起床、一二時四五分。寝床を抜けるとベッドの縁に腰掛けて、パク・ミンギュ/ヒョン・ジェフン、斎藤真理子訳『カステラ』を一〇分間だけ読む。起きるのが遅くなったためだろう、瞑想はしなかったようだ。上階に行き、洗面所に入って、濡らした手指で髪に触れて寝癖を曖昧に整える。食事は炒飯。新聞からは、「パレスチナ 中東和平 露に仲介打診 エルサレム首都 「米は立場失った」」(九面)と「首都無効決議案 国連総会採択へ エルサレム」(九面)の記事を読んだらしい。
風呂を洗った(……)室に下りたあと、何をやっていたのかは不明。二時過ぎから一九日の日記を記しはじめている。二時半に至ったところで、一度中断して洗濯物を取りこみに行った。タオルや肌着類を畳んでおき、すぐに戻るとまたキーボードに触れている。
三時を回ったところで切って、そのまま運動に入る。例によってOasisの二枚目のアルバムを流したらしい。三〇分近く使って、しっかりと肉体をほぐしたようだ。その後、起き抜けにできなかった瞑想を行っている。
長寝のためか、室にいて諸々の活動をしているあいだ、自分の手から垢の臭いか汗のものか、何かそのような類の臭気が感じられたらしい。
出発は四時台後半である。玄関を抜けると、煙の臭いが感知された。道を僅かに進んで西のほうを見やると、綻びをたくさん作りながらも空に掛かった雲の広がりが目に入る。さらに、我が家の屋根の向こう側から、煙が立ち昇っているのも視認される。隣の(……)の家で何か燃やしているらしい。そちらのほうに視線を送りながら先へ歩くと、煙を透かして西空の際から洩れる残照が見え、雲の裾近くには極めて細い、新月を脱したばかりの月が右下に弧を置いて入りかけているのも映っている。雲の様子を、鍋に浮かんだ灰汁のようだと思った。
街道を行く途中、どこかから料理の匂いが香った。直後に、おそらく醤油で味付けをされた煮物だろう、と同定される。その推測は何故か、ほとんど確信的に里芋の煮物として浮かんできたのだが、そこまでは断定できないだろう。裏通りの中途、空き地に散りばめられている保安灯の灯りをふたたび眺める。空気はあまり寒くなかったらしい。
労働中と帰路の記憶はない。(……)
夕食中、夕刊を読む。「エルサレム首都 無効賛成国へ「援助停止」 トランプ氏 国連総会採決けん制」という記事が出ている。「トランプ米大統領は20日、自身がエルサレムをイスラエルの首都と認定したことに関し、国連総会で21日にも決定を無効だとする決議案が採択される見通しであることについて、採決で賛成した国への援助を打ち切る考えを示し、けん制した」、「トランプ氏は「(米国から)何億ドル、何十億ドルと受け取っておきながら、我々の意に反して投票する国がある」と指摘。「彼らの投票を注視している。我々に反した投票をすればいい。そうすれば、多くの(援助費用の)節約になる。我々は気にしない」と述べた」という話で、読みながら、笑ってしまうほど/可笑しくなってしまうほどに傲慢な人間だなという感想が浮かんできた。こうした発言が意味しているのは、米国民が今まで「民主主義」と呼んで、現実には色々と屈折/曲折がありながらも一応は尊重してきた理念/考え方/態度を、彼らのリーダーが自ら豪快に投げ捨てようとしている、ということではないのだろうか。ドナルド・トランプの言動においてはそうしたことは今に始まったことではないのだろうし、過去の大統領たちも現実には色々とやってきたには違いないのだろうが、何というか、ここまで堂々と、清々しいまでの厚顔さで一国の指導者がこうした発言をするというのはやはり凄いことなのではないか? 「建前」というものがこの世から消滅しつつあるような気すらしてくる。もしそうだとすると、それはインターネット上に蔓延している「本音」の大群とも、やはりどこかしらで通じている問題なのかもしれない。
夜半はまず、読書である。パク・ミンギュ/ヒョン・ジェフン、斎藤真理子訳『カステラ』を読み終え、そのままミシェル・フーコーほか/田村俶・雲和子訳『自己のテクノロジー――フーコー・セミナーの記録』に移る。一時半まで。その後瞑想し、二時から音楽。Bill Evans Trio, "All of You (take 3)", "Jade Visions (take 1)"、THE BLANKEY JET CITY, "Bang!", "不良少年のうた"(『LIVE!!!』: #4,#7)、Bessie Smith, "A Good Man Is Hard To Find", "I Ain't Goin' To Play No Second Fiddle", "Me And My Gin", "Muddy Water (A Mississippi Moan)", "St. Louis Blues", "'Tain't Nobody's Bizness If I Do"(『Martin Scorsese Presents The Blues: Bessie Smith』: #1-#6)、Nina Simone, "I Want A Little Sugar In My Bowl"(『It Is Finished - Nina Simone 1974』: #5)、Nirvana, "Come As You Are", "Lithium"(『Nevermind』: #3,#5)と色々聞いて一時間。その後ふたたび読書。フーコーの本では、三四から三五頁に掛けてマルクス・アウレリウスの(青年期/二四歳の時の)書簡が取り上げられ、ストア派の人々が実践していた「自己への配慮」の技術の一例として紹介されているのだが、師に宛てて自分の一日の生活のこまごまとした細部を順番に語っているこの手紙は、こちらの観点から言えば明らかに「日記」である。要はこちらが毎日綴っているこの「日記」と、大方同じようなものだということなのだが、フーコーは、この書簡が大部分「何を行ったか」を語ることに終始して、「何を考えたか」については記されないことに注目しており、「日記」の執筆は「キリスト教時代に始まるのであり、魂の葛藤という概念に的がしぼられる」と述べている。フーコーの観点からすると(あるいはそれは西洋文化の総体における一般的な見方かもしれないという気もするのだが)、「日記」というのは「内省」「省察」といったようないわゆる「内面的な」思索を綴るものとして、基本的には考えられているのではないだろうか?(ロラン・バルトが書いた日記に関する小論も「省察」という題だった) その点はおそらく、こちらの「日記」観との大きな相違である。最近は自分もこのようにして思索の類を書きつけるようになってしまったが、この「日記」は元来、そういったものではまったくなかった。「日記」を始めた当初は、大方自分が何をしたか、何を見たかということしか記しておらず、「内面的」と言われるような事柄がよしんばあるにしても、それはせいぜいある物事に遭遇しての「感慨」といった程度の小さなものだったはずである。だから、こちらの「日記」はそもそも、その第一の側面において「行為/行動」に関するものとして始まったのではなかったのか。この点は、自分の「日記」行為、その営みの意味を解釈する際に、重要な部分になってくるのではないかという気がする(この「日記」が自分なりの「自己への配慮」の実践であるという点は、疑いのないことだと思うが。/「偶発事」の類、「ニュアンス」との遭遇が「日記」行為のなかでどのような位置づけを成されるのかという点も大きな問題だろう)。(そう言えば、今思い出したが、こちらの最初の目標は、「日記で小説をする/日記を小説にする」ということだったのだ。多分、この「小説」という要素の存在こそが、こちらの「日記」が「内面の思索」に限定されない上での中核的なポイントであるように思われる)
四時まで読書をしたのち、瞑想をして一五分に就床。