時刻を確認しなかったが、まだ明けないうち、おそらく寝付いてからまもないうちに一度覚め、その時、不安がかなり高まっていた。手足の冷えや身体の内を通り抜ける寒気も発生しており、また、頭のなかもかなりぐるぐると回っていたと思う。前夜のうちだったか、この目覚めの時だったか忘れたが、このままだと自分は狂うのではないか、パニック障害ではない何か別の精神疾患になるのではないかと思ったこともあった。ここ最近の変調のうちには、頭の働きにせよ、身体のそれにせよ、「過活動」の向きがある。それでこの時、やはりこの分ではまた医者に行って精神安定剤を貰い、心身が落着くまでのあいだでも薬を飲んだほうが良いかもしれないなとも思った。しかしひとまず、軟酥の法あるいはボディスキャンを実行していると、まず不安が概ね抜けていったようで、ふたたび寝付くことができたらしい。その後、最終的な覚醒を得たのは一一時二〇分だったのだが、それまでのあいだに何度か覚めており、目覚めるたびに段々と身体の冷えが取れている、というのが感じられた覚えがある。一一時二〇分に覚めた時にも、大丈夫だろうかと警戒する心があり、布団のなかにちょっと留まって身体をもぞもぞ動かしてみてから起き上がったのだが、概ね大丈夫そうだった。
また調子が崩れては敵わないので瞑想はしばらく取りやめることにして、布団を抜けるとそのまま上階に行き、両親に対して明けましておめでとうございます、と挨拶をする。台所に入ると、フライパンに鶏肉の塊が調理されていたので、それを牛乳パックの上に取り出して薄く切り分けた。その他、白米や野菜のスープ、前日に用意した蛸や蒲鉾の重箱などが卓には並ぶ。そうして、飲み物をそれぞれに注いで(こちらは酒ではなく、三ツ矢サイダーである)、新年の乾杯を行った。そうして食事を取るのだが、ものを食うあいだにやはり、身体がぶれる/ずれるような感覚がちょっと生じたものの、ボディスキャンを行って身体の各部に目を向けて、肉体の輪郭を取り戻す。そうして鶏肉を白米と一緒に食べていると、実に美味いなと感じられる瞬間もあるものだから、大丈夫そうだなと安堵される。腹を満たしたところで食器を片付け、風呂も洗ってから自室に帰った。
一二時半くらいだったのではないか。携帯電話を見ると、(……)からメールが届いている。彼は中学の同級生で、もう何年か顔を合わせていない(二〇一四年か二〇一五年かに一度会ったはずだ)。元気か、と問う簡潔なものだったが、やはりこうして連絡を送ってくるというのはありがたいものだと前日にも思ったことをまた思い、ここ数日ちょっと変だが、概ね元気でやっていると返信した。そうしてこの日の記事を作り(Evernoteに「日記: 2018年」のカテゴリが新設された)、インターネットを少々回ってから、三〇日の日記を書きはじめる。モニターを前にしているあいだも、身体の奥(特に胃のあたり)が勝手に疼く、というような感じが折々に生じたが、合間にちょっと目を閉じて短くボディスキャンを行ったりもしていると、次第に落着いていった。一時間ほど綴って二時を回ったところで、背後の窓の外から、母親の呼ぶ声が聞こえる。窓を開けて何かと問えば、柚子の実を採ってくれ、と言う。面倒臭いなと反射的に思ったのだが、いや、ここで外気のなかに出て身体の調子を確認してみようと即座に思い直して、日記を中断して室を抜け、裸足にサンダルを履いて表に出た。家の南側にゆっくり下りて行き、母親から鋏を受け取って、台の上に足を載せながら柚子の実を収穫する。仕事を終えてもすぐには戻らず、極々短い石階段の途中に腰を下ろして、しばらくそこでぼんやりとした。ぼんやりとした、とは言っても、こちらの頭は絶えず自動的に、周囲に浮遊/浮動してやまない意味の断片を収集し続けているわけである。薄陽が射していて肌に温[ぬく]いが、風が流れるとその温もりはすぐに冷たさに取って替わられてしまい、一つの肉体の違う部分に暖と冷の二種の感覚がそれぞれ生じて、混ざり合わず同居する。サンダル履きの裸足にも、風の感触は吹き寄せてくる。冷たいとは感じたが、寒いとは感じられなかった。明確な風というほどのものが生まれなくとも、周囲の空気が絶えず動き、止まらないでいるのが感得される外の空間のこの感じというのは、やはり気持ちの良いものだなと思われた。そんな風に、身体感覚に目を向けながら考えたのは、やはりここ最近の変調のことで、この時立てた仮説では、ヨガ的な実践がもたらした何らかの作用(それがどういったものなのかは勿論わからない)によって、知覚や認識が鋭くなりすぎたことにより、身体の各部の感覚がそれぞれ脳に対して大きく主張されるようになり、身体感覚の統合的な秩序=恒常的な平衡が崩れてしまったのではないかとひとまず考えた。そうだとするとボディスキャンの技法は、身体の各部に目を向けて、それを落着いて観察することで、肉体感覚の再統合を図るものなのではないかとも思われる。同時に思い出すのはまた、瞑想の二種の区分けのことであり、瞑想といった場合大まかには一点集中的な種類のもの(呼吸に意識を向け続けるような類のもの)と、拡散的な種類のもの(観察技法によるヴィパッサナー瞑想はこちらとして自分は考えている)とがあり、前者をあまり熱心にやり過ぎるとかえって悪いというような知識が、どこで得たものなのか、過去に実際に体験されたものだったのか忘れてしまったが、自分の内にはあったのだ。どのような仕組みなのかわからないが、集中的な意識を練り上げすぎると、やはり心身のバランスが崩れるということなのだろう。それで、もしまた瞑想をやるにしても、拡散的な方向のものとして実践しなければならないと改めて認識した。要は身体に何らかの作用を働かせよう、気持ちを落着かせようなどということは考えず、そこにあるものをただ観察し、受け止め続けるという仏教的・ヴィパッサナー瞑想的な考え方の原点に立ち戻ったということである。
そうしてしばらく座って外気を浴びてから室内に戻り、ついでに石油ストーブのタンクに燃料を補充しておく。それから室に帰って、日記の続きを書き出す。現在、五時二〇分を迎えようとしているが、ここまで三時間弱、ずっと言葉を記し続けて、三〇日及び三一日の記事を完成させてブログに投稿した。前日の三一日のほうでは、書抜きのあいだに考えたことを、あれは今日の時点からの補完は少なく、概ねその場で頭のなかで組み上げた言葉及び理路なのだが、それを記すのに苦戦して、やはり時間が掛かってしまった。
その後、上階へ行く。食事の支度をせねばならないはずだったが、時間が遅くなってしまい、既に母親の手によってすべて調えられてあった。それで卓に就き、新聞からイラン関連の記事を読むのだが、そのあいだも、脳内に沸き返る言語の蠢きや身体各所の感覚が気に掛かって、文がうまく読めなかった(したがって、その内容をいま思い出すこともできない)。そこからちょっと経つと、もう飯を食ってしまうことにした。久しぶりに納豆を用意し、そのほか前日の残りの野菜の汁物などを卓に並べた。食事を取ると、散歩に出る。やはりいくらか身体を動かして、身体的直接性の感覚を確保したほうが良いのではないかと思ったのだ。靴下をつけ、サンダルではなくてきちんとした靴を履いて玄関を出る。西に向かって道を行くと、額にやや冷たい感触が生まれ、そのちょっとあとには首周りも含めて顔が空気の流れに包まれた。歩いていると、やはりいくらか寒くて身体が震える。身体の感触を確かめるようにして、一歩一歩定かに踏みつつ、また身体の各部へと目を向けながら進む。概ね悪くない感じだったが、平衡が少々緩いような感覚もあった。
三〇分歩いて戻ってくると、六時三五分である。室に帰って、七時前から音楽を聞きはじめる。Bill Evans Trio, "All of You (take 1)", "My Foolish Heart"、Bessie Smith, "A Good Man Is Hard To Find", "On Revival Day (A Rhythmic Spiritual)", "Send Me To The 'Lectric Chair", "Gimme A Pigfoot And A Bottle of Beer", "Backwater Blues"(『Martin Scorsese Presents The Blues: Bessie Smith』: #1,#12-#15)、James Levine, "Paragon Rag", "Maple Leaf Rag", "Weeping Willow"(『James Levine Plays Scott Joplin』: #1-#3)、BLANKEY JET CITY, "僕の心を取り戻すために", "胸がこわれそう"(『LIVE!!!』: #3,#12)で五〇分。Bessie Smithは"Send Me To The 'Lectric Chair"が、James Levineは"Maple Leaf Rag"が良かった。音楽に意識を集中させてしまうとまたあまり良くないことが起こるかと危惧されたのだが、一、二曲聞いたところでは大丈夫そうだったので、そこにあるものをすべて聞き取るのだという姿勢で臨んだところ、やはり大変に気持ち良く、また手や足の先の感触なども自ずと意識されて、身体が温まって行った。心身の調子が良い具合に落着いたのだが、音を聞きながら、音楽というのは自分にとっては感覚的直接性を確実に担保できるものなのではないか、それで心が落着くのではないかと考えた。また同時に、最近の自分の不安症状というのは、最終的には離人感に対するものだったのではないかと思いついた。その離人感が何から生まれてくるかと言うと、それは明らかに、自分の生の瞬間瞬間を隈なく言語化しようというこちらの精神の働きからだと思われる。
ウィキペディアの「解離性障害」の記事には、「離人症性障害/現実感喪失」という項目があり、そこに定義要件の一つとして、「自分の精神過程または身体から遊離して、あたかも自分が外部の傍観者であるかのように(例えば夢の中であるかのように)感じることが持続的または反復的である」と書かれているのだが、これは自分の感覚にぴったりと適合する記述である。自身を絶えず観察/傍観し続けるというのはヴィパッサナー瞑想の中核を成す技法であって、したがってヴィパッサナー瞑想はそもそも、場合によっては離人症を促進するような性質を持ったものだと言えるのかもしれないが、自分の場合さらにそこに「書くこと」に対する欲望が結びついて、「観察」がほとんどそのまま「言語化」として定式化されてしまった。感覚的直接性を絶えず言語に変換しようとするのがこちらの主体としての存在様式なのだが、それによって感覚的直接性が切り離され、この世界そのものが記号の体系として現実感を失ったものとして構成される、それが怖いのではないかということである。
元々自分は、自分の体験したもの、この世界の豊かさを隈なく書き記したいという欲望を持っており、物事をより緻密に感じ取れるように感受性を磨くことを目指してきた。だから当初は感覚が大元としてあり、それを表現/記録するために言語を使う、という関係だったはずが、言語的能力(文を作成する能力)が発展してくるにしたがい、いつの間にか言語の地位のほうが優勢になってしまうという転倒が起こったのではないだろうか。つまりは自分の体験がすべて言語に還元されてしまい、感覚的直接性を確保できなくなるかのようであること(これが離人感というものだろう)に不安を覚えるのではないか。
別の説明の仕方をしてみると、世界の認識における区分として、まずカントが「物自体」と呼んだこの世界そのものの姿、というような段階がある。これがどのようなものなのか我々人間は知ることができず、人間が認知することができる世界の像は、人体の感覚器官を通して構成されたものにならざるを得ない。これが通常「世界」とか「現実」とかと言われているものであり、先ほど言及した「感覚的直接性」もこのレベルのものとして考えている。この「世界」は言わば、「物自体」の表象としてあると考えられるわけだが、この上にさらに、二番目の「世界」の表象として、言語によって構成される意味論的体系の領域としての世界像が個々人において作り出されるだろう(それを「物語」とか「フィクション」とか呼ぶはずだ)。二層目の世界像と三層目の世界像は勿論相互に関連し合っており、そう截然と区分できるものではないはずだが、自分は今まで、感覚的直接性の世界の「真正性」を信じていたはずのところ、言語的に構築された世界のほうが優勢になってきて、言わばそちらのほうが「リアル」に感じられるようになり、感覚世界の像が相対化されて崩れていく、それに不安を感じているということではないのだろうか(要はこの世界そのものが記号の体系(「テクスト」)として、「フィクション」としてますます感じられるのが怖いということではないか)。
それではもっと感覚的直接性を確保するのが良いのではないか、平たく言えば身体を動かして肉体を感じるのが良いのではないか、という案が当然すぐに思いつくが、これはあまり確かなものではない。なぜなら、そのようにして感覚を確保する努力をしたところで、それすらもまた対象化/相対化/言語化されてしまうだろうというのがこちらの危惧だからである。では脳内の言語の働きを緩くすれば良い、あるいは物事をいちいち言語に変換することをやめれば良いとなるが、これは端的に言ってもはや無理である。自分の頭は既に自動的な言語変換機能を備えてしまっており、その動きを意志的に止めることはできない(自分は既に、「言語に貫かれた」「言語に占領された」主体である)。
風呂に浸かりながらそのようなことを考え、対処策をも思い巡らしたのだが、率直に言って、どうにもしがたいなと思った。離人感について言えば、もう離人感があっても仕方がないと考え、言語的世界のほうをこちらにとって「リアル」なものとして受け入れるというのが一つの策である(「言語の内に住まう人間」になるということ)。しかしまた、いくら自分が頑張って言語化機能を働かせようと、この世界はそれとは比較にならないほどの豊かな実在性を備えているはずで、物事を隈なく言語に還元することなどできないはずであり、自分の言語機能がどれだけ発達しても肉体的世界がそこからなくなるわけでもないと、そのことを確かに自分に言い聞かせておいた。
また、世界像の相対化=解体/フィクション化に対する不安について言えば、これも仕方のないことで、一度相対化を行ってしまったあとから以前の状態に戻ることはできないのだから、相対化を推し進めて行って、その先にどうしても還元することのできない確かな世界像を自ら構築するほかはない。だから結局は、今まで通り物事を言語的に捉え、あるいは今まで以上に徹底してものを書き続けて、それによって揺るぎのない定かなものを発見するしかなく、頭のなかに言語が蠢き沸き返っても放置しておき、不安が生じてもやはりそれを観察しながらあるがままにして放っておくということになる。要は今までと、生き方として何ら変わらない。不安が厳しかったら、抗不安薬を利用したって良いだろう。
自分の脳内(あるいは「心中」なのか?)に言語が湧いてくることそのものが怖いというこの不安は、まさしく「意味という病」、言語による病であり、実にポストモダン的な症状だと言えると思うが、このような議論が正確なものなのかはわからないものの、一応このように考えを構築して開き直った気持ちになったところ、不安がわりあいに収まったのは確かである。また、音楽を聞いているあいだに、自分の症状と関連して、いとうせいこうが『想像ラジオ』を出した頃に文芸誌で語っていたエピソードを思い出していた。曰く、ものを言語で指し示すことそのものに嫌悪感を覚えるようになり、山で蝶を見かけて、「あ、蝶だ」と言おうとした瞬間に、それだけで吐きそうになったという話である。それを探して検索してみると、千葉雅也との対談が発見されたので(こちらが元々読んだのは、星野智幸との対談だったが)、自分の場合にそのまま適合するわけでないが、以下に関連すると思われる部分を引用しておく。
千 葉
「動きすぎろ」と言う人って、危ない精神状態になってくるのがわからない人なんじゃないかなという気がします。いとう
たしかにそうですね。たとえば接続の側に動きすぎた場合、関係妄想になるでしょう。 僕も一時期完全に関係妄想になっていて、これが「接続過剰」ですね。その反動で今度は「切断過剰」になっちゃったら、十六年間書けない状況になった。ほとんど鬱病のようですけど、シンタクスが書けなくなって、文章を並べること自体に嫌気がさしてしまったんです。それは千葉くんの本に出てくるD・ヒュームの「関係の外在性」の問題にすごく関わってきます。特に初期に自分の中で何が起きたのかが千葉さんに言われてはっきりしたんだけど、明らかに「切断過剰」で、きわめてヒューム的状態になっちゃったわけ。たとえば「私はどこで何をしていた」という文章を書くこと自体が気だるくなっちゃって、吐き気がするわけです。 一番ひどかったときは、かなり鬱の状態が深刻で、友人の藤原ヒロシが「もっと自然の中でゆっくりしたほうがいいよ」って田舎のほうに連れていってくれた。山のほうに登っていったときに、雑木の中にいて、風が吹いているんですけど、ぐしゃっとしているんです。そこに蝶が一匹とんできて、これは蝶だって思いたいんだけど、そう思うことに異様な吐き気があるわけ。それを自分で名指したくない。個体を認識すること自体が嫌になっちゃった。それは千葉先生としては、かなりまずいでしょう?千 葉
まずいですね。分節化して世界を組み立てることができないということですからね。いとう
世界を切断することによって、丸山圭三郎的に言えば「言分け」し、ソシュールで言えば、言葉によって世界を切断し、そのことによってある構成的な世界を把握する、ということで接続する。それで人はなんとか狂わずにいられる。しかし認識として、因果律というものはほぼ何もないから、それが蝶だと言うべきではない、となっちゃったんです。千 葉
「意味的切断」ができなくなるわけですよね。なぜなら意味を切り取ろうとしても、そもそもあらゆる切り取りは非意味的でしかないから。だったら非意味的切断でまあいいやと思えばいいのですが、そうだとしてもやはり意味を深く求めてしまって、非意味的切断で済ませることが許せなくなるわけですよね、きっと。そうなると何も納得して分節化できなくなるから全部ぐちゃぐちゃになってしまう。いとう
そうだね。非意味的切断の究極にいきたくなって、もうすべてのものが認識できなくなってしまう。千 葉
非意味的切断の過剰になっちゃって、ほどほどに非意味的切断にしておくということができなくなる。いとうそのまずいことを、そのときの自分は“正しい”と思っているんです。ある意味では正しいんだよね。世界の把握として原理的には正しい。けれども、だったら狂気の側にいけばより正しいのに、踏みとどまってじっと汗をかいている自分がいるわけ。だったらもう戻ってきなさいよっていうのが、千葉くんの本なんじゃない?千 葉
そうです、意味の世界へ、です。言分け、身分けがない状態は、一つの真理ではあるとおっしゃったじゃないですか。その真理に対して、ものが分けられている状態というのに何らかの優先権を与える意味があるんですかね。いとう
そこからが問題なんだよ。千 葉
結局ものに意味がある、「これがコップ」「これが本」と分かれていて、個物であって、別々であって、というのが常識の世界じゃないですか。常識の世界で「ものは別々にありますよ」と言うけれども、よくよく考えると、蝶を蝶として認めるなんてことは成り立たない。すべてはぐちゃぐちゃの相互関係に溶けていく、と考えるほうが、むしろ容易ですし、哲学的にものの本質を突き詰めていくと、容易にそっちのほうにいく。むしろ常識の世界に立ち戻って「これとこれとは別々のものだ」って考えるほうが、よほど難しいんですよね。
風呂を上がると室に帰って、色々と歌を歌った。その後、一〇時前からここまで記して、現在一一時一五分過ぎになっている。
その後、歯磨きをしながら他人のブログを読んだあと、零時を迎える直前に早々と床に就いた。翌日は山梨にある父親の実家に行くということで、早く起きなければならなかったし、心身のほうもかなりおかしくなっているという自覚があったので、さっさと休むことにしたのだった。寝床のなかではまたボディスキャンを行ったのだが、身体の感触を前日に比べると、手は引き続き冷えているものの、足の冷えはもうなくなっており、全体としても前日よりは改善しているようだったので、安堵された。