2018/1/5, Fri.

 六時のアラームが鳴るだいぶ前に覚醒した。やはりあまり眠れないようである。一度覚めた時点で目が冴えて、その後、寝付けなかったような覚えがある。六時のアラームが鳴ったところで布団を抜け出し、上階に行って、生ハムと卵を焼いた。おそらくずっと頭のなかに言語が沸き返って、そちらに意識を取られていたせいだろうか、次に何をやったかと記憶を探ってみても、容易に出てこない(かと言って、その時考えていたことが思い出されるわけでもない)。
 瞑想をしなくなったので、食事を終えたのは早く、多分七時くらいだったのではないか。下階に戻って歯を磨き、服を着替えて、不安のために何をやるという気持ちも起こらなかったので(むしろさっさと出勤し、仕事を終えて、医者に行きたいという心があった。前日中も、早く時間が流れてほしいとそればかり思っていたと思う)、早々と居間に戻って、ストーブの前に座りこんだ。身体を温め、排便を済ませると、七時五〇分くらいには出勤に向かった。
 外に出ると、大層な寒さだった。この日は前日、前々日とは違って、曇り空だったのだ。身体を震わせながら街道を渡り、ちょっと行って裏通りへと入る。路地には登校中の中学生や出勤する大人らの姿があり、そのなかに一人、こちらに挨拶を掛けてくる人がいた。特に面識のない人なのだが、以前に朝番だった時期にも、すれ違いざまに挨拶をくれることが何度かあったのを覚えている。
 勤務中は、わりあいに良い気分だったと思う。ただ、自分の行動や言動があまりに明晰で、特に発する言葉や自分の反応が以前よりも自動的に細かく分節されて捉えられているということが良くわかった。情動が論理過程に解体されるようなのが不安だったのだが、しかし感情を論理的に分析するなどということは結構誰でもやることなのだし、それが明晰になったということはむしろ感情と論理がより密接に統合されつつあると考えるべきなのではないか、などとも思った。
 退勤すると、まだ一二時半より前で、(……)の(……)(精神科)が午後ひらくのは三時からである。一旦帰って食事を取ってからまた出向いたって良いわけだが、そうする気にもならず、図書館に行くことにした。駅に入って、冷たい空気のなかで身を震わせながら待ち、やってきた電車に乗る。何かしらまたものを考えながら(言語が勝手に蠢く、などと頻繁に書いていたから、それで自己暗示に掛かってしまい、自分が言葉をコントロールしているという主体感が失われたのかもしれない)、(……)まで行くと、降りてエスカレーターを上った。改札を抜けて、図書館へと渡る。医者がひらくまで、ここで時間を潰そうと思ったのだ。入ると階を上がり、新着図書の棚を見る。前回来た時にも見かけて手帳にメモしたエリクソンアイデンティティ: 青年と危機』があり、まさしくアイデンティティの危機を迎えているこちらにはぴったりではないかというわけで、その場で立ったまま少々拾い読みをした。なかに、ウィリアム・ジェイムズの体験したアイデンティティの危機が紹介されており、彼もやはり神経症を患っていたようなのだが、そこからの脱出口を見つけた際の発言として、「私の自由意志が最初に行う選択は、自由意志の存在を信ずるということだ」というようなものが引かれており、やはりどこかでこのような同語反復的な、相対化しきれない地点を見つけないと、人間、自我を保てないのだろう(自分の場合、今はそれが「不安」になっているのではないかという気がするのだが、これについてはあとで触れるかもしれない)。
 ちょっと読んでから、窓際の席は空いていなかったようなので、書架の横に置かれたボックス様の腰掛けに就いて、『アイデンティティ』を読んだ。読んだとは言っても、大方の時間はやはり、頭のなかでぐるぐると思考が回っていたので、ほとんど読んでいないし、内容も特段覚えていない。今次の自己解体騒ぎは実に色々な側面から考察することができるのだが、この時考えた理路からは、今回の危機はこちらの相対化傾向が極点まで至ったことによるものだろうと考えられた。元々自分は、中学二年生になったあたりから、どうもこの世の中というものはくだらないなと思いはじめ(まさしく「中二病」的なのだが)、高校生の時期には、特段死にたいわけでもないけれど、大して長く生きたくもない、まあ四〇歳程度で死ねれば良いかな、という風に考えており、大学時代には完全にニヒリズムの病に冒されていた。要は、青年期にありがちないわゆる「実存の危機」だが、自分が生きている意味がわからない、ということで、大学四年の時には卒業論文を担当してもらう教授に相談に行き、本を読んだり勉強をしたりするというのは、何のためにやるのでしょう、などという問いを発してもいたのだ(教授の返答は、自分のような歳と立場になってくると何のためになどと考える前に、まず目の前のことをこなさなければならない、という実際的なものがまずあり、その次に、でもやはり、楽しいからとか、何かを知りたいからとかでは、というものが返ってきた)。しかし結局、こちらはこの時この返答には共感することができず、例えばイラクあたりの歴史の本を読みながら、相変わらず、これを読んで何になるのだろう、などとその「意味」を探し求めていたのだ。そんな具合で卒業論文にも身が入らず、今から考えると糞尿以下の代物を提出してしまったのだが(それで学位取得が許されるのだから、都の西北、などと誇らかに言われていても、たかが知れている)、その後、いつ頃になってからだったか、ニヒリズムなどというのは単なる観念論(当時はこのような言葉遣いをしなかったと思うが)に過ぎない、と気づく時があった。自分が生の意味を感じられないのには、いずれ自分は死んでしまうのだから、というありがちな論拠があったのだが、自分が死ぬことが決まっていても、いま現在ここで自分が何かを喜んだり、食事を取って美味いと感じたりしているということは否定できない、と考えたのだ。すなわち、自分はニヒリズムを相対化することに成功したのだが、それ以来段々と、この「いま・ここ」への集中、現在の時間を味わい尽くす、というような姿勢が自分の基本的な生存様式になり、それは書くことに対する欲望と結びついて、現在時点を絶え間なく言語化する営みへと結晶したわけだが、それによって、この「いま・ここ」の実在さえもが解体されかかった、というのが今回の危機だと考えられる。
 言語化とはそのまま相対化である。しかし、ほかの人々が例えば、自己などというものは存在しないのではないか、いま自分が見ているこの世界は実在しないのではないかなどと考えたとしても、それで少々不安を覚えるようなことはあっても、実際に自我の解体の危機を感じるなどというところまでは行かないはずだろう。実際、そのような議論を行っている哲学者たちは、実に理性的に、その自我を保ちながら論を考えているはずだ。ところがこちらにあっては、こちらが考えたこと、こちらの頭のなかに浮かんできた言語が、そのまま強い不安という身体症状を引き起こすわけである。こちらが感じ考えたことを言語に移し替えているのではなく、言語として浮かんできたことがそのままこちらが感じ考えていることになるかのようだったのだが(ここ数日の自分の体験を言い表すのには、「言語が第六の感覚器官になった」という比喩よりぴったり来るものを思いつけない)、これは明らかに異常であり、この点にこそ自分の狂いがあるのかもしれない。しかし、実際には、これはやはり不安障害が寄与しているものだろうと思う。不安に襲われている脳と身体というのは、瞬間瞬間に自分の思いつくことの影響を、非常にダイレクトに受けてしまうのだろう。あるいは、不安障害自体を、意味論的体系が現実的体系と畸形的にずれ、あまりに過剰になりすぎる病状として定義することもできるのかもしれない(何しろ、ほかのほとんど誰もが危険や不安を感知しない場において、「不安」の意味を読み取ってしまい、それが高じて発作を誘発するくらいなのだから)。だから、最初のパニック発作の時点でこちらの頭はどこか決定的にずれてしまい、その後ずれにずれ、意味論的体系が膨張しすぎて今に至っているのかもしれない。
 それはともかく、腰掛けに就いてものを考えるあいだ、開き直りの瞬間があった。自分の相対化傾向、考え、書く欲望が狂気の不安を呼ぶのだとしても、自分はやはり、自分とはどのような存在なのか、自分の不安は一体どこから来るのか、勿論最終的にはわからないにしても、その都度考え、書き続けたい、自ら不安を呼び寄せながらも考え続ける、それが自分なのだ、という形で自己像の統合が図られた。それで気分がわりと収まったので、エリクソンの『アイデンティティ』を書棚に戻し、それから古井由吉『白髪の唄』を読みはじめた(と言ってやはり、読んでいて文の意味が良く取れなかった)。
 それで二時半前になると席を立ち、館を出て医者へ向かう。歩くあいだ、朝に食べて以来腹に何も入れていなかったので、身体が寒くて仕方がなかった。ビルに入り、階段を上がって行く。待合室に入ると、既に二人程度人がいたが、カウンターで聞くには五番目くらいになりますとのことだった。室の奥の、角近くに腰を下ろし、古井由吉『白髪の唄』を読んで待つ。先ほど考えを開き直らせたので、臆することなく小説に集中しようとしたが、やはり知覚が相当拡散的になっていて、文を読み取っているつもりがすぐに何かほかの感覚刺激に逸れてしまう。それでも一時間以上、顔をあまり上げずに読み続け、呼ばれたところで診察室に入った。
 半年ぶりだという話だった。ずっと薬を飲まずに来て、それで大丈夫だと思っていたのだが、最近またちょっと調子が悪くなりはじめた、と話しはじめた。それで、日記として毎日の生活を初めから終わりまで綴る営みを行っていること、それを続けた結果、生活をしているその場で頭のなかに言葉が溢れてくるようになったこと、それが離人感に繋がっているらしいこと、などを話した。(……)がキーボードを打って情報を入力するのを待つのだが、ここで自分は何だか以前よりも待つことができず、やや性急に続きを話しはじめてしまったような感じがした(これはあとで薬局の局員と受け答えをした時もそうだし、その後の帰路でもそうだったのだが、自分の行動(のみならず、単に頭の角度を変えるという程度のことでも)や知覚、相手の発言の意味の理解やこちらから送り出す言葉のスピードが、やたらと速く感じられたのだ)。話を進めさせていただくと、と前置きをして、物事を言語化するというのは相対化をするということと同じなのだが、それで最近は思考が勝手に、例えばいま目の前に見えているこれは本当に実在しているのか、とか、そういったことまで考えてしまい、それで自我の統合が危うくなっている気がする、というようなことを説明した。(……)は笑って、哲学の理論だとそういうことは言いますけどねと言い、それをこちらも笑って引き取って、そう、それはあくまで理論なんですけど、その理論がそのまま身体に影響してきてしまうんですよ、と言った。その後、ソシュールとかハイデガーとかデカルトとかの名前も出て、例の「我思う故に我あり」の言も聞かれたが、こちらはそれが体感として本当に良くわかる、とこれも笑って返した。そのように話しているあいだも、分離感が結構あり、自分が話すように操られているような感覚があった(何かが自分を操っているのだとしたら、それも自分自身のほかにはないのだが)。
 話をちょっと戻すと、相対化のことを説明した際に、自分にはそもそも性質として、どうしても「確かな」ものを求めようとしてしまうところがある(格好良く言えば「真理」への愛であり、すなわち哲学=フィロソフィアである)、しかし同時に、(普遍的に)確かなものなど存在しないのだということもわかっている、しかし、その都度その都度「確かだと思われたもの」で良いので、そうしたものをその都度その都度発見して行きたいのだが、それが今回、不安性向と結びついて極地に至ったのではないか、という自己分析を話した。つまり、その時々の「確かな」事柄を判断するために自分の精神は瞬間的な物事の相対化を行うが、直後にはすぐさま、それが本当に「確か」なのかと疑いはじめてしまい、不安を呼び起こす、そしてその不安から逃れるために/不安から追い立てられて、精神は高速で次の「確かさ」を探り当てようとし、発見したかと思えばそれをまたすぐに相対化しはじめる、といった具合で、自分の頭は永遠の循環に陥っているのだろう。実際、今回の危機でもそのままこれが起こって、目の前の世界の実在を疑い不安が生じるやいなや、身に湧き上がってくる不安こそが「リアル」なものとして感じられ、それで自分はまだ正気であると確認する、しかしそのすぐあとにはまた自らの正気を疑いはじめる、というような反復が何度も繰り返されたのだ。どうもそのように非常に分裂的な傾向が自分にはあるらしいと説明し、しかしもうそれで仕方がないと思っている、自分は不安を感じながらでも、その都度の確かさを求めて行きたい、それが自分なのだと先ほど図書館で開き直った、ということも話し、ただ、その分裂の幅をもう少し狭くしたいので、その点、薬で調節できたらと思っていると告げた。つまり、三日に(……)との通話で出てきたキーワードで言えば、自分の精神は明らかに「動きすぎて」いたのだが、「動きすぎず、動き回りたい」というのがこちらの望みなのだ。また、この「分裂」を主軸として自分の不安の意味論的体系を(ある程度まで)読み解くこともできると思われるのだが、それはここでは触れない。さらにまた、自分のこのような特性を観察した結果として、むしろ「不安」こそが自分を自分として成り立たせている第一/最終原理、つまりはそれ以上相対化できないものとして定位されているのではないか(中世のキリスト教神学者たちが「神」に与えていた地位が、自分においては「不安」になっている)と考え、さらにそこから、「悟り」というのはこの「不安」でさえも相対化/解体しきったその先にあるのではないかということも考察したのだが、それもここで細かく述べる気にはならない。しかし今回のことで、仏教の言う「一切皆苦」という考え方がこちらには身に染みて理解できた。釈迦は不安障害患者だったとしか今の自分には考えられない。
 以前に飲んでいたスルピリドロラゼパムをまた出してもらうことになった(医師はスルピリドだけでも大丈夫だと思うが、と言ったのだが、もしそれで不安が収まらなかったら、という不安があったので、こちらが頼んだのだ)。礼を言って診察室を去り、ソファに掛けて、本を鞄にしまってストールをつけ、前かがみになってじっとした。この時、自分の動きのいちいちが(ちょっと頭の位置を変えるだけでも)際立って感じられた。会計に呼ばれるのを待っているあいだは、また何か頭のなかで思念が渦巻いていた覚えがある。支払いをするとビルを出て、隣にある薬局に入った。
 カウンターにいた局員に処方箋と保険証を渡し、席に就いていると、先ほどの局員が寄ってきて、何か差し出してくる。プラズマ乳酸菌とかいうもののサプリメントらしく、試供品として配っているとのことだった((この時、局員の説明に対して、はい、はいと受ける自分の返答がやたらと速い気がした)。礼を言って、古井由吉『白髪の唄』を読んでいると、いくらもしないうちに呼ばれたので、カウンターに行く。女性局員が、今日は以前お出ししていたのと同じものを、二八日分ですねと言うので、最近ちょっとまた調子が悪くなりまして、と受けたのだが、彼女が慇懃な笑みを浮かべたり、眉を下げたような労りの表情を示すのに対して、何の感情も自分から生じないのに不安を覚えた。また、やはりここでも、相手の言葉をはい、はい、と受けるその間が速い気がした(と言うか、速く話を進めたい、という焦りのようなものがあったのかもしれない。やはり不安に追い立てられてのことだろう)。感情が解体されていくかのような不安というのは、表層的に、すべてを高速の論理過程として把握しているかのような感じがしたのだが、もしかすると「悟り」というのは、ある種の『表層批評宣言』なのかもしれない。つまり、相対化を無限に繰り返して行くことによって、この世に真相=深層が存在しないということを最終原理とすることなのかもしれないなどと、そんなこともこの数日で考えた。
 薬を受け取って薬局を去ると、随分と長いこと何も腹に入れていないので(そう言えば、精神科の待合室にいるあいだには、身体が手の先まで冷えきって、このままだと倒れるのではないかと感じた時間もあった)、ひどく寒かった。駅に戻って電車に乗り、(……)で降りると、自販機でココアを買って飲む。ベンチに就き、古井由吉『白髪の唄』を読む。じきに電車が来たので乗り込んで、座席に就いて本を読み続けるのだが、この時、同じ車両の離れたところで子どもたちが遊んでいるのを、うるさいな、とか思った瞬間があり、自分がそう思ったということにまた不安になった。子供らが遊んでいるのに、ちょっとうるさいと思うことなど勿論誰もあるだろうし、自分も例外ではないが、前はそのような思いが浮かんでも不安になるなどということはなかったはずである。ところがこの時は、それが何か自分に属していない悪い想念が勝手に浮かび上がってきたかのように感じられた。ここからは、こちらが実は自分は高潔でなければならない、というような強迫観念(強迫観念で言えば、自分の書くことに対する欲望は、もはや強迫観念とほとんど差のないようなものだろう)を持っており、普段、悪心を抑圧しているのではないかという解釈が予想され、それはまた分裂気質と繋げてさらに広い体系を並べることもできるのだが、今はそれを書くのは面倒臭い。駅や電車のなかではまた、感情が急速に解体されていく、というような妄想が感じられた。歳を取ればそれは皆、そうなっていくものだろうが、しかし感じられる自分の変化が速すぎて、何か失ってはならないものを失ってしまうのではないかという不安を覚えた(しかし自分は元々、もっとさまざまなものを外部から取り込んで、自己を変容させていきたいと思っていたはずである。ここにも、変わりたい自分と変わりたくない自分の分裂が見られ、こうした二項対立が至る所に見出されるのだが、こちらの「無意識」は全体としてそのように、非常に「葛藤」的なものなのかもしれない)。これらの危惧は、抗不安薬を服用しはじめた今だから言えるが、不安に追い立てられて抱いた妄想に過ぎない(ヴィパッサナー瞑想をやったり、日記書くことで自分自身を相対化することを習慣づけてしまった自分の感情は、大方の人よりは抑制的なのかもしれないが、それが一気に失われてしまうなどということはないだろう)。
 それで、電車内から不安を散らしたくて深呼吸を始め、降りてからの帰路もずっと続けながら帰った。家に帰って母親とやり取りをすると、妄想が浮かんでこず、自分の身体がいくらか落着いていることがわかったので、安堵した。腹が減っていたので、玉ねぎと豚肉の炒め物を作り、白米とともに食事を取った。食事のあいだも深呼吸を続けていた。
 そうして室に帰り、いよいよ薬を一粒ずつ服用してみた。これで不安が収まらなかったらどうしようかという不安が勿論あったのだが、果たして服用した直後は、不安が収まるどころかむしろ高まり、腕から指の先まで、芯が冷たくなったようで、その不安を収めるために呼吸を頑張るのだが、やはりそれがかえって駄目なのか、余計に不安が増長する。不安を抑えたければまずは不安がそこにあるという状態を受け入れなければならないと、その点、過去の体験で十分わかっていたはずだが、実際には難しいことである。しかし方針を転換して、薬も飲んだことだし、成すがままに任せようと呼吸を自然なものに戻すと、じきに心身が落着いて行った。
 その後、入浴などの時間については覚えていない。八時半過ぎから書き物を始めたのだが、時間が過ぎるのが大層速く、気づけば三時間を一息に綴って、一一時四〇分に至っていた。久しぶりに、時間に対して「もう」の感覚を抱いたものだ。最近はむしろ、時間が過ぎるということがいつも遅く感じられて、自分は時刻の観念を解体することに成功したのだななどと思っていたのだけれど、あれは不安に追い立てられた頭の思考速度が上がっていたということなのか、あるいはやはり不安に浸された心身が、いつまで経っても時間が過ぎてくれない、と感じていたということなのだろうか。
 その後、歯磨きをしながら他人のブログを読んでいると、またいつの間にか零時半ほどになっている。とこう書いていま気づいたのだが、ここ最近は不安に蝕まれた心身(この表現がほとんど比喩でなく、現実そのものとして感じられるのが不安障害というものである)のために頭の働きも極端に多動的になり、知覚も拡散的になっていたので、多分自分は作業や行動の合間にきょろきょろと目を動かしてしまい、それで頻繁に時計の時間が目に入っていたということではないだろうか(そして、頭が非常に活動的になっているので、そのたびに視認した時刻を定かに記憶に留めてしまう、というわけだ)。口をゆすいでくると、さっさと床に就いた。精神安定剤のおかげで眠気が湧いており、入眠にはまったく苦労しなかった。