例によって何度か覚める。覚醒の感触は数日前よりも明らかに軽かったのだが、その都度睡眠の時間を計算してしまうと、やはり少なさが気になってまた眠ってしまうのだった。しかし本当は、初めの覚醒の時に速やかに起き上がったほうが良いのだろう。この日は一一時四五分の起床となった。布団を抜けると、前日と同じように蓮實重彦特集の『ユリイカ』を少々めくり、身体が落着くとトイレに行った(洗面所の鏡を見ると、髪が寝癖で珍妙な風に歪んでいたので、いい加減に水で濡らして押さえておいた)。用を足して戻ってくると、一二時一〇分から瞑想を行った。ゆっくりと深い呼吸を繰り返していると、空っぽの腹がぐるぐると鳴りを立てる。外からは烏の声が薄く聞こえてくる。(……)瞑想を終えると、一七分が経っていた。
上階に行く(……)。嗽をしてから冷蔵庫を覗くと、前日の残りらしい豆腐ハンバーグがあるので、それを電子レンジで加熱した。合間に即席の味噌汁を用意し、大根の煮物も温めると、白米をよそって卓に運んだ。新聞からは、イエメンの大統領が暗殺されたという記事、ベルギーに滞在しているカタルーニャ前州首相らの審理が進行中であるという記事を読み、ものを食べ終えたあと、一面に載っていた現政権の「人づくり革命」政策の方針についても読んだ。そうして食器を片付けると風呂を洗う。時刻は一時過ぎであり、まだ光が明るく満ちているので洗濯物はもう少し置くことにして、室に下りた。
コンピューターを立ち上げると、前日の支出を計算して記録しておき、それからこの日の日記に早々と取り掛かって、一三分ほどでここまで記した。長めの労働を控えている日だが、気分は悪くなく、わりあい穏やかに静まっている。
それから一二月四日の記事も一〇分少々書き足して、二時に至ると洗濯物を取りこみに行った。畳むものを畳んでおき、戻ってくるとtofubeatsを流しながら体操や柔軟運動を行った。(……)その後、上階に行き、豆腐に即席の味噌汁、ゆで卵でエネルギーを摂取し、それからアイロン掛けをした。(……)
服の皺を伸ばすと時刻は三時を回っており、部屋に戻ってきて歯磨きをし、着替えると出発の頃合いである。(……)晴れた空は明るく、山は薄金色の靄のような光を抱いてその姿を霞まされているが、足もとには既に光はなくて林の梢の高いほうに掛かっている。残った光に明るんでいる葉っぱの、褪せた黄色や褐色に染まって水気なく萎えたのが、からからと音が鳴りそうな様子で、あとはただ落ちるのを待つばかりの風情である。その傍ら、薄緑色の竹の葉が小さくまとまったその向こうから、鵯の鳴きがいくつも降っていた。
街道ももう大方は日蔭だが、なかに短く差し込まれた日なたがあり、踏み入ると道の脇に向けて影が斜めに伸びて、道路を通る車の二車線に乗った双方ともがやはり影を差し掛けて、足もとを前後に滑らせて行く。道の上には楓の葉の老いた臙脂色に染まったのが、あるものは堂々と体をひらき、あるものは鉤爪のように身をすぼめて伏していた。
(……)
帰路、物音に振り返ると、背後の東空に月が出ている。満月も近く、よほど厚くなって光も清かな照り方である。星もあたりに見え、夜空は青みを露わにしていた。主体の「見る」機能とそれによる分裂について、また主体を「演じる」感覚についてなど考えたと思うが、まだ記せるほどの形を成してはいない。
帰り着くと手を洗い、服を着替えて、(……)を読んだ。それから食事を取りに行き、食後、風呂に入って出てくるともう零時も近かったと思う。長めの勤務の日は概ねいつもそうだが、身にこごる疲労感のためか書き物をする気にはならず、かと言って何か読書をするのでもなく気楽にだらだらとインターネットを回って過ごす。一一月二九日から一二月一日までの記事が済んでいないが、特段の焦りはなかった。一時半を前にして、ともかくもまったく文を書かないというのはあってはならないと気を調えて、キーボードを叩きはじめた。前日、一二月四日のことをメモに取っておき、それから一一月二九日の記事に掛かって仕上げるところまで行った。それで二時半、疲労も募っていたのでこの日はここまでとして、歯磨きをすると、パク・ミンギュ/ヒョン・ジェフン、斎藤真理子訳『カステラ』の読書に移った。ベッドに横になりながら読んでいたが、じきに眠気が湧いて微睡むような有様だった。これも久しぶりのことで、緑茶を排してカフェインを取らなくなったことの一つの影響なのではないか。三時半に至る前に、瞑想はする気力がなかったので怠けて、明かりを落として就床した。