一〇時頃かそれ以前から非常にたびたび眠りの浅瀬に浮かび上がってきたものの、例によって完全な覚醒は正午となる。四時一五分から一二時五分までの睡眠と考えて、七時間五〇分である。布団を抜け出して伸びをし、ベッドに腰掛けて身体を落着かせると用を足しに行った。洗面所で顔を洗うとともに嗽をしておき、放尿してから戻ってくると、瞑想に入った。呼吸を繰り返していると肉体が奥から温まり、体内の流れのようなものが滑らかになって行くのが良く感じられる。唯物的に考えると多分これは血圧や血流の問題であったり、筋肉がほぐれたという証だったり、あるいは脳から分泌される何らかの物質の作用なのだろうが、古人が「気」という概念を考えたのも納得の行くような感覚である。
上階に行く。(……)食べながら新聞を読む。エルサレムの入植地が拡大と言う。(……)
食事を終えると食器を片付け、風呂場の束子をベランダの日なたに運んでおいてから、浴槽を擦って洗う。済ませると下階に行き、(……)ベランダに出て干されてあった布団を取りこんだ。そうして白湯を一杯用意して自室に戻る。それを啜りながらインターネットを少々覗いたり、前日の記録を付けたりした。この日も労働が長めの日で出かける時間が比較的早いわけだが、それまでの短いあいだに何をしようかと立ち迷うようなところがありつつも、やはり早々と日記を書いてしまうのが良いかという気になって、ひとまずこの日のことを先に綴った。一時半からここまで記して一時四四分である。前日、一二日の記事はまだ空白のままになっている。
その前日分を二時過ぎまで綴ったあと、体操をして音楽を聞いた。Bill Evans Trio, "All of You (take 1)", "Detour Ahead (take 2)"、THE BLANKEY JET CITY, "RAIN DOG"(『LIVE!!!』: #13)である。そうして二時四五分、上階に行き、ゆで卵を一つ食べる。食べるその向かいでは母親が、前日にあった着物リメイクの仕事(と言うかほとんどボランティア的な手伝いのようだが)の「宿題」だろうか、ミシンを出して針仕事をしており、針穴に糸を通してくれとこちらにも求めてきたので、二本分、セットを作ってやった。その後、アイロン掛けをしてから支度をして出発である。家を発つ前に、居間のソファに腰を掛けて窓の外をしばらく眺めた。この日は空に雲がいくらか掛かっており、西陽も抑えられているようで、南の樹々に薄い光の感触が少しもないわけではないが明るむというほどでもない。見ているあいだ、その僅かばかりの光のなかに、落葉がいくつか微かな姿でちらちら揺れながら宙を舞った。
往路、労働、帰路のあいだについては特段に目立って浮かび上がってくる記憶がないので省略する。と思ったが、氷を身の周りに四方に置かれたかのような冷気の帰路に、瞑想の時のような深い呼吸を始めると寒さが結構和らいで、耐えるのが容易になったということはあった。呼吸というものが人体に及ぼす効力を実感する最近の日々である。実際、二〇分かそこら瞑想(と言うか、目を閉じて深呼吸を繰り返すだけなのだが)をするだけで、身体は相当にほぐれて軽くなる。この前の日に見たテレビの内容では、ヨガの呼吸と言っても様々に種類があるらしいところ、一応自分はその一番の基礎という認識でとにかく呼気を吐ききるということを心掛けているのだが、こちらの感じでは吐ききった状態のまま呼吸を停止させるというのが一つのポイントではないかという気がするものである。
帰ってきたあと、居間のストーブの前に座りこんで、熱風を浴びながらそこでもしばらく深呼吸をしてから下階に行ったのだが、そうすると熱が体内に残っていて着替えで肌を晒してもあまり寒くなかった。他人のブログと自分の過去の日記を読むと、食事に行く。(……)どうやら流星群が見られるという夜だったらしい。こちらとて星見の風情を解する心がないではないが、冷たい空気のなかに長時間滞在するほどの気力もなかったので、食後はまっすぐ風呂に行った。
出てくると一一時半を回ったくらいだったろうか。記録を見ると、日付の変わる直前から書き物を始めている。前日、一二日の記事を一時間半綴って完成させ、その後この夜は凄まじい勢いで怠惰に走った。三時間のあいだウェブをうろついて、五時を過ぎたところでさすがにそろそろ眠ろうと明かりを落とした。瞑想はしなかったそのかわりに、寝床で仰向けになって深呼吸を繰り返した。そのうちにうまく寝付いたのか、姿勢を横に変えた記憶がない。