一一時頃から意識を取り戻してはいたのだが、起き上がれないままに一一時四〇分を迎えることになった。この日もまた寝床に光の射し込む晴れの日和だった。ベッドを抜け出して携帯電話を見ると、知らない番号からの着信が残っている。(……)というもので、怪しいなと思って検索に掛けてみると、「(……)」という会社の名前が出てきた。所在は大阪らしい。当然、用件としてこちらから思い当たる節などあるはずもないので、間違い電話だろうかと考えて放置することにした。
一九分間の瞑想を行ってから、上階に上る。台所には幅広の麺のうどんがパックのなかに用意されている。それを前夜のすき焼きに加えて食べる(……)。汁が少なかったので少し水増しして、煮込んで丼に盛り、卓に就いた。食事を取るかたわら、新聞からは羽生善治が永世七冠とやらを達成したという記事を斜め読みし、ほか、「イエメン反政府勢力 分裂 サレハ前大統領殺害 内戦 更に激化」と、「カタルーニャ前首相の欧州逮捕状取り下げ」の二記事を追った。食後、食器を片付けるといつも通り風呂を洗いに行く。(……)
そうして、一時頃になったのではないか。自室に帰って二時まで怠けると、洗濯物を取りこみに行った。タオルなどを畳んでしまうと、先の食事から二時間ほどしか経っていないけれど、そのままエネルギーを身体に追加することにして、温めた豆腐に即席の味噌汁、ゆで卵を食べた。新聞を読むこともせず、黙々と食物を摂取すると、食器を洗ってから米を新しく研ぐ。玄関の戸棚の内に保管してある米が一袋終わるところだったので、新たに口を開けて四合を笊に用意した。それから炊飯器の釜を水受けにして洗米するのだが、さすがに水が冷たく、右手が芯まで痛めつけられる。夕刻に炊けるように設定しておくと、下階に戻って歯磨きをした。ベッドに腰掛けて口内を掃除しながら、自分の心中の感触を探ってみたところ、概ね落着いてはいるけれど、前日と比べると地に足の付かないような感覚が僅かに感じられる。焦るような心が微かにあったらしい。口をゆすいできたあとは、出かけるまでに前日の日記を記しておきたいとコンピューターに向かって、三五分で一二月五日の記事を仕舞えた。そうすると三時を回ったところ、服を着替えて、Suchmos "STAY TUNE"を流してから上階に向かった。靴下を履き、ソファに座って目を閉じながら一息ついていると、出発の時間がやってきた。
玄関を抜けたところでちょうど新聞配達のバイクがやって来たので、初老も近く見える配達員の男性に礼を言いながら夕刊を受け取った。米国がエルサレムをイスラエルの首都として認定するという記事の見出しが目を惹いた。新聞を屋内に入れておき、道を歩きだす。木の間の坂に入って右方の眼下を見やると、銀杏の樹がいつの間にやら葉を落としきって、骨組みだけの姿を晒していた。雲が湧きながらも空は概ね晴れているが、空気は明確に冷たい。鼻先が冷え、顔の表面に冷気がひりついて、膝頭も寒々とする。頭上はまだ明るいのに、ともすると震えが走りかねない大気の様子だった。
街道を渡って北側の裏路地を行く。西に発生している雲に太陽はやや遮られているらしく、森の樹々や家屋の側面に乗る暖色が前日よりも薄くなっている。道を進むうちに、南の空の雲が勢力を増したように見える。光線の具合によるものだろう、鼠色を奥に籠めた上に薄紫を施した風合いで、下端は輪郭線に沿って細く白み、全体としては僅かに粘るような質感が見えて、午後四時前に目にすることのあまりないように思われる類の雲だった。
帰路は行きに輪をかけて冷え、路上の空気が少しでも動くとまざまざとそれが感じ取られる。自販機に気が行くようだったが、カフェインを摂らないと定めているので、見かけた一台には飲めるものがなかった。道の中途で脇から立った何かの物音に振り向き、それと同時に月はと思い出して背後の東空を見上げたが、姿はなかった。満月も間近に厚く白々と映えたさまを前日に目にした際の時間と高さから推して、この午後八時にはそろそろ出ている頃でないかと思ったが、東の低みに雲が無造作に乱れて残っており、昇りはじめていたとしてもその向こうに隠されてあったのかもしれない。
帰宅する頃には服の表面が大層冷たくなっていた。洗面所で手を洗って自室に下りて行くが、寒さのためにすぐに服を脱ぐ気にならず、ベッドに腰掛け、電気ストーブを足もとに点けて身体を少々温めてから着替えはじめた。しばらく休んでから九時頃になると食事を取りに行った。ケンタッキーフライドチキンが主なおかずである。食べながら夕刊を繰って、「米「首都エルサレム」認定 トランプ氏 大使館移転の方針」、「「首都エルサレム」 周辺国「中東和平を阻害」 サウジなど、米に警告」の二記事を読み、ついでに一面に並んでいた「もんじゅ廃炉を申請 原子力機構 47年度完了計画」にも目を通しておいた。
(……)食後は一旦室に戻って白湯を飲みながら時間を過ごした。一〇時を回ったあたりで入浴に行く。ゆっくり浸かって出ると、おにぎりを一つ作って室に帰り、それを食べながらだらだらと過ごした。疲労感のために書き物などに取り組む力が湧かなかったのだ。零時を回ったところで、情報を抜き出して記録していない新聞が溜まりに溜まっているので、少し片付けなければならないだろうと記事を部分的に写しはじめた。一二月一日の分まで済ませると、そのまま続けて日記を記しはじめる。この日のことを外出の前の時点まで記録しておき、それから一一月三〇日の記事を手早く処理すると一時半を間近にしていた。五〇分程度しかキーボードを叩いていないのだが、どうも疲れが高じてこれ以上続ける気にならなかった。特に身体の背面が随分とこごっていたので、ベッドに寝転がり、パク・ミンギュ/ヒョン・ジェフン、斎藤真理子訳『カステラ』を読みながら心身を休めた。そうして二時二〇分を迎えると瞑想を行ったのだが、これもやはり眠気のために身体が左右にぶれる。久しぶりの感覚である。食後に緑茶を飲んでいた先般には、やはり覚醒効果が作用していたのだろう、深夜まで更かしていても大して眠くなるということがなかったのだ。この時はそれで一二分を座るのがやっとであり、本当は音楽を聞くなりもう少し本を読むなりしたいと考えていたのだが、これではどうしようもないなと判断して、就寝することにした。インターネットをちょっと覗きながら歯磨きをして、三時からふたたび瞑想に入った。この際には先の混濁はいくらか散って、意識を概ね保ったまま座れるようだった。二〇分を座ってから消灯して布団のなかに入ると、寝付くのにはまったく苦労をしなかったと思う。