乗って書店のフロアへ上がって行き、入店するとまっすぐ岩波現代文庫の棚の前に行ったが、目当ての本はやはり見当たらない(淳久堂は、単行本は丈の高く長大な棚にずらりと収められて圧巻の品揃えだが、岩波現代文庫に関してはオリオン書房のほうと同等か、むしろ後者のほうが少々勝っていたような気もする。この文庫の著作のなかでは、フーコーの件の本のほかに、カール・ポパーの自伝(確か上下巻になっていたはずだ)を以前から欲しいと思っているが、これももう古い本のようで新刊書店には置かれていない)。それで諦めて、せっかく来たから思想の棚でも多少覗いて行くかと歩き出すと、選書の区画に表紙を正面に見せて置かれたものの一つで、プリーモ・レーヴィ『これが人間』というのがある。思わず立ち止まって見れば、『アウシュヴィッツは終わらない』の完全版だという話だ(『アウシュヴィッツは終わらない』もまた、読まねばならないと思っていた本である。プリーモ・レーヴィでは、化学元素の名を題に付した章立てで構成された短編集である『周期律』という作品も、面白そうで読んでみたいと思うのでここにその旨記録しておく)。これもまた手帳にメモを取っておき、思想の棚のあいだに入って、ミシェル・フーコー関連の一角を眺めた。元々この日、これ以上本を買い足すつもりはなかった。コレージュ・ド・フランスの講義録の九巻目である『生者たちの統治』が棚には見られて、これはさすがに欲しくなるが、六〇〇〇円かそこらしたので、やはりいま買う気にはならない。このあとどうしようかと考えを巡らせながら漫然と周囲の棚を見ていると、尿意が催されてきて、それに不安の匂いがかすかに添ってくるようでもあり、過敏であるとは思ったが、先日(と言うのは一一月三日のことである)のようにまた激しく高潮されても困るので、大事を取って便所に行っておくかと長い棚のあいだを出た。それで便所の位置を探って進んでいると、行きがかりにちょうどコミックの区画があったので、こちらでも『ロトの紋章』続篇の在り処を見ておくことにした。昔のやつは確かガンガンコミックスではなかったかとは曖昧に覚えていたものの、現在の掲載誌は記憶しておらず、棚の周りを練り歩いたが、やはり発見できなかった(帰ってから調べたところ、続篇もやはり『ヤングガンガン』に連載されており、この時、該当箇所であるはずのスクウェア・エニックスの区画の前も通ったのだが、どうも見落としたらしい)。そうしてトイレに行くと、室の奥に踏み入った途端に、除菌液の類らしい薬品的な匂いが鼻に触れて、実に「衛生的な」香りだと思った。
これで書店での用は済んで、ビルの外に出てきた頃には、久しぶりにディスクユニオンに行ってみるかという気分になっていた。強いて言えばFISHMANSくらいしか、事前の目当てはない。家を発つ前には、本屋を終えたら喫茶店に長く籠って、溜まっている書き物をできるだけ進めたらどうかなどと漠然と思い、それでコンピューターも荷物に加えてきたのだったが、どうも行く気にならなかった。レジで店員とやりとりを交わしたり、周囲にほかの人々のいるそのなかで作業を行う雰囲気を想像したりすると、何だか面倒臭い気持ちが優ってきたのだ。『白髪の唄』のなかには、話者が深夜にコンビニへ煙草を買いに行きながら、コンビニというストア(古井由吉的用語法)は普通の商店と違って、店員とのあいだのコミュニケーションが稀薄な分、気楽だと得心する箇所がある(「あれは夜にもひらいている便利さだけでなく、普通の商店には何となく入りそびれる、店に入って店の人間と対面して口をきくのがどうにも億劫な時があるものだが、そういう軽度の抑鬱の心理にも添うのだろうな、と思った。コンビニでも人と対面して口をきくことには変りがないが、あれは勘定だけのことで、こちらも客というよりは通行人みたいなもので、気の重くなっている人間にとってはよっぽど楽だ」; 五七頁/『白髪の唄』は一九九六年の発行、『新潮』への初出は一九九四年からである)。しかしこちらに言わせれば、コンビニでの流れ作業的なやりとりですら、億劫だと感じることのほうが圧倒的に多い(あるいはむしろ、コンビニだからこそ、なのかもしれない。つまり、「店員」と「客」という(「公共的な」?)役割にぴたりと収まって無機質なコミュニケーションを演じなければならないということに、ある種の「窮屈さ」もしくは「居心地の悪さ」を感じるのではないか(この社会/世の中が総体としてこちらの心身に[﹅3]生じさせる感覚を簡潔に表そうという時に、「居心地の悪い」という形容ほどぴったりとくる言葉はない。この「居心地の悪さ」は、おそらく一生涯、消え去ることはないはずだ))。そういうわけでこの時も、喫茶店に行くことを考えても面倒臭さの感が先に立ったのだが、こういう時というのはこちらの経験上、気持ちが内向きになっていると言うか、目立った支障はなくとも、どこかしらでかすかに不安なり緊張なりを感知している時である。書店やこのあとに行ったCD店では、そうした内向的な億劫さは物欲によって覆い隠され、克服されるわけだが、ともかくディスクユニオンに向かうことにして、高架の通路から下の道に下り、交差点に掛かった。横断歩道を渡りながら中途の小島で足もとを見下ろすと、黄色い落葉が散り積もっており、樹々の根元に設けられた植え込みには、春の桜花を思わせる白く小さな花が点いていた。
ディスクユニオン立川店に入店すると、まずFISHMANSの在庫を見に行ったが、シングルしかない。ついでにその傍の、THE BLANKEY JET CITYの並びを見ると、『LIVE!!!』というそのまま直球のライブ盤が五五〇円で安くある。これにはちょっと欲しいなという気持ちが湧き、頭に入れておくことにしてジャズのほうに移った。新着のものから見ていき、そこを終えるとそのままアルファベット順に辿ったのだが、途中で面倒になって飛ばし飛ばしになった。以前は楽器別に分かれて整理されていたはずだが、その区別はなくなり、アルファベットを一つのカテゴリとして統合されている。ドラムの区画がなくなったので、Pの箇所に行ってPaul Motianの作品がないかと見ると、『Paul Motian Trio 2000 + One』というものがあり、Chris Potterが参加しているのに惹かれて買うことにした(しかし帰ってからプレイヤーのライブラリを確認したところ、これは既に所有済みの作品だった。Paul Motianは大変に興味深いプレイヤーであり、誰かしらが個人研究(モノグラフィー)を拵えるべき音楽家ですらあるとこちらは思ってその作品は多少集めているのだが、買っても一向に聞かないままに放置しているので、このようなところでその報いが出るのだ)。フリージャズの区画も、以前もよほど小さかったのが、さらに縮小されて隅のほうに追いやられている。回っていると現代ジャズの最近の作品も結構見かけたのだが(Mark Guilianaの新譜(Fabian Almazanが参加しているのは知らなかった)、Derrick Hodgeの『The Second』、Marcus Stricklandの近作(クレジットに見られたBIGYUKIという名前は、Twitterなどで見かけた覚えがあり(Mさんのブログにも確か現れていたのではないか?)、ヒップホップ方面の人間らしいという断片的な情報から、こちらは勝手にラッパーだと思いこんでいたところが、どうも違ったらしい。今のところヒップホップを好んで聞かないこちらからすると特段の興味の対象ではないなと思っていたところに、思いがけずジャズの文脈に繋がってきた形である)、あとはAntonio Sanchezの新譜も見た記憶がある)、どれもやはり結構値が張って、いま購入する気持ちにはならない。ジャズを回り終えると、書店で伝記を目にしたこともあって、ジョン・ケージの音源はないのかと思ったのだが、現代音楽がどこにあるのかわからなかった(クラシックの区画は見たが、そこにはコーナーが設けられていないようだった)。それでクラシックの横のソウル/ブルースに移行して、ソウルのほうは早めに流してブルースを探り、Fred McDowell『Long Way From Home』(六六年の録音)とMuddy Waters『The Complete Plantation Recordings』(四一から四二年の「歴史的な」音源)を買うことにした。それらに初めに目をつけておいたTHE BLANKEY JET CITYを加えて四枚をレジに持って行き、会計を行った。
出てくると帰途に就くことにして、交差点を駅のほうへと渡る。メイド喫茶の客引きが立っている前を過ぎて進むと、中学生らしくブレザー姿の少年たちがこちらの横に現れて、「大根足」と口にしている。先ほどの客引きの女性の脚(こちらは注視していなかったが、多分肉付きの良くてふくよかな感じだったのだろう)に言及したものらしく、まだおそらくは一年生だろう身の小さくて声変わりもしていない子供らが、いっぱしに女性の脚(すなわち、性の記号)を評しているのかと思ったが、彼らの会話はすぐに、脚そのものを云々するのではなくて、「大根足」という言い方はいまはもうしないのではないかという風に、その語の古さを検討する方向に流れていた。駅前の広場に上がるためのエスカレーターには、やはり下校中の中学生らが多く混ざって長い列ができていたので、こちらはそこを素通りして横断歩道を渡り、階段から駅舎のほうへ上った。来た時よりも厚くなった人波をくぐり、改札を抜けて電車に乗るとここも混んでおり、扉際に立ったまま古井由吉『白髪の唄』を読み出した。最初は周囲の物音などが気になってなかなか意味が入ってこなかったが、じきに視線が定まったようだ。途中で座って到着を待ち、降りるとホームを相当に冷えた風が前から流れて、身の真ん中を突いてくる。幸い乗り換えはもう来ており、乗って読書を続けたのちに最寄りで下りると、樹間の坂を下って行った。やはりコオロギの音が復活していた。家までの道で特に覚えていることはない。
帰ると買ったものを記録しておき、それから食事へ行った。面倒臭いのでこのあたりの詳細は省くとして、食後に室に帰ると八時半、日記の読み返し(二〇一六年一一月一二日土曜日)をしたあとに、ゴルフボールを踏みながらの半端な姿勢で、自然と日記を書きはじめた。これは今までにはなかったことである。コンピューターは普段、背の高めな白い矩形のテーブルの上に置いてあり、椅子は上下に高さを調整できるスツール式で、書き物をする時にはそれに座って腰を据えてやっていた。もっと気楽にインターネットを回ったり、コンピューターで何かを読んだりする際には、最近では椅子に機械を置いてベッドに腰掛け、ボールで足裏をほぐしながら過ごしていたのだが、この日は後者の状態のままで自ずと文を記しはじめたのだ。ここにも、文を書くことに対する気負いがこれまでよりもなくなって、それがこちらのなかでより「自然な」行いとして位置づけ直されたことが表れているだろう。二〇時五四分から二一時四三分まで一五日の記事を綴ると入浴に行き、戻ってくるとふたたび日記を記した。二二時一四分から二三時四五分まで一時間半を費やすと、身体が大変こごって、肩のあたりが重たるく固くなったので、ベッドに転がって休みながら読書に入った。『白髪の唄』を一時間四〇分、一二六頁から一三六頁まで読むと一時半である。寝転がって読書をする時にはいつも、片方の膝でもう片方の脹脛を刺激するのが習慣になっているのだが、この時にもそれを続けていると、じきに身体全体のこわばりが緩んでいくのが感じられた。これもゴルフボールによる足裏健康法と眼目は同様で、結局は血流を促進するということが肉体にとって肝要なのだろう。
そうしてふたたび書き物に入って、午前三時の前まで取り組んでようやく一一月一五日の記事を完成させた。それをブログに投稿する前に、まず「転換(変身)」と題した記事を作り、ロラン・バルトの言葉を引いておいた。また、「題辞」としていた部分にはヘルダーリンとムージルの言葉を掲げていたが、ブログの様相が変わるのでこれも変更することにして、「題辞」の語は「About」に、引用は『彼自身によるロラン・バルト』の有名な文言に取り替えた。こうした変化は、「雨のよく降るこの星で」というブログに載せられた文章の主題が変わったことに相応する変更である。先般までのこちらは、「雨のよく降るこの星で」というブログを一つの「作品」として持続させていこうという目論見を明確に持っており、そこにおいて主題は、一日のなかでこちらが感応した「天気」や「ニュアンス」に限定されており、こちら自身の「内面」や「人格」といったものはほとんど現れないようになっていたはずである(別にそれを自覚的に意図していたわけではないのだが)。毎日の感応=官能の瞬間のみを集めて、なるべく緻密に構築された(そのように形作ったつもりでいるのだが)文体で描き出し、そうした記事のみをただひたすらに集積させて、ある種非常に「貧しく」「愚直な」形の「作品」をこちらの生とともに継続させて行こうと試みていたようなのだが、そのような構築的熱情にこちら自身が応えられなくなり、書き物が日記としての体を成さなくなってきたので(つまり、文を作るのに時間と労力を掛けすぎるようになってしまい、一日分の記事を作るのに二日三日も掛かるようになったので)、転換を図ることになったのだ(もっとも、一日分の記事を一日で書き終えることができないのは、転換を済ませた現在も同じなのだが。この一七日の記事だって、昨日から取り組み続けているわけである)。その「転換」は、一六日の記事にも記したように、こちらの「書くこと」の内実が記録的欲望の方向に大きく振り直される形で実行されたわけだが、その後においてあのブログは、前ほど明確にはこちらの内で「作品」としての地位を保っていない。いまここで(と言うこの「いま」とは、一一月二一日の午前一時三二分だが)書いているこの文章は、明らかに「日記」ではある。つまり、ブログという仕組みがこの世にあろうがなかろうがそれに関わらず、自分がこれから毎日書き綴っていくだろう文章であることは間違いない。現在のブログはそれを部分的に省略(検閲)して、そのまま載せる場になっているわけだが、それが「作品」として成立し得るのか、こちらの内にはっきりとした解答がないのだ。と言ってしかし、「作品」ではないと明確に断言する気持ちにもならない。「作品」への欲望、「日記」をそのまま「作品」(あるいは「小説」)にして行きたいという未練はまだ残っているのだが、「雨のよく降るこの星で」で試みていたほど、それが確かな形(コンセプト)で実行されているとは思えないのだ。事ほど左様に、あのブログに載っている文章は、まず何よりもこちらのコンピューター内に書きつけられている「日記」であり(これは間違いない)、次にそれを検閲して公開した「ブログ」でもあり、その上もしかすると「作品」でもあるかもしれない、という中途半端な位相に置かれている。その半端さを表すのが「題辞」から「About」への表記の変化で、「題辞」という語を採用するには、こちらの感覚ではこの言葉は大仰過ぎる(つまり、格好つけすぎている)のだ。「転換(変身)」などという記事をわざわざ作ってバルトの文言を引くというのも、よほど大仰な振舞いなのだが、ここにも、「ブログ」を(あるいは「日記」を)そのまま「作品」にしたい気持ちを捨て切れないという別方向からの形で、こちらの中途半端さが露わになっているわけである。こうした様態の変容を果たした以上、あのブログはもはや「雨のよく降るこの星で」ではないとこちらは判断するのだが(なぜなら、このタイトルは小沢健二の"天気読み"という曲の一節から取ったものであり、「天気を読む」ということが、まさしく以前のブログにおいて、(生身の存在であるこちらがテクスト的変換を通過したあとの)話者が示していた振舞いそのものだったところ、現在のこちら=話者は、もはや明らかに「天気を読む」だけの存在ではなくなっているからである)、と言って替わりになる良いタイトルを思いつきもしないので、ひとまず(仮)を付して間に合わせておくことにする。
ブログの変形と一五日の記事の投稿を済ませたあとは、音楽を聞いた。Bill Evans Trio, "All of You (take 1)", "My Romance (take 1)"に、Will Vinson, "Skyrider"(『Perfectly Out Of Place』; #4)である。Will Vinsonのこの作は、やはり"Skyrider"が一番印象に残るようである。終盤に、ソプラノサックスとボイスのユニゾンが披露されており、このボーカルはJo Lawryと言ってVinsonの配偶者の女性らしいのだが、サックスの複雑で細かいフレーズとほとんどずれることもなく、また相当な高音部までカバーしているこの歌唱は、相当に凄いと言って良いのではないか。本来はさらに、来月にライブを控えていることでもあるから、Fabian Almazanの『Alcanza』を聞きはじめたかったのだが、そこまで気力が保たなかった。重い頭痛が生じていたのだ。
そうしてふたたび古井由吉『白髪の唄』を読んで(一三六頁から一四四頁まで)四時一〇分に至ると、疲労が大きかったのでこの夜は瞑想をせずに眠ることにした。床に就いてからも頭痛は続き、仰向いていると左の側頭部からこめかみあたりに掛けて、頭蓋のなかを虫が這っているような圧迫感が通過していく。それを観察していると、圧の感触にあるいは気絶するのではないかとちょっと恐れられたが、しかし気絶したらしたで眠れはするだろうと払った。意識は冴えきっており、まったくほぐれていかなかったが、しかし頭痛を避けるのではなくむしろそちら注視するようにして長く過ごしていると、いつのまにか頭が軽くなっていた。その後、何とか寝付くことができたが、何時頃になっていたのかはわからない。おそらく床に入ってから一時間近くは経っていたのではないか。