七時台に一度覚醒した時、心臓神経症の症状が見られた。意識がはっきりするとともに、気づけば左胸が不安に疼くようになっているのだ。仰向けで、あるいは横に身体の向きを変えつつ、深呼吸を繰り返して心身を宥め、睡眠時間は四時間台で短いのでもう一度眠ろうとした。意識がかなり明晰だったので眠りに落ちることができるか怪しんだが、じきに何とか入眠した。次に覚めたのは一〇時台である。この時には心身も落着いており、身体も隅々までいつになく軽い感じがして、実に暖かで穏やかな目覚めだった。仰向けのまま膝を立て、寝床でしばらく深呼吸をして、気力が出てきたところで布団を抜けた。便所に行ってきてから瞑想である。一〇時半から四五分まで一五分間座って、上階に行く。
上に行くと、父親が風呂場で掃除をしている。年末の大掃除には父親が浴室を隅まで念を入れて綺麗にするのが恒例となっているのだ。こちらはハムと卵を焼き、それを米に載せると、ほかに野菜スープを椀によそって卓に就いた。食べながら読んだ新聞からは、解説面に加藤典洋のインタビュー記事があったので、ひとまずそれだけを読む。そうして食器を片付けると、炬燵テーブルの上に乗って両手を伸ばし、居間の電灯のカバーを外した。床に降ろしたカバーのなかを母親が掃除しているあいだに、こちらは食卓の上に吊るされたほうの電灯の、その傘の表面の汚れを雑巾で擦り取ったり、先ほどカバーを外した電灯の、普段は隠れた内側を拭いたりした。そうしてカバーを戻しておき、白湯を持って自室に帰る。
コンピューターを立ち上げてTwitterをちょっと覗き、それからEvernoteで前日の記録を付けようとしたところが、母親が部屋にやって来る。窓を拭くように、と言う。元々、一〇時台に覚めた時にも、掃除機を稼働させた母親が部屋に来て、拭き掃除をしなよと言っていたのだ。こちらとしては窓が土埃にまみれていても特段汚いとも感じないし、むしろ光がそこを通った時にガラスに浮かび描かれる模様など、綺麗だと思うことすらあるもので、何ら支障を覚えず、窓を掃除する必要性も感じなければ掃除したいという欲求も感じなかった。掃除をするにしても、こちらが何となくそうした気持ちになった時に(しかしそれがいつ来るかはまったくわからないし、実際に来るのかも怪しいところだが)、自ら進んでやらせてほしいというのがこちらの心だったが、他者とはそんなことに構わずこちらの領域にずかずかと踏みこんでくるものである。一応、いいよ、と抵抗してはみたものの、それならば母親が自らやるという調子だったので、それはさすがにこちらとしても不甲斐なく思うから、雑巾と洗剤のボトルを受け取ってベッドの上に立ち、ガラスを磨きはじめた。
洗剤を雑巾に吹きつけながら、内側の面と外側の面とを擦って行く。当然、窓をひらくわけだが、肌寒さを感じた覚えはない。桟の上に茶色く(油で揚げられたように?)乾いた蟬の死骸が乗っているのに初めて気づいたのだが、そのくらいのあいだ、掃除を行っていないというこれは証であるわけだ。こちらが掃除をしているあいだ、母親はベッドの上に乗り、脇にある棚の漫画を探って、これはどんなもの、などと訊いてくるのだが、説明をするのが面倒臭かったのできちんとした返答を与えなかった。何か怖いものはないのと尋ね、サスペンスが好きだと言う。そのうちに、『蟲師』を発見したのに、『蟲師』は面白いよと言えば、ベッドに寝転がって五巻を読み出した。
ガラスの周囲を縁取る枠の細かな縁をも拭き、大方これで良いだろうと判断されたところで仕舞いとしたが、母親はベッドに寝転がったままでいる。自分の部屋に行くようにと促したのに、何で、と返してくるので、人が隣にいては文が書けないのだと伝えると、大人しく部屋を去ってくれた。そうしてコンピューターに向かい合い、この日の記事を作成すると、そのまま起きて以降のことを記しはじめた。一二時一五分で区切る。そろそろ外出の支度を始めなければならないなと思われたのだ。その前に、tofubeatsの音楽を流して運動を行う。体操とともに、ベッドに乗って柔軟運動や、「コブラのポーズ」も行う。そうして歯を磨き、着替えをして出発した。
玄関を出る。林のほうを見やって、そうだ、昨日の朝に家を出た際に、竹の葉が集団で風に揺らいでいるのを見上げたのだった、と想起し、メモに取り忘れたな、と思った。もう手帳に綴って一連の流れを作ってしまった二九日のメモの合間にそれを差し挟むのが面倒臭く思われたが(端的に、手帳の紙面にそのスペースがないのだ)、ここで前日のことを思い出したということを、一つの出来事として三〇日の日記に組み込んでしまえば良いのだと思いついて、あとでメモを取る時にそのようにした(そして実際、先ほど二九日の日記を記していても竹の葉の風景を見たという一場面を思い出すことはなく、この三〇日の日記において(メモを見て)想起されたわけである)。
坂に入りながら自分の身中/心中を探るに、不安がある。その不安を受け入れそのままに放置しておくのではなく、不安を収めたい心も同時にある。坂の出口に掛かりながら、これはまずいかもしれないなと思った。と言うのは、不安をどうにかしたくて苦慮するというのは、パニック障害が盛っていた時期の心理と同じものだったからだ(こちらの疾患からの回復は、まず、不安の存在を受け入れ、不安があっても良いのだ、それが通常なのだと認識するところから始まった)。
街道や裏通りを行きながら、具体的には、呼吸をどうすれば良いかということが迷われた。深くするか、自然に任せるか、ということだが、深くすれば気持ちは落着くだろうが、身体が不安定になり(まさしく平衡感覚が不安定になるのだった)、どういうわけか頭痛も生じる。この前日にも、帰路に就いたあたりから頭痛があって、それは結局、ヨガの真似事をして深い呼吸をあまり熱心にやり過ぎたための身体の変調、いわゆる「好転反応」と呼ばれているものの類ではなかったかというのがこちらの仮説なのだが、これについてはあとで記せたら記す。ここにおいては結局のところ、不安を抑えたいなどというのもいわゆる一つの「我執」であって、そんなものに囚われて周囲の物々を見聞きし感得できないのは勿体ない、死ぬわけでなし、自然に任せれば良いし、不安があるならばその不安も観察して隈なく書き記せば良いのだという心に至った。それでこの時、裏路地の途中で確かに何かの風景を目にしたのだったが、一体何を見たのだったか? 思い出せない。思い出せたらまた記そうと思う。
電車に乗る前に、駅前の公衆トイレに寄った。放尿しておき、駅舎に入ると、既に着いている電車の一番先頭の車両に乗り込む。席に就き、人がいくらか増える(……)まで行くあいだ、手帳にメモを取り、それ以降は古井由吉『白髪の唄』を読んだ。文字を追っていると、車内に射し入る陽射しが頁の上に薄く乗り、紙の表面の肌理が露わになって文字の姿形が微かに乱れる瞬間がある。別に自分は電子書籍を嫌うものでないし、やはり紙の本でないとというようなこだわりもないが、つるつるとしたモニターに比べて、紙という物質の帯びているこのニュアンスは、まったく悪いものではないなとは思われた。立川の手前ではよく、赤ん坊を連れた若い親が乗ってくるのだが、この時もベビーカーを操る母親が乗車してきて、入口をくぐらせたり、押しながら車内を移動したりするのを、前日に兄夫婦とその赤子を見たということもあってか、やはり大変だろうな、と思わず目で追ってしまう。
待ち合わせの二時にはいくらか遅れることがわかっていたので、メモを終えたところでメールを送ってあった。そう急がねばならぬ相手でもあるまいと緩く考えて、改札を抜けると、まず金を下ろしたかったので郵便局に向かった。広場に出ず、下り階段に折れて地上に出ると、すぐそこに、何やら緑色のゼッケン(らしきもの)を付けた集団が集まっており、「立川を明るくする会」とか何とか書かれていたか、忘れてしまったのだが、台の上に何かポスター様のものが束になっていくつも置かれていた。その横を過ぎて通りを行き、郵便局に入る。少々待ってから鷹揚な動作で金を下ろし、出るとすぐ傍の喫茶店に向かった。
入店すると、すぐに(……)と(……)の顔が見つかる。四人掛けの円卓の席を取っている。寄って行き、こんにちはと挨拶をして、首に巻いていたストールを取る。上着も脱いで椅子に掛けておき、席に座った。お冷やを持ってきた女性店員に、その場でホットココアをと注文する。そうして、パク・ミンギュ/ヒョン・ジェフン、斎藤真理子訳『カステラ』を鞄から出して、卓上に置く。すぐに本の話は始めずに、明日で今年が終わるのか、とぽつりと口にして、全然実感が湧かないなと続ける。何とか返ってきたのに、年を取ってくると暦というものが意味を失ってくるねと、社会的観念の相対化が云々などという話はせずに穏当なところに落として告げた。
その後またいくらか雑談をしたと思うが、それについては覚えていない。そうして、読んできた本の話に入ったのだが、こちらはこれについてはあまり言うこともなかった。どの篇が良かったかという流れのなかで、「ヤクルトおばさん」の与太話感が良かったとか、「ダイオウイカの逆襲」という篇では、どうでも良いようなことにこだわる子どもの感じというのが結構良く出ていてよかったとか、至極素朴な感想を述べる。
そのほか、「カステラ」という表題作に関連して、言語とそこから生じる表象の違いということを説明した一幕があった。「カステラ」の篇では、冷蔵庫のなかに「アメリカ」とか「中国」とかを収めて閉じ込めてしまう(そしてそれによって、小説内の世界では「アメリカ」という国が消えてなくなり(その記憶は残っている)、例えば「マクドナルド」なども消滅する)という展開があるのだけれど、それは大方、確か冷蔵庫をひらき、「アメリカ」だとかをなかに入れ、そして閉じる、という風な簡潔さ/単純さでしか書かれていなかったと思う。それで何でもなかに入れてしまうわけだが、(……)はそこを例えば、「アメリカ」がひゅうぅぅん、という音を立てて一挙に凝縮され、吸い込まれていくというようなイメージで考えていたと言うので、別にそれに苦言を呈したかったわけでないが、この小説自体にはそのようには書かれていない、そうしたイメージを抱く時、読み手である我々のほうが小説の言葉にイメージを付け加えているのだと指摘した。そのようにイメージ化するというのは概ね誰でもやることだろうし、それはそれで勿論良いのだが、ただ小説そのものは言語で出来ているものであり、例えば今回の例のようなイメージは我々が付与/補完しているのだということ、この位相の違いを認識し、理解しておくことは、小説を読むという行為に限ったことではなく、重要ではないかと思うと述べた(これは要するに、物体/物質と観念/意味、あるいは上部構造と下部構造の違いという話になるのだと思う)。
また同時に、この場面などは映像化できないのではないかという問いが出されたので、「どのように」アメリカが冷蔵庫のなかに入るのかが書かれていない以上難しいだろう、もし映像化するのだったら、何かしらの「解釈」を施さなければならないというようなことをこの時には述べたが、そもそもそこにはっきりと書かれてあることを「忠実に」映像化する場合だって、言語を言語でないものに移すのだから、それも勿論、結局は「解釈」にならざるを得ないわけだ(メディア間の変換/翻訳において、「忠実に」などという事態はあり得るのだろうか?)。しかしまた、言語間コミュニケーションを考えてみても、例えば我々は「林檎」という言葉を用いるわけだが、その語が指し示す意味/概念を知覚/認識した際、それを「林檎」という言葉に収め/当て嵌め/形態化し(言わば暗号化し)、発出することができる。その言葉を送られた受け手のほうは、「林檎」という語からその意味/概念を読み取り(解凍/解読し)、またそれをイメージ化もするだろう。このモデルで考えた際に、おそらく「意味/概念」のレベルでは両者が認識しているものは相当程度一致し、「イメージ」のレベルではまったく違っているのではないかと推測するのだが、どうなのだろうか? 「林檎」という単純な一語の例を扱ったからそのように思えるだけで、「意味/概念」のレベルにおいても、個々人の「解読コード」が異なっているのだろうか? 多分そうなのではないかという気がするが、このあたり、自分にはまだ良くわからない。
また関連して、例えばこの作品のように、小説という領域においては、我々の現実から外れたものであれ何であれ、とにかくそう書けばそうなってしまう[﹅13]、アメリカが冷蔵庫のなかに入った、と書けば、その小説のなかにおいてはそれが確定的に起こってしまうのだとも説明し、これが言ってみれば、言語というものの「恥知らずな」ところであり、また「破廉恥さ」のようなものだと述べた。そう考えると、このパク・ミンギュという作家は、この言語の「破廉恥さ」を意外とうまく活用している作家だったのかもしれないなという感想も、今更ながらここで(喫茶店でこの発言をした時点で)初めて浮かんできた。
四時を過ぎたあたりで、腹が減っていたのでなにか食べるかという気分になり、チキンとチーズを添えたトーストを注文した。実のところ、公共の場で食事を取って、かつてのパニック障害時代のように気持ちが悪くならないかという危惧があったのだが、どうなるか試してみようという心も同時にあったのだ。それでやはり、トーストをかじって腹に入れていると、何か身体の奥のほうが勝手に疼くようにして不安が生じる、という感じがあったのだが、やはり恐怖や危機感というほどのものはなかった。怯まずに食べていくと、味は美味く感じられる。この時だったかわからないが、この日の、あるいは最近の日々のどこかで、まるでパニック障害時代を反復しているようだなと思った瞬間があった。しかしともかくも、ゆっくりとではあるがすべて平らげ、そうして二人に次回の課題書を考えておいてくれと言って席を立つ。便所に行ったのだが、また同時に、携帯電話を見ると(……)から着信が入っていたのだ。(……)というのはこちらが大学時代に音楽をやっていた時の仲間で、(……)という高校の同級生(音楽の専門学校に通っていた)に誘われたバンドのドラマーだった人で、年齢は一周り以上年上で当時で四〇になる前だった。用足しを済ませたあと、階段口の脇に立って電話を掛けると、繋がらない。しかしちょっと待っているとすぐに返ってきたので、出て挨拶をした。一年の終わりなので(……)の声を聞かなくては、とか言っており、井の頭公園に来ていてこちらのことを思い出したらしかった(かつて二人でその池のボートに乗ったことがあるのだ)。前回会ったのはあれは、一昨年でしたか、あれも年末で、と確認をする。やはり久しぶりに電話があって、今ブルースのバンドで叩いていて、今日ライブがあるから良かったら来ないかと誘われ、(……)に出向いてライブを見物したその帰りに、送ってもらう車のなかで色々と話をしたのだった(今しがた日記を見返してみると、やはり二〇一五年の一二月二六日だった)。書き続けているかと問われたので、肯定を返す。そちらはどうですかと問い返すと、会社のほうは外から見れば順調に見えるのかもしれないとあり、音楽のほうはと訊けば、あまり進歩していない、というような口ぶりだった。四三になると言う。この歳になると、やはり自分のことが色々とわかってくる、会社は本当にやりたいことではないな、とか、と言うので、こちらはもうそのあたり決まってしまっていると応じ、何かと問われるのには、毎日読み書きをするというただそれだけだと答えた。それが一番いいよ、と(……)は言った。
また飯でも、と言を合わせ、今日はどうですかと性急に訊けば、今日は忘年会があるのだと言うので、また近いうちにと交わして通話を終えた。店内に戻ろうとすると、(……)がトイレに出てきて、入れ替わりに席に帰る。座るやいなや、自分には珍しいことではないかと思うが、問わず語りに電話の相手のことを説明し、しかし一年に一度であれ、そのように連絡をくれて、関係を繋いでくれるというのはまったくありがたいことだと落とした。その後は細かい記憶は特にない。会計をして書店に向かう。
四時半過ぎくらいでなかったかと思う。建物を出て見上げると、空は明度を抑えて薄青くなっており、雲は見られない。駅舎入口のエスカレーターから上に上がり、広場を過ぎて、歩きながら来たほうに振り向くと、東はもう暗く暮れており、そのなかで派手派手しい彩りの看板をいくつも灯したビルの姿が、平面的に、書割のように映った(こうしたイメージは以前も同じ場所、同じビルについて体験したことがある)。西の方面には残光が幽かにあったようだが、高層ビルに遮られて定かには見えない。
オリオン書房へ行った。次の会合の課題書は、(……)の興味で、講談社学術文庫から最近出ている「興亡の世界史」シリーズでどうかという話になっていた。こちらとしても異存はないので、そのシリーズをいくつか見分し、『地中海世界とローマ帝国』の巻に決定された。(……)はその場で買ってしまうと言う。こちらは何か見ていくかと訊かれて、哲学の棚を見たい気持ちもあったが、昨日買ったばかりだからと答えて抑えた。書架のあいだを出ると、雑誌の区画の入口あたりに、スター・ウォーズの特集コーナーが設けられている。こちらは特段の興味がないが、(……)などは、施設や戦いの細かな設定がイラスト入りで紹介された資料集をめくって興奮していた。彼女が会計に行っているあいだ、特集コーナーの横に作られていた映画関連の本が集まった区画の前にぼんやりと立つ。平積みにされているなかに、『ゾンビ論』という本があり、ジョージ・ロメロがどうのとか書いてあるのだが、見れば中原昌也の名があったので手に取ってちょっとめくってみたが、いくらも読まないうちに(……)が帰ってきたので戻し、退店に向かった。
既に西側も暮れきって、空は黄昏の藍色に浸っている。駅へ戻り、改札を抜けたところで、良いお年をと言って別れ、発車間際の電車に乗った。扉際で古井由吉『白髪の唄』を読む。(……)に着く頃には、明らかに体温が上がっており、発熱をしているような浮遊感、ふわふわとした身体の感じがあって、外気のなかに降り立っても寒くないほどだった。身体が熱を帯びるのに応じて鼓動も自ずと高まっており、明らかにどうもおかしいなと思われた。ひとまず自販機で例によってスナック菓子を買い、ベンチに就くと古井由吉を読んだのだが、身体に響く鼓動が苦しいほどなので五分のみで取りやめ、自身の変調について考えた。ここで冒頭近くに記したヨガの好転反応の話が出てくるわけだが、二七日二八日あたりからヨガの真似事を始め、また二八日二九日あたりは生活をしているあいだもほとんど常に呼吸を意識し、呼気を吐ききるようにする、という風にしていたのだが、それによって心身に何かしらの変調が生じたのではないかとひとまず仮説された。実際、深呼吸によって身体が芯から軽くなるということは明確に体験されたのだが、同時に、浮遊感が強まり、鋭い頭痛が生じるということも確認された。電車に乗っているあいだもそのようなことを思い巡らせ、帰ったら調べてみようと思いながら帰路を行くあいだ、発熱の感触から風邪やインフルエンザではないかとの可能性も考慮されたが、しかしそれにしては咳などまったく出ないし、身体も重さや気怠さがなくてむしろ軽いので、否定に傾いた。
帰宅するとインターネットで、ヨガの好転反応について検索してみるのだが、検索のトップページに出てきた付近のサイトをちょっと覗いてみても、大した情報はない。大概、毒素が抜けて云々という風に記されているのだが、「毒素」というのは一体何なのかこちらには良くわからず、何となく胡散臭い感じがする。ヨガに限らず、官足法などにおいても、東洋のほうの養生法では「好転反応」ということがまま言われるようなのだが、実際のところ、本当に「好転」なのかどうかも怪しいような気がする。しかしやはり、深い呼吸を熱心に繰り返したことやヨガ的な筋肉の使い方を(急に)したことによる何らかの(体内物質やホルモンの分泌などの)作用ではないかと、こちらにはその程度の仮説しか立たない。実際、ヨガの真似事を行って以来、身体の感覚は相当に柔らかくほぐれたのは確かで、大袈裟な比喩で言うならば肉体を丸ごと取り替えたような、と言いたいほどの変化があったので、それは変調も起ころうと思う。やりすぎも良くないという常識に落着いて、深い呼吸はせずに自然に任せることに決めた。
腹が減っていなかったので、その後、インターネットを回ったり、他人のブログを読んだりする。そうして八時前から運動を始めた。肉体の調子が収まっていたので、運動をすることでどうなるか、試したかったのだ。身体を伸ばしながら、呼吸は深くせず、鼻から通して自然に任せた。結果は明確に覚えていないのだが、覚えていないということは、大きな変調はなかったに違いない。
そうして、音楽を聞く。Bill Evans Trio, "All of You (take 3)", "Alice In Wonderland (take 1)"、BLANKEY JET CITY, "胸がこわれそう"(『LIVE!!!』: #12)、Bessie Smith, "A Good Man Is Hard To Find", "Need A Little Sugar In My Bowl", "Downhearted Blues", "Nobody Knows You When You're Down And Out"(『Martin Scorsese Presents The Blues: Bessie Smith』: #1,#9-#11)である。一九六一年のBill Evans Trioの"Alice In Wonderland"というのは端的に言って名演なのだが、このテイク一ではベースソロのあいだに一拍の脱落があるように聞こえる。どこかで一拍ずれているはずなのだが、しかしそれにもかかわらずソロの終わりはぴったりと合っており、どういうことが起こっているのかどうしても見極められないのだ。もう少し具体的に言うと、ベースソロの後半でLaFaroが少々もたるような部分があり、その少しあとに、Paul Motianが、あれはライドシンバルなのかオープンのハイハットなのかわからないが、三拍子の本来の頭よりも一拍早くシンバルを鳴らすところがあって、それ以降はそこを新しい小節の起点として数えると拍子が合うようになっているのだ。だからこちらは何となく、LaFaroが一拍ずれたのにどのようにしてか気づいたMotianが、一拍削って帳尻を合わせたのではないかと予想しているのだが、確証はまったくない。
食事や入浴のあいだの記憶はない。一〇時過ぎから少々インターネットに遊んで、その後、日記を記した。二五日の分である。(……)に会ったことを書いているところから横道に逸れて自分語りが始まってしまい、予想外に二時間二〇分も費やしてしまう。それを受けて、やはり記憶に付かなくてはならないなと改めて思った。言語というものはそれ自体で次々と別の言語を呼んでいき、ほとんど際限なく膨張していくものなので(つまりは、言語とは自己増殖的なもの[﹅8]なので)、過去の記憶・体験に寄り添うのではなく、現在時点からの補完・注釈にあまり流れてしまうと、取り留めがつかなくなって無闇に時間を消費してしまう。それはそれで楽しいのだが、こちらにはほかにもやりたいことがある。結論としては、ここでこうした思考をしたなと明確に記憶されている場合のみ、つまりは思考が一つの出来事として独立した形を成して保存されている場合のにみ、思弁的なことを記すべきだろうと、この時そう考えた。
その後、古井由吉『白髪の唄』を読み進め、瞑想を行って三時直前に床に就いた。