2017/12/1, Fri.

 現在は一二月一一日の午前二時一一分を迎えており、この一日当日からもう一〇日が経ってしまっている。メモを取ってはあるが、こうなるとさすがに細かく記述をするのも面倒臭い。これ以降の日々の日記は四日の分を除いてほとんど完成しているので、さっさとブログの投稿を先に進めたいのだ。ちなみに下の、「その後用を足したりして」の段落以降は、この翌日の一二月二日に先んじて記しておいたものであり、したがってこの日の記事は、記述が推移するにつれて話者の現在時点が遡るという珍しいものになっている。
 億劫なので印象に残っていることのみ記すと、まず、朝刊の社会面に宮沢賢治の妹が回想録を残していたことが判明したという記事があった。高校の国語の教科書にも載っている「永訣の朝」にその死が描かれている(とつい書いてしまったが、しかし、本当に詩のなかでは妹が生命を失うその瞬間まで記述されていただろうか? この作のことは、例の「あめゆじゅとてちてけんじゃ」の「声」しかもはや覚えていない。/しかしそのように、たった一文、たった一言だけでもそこに書きつけられたテクストがそのままに[﹅5]人の記憶に残るというのは、やはり何だかんだで凄いことではないか。文学作品などというものは、極論するに、それが何であれ何らかの一文、一語を忘却に抗して人の頭に刻みつけることができれば、それである種「成功」なのかもしれない)妹トシではなく、一九八七年まで生きたシゲという妹が記したという話である。
 ほか、午後に一度家の外に出て近間まで歩いて風景を眺める機会があり、向かいの家の楓の真っ赤になっているさまを目にしたり、林のなかで黄色く染まった樹の固化したように静まっている様子に空中に直接色彩が落とされたようだと思ったり、帰り道で遠くの丘陵に紅葉の色が唐突なように差し入れられているのを見て幾許かの感慨を得たりもしたのだが、前後の仔細な展開を追うことはしない。以下、二日に記した分に移る。
 その後用を足したりして、この日は早めに、四時四〇分に出発した。(……)辛うじてまだ黄昏に入る前の明るみが大気には残っており、坂から見下ろす銀杏の黄色も窺える。(……)街道を歩くうちに、尿意が高まっていることに気づいた。実のところ、出発する前に小用を済ませていたのだが、それからすぐにまた排出したくなるこの頻尿はちょっと異常だなと思った。蕎麦茶を飲んだためなのだろうが(蕎麦茶には利尿作用がある。それに加えて、白湯を一杯飲んだことも効いたのかもしれない)、それにしても早い。途中で小さな公園の前を通る際に、ここにトイレがなかっただろうか、もしあったら寄っておいたほうが良いのではないかと迷ったが、結局は素通りした。しかし、裏通りに折れたところでやはり見ておこうと思い直し、裏路から来た方角へ戻ったのだが、多分あの公園にはトイレはなかっただろうなと目星を付けてはいた。それで敷地内に入ってみると、もうよほど暗んで蔭のわだかまっている周囲にそれらしいものはやはり見当たらないので、仕方がないと踵を返して、駅の傍まで耐える覚悟を決めた。感覚として尿意が結構差し迫ってはいたのだけれど、呼吸を深く、長く吐くことに集中していたので、不安が退っ引きならないまでに高潮するということはなかった。足を急がせるでもなく、下校する高校生らに追い抜かされる程度の歩調で進んでいたのだが、しかしもうあたりが暗くて周囲の視線を意識しなくて良いからわりあい落着いているけれど、これが昼間だったらまた違っただろうなとは思った。交差路まで来て、駅前の公衆トイレまで行くか、それとも踏切りの向こうの図書館分館に向かうかと選択肢を前にしたのだが、駅前に行くことを考えると、やはり明かりもあって人の数も裏路よりは多いから緊張する感覚があり、これは分館に寄るのが正解だなと判断した。それで、ここに来て鳴りはしないかと危惧しながら踏切りを越え、そうするとすぐ目の前の施設に入って便所を借りた。用を足してしまえばこちらのものというわけで、あとは困ることもなく職場に向かった(ただやはり、働きはじめてからもしばらく、何となく緊張の名残りのようなものが肉体に残っていたようではあったが)。
 (……)
 帰り道には月が浮かんでいる。白々と照っており、星も周りにいくつも見えて、日中はかなり曇っていたはずだが、この夜には空は晴れているようだった。徒労感を抱えながら道を行っていると、Radioheadの"The Bends"が頭に浮かんでくる。それで音楽を脳内に鳴らしながら進むと、何か知らないが最近工事作業が進行中の空き地で、コーンの頭に取り付けられた保安灯が点滅している。いくつかの色が高速で灯っては消えながら破線状に散らばっているのをじっと眺めれば、慎ましやかだが結構綺麗なものである。花火を連想させるようだった。さらにしばらく行ってからふたたび見上げた月は、半月も越えて、満月に向けてまた厚くなっているところだった。
 (……)自室に下りて着替えると、足の裏を刺激しながら(……)を読んだ。そうして一〇時半、上階に行き、煮込んだ麺の類を食べた。テレビには初め、何だか知らないがドラマが映し出されており、いかにも安直なと言うか、紋切型に嵌まりきった物語の空気が、あまり画面を見ずとも音声だけで伝わってくる(……)。こちらはそんな場面は見たくもないので、新聞に目を落としていたけれど、音が邪魔になって文字を追えない。しばらくしてドラマが終わると、その後番組は『ドキュメント72時間』に移って、これならばこちらも実に安心して目にすることができる。こちらとしては、大方のテレビドラマの類を見るよりも、このドキュメンタリーで映し出される人々の顔を五秒間でも眺めていたほうがよほど面白いと感じられる。この日は二四時間営業の印刷店が舞台だった。色々と印象に残っている点はあるけれど、一つ挙げるなら、妻に黙って深夜に電子の競馬新聞を印刷しに来ている男性という人がいた。中学生だかの時に、細かいところを良く覚えていないが何か失敗体験があり(受験に落ちたということだったろうか?)、気晴らしで競馬場に行ってみたところ、後ろのほうに遅れていた馬が終盤になって、前の馬を一気にまとめて追い抜かして勝つというレースを目撃したと言って、こんな勝ち方もありなんだなと思い、それ以来競馬に嵌まったという話だった。こうした人生の物語というものは、基本的に面白い。誰もがこのようなものを自分の内に持ち合わせているわけだが、この番組の面白さというのは、それが出来合いの、通りの良い形に成型されて提示されるのではなくて、あくまで断片的に、不完全な形で[﹅6]、しかも次々と/続々と提出されてくるという点にあるのではないか。そして何より、それらの物語/人生/人々のあいだに論理的な/必然的な繋がりは少しもなく、彼らがこの番組内で「共演」することになったのは、ある一つの同じ「場所」にそれぞれの理由/事情でいたというまったくの偶然によるものでしかない[﹅17](この番組の内容に、いわゆる「やらせ」がないと信じるとすれば、だが)。言い換えれば、彼らは、ある一つの「場」を根拠として(単純な三日間の時系列に沿って)「ただ並列されただけの存在」である。その並列された人々が、それぞれの時間の厚みを背負ってそこに存在しているということをまざまざと感じさせてくれるという意味で、この番組は、こちらが思うところ、「豊かな」番組である。面白いものとは豊かなものであり、この世界が我々の想像を遥かに超えて豊かであるということを(その都度何度も繰り返し)教え、実感させてくれるものである(「文学」と呼ばれている営みが担う「役割」の、少なくとも一つはそこにあるのではないか)。
 食後、入浴した。室に帰ったあとはしばらくだらだらと遊んだのだと思うが、午前一時の直前から文を書きはじめている。一一月二六日の記事に一時間半を費やしている。また長々と思念の類を綴るのに時間を掛けてしまい、もう少し書き方を考えなければならないなと思ったのだった(そう言いながら、上にもまた「感想」の類を展開してしまったのだが)。その後、ヴァージニア・ウルフ土屋政雄訳『ダロウェイ夫人』を一時間読んで(三〇三頁から三二三頁まで)、瞑想をして四時五分に消灯した。寝床では確かまた、心臓がちょっと痛んだ覚えがある。