2017/11/19, Sun.

 この日の午前中の時間はすべて睡眠によって覆い尽くされ、午後の一時に至ってようやく起床した。四時三五分から一時ちょうどまでとして、八時間二五分に渡る眠りである。時間が遅くなったので、起床時の瞑想は行わなかった。この日一度目の食事には、炒飯を食べた。食事のあいだ、新聞からは二面の「パレスチナ代表部 閉鎖警告 米、アッバス氏演説理由に」という記事を読んだ。また、読売新聞の日曜版では一面と二面を用いて「地球を読む」というシリーズが設けられており、名の通った識者が交代で小規模な論考を寄稿している。細谷雄一が寄せたこの日のものも、この食事の時と、夜の食事の時とで目を触れさせたが、これは結局、最後まできちんと読みきらない中途半端なものとなった。
 一一月二三日(午後九時五二分)現在、この日の生活の記憶は大方失われており、メモも大してなされていないので、書き記せることは少ないだろう。おそらく食事を取ってすぐのち、二時台だったかと思うが、家の前の掃き掃除を行った。(……)掃除中、道の先に見える楓の木の、整然とまとまった紅の色に、もうよほど赤くなったなという風に目を留めたようだ。足もとで箒に弾かれる落葉のなかにも、盛りの林檎そのままの色の赤に染まったものが混ざっていた。
 (……)三時四六分から運動を始めた。記憶に残っていないが、例によってtofubeatsを流しただろうと思う。四時九分まで身体をほぐし、それから歌を歌って遊んだ。何を歌ったのかも覚えていないが、唯一印象に残っているのは、Suchmos "STAY TUNE"をyoutubeで繰り返し流して何度も歌ったことである(しかし、「風船ばっか見飽きたよ」の「あ」の部分、続く「うんざりだもう」の一部、終盤の二回目の「Scramble Comin'」のハイトーンは、完全にこちらの現在の音域の範囲外で、何度歌っても声にならなかった)。いささか流行遅れの嵌まり具合ではあるが、youtubeで"YMM"という曲のライブ映像も視聴した。ライブの舞台でも、目に入った限りボーカルの人は一度も笑わず、眉根をちょっと寄せるような表情もしばしば見られ、そうでなくとも視線をまっすぐ張ったようにしており、人間味のない機械じみたような印象を与えないでもないその「愛想の無さ」は好感が持てるものだった。(……)
 台所に立って、汁物を作るために大根や牛蒡などの野菜を切り分けるあいだも、"STAY TUNE"が頭のなかに自ずと再生されていた。鍋で野菜を炒めて水を注いだところまでで残りを任せると、下階に帰って、日記の読み返しをした。五時一二分から二六分までで二〇一六年一一月一四日月曜日の記事を読み、描写を三箇所、この日の記事にも写しておいた。その後、前日のことをメモに取りはじめた。五時二七分から六時三九分まで、一時間以上も費やしたのだから、かなり細かく記録したのだと思う。そのまま続けて一六日の記事に取り組み、八時六分まで掛けて三一七七字を綴り足し、完成させることができた。書き物に切りをつけても、まだ食事には行かなかったらしい。前日には瞑想ができず、この日の起床時にも行わなかったので、ここでできる時にやっておこうと考えて、八時三五分から四九分まで枕の上に座った。そうして夕食を取りに行っただろうが、そのあいだのことは何一つ覚えていない。
 次に記録に現れる時間は午後一〇時一九分で、一七日に読んだ新聞の書抜きをしている。「レバノン「代理戦争」不安 首相辞意 サウジ強制の見方」、「ムガベ氏・軍 南アが調停 ジンバブエ 前副大統領、帰国か」という二つの記事から一部を写しておくと、一〇時三六分、そこからふたたび書き物に入った。一七日の日記を午前一時二六分まで休みなく書き続けて、五七八五字を綴ったところで切りとしたらしい。それから他人のブログを読んだのち、二時五分からヴァージニア・ウルフ土屋政雄訳『ダロウェイ夫人』を読みはじめた。当初は三時くらいまで読んだら音楽を聞きたいと考えていた。ここのところ、生活のなかで音楽にじっと耳を傾ける時間を作れずにいたし、そろそろFabian Almazanの『Alcanza』もどんなものなのか聞きはじめたかったのだ。しかし、『ダロウェイ夫人』が面白く感じられて、そちらのほうに気を惹かれ、この夜はこれをできるだけ多く読もうという気分になったので、音楽に触れるのは断念された。それで三時四八分まで読書を続けて、一一頁から三四頁を読み、すぐに瞑想に入って、四時二分まで座ると消灯した。