2017/12/24, Sun.

 一二時二五分まで寝過ごしてしまう。九時間も眠りに費やしたのは久しぶりのことである。八時か九時かそのくらいから何度も目覚めてはまた眠りに戻って、夢をたくさん見たが、こういう時の常でほとんどあとには残らない。まず一つには、図書館で書架を眺めている場面があった。もう一つには、自分はこれが夢だと知っている、と自覚した瞬間があった。いわゆる明晰夢だが、それが訪れたのは浅い微睡みのあいだで、完全に眠りに落ちているわけでなくて軸足を半分現のほうに残しながら、自分の意識に展開されるイメージを眺めているといった感じで、したがって夢というほど深いものでなかったような気がする。実際、明晰夢は実に短く終わって、すぐに布団に包まれた我が身の現在に戻ってきた。ほか、死と記憶といったようなテーマに関わっていたように思われる一連の、おそらく何度かに分けて継ぎ足された夢があって、これが覚めたあとになってみると物語として面白いものだったような匂いが幽かに残っているのだが、詳細は何も思い出せない。何か非常に不思議なことが描かれていたはずなのだが、わからない。微睡みのなかで、また心臓が痛むことがあった。前夜の読書のあいだにも、寝転がって本を読むあいだに、本を支えている左腕の肘のあたりが胸の左側に触れていると、そこが痛みはじめるということがあった。離すと、散る。確か心臓神経症の特徴として、胸を押さえたり押したりすると痛みが生じる、というものがあったはずだ。それに該当していることからしても、やはり最近の胸の痛みは何か実体的・器質的なものなのではなく、幻影的な種類のそれではないかと思うのだが、よほど心身も調ってきているという自覚のある今になって、心臓神経症の症状がまた復活してきているというのはどういうわけなのか、見当がつかない。
 どうしても起きられないまま一二時二五分に至ったところでようやく、身体が少々動くようになり、仰向けになって、伸ばしていた脚をやや折り膝の位置を高くして、それでやっともう寝付かないだろうという感覚になった。それでもそこから起き上がるまでにはまた時間が掛かる。深呼吸を繰り返して身体の感触が軽くなるのを待ち、布団を抜けると既に一二時四〇分に至っていた。ダウンジャケットを羽織り、ベッドに腰掛け、息をつきながらちょっとゴルフボールを踏んでから上階に行く。(……)ストーブの前で脚を左右にひらいて、身を屈めて身体をほぐし(……)それから上方に、また前後に腕を伸ばして肩のあたりも柔らかくしてから、洗面所に行った。顔を洗い、嗽をする。口に含んだ水が大して冷たく感じられない。
 出ると食事の支度をする。米を炊いたのでそれを食べることにして、納豆を一つ冷蔵庫から取り出し、タレに加えて酢を混ぜて、さらに山葵をほんの少し添えた。次に米を椀によそって卓に運んでおく。さらに汁物の代わりでもないが、カップラーメンを食べたい気持ちがあったので、カレー味のものを戸棚から出して湯を注いだ。そうして新聞をひらきながらものを食べる。新聞からは国際面の、パレスチナ関連の記事とカタルーニャ関連の記事とを読んだ。パレスチナの記事は、例のエルサレム首都問題を受けながらも抗議運動は下火になりつつあって、金曜日にベツレヘムで行われたデモにあっても、集まったのは僅か五〇人ほどという話だった。ドナルド・トランプの宣言があって以来、パレスチナの情勢が、「第三次インティファーダ」とのちに呼ばれることになるような事態へと発展するのではないかと素人心に危惧していたのだが、どうもそこまでの気配はないらしい。その理由としては、パレスチナ自治政府への不信感が高まっているために彼らのために生活を投げ打ってまで闘争をしようと思う者がほとんどいないこと、さらに、イスラエル経済のほうに生活を依存している者が増えたことが挙げられていた。過去のいわゆるインティファーダの時以来、パレスチナイスラエル間の経済関係がどのように変化したのか、具体的なことはまったく知らないのだが、イスラエルはこのおよそ十数年のあいだに、自治区の住民の生活基盤を握ることで、彼らを去勢し、ある種うまく「取り込んで」きたということになるのだろうか?
 書評面は各委員が今年の注目書を三つ選んで載せていた。納富信留が星野太『崇高の修辞学』を挙げていた。この著作も読んでみたいものの一つである(確かそこまで値段が高くなかった気がするので、買ってしまっても良いのではないか)。ほか、松浦寿輝『名誉と恍惚』を挙げている者が二人おり、東浩紀の『ゲンロン0』を挙げている人も二人いたと思う(そのうちの一人は、三浦瑠麗である)。
 ものを食べて新聞にも切りを付けると、立ち上がって洗い物をして、そのまま風呂を洗った。そうして白湯を持って室に下りると、一時半である。コンピューターを点し、すぐに日記を書きはじめる。前夜のことをまず記し上げ、この日の記事を頭から書き綴ってここまで来ると、現在二時二〇分である。
 その後、東浩紀の新たな動画は上がっていないかとインターネット内を検索する。するとまず、新発売の『ゲンロン7』にサインをしながらその宣伝をするという動画が見つかる(七時間もの長きに渡っていた)。ほとんど同時に、今年の三月にゲンロンカフェで行われたものだが、浅田彰と千葉雅也を招いて鼎談をした映像がVimeoに新しく上がっているのを発見する。浅田彰が還暦を迎えたことを祝ったイベントである。この時にはこちらもいよいよゲンロンカフェという場所に実際に足を運んでみようかとも思ったのだったが、気づいた時には既に入場券が完売となっていたので、果たせなかった。この鼎談の映像が見られるのはありがたく、一二〇〇円を払ってその場で即座に購入する。それから、『ゲンロン7』の宣伝動画を少々見た。
 図書館で借りたCDの返却日が過ぎていたので、返しに行くつもりだった。そのためにはまず、各作品の曲目などの情報をコンピューター内に記録しておかなければならない。そういうわけで始めたのだが、Robert Glasper『Everything's Beautiful』は、確か曲ごとに使用スタジオが違っていたり、また起用ミュージシャンとか、サンプリングされているMiles Davisの音源とか、情報が細かくて時間が掛かると思われたので、一旦諦めることにして、曲目のみを記事に記入した。聞いてみて気に入られたら、また借りて記録すれば良い(あるいは、ディスクを買ったって良いだろう)。Harry Allen Quartet『For The King Of Swing』と類家心平『UNDA』はそれぞれ記しておきたいことを記し、その後運動をした。『川本真琴』を背景には流した。そうして先のサイン動画をまた眺めながら歯を磨く。口を濯いでくると、スピーカーから流れ出す川本真琴 "タイムマシーン"と、続けて"やきそばパン"を聞く。"やきそばパン"は、具体的に何がということはわからないが、かなり良いのではないかという印象を改めて抱いた。それから燃えるごみを階上のごみ箱と合流させておき、そうして出発した。四時過ぎだった。
 道を歩いていると、軽自動車に抜かされる。見ていると、近所の車庫に入っていく。(……)である。その宅の手前、道の脇に生えている柚子の樹を見上げ、黄色の鮮やかな実が丸々とよく生っているなと眺めつつ進む。車庫の前まで来て覗いてみると、奥さんかと思っていたところが旦那さんのほうで、彼とこちらは面識がないが、会釈をしておいた(向こうはこちらが誰なのか、わからなかったのではないか)。道にはもはや日なたはなく、風が流れて、鞄の持ち手を引っ掛けている右の手指の先端が冷たい。
 (……)へと坂を上がって行き、表に出る間際で、救急車の音が近づいてくる。左方、すなわち西からだなと聞き分ける。車が過ぎたあとに通りを渡り、階段に入ると、上っているあいだにまた心臓のあたりが少々痛む。
 電車内に特段の印象はない。(……)に着いて改札を抜けると、券売機に寄って、SUICAに入金する。駅舎を出ると、目の前に、黒服姿の三人組がいる。和装の婦人に連れ合いらしい男性と、その子である。男性が携帯電話を耳に当てて喋っていたのだが、韓国か中国かどちらかの言語と聞こえた(母語の連なりのあいだに、「スペシャル」という横文字の闖入が聞き取られた)。焼き芋らしき匂いが鼻に触れるが、あたりに源らしいものはない。眼下のコンビニの前では、クリスマスケーキを店頭販売しているらしく、赤服を身に着けた店員がマイクを使って客を呼び込んでいた。
 図書館。CDを返却する。CD棚に行く。新着、新しい顔ぶれがある。John PizzarelliがJobimを取り上げた作があった。ほか、Fairport Conventionを脱退したメンバーの一人が作ったバンドのアルバムや、プリンスがデビュー前に属していたバンドの音源とやら。また、Thunderの新譜もあって、このバンドはまだ現役だったのかと思ったが、そもそもハードロックの類を好んでいた時分でも、彼らの音楽を聞いたことはほとんど一度もない。そして、Cornelius『Mellow Waves』を発見すれば、やはりこれは聞きたいなと思うもので(Corneliusも今までほとんど聞いたことがないのだが)、そうなるともう二枚もと欲が出て、ジャズの棚を見に行った。するとここに、Avishai Cohen(トランペッターのほうである)がECMから出した『Into The Silence』が発見されて、これには気持ちが高まる。この田舎町の図書館がAvishai Cohenなどを入荷するとは嬉しい予想外である(レーベルがECMなのが多分大きいのだろう)。さらに見れば、BIGYUKI『Greek Fire』も発見されて、現代ジャズの近作が新たに二つも入っているとは実にありがたい、とこの二枚を借りることにすぐさま決定した(棚を見る前に念頭にあった大西順子『Tea Times』とBill Frisell『When You Wish Upon A Star』は借りられているようで、見当たらなかった)。
 貸出機で手続きを済ませると、階を上がる。新着図書の棚に並ぶ本の背表紙に目を凝らしてじっくりと見分し、その後、気に掛かったものを手帳にメモして行く。ダン・ザハヴィ『自己と他者』が入荷されているのは大変ありがたかった。この著作は一二月四日、(……)と会った日に新宿の紀伊國屋書店で見かけて、読んでみたいという欲望を強く感じながらも、ひとまず購入を見送ったものなのだ。ほか、エリク・H・エリクソンアイデンティティ』、河本英夫『経験をリセットする』、『人文死生学宣言』、『バーク読本』、『トラウマの過去』(みすず書房)、ティム・インゴルド『メイキング』、『サルは大西洋を渡った』(みすず書房)、リチャード・リーヴス『アメリカの汚名』、『欧州統合は行きすぎたのか』(上下)といった著作群をメモに取った。それから、哲学の区画を見に行く。目新しいものは特にないが、ダン・ザハヴィの名前を知った『自己意識と他性』が棚に見られる。その訳者あとがきのなかを探ってみると、こちらの本のほうが『自己と他者』よりも先に書かれたもののようなので、借りる時にはひとまずこちらから読んでみようと目星を付けた。
 そうして早々と帰途に向かう。退館すると、時刻は五時一五分頃だったと思うが、既に暮れて空が青暗い。正面の高くに掛かった三日月の影がいくらかぼやけており、どうも雲が広く引かれているらしいと見えたが、西側(と言うのはこの場合、右手となる)の空のなかにほんの僅か差し込まれた希薄な白さの、宵の宙から雲の浮かび上がったものなのか、それともその切れ目なのか判別が付かなかった。
 駅舎に入り、電車に乗る。戸口を入ると目の前に、(……)巨漢が座っている。右手に進み、その男性と反対側の端に就いた。(……)に到着すると先の男性も降りるが、その手に袋を提げている。なかに入っている背の低くて白い箱の、ケーキのものだと思われた。続いて降りる女性の持つ袋も赤くて、何かしらクリスマスの仕様が施されていたようである。
 降車するとホームを歩き、スナック菓子を売っている自動販売機の前に立つ。細長い筒状のパッケージに入った小さなポテトチップスの類である。二つ買って鞄に入れ、ホームを来たほうに戻ってベンチに掛ける。まず手帳を取り出し、この日過ごした時間のなかで記憶に残っていることを断片的にメモ書きした。その後、読書に入る。ミシェル・フーコーほか/田村俶・雲和子訳『自己のテクノロジー――フーコー・セミナーの記録』である。(……)じきに着いた電車から降りた女子五、六人のグループが、ベンチの傍に立ち尽くして溜まる。運動服姿でスポーツバッグを携えており、中学生と見えたが、あるいは高校生なのかもしれない。彼女らはそのうちに二つの組に分かれて去って行った。その後、左隣に座った人を見れば、先ほどの巨漢である。持った袋が増えており、漂ってくる匂いからしてチキンらしい。
 空気は大変に冷たい。片手をコートの内側に挿し込みながら本を読み続ける。やがて、消防車の音が遠くから聞こえて、近づいてきたが、丘に反射するので東西どちらから来てどちらに向かったのか良くわからなかった。目的の電車が来ると乗り込み、座席には就かず扉際に立って読書を続けた。読んでいたのは、ウィリアム・E・ペイドン「謙虚の劇場と疑念の劇場 ――砂漠の聖者たちとニューイングランド清教徒たち――」という論考である。「自己」及び「自己」と「神」の関係について、五世紀の修道僧(ヨアネス・カシアヌス)と一七世紀ニューイングランド清教徒(主にトマス・シェパード)の態度を比較分析したものなのだが、後者の徹底した自己否定ぶりがとても面白く思われた。紹介されている清教徒の発言をいくらか引いてみると、「<自己>や<自身>というまさにその名前(……)は罪や悪魔の名前に近いのだから」(九六頁)とか、「自己は「大きな落とし穴」であり、「贋のキリスト」、蜘蛛が「我々のはらわたで(紡いだ)巣」、「地獄の予表あるいは予型」である。「神なる自己を捨て去ること」、「悪魔の毒や毒液つまりは自己という病毒」を根こぎにする(……)」(九七頁)などといった調子である。ここは書抜く箇所としてあとで記しておこうと、頭に印象を刻み込んだ。
 (……)で降りる。階段を昇り降りしていると、呼気が灰がかった白に浮かび上がって、すぐに散って消えて行く。通りを渡って坂に入る。足もとから湧いた自分の影を見下ろしていると、頭上で葉の鳴りが始まった。頭の表面に風の感触があったが、うまい具合にこちらからは逸れて顔や身体に当たってこない。右方からはより軽く、詰まったような音が立って、それは多分、葉っぱ同士が擦れ合うものではなく、大きな葉が幹に当たる音だったのではないか。
 帰り着くとストーブの前に座りこんで身体を温める。その後手を洗って下階に行き、モッズコートとカーディガンのみを脱いで、外着の上からダウンジャケットを羽織る。そうして食事へ。台所に入ると、フライパンにコーンが炒められており、バターを落としたところで止まっていたので、母親の仕事を引き継いでさらに炒めた。醤油をちょっと振って味を付けると、味噌汁やサラダを用意して卓に運び、食べはじめる。一方で、即席のハンバーグが鍋で温められていた。頃合いになって皿に取り出して切ってみると、加熱が不十分だったのでレンジで追って熱し、丼に盛った米の上から載せて食った。新聞は一面から、「安保理 北追加制裁を決議 石油精製品9割削減」という記事を読もうとしたのだが、テレビのほうにも視線を送ってしまい、きちんと文字を追えない。流れていた番組は、『モヤモヤさまぁ~ず』である(放送は府中市の会だった。僅かに紹介されていた大國魂神社というのは、もう何年も前になるが、(……)と一緒に初詣に行った覚えがある)。食事中、火事が鎮火したという市内放送が窓の外に聞こえた。
 食後、室へ戻り、買ってきたスナック菓子をつまみながら(……)を読んだ。八時を過ぎると入浴に行く。湯に浸かっているあいだにふたたびサイレンの音が耳に届き、マイクを通した人声らしいものもちょっと聞こえた。長く伸びて昇る唸りであり、またもや消防車らしい。風呂を出て自室に帰ると瞑想を行い、その後(……)にメールの返信を送った。一〇時前から、昼間に買ったゲンロンカフェでの鼎談動画を視聴しはじめる。白湯を何度か注いできながら、一時間強見続ける。印象に残っていることの一つは、全体性の話である。家族から始まり、村落共同体、社会、国民国家と人類の全体性は拡大してきたわけだが、それをそのまま世界全体、「人類」へと拡張するには、人間の想像力というものには限界がある、だから順当な拡張型の全体性ではなく、何か別の形のそれ、穴のあいたような、ある種の欠陥を備えた(という言い方をしていたと思うが、あるいは「欠如」だったかもしれない)全体性を構築しなければならないという話だった。(……)もう一つ、「事実」というものの地位について共通的な理解だったカール・ポパー式の反証主義が失われた結果、九〇年代あたりに非常に素朴な形の「実証主義」が復活したという整理のあとに、例えばガス室否定派なども歴史修正主義と言うよりは、新しい形の実証主義者だったのだという捉え方が述べられたところでは、なるほどなとうなずかされた(ガス室があったことを示す確定的な「証拠」がないからといって、相手の主張は疑わしい、すべて嘘だと断じてしまうというのは、「歴史」や「事実」というものの地位を素朴に信じ込んだ、言わば非常に原始的な形での実証主義だということだろう)。
 その後、武田宙也『フーコーの美学――生と芸術のあいだで』の書抜きに入り、打鍵を進めるかたわら借りてきたCDをコンピューターにインポートする。零時過ぎまで作業を続けると、それから二一日の日記を書きはじめた。三〇分くらいで切り上げるつもりだったのが、時間を見失って、結局記事が完成するまで一時間以上を費やした。そうして、音楽を聞く。Bill Evans Trio, "All of You (take 1)", "Jade Visions (take 2)", "A Few Final Bars..."、Bessie Smith, "A Good Man Is Hard To Find", "'Tain't Nobody's Bizness If I Do"(『Martin Scorsese Presents The Blues: Bessie Smith』: #1,#6)を流して二時過ぎ、『自己のテクノロジー――フーコー・セミナーの記録』を読み出した。ベッドに腰掛けてゴルフボールを踏みながら文を追っていると、雨が降っていることに気づいた。雨が降ること、そしてその音を聞くのは随分と久しぶりのことだと思われた。三時半まで書見をしたあと、瞑想をして就床した。