六時のアラームの前から覚めていたらしい。時間が来てもまだ明けず、南の山際に現れている青と朱の色を見て、「トワイライト」という言葉を思った。
朝食時、テレビのニュースに目を向けていると、大阪は寝屋川で監禁事件があったと流れる。両親が、精神疾患のある娘を、暴れるのでと一〇代後半から監視カメラ付きの小屋に閉じ込めていたと言う。食事は一日一食、水はチューブを通して摂取するような形で、発見時の体重は一九キロ、死因は栄養失調による凍死だったと、情報が次々と流れるのを追い、これにはやはり強い印象を残されるなと思った。
八時一〇分あたりに出発した。空気は実に冴えていて、朝陽が道のところどころに射してはいるものの、前夜の帰路よりもむしろ寒いようだなと肌に思った。坂道を上って行き、出口に掛かると、右方の(南方向の)ガードレールの影が路面の真ん中に通って、本体の二倍程度に太く膨らんでいる。街道に出ると、そのまま裏路に入らずに表を行った。日なたがあまりひらいていないので、それを惜しむようにして歩調を抑える。そのうちに尿意が生じて下腹部が重いようになっているのに気がついた。それによる緊張の兆しはあったが、兆しのみに留まって、意外と大丈夫そうだぞと見ながら公衆トイレへと向かった。
労働中の気分は落着いて、心に乱れはなかったらしい。(……)一時過ぎに退勤した。駅に向かうと、駅舎の入口の横にある売店の前に小学生の男児が三人集っている。改札を抜けて、乗車して座っていると、向かいの席に先ほどの子どもたちがやって来た。発車すると、窓の外、奥の線路に停まっている電車の車体の上を光が滑って行く。瞑目をせずに、明るい林が窓外を流れる風景を見ながら到着を待った。(……)に着くと、三人の子どもたちもこちらと同時に降車する。南から送られてくる太陽の光が目に眩しい。階段のところまで来ると、老女がキャスター付きのバッグを持ち上げて、やや難儀そうに階段を上っている。その横を小学生らがどんどん上がっていき、そうするといかにも若さと老いとが対比されるようである。こちらも子どもたちよりはよほどゆっくりと、老女の横を過ぎかけたのだが、見ればやはり一気に上れず大変そうに立ち止まっているので、ちょっと上の段から持ちましょうか、と声を掛けた。いいですか、とか何とか返してくるのに、全然いいですよと答えて、荷物を受け取り、並んで段を上り、また下りて行く。駅舎から出たところで、どちらかと帰る方向を訊けば、こちらとは違うほうだったので、自分はこちらなので(と手を差し出して)、ここまでですみません、と言って別れた。
坂道に入って下りて行きながら、別れ際の老女の顔が、あまり嬉しそうでなかったなと思い返して引っ掛かった。親切の押し売りというか、何か偉そうな態度になってしまっただろうかとも考えたのだが、むしろ、表情も曇るほどにやはり身体が難儀だということなのではないかと、そちらの可能性のほうが強いように思われた。背がやや曲がっており、終始、姿勢も低かったはずである。
坂道の中途で、左の土壁に寄り添った緑葉のことごとくに純白の光が宿されているのが目に留まって、これはやはり凄いなと少々足を停めた。一つの風景の形を拵えているように感じられたのだと思う。右手のガードレールの向こう、沢の上に繁った枝葉にも同様に白さが降っており、それらが空気の流れに弱く揺らめいているのを見ながら、適した言語表現を頭のなかで探ったところ、まさしく光が散りばめられて[﹅7]いるのだ、散りばめられるとはこのことだ、と思った。
道に出て行っていると、向かいからゆっくり歩いてくる老女があって、近づいてみれば(……)である。その宅の前で一言挨拶を交わして過ぎた。ほかにあたりに人の気配も生じず、いかにも昼下がり、という感じの静けさで、林の葉をくぐって行く弱い風の音が耳によく届いた。
帰宅する(……)食事を取ると、さすがに四時間の眠りのために意識が重くなり、椅子に座ったまま顔を両手で覆い、じっと静止して休んだ。そのままやや微睡んでいたようで、脳内に夢未満のイメージの展開があった。
食後、風呂を洗ってから自室に帰ると、眠気を散らそうと音楽を聞きはじめたのだが、二曲ほど聞いたところで、結局ベッドに流れてしまった。食事を取ったばかりで横になりたくないので、初めはクッションと枕を使って姿勢を高くしていたのだが、そうして微睡んでいると、結局はそのうちに横たわってしまっていた。そのまま仮眠に入り、あいだ、夢を見た。何か祭りの支度をしていたようだったのだが、一緒に立ち働いていたのは職場の人々で、覚めても覚えていたところでは(……)がいたようだった。もう一つは、女子高生に勉強を教える夢である。先の夢から何がしか繋がっていたはずだが、自宅の前の林のなかにいたところが、いつの間にかその場がそのまま机と椅子のある空間に重なって、そのような事態になっていた。いわゆるギャル系と言って良いのだろうか、そのような雰囲気の女性で、目鼻立ちがじつにはっきりしていて、夢のなかではその顔が相当に明晰に見えていたのだが、しかし、こちらの記憶のなかに該当する顔はなく、誰をも思い起こさせるものでもなかった。
覚めると室内が既に暗くなっており、どうも六時を過ぎてしまったのではないかと思ったところが、五時二〇分だった。二時間を眠ったことになる。何か家事をやろうと上階へ行ったものの、寝起きの重さを振り切れないままにソファに就いてしまう。テレビには小田和正のコンサートの様子が流れており、TRICERATOPSの和田唱が招かれて、映画音楽のメドレーを披露した。"Moon River", "Chim Chim Cheree", "Raindrops Keep Falling On My Head", "My Favorite Things"といった曲たちで、大方、ジャズスタンダードとして耳にしたことのあるものだった。なかに、確か最後の"My Favorite Things"の一つ前ではなかったかと思うが、"Live And Let Die"が差し挟まっていて、これだけ少々毛色が違うように思われた。と言うのも、この曲はGuns N' Rosesが演じていたものとしてこちらには知られていたからで、ハードロックの記憶と結びついていたためにそう感じられたのだろうが(また、曲調自体としてもほかとは少々違う部分があっただろう)、これが映画音楽だったということはここで初めて知ったものである(今しがた検索したところ、元々はPaul McCartneyのWingsの曲だということだ)。
心身が調ってきたところで、アイロン掛けを行った。その後、台所に入って、豆苗、玉ねぎ、人参などを切り分けて豚肉とともに炒めた。塩胡椒を振って味付けを施し、そうして自室に帰ると、先日途中まで視聴した浅田彰、東浩紀、千葉雅也の鼎談動画の続きを閲覧した。印象に残った事柄を仔細にまとめているとまた時間が掛かってしまい、面倒臭いので、簡潔に主題だけ記しておくと、まず、ドナルド・トランプと引用符の話があった。ほか、ここ一〇年か二〇年かで知識人のほうが素朴な実証主義へと退化しているのに対して、むしろ「ポストモダン」の徹底が必要だと千葉が発言する瞬間があった。また、これも彼の説明でカンタン・メイヤスーの立場が短く要約された場面があって、それによれば彼の考えというのは、この世の物事というのはすべて、物理法則すらも含めて一つのシステムで、根本的には無根拠なものであるところ、真理性のない単なる事実(として構成されているもの)としての世界観に開き直ることで、そこにおいてある種の「実証」が可能になる、というようなものであるらしい。また、「アイロニー」(この言葉の意味が自分にはまだ良くわかっていないのだが)に対する三者の違いが端的に表れた場面があった。東浩紀が、千葉雅也の『勉強の哲学』を取り上げて、千葉さんは外部に出るということを、凄く意志的なものだと考えている、言わば修行のようなものとして捉えているというようなことを述べたところがあり、対して、東氏自身が自分のことを言うには、自分はこれでも最大限、世の中に合わせようとしているのだが、それでも勝手に逸れていってしまうのだ、自分にとって外側に出るというのは、そのように偶然的なものだ、というようなことを述べたのだが、そこに浅田彰が鋭く切り込んできて、そのようなことは大したことではない、要はこんな馬鹿共と一緒にいたくない、というだけの話だ、と両断してみせたのにはやはり大きく笑ってしまった。
八時過ぎまで時間を掛けて、動画をすべて視聴した。その後のことはメモも取っていないので省略するが、武田宙也『フーコーの美学――生と芸術のあいだで』の書抜きをした際に、「自己をひとつの芸術品/技法の対象[objet d'art]にすること、それこそが価値あることなのです」というフーコーの発言を引用した部分があって、「芸術品」という言葉に含まれたこの意味の二重性には、なるほどな、と頷いた、ということはあった。