2017/11/21, Tue.

 一一時台に一度覚めたらしい。その時にはまだ、カーテンをひらくと太陽が寝床に少々光を射しこんでくる位置にあり、陽射しを多少受けもしたようだが、起き上がる気力は湧かなかった。布団のなかで首や肩のあたりを揉んでいるうちに、結局は正午を過ぎての起床となった。前日よりも暖かな空気の調子だった。
 (……)食事を取っているあいだ、新聞からは、「和解後のガザ 生活劣悪 電気は1日5時間 薬届かず」という記事を読んだ。また、連日の報道を追ってこの日も「ムガベ氏強制退陣へ ジンバブエ 弾劾案 可決の方向」の記事も読んだはずだが(なぜ自分がジンバブエ情勢の話題をここのところ追いかけているのか、自分でも理由ははっきりしない。ジンバブエという国家については何も知らないし、特段の興味の手掛かりも掴んでいないはずだが)、これについてはあまり印象に残っていない。
 室に戻ったあとはいつものごとく緑茶で一服しながらコンピューターに向かい合い、前日に綴った一七日の日記を自ら読み返しているうちに二時が近くなった。それで運動を行い、歌もちょっと歌ってから上階に行き、ベランダの洗濯物を取り込むと畳むものを畳み、それからゆで卵を一つ食した。さらにアイロン掛けをしたあとに、炊飯器にもう米がなくなっていたので研いでおきたいと思い、四合半を笊に用意して洗ったが、手を晒す水がさすがにもう相当に冷たいもので、まさに骨身に染みるという慣用句を地で行く刺激の強さだった。
 着替えを済ませて三時半頃に玄関を出ると、(……)出勤に向かった。坂道に入ると、斑に色づき明るくなっている風景のなかで、眼下の道に立つ銀杏の樹がもう上から下まで一色に整って、薄陽を添えられて周辺でも殊に明るんでいるのが目に入る。上って行きながら、確固とした訳もなく、不安めいた気持ちを少々感じ取った。二〇日の記事には書き漏らしてしまったが、この前日にもやはり同じ坂を上りながら、何か覚束ないような不安の類を覚えていたのだ(だからと言って、この木の間の坂という場所自体がこちらにそうした心情を喚起させる何らかの特殊性を備えているわけではない)。その時のそれは、どちらかと言えば離人的なものというか、周囲の知覚情報や自分の現今の存在の現実感が朧であることに起因するものではないかと、その場では推測された。このような離人感(という名称分類で合っているのか確信がないのだが)の類は、これまでも折に触れて感じたことのあるものである。この時はさらに続けて、(文章化すると飛躍があるように思われるかもしれないが)自分は時間が流れるということそのものが怖いのではないか、と思いついた。それはすなわち、自分の死がいつか到来することを恐れているということだろうか、と更なる解釈が継ぎ足されたものの、これはわかりやす過ぎるもので、実感に照らしてもあまり確かだとは思われなかった。現在のところ、こちらの心としては、死んだところで所詮大したことではない、というような(虚無的な?)気分がどちらかと言えば支配的であるように感じられる。言い換えれば、自分の死についてあまり興味が湧かないということで、あれはストア派の考えだったかエピクロス派のそれだったか忘れたけれど、古代ギリシア・ローマの哲学流派で、自分が死ぬ時にはその自分自身は既に存在していないのだから、それについて考えても仕方がないというような捉え方を唱導したものがあったと思うが、これは現在のこちらの心情とわりと近いものであるような気がする。自分の死というものは、完全に自分の「外部」にあるということだ(この点で(自分自身の)「死」とは、「無」や「神」というものと似ている)。要するに、それは自分にとって「確かに見えない」もの、「考えることのできない」ものなので、それについて諸々の感情を抱くこともないということだろうか(しかしまた、いま(一一月二五日の午前一時半)書き記しながら思ったのだが、「自分の死」そのものと、「自分がいずれ死ぬという事実」は異なる思考対象のはずで、主体にとって実存的問題となるのは主に後者のほうではないか)。以前の自分は明らかに「死」を恐れていたと思う。と言うのも、「死への恐怖」によって生み出される幻想的な神経症状を体験した時期があるからだ。そのうちの一つは頭痛や頭の違和感で、これは二〇一二年の八月に祖母がくも膜下出血で倒れたという出来事がきっかけで、自分もいつ何時あのように脳出血を起こして死ぬかもわからない、という思いが頭に根付いたことが直接的な要因である(祖母はその後、二〇一四年の二月七日に死去した)。もう一つは心臓神経症で、これがなぜ始まったのかはわからないが、夜の寝床で眠りを待っていると心臓の鼓動が気に掛かって、これがどんどん速く高まっていってそのまま心臓が破裂するのではないか(不安の具体的内実は、「心臓が停止するのではないか」ではなく、物理的に考えればあり得ないのだが、やはり「破裂するのではないか」だったように思われる。あるいは「破裂する」というのは一つの象徴的イメージで、要するにこれも「死ぬのではないか」ということと同義だったと考えるべきだろうか)という幻想的な不安に囚われてしまうのだ(そして、それによって実際に心臓は爆発的に亢進する)。そうした時期を何とか乗り切ったいま、その当時に死を恐れるだけ恐れた反動のようなもので、ある種吹っ切れたような心境になっているのではないかと思うこともある(これもありがちな解釈ではあるが)。このように一応は言ってみるものの、しかしそれでは自分がいま死をまったく、完全に恐れていないかと言えば、そう確言する自信はない。何らかの理由で、自分がいよいよ、そろそろ死ぬのだということが確かに見えるようになれば、また怖がりだすのではないかという気もしないではない。
 前日の不安についての言及が思いのほかに長くなってしまったが、この日の不安のほうに話を移すと、これは言わば「内臓的な」不安で、胃のあたりだろうか身体の奥に実体的な苦しさがちょっと滲むような感じだった。前日のような離人感は伴わなかったらしく、この時に自分の感覚を探って下した解釈としては、自分は(私的領域ではなく)外界にあることそのものに緊張しているのではないかと考えられた。「外界にあること」を、「他者との接触可能性があること」と読み替えるならば、要は自分は「他者」と関わること(誰であれ他人と言葉(すなわち、意味/力の作用)をやりとりし、コミュニケーションを交わすこと)そのものに対して、ある種の不安を覚えがちなのではないかと思われるわけだが、もしそうだとすれば、自分は主体の基本的な性質として、社会性(あるいは全般性)不安障害的な性向を備えているということになるだろう(パニック障害を発症したのも、結局はそこが核心だったのではないか)。そのようなことを諸々考えはしたものの、実際にはそんなに大袈裟な話ではなく、単に食後に飲む緑茶に含まれているカフェインの作用なのかもしれないが、とも思った。
 道中、裏路を歩いていると、女子高生二人が前方で立ち止まり、スマートフォンを掲げて写真を撮っている。それは、もう角度もだいぶ鋭くなった西陽を受けて明るんでいる森の姿を収めているらしく、こちらも合わせて目を向ければ、渋くなった緑の合間にところどころ丹色も挟まる樹々の上から暖色を掛けられた様子の確かに鮮やかで、美しいと言っても良いかもしれない。色のうちに、甘いような調子が僅かに覗かれるようだった。
 勤務中や帰路や、帰宅してのちの食事中のことは覚えていないので割愛するとして、自室に戻ったあとの時間に話を移すと、ベッドに座った位置でもアンプを通して音楽を聞きたいと考え、上に積まれた本をどかして機材の位置を移して試行錯誤をしたものの、ケーブルの長さなどが不都合で諸々面倒だとなり、結局元のままに直すという一幕があった。零時半過ぎから書き物を始めたのだが、爪が伸びているためにキーボードを打ちにくいのが気に掛かって、すぐに中断して手の爪の処理を先にした。Robert Glasper『Covered』をヘッドフォンで聞きながら切り終えると、一一月一八日の記事に取り組んで、二時半前までで二〇〇〇字を足した。その後は四時二〇分までヴァージニア・ウルフ土屋政雄訳『ダロウェイ夫人』を読み(四五頁から七七頁)、一〇分瞑想をして就床である。