2017/12/23, Sat.

 出し抜けに、といった感じでちょうど八時頃に一度目を覚ました。アラームが鳴るように仕掛けたのは一〇時である。朝陽の明るさがカーテンを浸していた。三時四〇分に就床したからこれでは睡眠が足りない、労働に備えてもう少し稼いでおいたほうが良いだろうと考えてふたたび眠ろうとしたが、思いのほかに頭が軽く冴えていた。それでもじきに寝付いて、次に覚めたのが九時四〇分のあたり、携帯が鳴るまで待つかと微睡んでいると、着信音のようなアラームが響き、心臓がびくりとなった。布団を抜けて、すぐにベッドに戻ってしまわないように遠くに置いておいた携帯を止め、その場で立ったまま堪えて伸びをした。そうしてダウンジャケットを羽織ると、そのまますぐに瞑想に入った。どうも緊張のようなものが、ごく幽かにではあるものの感じられ、心臓のあたりが疼くようになっている。それを解消するように呼吸を続けて、このくらいかと目をひらくとちょうど三〇分が経っていた。
 上階へ行く。各方の窓のカーテンを開けて、室内に陽射しを取り入れる。それから台所で嗽をして、洗面所に入ると顔を洗った。前髪を濡らして整えておき、冷蔵庫から前夜の炒め物の残りを出して、電子レンジで温めた。待つあいだに、居間の東側の端に生まれた日なたのなかに入って身体をほぐす。南窓の先、川向こうの町からは、青白い煙が湧いている。すぐ対岸に見える寺(らしいのだが)の敷地内からだろうか。煙は実に緩慢なうねり方であとから継がれて、樹々の合間から空中に昇って東のほうに広がって行く。電子レンジの作動が終わると台所に行き、さらにもう少し加熱しているあいだに米をよそったり、サラダの残りを出したり、即席の味噌汁を用意したりした。食べ物を卓に並べるとポストから新聞を取ってきて、ものを食べはじめる。九面から、「エルサレム 「無効」決議 米は冷静 賛成国へ報復 不透明」の記事を読む。そのままカタルーニャ関連の記事(「欧州の選択 カタルーニャ問題: 「独立」勝利 続く混迷 州議会選 過半数維持 強権ラホイ首相に反発」)に移るところで目を上げると、対岸の煙はまだ湧いており、風向きが変わったようで今度は西側へと、低く伏せるようにして流れていた。その後一面に戻って、「北、公海で石油密輸 制裁強化後 中国船など関与か」、「「人づくり」重点予算 閣議決定 来年度97兆7128億円」の記事も読むと、椅子から立ち上がった。一一時一五分頃だった。食器を台所に運んで洗っておき、アイロンを掛けていなかったシャツたちを始末する。済むとそれぞれ階段の途中や、自室の外に吊るしておき、白湯を用意してきてコンピューターを立ち上げた。前日の記録を付けたあと、この日の記事も作ると即座に記しはじめて、ここまで書いたところでちょうど正午を迎えている。
 その後、tofubeatsの音楽を流して、手の爪を切った。ベッドの上にティッシュを一枚置いて、その上で処理をし、切ったあとからやすりも掛ける。そのまま運動に入って、二五分使って身体をじっくりほぐすと(背後には、久しぶりにキリンジを流した)、歯磨きをした。歯磨き中、ミシェル・フーコーほか/田村俶・雲和子訳『自己のテクノロジー――フーコー・セミナーの記録』を僅かに読む。そうして口を濯いでくると、Oasisを聞きながら服を着替え、一時一〇分という頃合いだったのでコンピューターを停止させて室を抜けた。ハンカチを尻の側のポケットに入れて出勤である。
 道はまだまだ明るい。空気に冷たさはなく、ここまで寒気が弱いのは久しぶりではないかとも思われる。坂を上って行きながら、林中に浮遊する鳥の声を聞く。進むと今度は反対側からも聞こえてくるが、あまり澄んでいない、妙なような声である。その場でも形容を思いつかなかったし、今も何と言って良いのかわからないが、音の元を探ると裸木の枝先に小さな姿が空を背景に影となってある。
 街道から裏に入らずに日なたの多い表道を行く。背から温まり、足もとも温もる。空には南側にも北側にも雲が湧いているが、希薄なものに過ぎない。この日は(……)一日職場の番を任されていた。面倒な話である。また、電話を取らないといけないのだが、こちらはこれが苦手で、それに対して緊張するような心も多少あった。道行きの初めのうちはそれで、頭のなかで対応の仕方を想定してシミュレーションしていたのだが、そんなことに頭を使っても仕方がないしつまらないというわけで、歩行の現在に心を戻すことにして、それとともに歩調も緩くなった。そうして駅前まで来る。横断歩道で止まる。南のほうを向くと光が眩しく、目を細める。渡って折れる際に、頭上から音楽が降ってくる。そこのビルに入っている喫茶店で、何か催しをやっているらしい。七〇年代風味と言うか、わりと雰囲気の良いロックだった。
 職場に着くと貰っていた鍵を使って、裏からなかに入る。明かりを灯し、準備を始める。労働中のことは書いておきたいという気にならないので、細かな部分は省略する。初めのうちはやはり緊張があったが、じきに電話の対応にも慣れてきて、余裕が生まれた。とは言え、こちらの単独性においてではなく、会社の一員という属性を背負って振舞わなければならないのが面倒臭い。労働においてこちらが煩わしく感じられることのうちの大きな一つが、この余計な、欲しくもない属性の付与ではないかと思われる。ともかくぎこちない部分もありながらも何とか仕事をこなし、見落としがないか仔細に確認した(……)
 帰途に就く。道中、半ば過ぎくらいまでは自分の仕事ぶりやノートに記した文言を思い返して、抜けがなかったかと頭のなかで検査を行う(こうしたことを自然と行ってしまうあたり、我ながら律儀な性分だと言っても良いだろう)。そのうちにそれにも満足したようで、仕事のことは考えなくなった。その後、この帰り道の終盤から入浴あたりに掛けて、精神が非常に落着いたと言うか、自足するような心持ちが続いていた。やることも終えて翌日は休日ということもあり、自ずと気持ちがほぐれたのだろうか(一方で、帰路の最中には心臓のあたりがまた痛むということもあったのだが)。道の終わり、坂道を下りていると、脇の林の内から何かが落ちる音が立つ。出口のところで風が流れて、葉が一枚、ほかの葉と身を擦り合いながら梢を出てくる音が、今度はそれとはっきり聞き分けられた。
 家に入る。(……)
 自室に下りる。部屋に入ると、いつの間にか自ずと、といった感じでOasis "Wonderwall"を低めの声で口ずさんでいる。先に記した通り心が大層落着いていたわけだが、そういう時の常で分裂的に意識の「見る」働きが強くなっていて、その声も自分が発しているという感じがあまりしなかった。服を着替えてジャージとダウンジャケットの格好になり、食事を取りに行く。米がなくなっていたのでうどんである(外出間際に、釜のなかの固くなった米を皿に取って、ラップを掛けて冷蔵庫に入れておいた)。既に鍋に拵えられている汁に麺を投入し、少々煮込んで丼に盛る。ほか、ハムを使った炒め物を熱して卓に並べ、食事を取りはじめる。新聞は自室に持って行ったきりで手もとにない。それを取ってくることもせず、テレビが流している『出没!アド街ック天国』を眺めながらものを口に運ぶ。この日の主題は銀座だった。精神をさほど冴えさせていたわけでないので、大して感銘を受ける瞬間もなかったが、何とか書店と言って一週間ごとに一冊の本を決めてそれのみを売るとともに、ギャラリーめいた店内でそれに関連する展示を行うという本屋はちょっと面白そうだと思ったし、また富貴寄と言って、楕円状の缶や瓶に江戸和菓子がぎっしり詰められている色鮮やかな品も少々面白く見た(瓶詰めには設計図があって、それに沿って職人が一つ一つ手作業で詰めているのだが、それができる職人がもはや三人しかいないという話だった)。そうしてテレビに目をやりつつものを食うあいだ、やはり自分自身の挙措、細かな身体の動きを、それらを追うことをいちいち意識しなくとも心身そのものが自然と把握するような感じになっている。脚を組んだ姿勢とか、うどんの丼に向けて前かがみになる、箸を使って麺をいくらかすくい取る、それらを啜って途中で切る、といったような行動のそれぞれである。食後、食器を洗って風呂に入っているあいだもそれは続いた。現在の知覚に自ずと意識がフォーカスされていて、そうするとかなり自足的な気分になるのだが、ヴィパッサナー瞑想が目指すのも大方こうした種類の意識の有り様のさらに強力なものなのではないか。その目標というのは、要は数値によって(つるつると滑らかで襞のない)抽象概念化されている我々の時間意識を解体し、未来と呼ばれているものなど所詮はこの世に存在せず、純然たる観念的構築物でしかないということを心の(むしろ身体の?)底から実感的に理解する、という類のことではないかと今しがたちょっと思ったが、定かでない(これを綴っているのは二四日の午前一時前である)。
 一〇時頃風呂に浸かりはじめて、浴槽のなかで自分の頭のなかに生まれる言葉の動きを眺めていると、いつの間にか二五分が経っていた。「考える」などという動詞も、本来はほとんど存在しないようなものではないかとちょっと思った。こちらの感じとしては、「考える」と呼ばれている事柄は、脳内の言語の蠢きをただ見て追うというそれだけのことであって、「行為」というほど能動的なものには思われず、何と言うかほとんど機能的な、とも言うべき類の事柄のように感じられる。「考える」の主語は主観的には明らかに「私」ではなく、「私」の脳だか意識だか主体だかわからないが、あるいは言語そのものと言っても良いのかもしれないが、何かそういった類のもので、「私」はそれらが勝手に/常に展開しているその動きをただ感じ、見ているだけである(言語とは去来する[﹅4]ものである。向井去来とはなかなかうまい筆名を付けたものだと思う)。だからこちらとしては、感じることと考えることの差がもう良くわからない。何も違いがないのではないかと感じられてならない。こうしたことは、自分は全然知らないけれどフランス文学とかフランスの思想のなかで良く語られているのではないかというイメージが何となくあるのだが、そちらの方面ではありふれた感じ方なのかもしれない。と言うか、文を長く書き続けていれば大方皆そういう風になって行くのではないのだろうか?
 風呂を出ると、米を研いで翌朝に炊けるようにしておき、仏壇に備えられた花の水も取り替えておいてから自室に帰った。インターネットをちょっと回って、一一時を過ぎたところでこの日の日記を書きはじめようとしたのだが、すぐに、そう言えばギターを弾きたかったのだと最近触れていなかったことを思い出して、キーボードを隣室に入った。もう時間が遅いのでアンプの音量を絞って楽器を弄る。今のこの意識の状態で弾いてみたらどうなるかと思っていたのだが、特に音が良く見えるとか、音を自在に統御できるということはなかった。それでも三〇分ほど遊んでから自室に戻り、そうして正式に日記を書きはじめる。書いているあいだも実に肩の力が抜けて、急ぐということがまったくなく、かと言って無闇にだらだらとした心持ちになるでもなく(文章自体はだらだらと弛緩しているように見えるかもしれないが)綴れて、一時間と少し書いて現在は一時を僅かに回ったところとなっている。
 その後、読書に移る。ミシェル・フーコーほか/田村俶・雲和子訳『自己のテクノロジー――フーコー・セミナーの記録』。ルーサー・マーティン「シリアのトマス伝説における自己のテクノロジーと自己認識」を通過し、ウィリアム・E・ペイドン「謙虚の劇場と疑念の劇場 ――砂漠の聖者たちとニューイングランド清教徒たち――」に入るのだが、じきに眠気に意識をやられる。多分、二時頃になって意識を失ったのではないか。気づくと、三時を越えていた。読書をしながら眠りに落ちてしまうというのも随分と久しぶりのことだと思われる。やはりこの日はそれ相応に疲れていたらしい。ベッドの上で布団も掛けず、ストーブも消してあったので、体温の落ちた身体がかなり冷たくなっていた。電気ストーブを点して身体を温める。本当ならばこの夜は、何となく夜食にカップラーメンを食べたいなとか、日記をもう少し進めなくてはとか考えていたのだが、こうなってしまっては仕方がないというわけで、もう眠ることにした。しばらくすると室を出て洗面所に行く。歯磨きも時間を掛けずなおざりに済ませて、戻ってくるとそのまま明かりを消して布団に潜り込んだ。三時二五分くらいだった。