2017/12/31, Sun.

 九時四五分に一度目を覚ました。七時間だからちょうど良いなと睡眠を計算しながらも、呼吸に集中しているうちにいつの間にかまた眠ってしまっていた。よく覚えてはいないが、九時四五分より以前にも覚めていたような記憶の気配がないではない。そのあたりの睡眠のあいだだと思うが、RPG的な夢を見ており、小さな埴輪のような姿形をした手強い敵(一体)を仲間とともに撃退しようとしながら苦戦する、という場面があり、微睡みのなかでそれを反芻したのだが詳細はもはや残っていない。最終的な覚醒は一〇時四五分になって、その時は、何か窓をこつこつと打つような音が聞こえていた。上階で窓掃除をしているらしき物音が聞こえていたので、その関連の現象だろうかとカーテンを少々ひらくと、ガラスに水が付着していたので、上から垂れ流れてくる水滴がどこかに打ち当たる音らしいと判明した。
 寝床をしばらく呼吸を繰り返してから、水場に行く。用を足して戻ると、瞑想を始めた。ここ数日、呼吸を深くしすぎることによる弊害を体験したので、この時には鼻呼吸の自然な調子に任せたが、そのように能動性を発揮しないでいても呼吸が以前よりもよほど軽く、滑らかな感触になっていることを認識した。じきに、自分の頭のなかに流れる言語に視線を寄せはじめる。先日読んだミシェル・フーコー・セミナーの本に収録されていたルソー『告白』論のことを思い出し、自分の日記というのは要はルソーが『告白』でやったことを一日一日の単位においてやっているようなものだろうとか、ほか、純粋に観念的な存在である「読み手」に対して常に「報告」を送り続けているようなものだろうとか、だとするとそれは信仰者の「神」に対する「宗教的な」態度と類似しているのではないかとか、以前にも考えたことのある事柄をまた考えた。この際、言語が不完全な形のままに流れるのに任せるのではなくて、自分の脳内に向けて集中力/志向性をいくらか収束させ(つまりは「目を凝らし」)、言語の動きを端々で堰き止めつつそれが明確な形を作るようにして、はっきりとした形で独り言を行おうと試みたのだが(今よりも遥かに明晰な水準で常にこうすることができれば、あとで日記を書くのも楽になるはずで、つまりは自分の頭そのものがほとんどそのままペンとノート、あるいはモニターとキーボードと化すということになる)、そうしていると母親が部屋にやって来た。近づいてくる足音が聞こえていたので、直前に目をひらいて待ち受けていると、針に糸を通してくれと言う。それで三本分、セットを作っておき、母親が去るとコンピューターを立ち上げた。
 上階から雑巾を取ってきて、tofubeatsの音楽を流しながら、掃除を始めた。こちらの部屋には、南の窓際に置かれたベッドに座った視点から見て右側、東側の壁に接するようにして机がある。これは幼少の頃からずっと廃棄せずに残されてあるもので、小学生の時分のこちらの背丈に合ったものだから、当然現在は向かい合って作業をするのには使えず、新聞やらティッシュ箱やらの置き場となっているのだが、その上にさらに、良くわからない棚のようなものが置かれており、その上面に雑多なものがごちゃごちゃと散らかされているこの区画を整理しようという気になったのだ。と言うのは、そこのものを片付けてスペースを開ければ、最近また増えてきた本をそちらに移すことができるからである。そういうわけで、置かれたものを一つ一つ取り上げて、雑巾で埃を拭い、「薬」、「音楽関係」、「工具」、「手紙・名刺」などのテーマ別に分けていき、それぞれの場所に移動させていった。なかに、例えば(……)が結婚式の時にくれたメッセージ・カードなどがあり、これももう捨ててしまって構わないだろうとは思うのだが、やはり何となく捨てる気にならず、ひとまず引き出しのなかに仕舞っておいた。
 そうしてあいたスペースに、部屋の各部に積まれた本を移して積み上げて行く。壁に接する後列は単行本、前列は文庫本である(こうしておけば、後列が隠れないので、本をどけることなくそこにある著作を見分けることができる)。三柱に並んだ後列の一番左は、プルースト全集やミシェル・レリスの著作、またロートレアモン全集やサドの『ソドムの百二十日』、マラルメ全集など、大方箱に入った重厚なものを選んで積んだ。文庫本はどれを移そうかと迷ったが、右側は柄谷行人蓮實重彦ジル・ドゥルーズなどの一向に読み出すことのできない現代思想系を集めておき、真ん中の列には、ちくま学芸文庫の『ベンヤミン・コレクション』全七巻を鎮座させ、さらにその上にちくま文庫宮沢賢治全集の一巻から三巻までを置いた。左の列は中上健次古井由吉の文庫本を集める、とそのように何となくテーマ性が生まれてしまったので、高さは半端になったが、文庫はうず高く積み上げなくても良いだろうとそのくらいにして、既に必要のなくなった薬やごみを持って上階に行く。
 食事は炒飯と野菜の汁物である。それぞれ用意して卓に就き、口に運びながら新聞をひらく。カタルーニャ関連の記事を読もうとするのだが、文を追っていたはずがいつの間にか自分の頭のなかの言語にまた目を移しており、目の前に書かれてある文章を読み取ることができない、ということが繰り返されたので、食事を取りながら新聞を読むということも、もうあまり自分の心身に馴染まない行動になっているのかもしれない、新聞を読むなら読むで一カテゴリの時間として独立させたほうが良いのだろうと落として、記事を読むのを諦めた。そうして折り畳んだものを横に退けておき、何となくテレビのほうを見やりながらものを食べる。テレビは初め、大して見ていなかったので良くわからないが、紅白歌合戦に向けた番組が映っていた。多分、出演する歌手らを何人か呼んで、意気込みを聞く、というようなものだったのではないか。その途中に、歌合戦の会場で開場を待っている人々の姿が映って、彼らにもマイクが向けられる。父親が、朝の四時から待っているんだって、と苦笑いのような調子で言って、それにはこちらも、よくそうまでやるものだなとは思った。紅白歌合戦というものに特段の興味はないし、以前だったら彼らのような人間たちに対しても、何をそこまでくだらない、馬鹿ではないかと思ったかもしれないのだが、今のこちらはそのようなことをまったく思わず、むしろ、朝の四時から皆で集って目当てのイベントを待ちながら並ぶ、その期待感やわくわくとする感情のようなものを理解できるような気がし、きっとその時間はとても楽しいものなのだろうなと、(彼らの身になって、なのか、自分の身に引き寄せて、なのかわからないが)ある種の具体的な感触(リアルさ?)を持って想像できるような感じがした。最近のこちらはおそらく「主体化」と呼ばれる過程を日々に進行させていると思われるのだが、そうした過程のなかで、今までよりもさらに、生活のなかで関わりを持ったり遭遇をしたりする「他者」に対して、この人は本当に、自分とはまったく違う[﹅6]人間なのだな、と感じることが増えた。ネガティヴな意味合いで言うのではない。むしろ反対であり、「主体」として「自己」というものがより確立され、その特殊性がより見えるようになったとともに、「他者」とはこの「自己」とは「まったく違う」存在なのだということが実感として(肌において[﹅5])感得されることによって、かえって相手のこと、相手が考えているであろうことや相手が感じているであろう感情を、これまでよりもよく想像することができるようになった気がするのだ。この時もテレビを見ながらそのようなことを考えた。
 テレビはその後、宝くじの当選番号発表会の様子を映し、挨拶として、全国宝くじ協会的な組織の会長も務めているらしい小池百合子東京都知事が登場する。当たり障りのない言葉をよどみなく述べるそのさまを眺めながら、なるほど確かに、「貼りつけたような笑み」とはこのことだなと(小池氏には失礼だが)そう思った。自己を相当程度に統御=操作できる主体でないと、政治家などという職業は務まらないのだろう。そのあたりの「操作感」のようなものを感じ取ったものかどうか知れないが、挨拶のあとに会場の席に就いている人々の顔が映されたのを見ても、大方皆が皆、何となく、冷ややかなような無表情に見えた。そのあとには野田聖子総務大臣も登場して同じく挨拶を述べるのだが、こちらのほうが何となく「人間味」のようなものが感じられたような気がする。
 食事を終えると台所に立ち、母親の使ったものもまとめて食器を洗う。その後、風呂を洗って、さらにシャツにアイロンを掛けると、自室に帰った。この日の記事を作成したり、今月の家計を記録しておいたりしたのち、白湯を持ってきて、前日に買ったスナック菓子を食べながら、(……)を読んだ。そうすると一時二〇分過ぎ、そのままこの日の日記を記しはじめて、現在は二時半を迎えている。
 その後二六日の日記も記していたのだが、確かこのあいだに母親のこちらを呼ぶ声が聞こえて、書き物を中断して上階に行くと、洗面所にいる母親が、天井近くにある換気扇のカバーを外して掃除してくれと言う。それで、腰掛けの上に乗って手を伸ばし、雑巾でプロペラやその奥の埃を拭って行く。さらにはついでに、洗面台の上部に溜まった埃や、すぐ右手の壁にあった配電盤にこびりついた汚れも擦り取っておく。切りがつくと手を洗い、自室に帰ってふたたび日記を書いた。一時間を掛けて二六日の記事は完成させ、すると四時である。
 その後、運動をした。三〇分間行うと、また書き物に入り、二七日の記事を短く仕上げると五時過ぎ、上階に行く。食事の支度をしようと思ったのだったが、既に大方出来ていたので、こちらの仕事は、翌日の元旦に食べる蛸や蒲鉾やだし巻き卵などを切り分けるに留まった。それぞれ薄く切って、木造りの小さな重箱に、弁当に使うような小さな容器のなかに入れて収めて行く。その後、アイロン掛けもしたのだったか、それともそれはのちの時間のことだったか。ともかく、仕事を終えて室に帰ると、六時前からふたたび日記を記しはじめた。二八日の記事は既に仕上げてあったので、二九日のものである。この日は兄が企画した会食に出たり、その後本屋で棚を見て回ったりしたので、当然のことながら書くことが多くて、二時間半を費やして八時を回ってもまだ終わらなかった。ここで一旦、食事に行ったと思われる。
 食事をしながら、やはりどことなく不安感が身の内に生じてくるのを感じつつも(特にテレビのほうに目を向けると、微妙ながら感じが高くなるようだった)、まあ大したことにはなるまいと受けて、食物を口に運ぶ。離人感めいたものがあったかもしれない。食後、身体の感覚を慮ってすぐには風呂に入らず、一旦室に下りた。そこで何をしていたのかは記録が付いておらず不明だが、確か歌を歌ったような気がする。そうして、九時を回ってから入浴に行ったと思う。戻ってくると、二九日の記事を僅かに書き足して完成させてから、ミシェル・フーコー中山元訳『真理とディスクール パレーシア講義』の書抜きを始めた。
 まず、一四二から一四五頁に、プラトンの『ラケス』が紹介されており、「話す人と話されることが同時に、互いにふさわしくて、調和しているということを観る(……)。そしてこのような人はたしかに「音楽家[ムーシコス]」であると私には思われる」という作中のラケスの発言や、「ラケスはソクラテスの語ることと行動、言葉[ロゴイ]と行為[エルガ]が調和していると語るからです。ですからソクラテスはたんに自分の生について語れるだけではありません。自分の生についてのロゴスが、行動においてすぐに<見える>ようになっているのです。語ることと行うことの間に、いかなる齟齬もないのです」というフーコーの説明が見られる。ここにある「言葉と行為の調和」とは、こちらの言葉に置き換えれば明らかに、「書くことと生きることの一致」に相当するテーマだろう。さらに別の言葉を使えばそれは、「ロゴスとビオスの一致」ということになるわけだが、例えば自分の「日記」の営みにおいて/関連して、ここで言われている「生についてのロゴスが、行動においてすぐに<見える>ようになっている」という状態は、どのように実現されるのか? まず、この「日記」の意義を考えてみるに、第一にそれは、自らの生活/生に対して「隅々まで目を配ること(視線を向けること/監視すること)」である。コンピューターに向かい合って脳内に記憶を想起させながらキーボードを打っている時は勿論そうだが、それに留まらず、そもそもこちらは生を生きているその場において[﹅7]、そこで認知したものなり、自分の行動/心理/身体感覚なりに目を配っている(ヴィパッサナー瞑想の技法)。すなわち、自分においては「目を配ること」(そしてそれはこちらの場合、「書くこと」に等しい)は即時的/即場的な行為である。一方ではこちらにおける「書くこと」は、過去の経験の「想起」の問題/技法としてあるが、他方ではその場における「記憶」の問題/技法としてある(あるいは後者を、「瞬間的な想起」として考えても良いのかもしれないが)。つまりはこちらの生/存在様式においては、ヴィパッサナー瞑想の技法及び書き記すことに対する自分の欲望を経由して、「目を配ること」が「書くこと」に直結し(前者が後者とほとんど等しくなり)、「書くこと」が生の領域において「全面化/全般化」している。
 ここにおいて自分自身(及びその体験)に「目を配り」、「書くこと」とは、自己の存在そのものを(即時的に、また回顧的に)テクスト化するということであり、言い換えればそれは、自分をテクスト的存在として(再)構築すること、あるいはまた、自己のテクスト的分身=影を構成/創造するということになる。そしてそのようにして構成されたテクスト的な自己が、逆流的/還流的に、生身の存在としてのこの自分自身[﹅16]に戻ってくる/送り返される、このような生と言語のあいだの往還がそこにおいては発生するだろう。言語を鏡として自己を観る、という言い方をしても良いと思う。
 自己を言語的に形態化することによって定かに観察/認識し、自分にとって望ましい基準/原則に沿ってその方向性/志向性を調整/操作することになるわけだが、これを言い換えれば、反省/反芻による自己の統御/形成ということになると思う(「書くこと」は明らかに(即時的/回顧的に)「反芻すること」から生じ/「反芻すること」ができなければ「書くこと」は存在せず、「反芻」に「評価」という一要素を加えるだけでそれは「反省」に変化する)。よく覚えていないのだが、グザヴィエ・ロート『カンギレムと経験の統一性』を読んだ記憶によると、一九世紀から二〇世紀のフランス哲学のなかには、確か「反省哲学」というような系譜があったらしく、具体的な名前で挙げれば、まずラニョーという人がおり、その弟子がアランだったらしい。そしてカンギレムは若い頃アランに傾倒していたらしく、この著作はカンギレムをこの伝統/系譜のなかに位置づけつつ、彼が受け継いだもの、受け継がなかったものを明瞭化するというような試みだったと記憶しているが(具体的な論点はほとんど思い出せないのだが)、ここにおいて自分にとって何よりも重要なことは、ジョルジュ・カンギレムという思想家は、ミシェル・フーコーの師だった[﹅30]ということである(確か、論文の指導教官を務めていたはずだ)。このあたり、どうも繋がってくるのではないかという気がする。
 話を戻すと、「自分の生についてのロゴスが、行動においてすぐに<見える>」というような状態を実現させるためには、「反省/反芻による自己の統御/形成」のその痕跡/形跡が、具体的な個々の行動において表れるようになっていなければならない。つまりはこのように日記を綴り、「反省/反芻」の目を自分自身に向けることによって導出された言語的な原則/行動基準(ロゴス)が、ある時空における行動/実践において具現化されていなければならないというわけで、言い換えれば、自己を「彫琢された存在」として現前させなければならないということだ。より平たく言えば、「あの人は自分自身及び他人に(ある何らかの仕方で)気を配っているな」という感じを他人に与えなければならないということで、したがって当然、「ロゴスとビオスの一致」の現前を実現させるためには、「目撃者の生産」がそこに伴うことになる。
 そのような「ロゴスとビオスの一致」を実現し、「彫琢された存在」となった主体の例を考えてみるに、最も直近のものとして思いつくのは、この二日前に中華料理屋で見かけた女性店員の所作の「優雅さ」である。彼女だって働きはじめた当初からあのような動作形式を身に着けていたわけではおそらくなく、自らに視線を差し向けることで(自らに気を配ることで)「自律」を働かせ、それを次第に自然さにまで高めたのではないか。つまり彼女は、身ぶりに「芸術的」ニュアンスを付与することに成功しており(少なくともある一面において自己を「芸術作品化」することに成功しており)、それを見た自分は(「目撃者」として生産された自分は)、彼女は自分自身に気を配っているな、という印象=意味をそこから引き出すことになった。これが何に繋がるかと言えば、(芸術作品による)「感染/感化」のテーマであって、フーコーが一五八頁で述べているのだが、グレコ・ローマン期のパレーシアの目標は、「ある人物に、自己と他者について配慮する必要があると納得させることです。その人物に、自分の生活を変えなければならないと考えさせるのです」という言も、そうした方面から読み、考えることもできるのだろう。
 現在時点からの注釈をまた多少補完してしまいはしたものの、書抜きをする合間には概ね上のようなことを考えた。それで零時前からまた日記を書き出して、今度は前日、三〇日の分である。この日も外出したので書くことが多く、今日中には終わりきらないなと思われたので、一時半になる前あたりからメモに切り替えた。そうして一時四〇分で区切ると、この日は計七時間も書き物に費やしており、字数で言えば二万二〇〇〇字ほどを拵えていたのだが、一日でこんなに書いたのは多分初めてのことではないか。あまりに疲れない、と言うか疲れはするのだが、以前より遥かに、その疲労の程度が薄く、前はモニターに向かい合って一時間かせいぜい二時間打鍵をすれば肩や背が凝り固まってきて、ベッドに寝転がっていたのだが、この日はそうした強張りもほとんど生じなかった。頭も重くならず、明晰さが終始保たれているというのが凄いことで、率直に言ってこれは異常である。ヨガ的な試みによって身体が何かしら変質したのは確かだと思うが、それが行き過ぎてしまったというのがおそらくここ最近のこちらの変調の内実であり、この状態のまま心身が落着く方向にどうにかしてうまく調整できればと思う。
 その後は、(……)、それから古井由吉『白髪の唄』を少しだけ読んで床に就く。日記を終えたあたりからだったと思うが、足の先が大層冷えていた。確かこの夜のあいだにいわゆる「禅病」についても検索したのだが、白隠禅師が経験した「禅病」の症状のなかに足が冷え切ってしまうというものがあったので、そのままそれではないかと思った。ヨガの「好転反応」であれ、「禅病」であれ、要は自律神経が失調しているということだろうと考えられ(とは言え、この「自律神経」というものも一体どのような代物なのかこちらには良くわからないのだが)、もっと平たく言えば心身のバランスが崩れているということになり、現在のこちらの症状もそういうことなのだろう。寝床に入っても手足が一向に温まらず、身体の内を繰り返し寒気が通っていくような有様だったのだが、白隠が禅病を克服したという「軟酥の法」を試みて対処してみることにした。これは頭の上にバター様のものが乗っているさま、そしてそれが下方に向かって身体を通って浸透していくさまをイメージするというような技法で、実行してみたところ、これはマインドフルネス心理療法の方面で言うところの「ボディスキャン」と、概ね同じものだろうと思われた(そしてそれはまた、自律訓練法とも大体同じものだろう)。症状が完全に収まるということはなかったようだが(足はやはりいつまで経っても暖かくならなかった)、多少は楽になり、そのうちに眠りに入れたらしい。