2018/1/9, Tue.

  • 朝方、例によって寝覚めする。6時半なので、一応覚める時刻が遅くなってはいる。心身に覚醒感を帯びており、直前まで夢を見ていた。ボディスキャンを試みたもののうまく行かず、やはり足が冷たく、眠気もやってこないので、薬の助けを借りて寝つく。それで11時まで寝てしまう。睡眠は零時半から11時。
  • 食事はおじや。新聞からは旧ユーゴ解体の際の内戦を処理した国際司法裁判所の人のインタビュー記事を読む(ようやく新聞が読める頭になった)。室に戻ったあとは、ブルーライトを警戒しつつ、インターネットでドーパミンなどについて調べる。統合失調症の幻覚や妄想というのはドーパミン神経の過剰な働きによるものではないかという説があるらしく、これは自分としても頷ける話である。実際、先日の自己(世界)解体騒ぎの時の自分の精神は、明らかに過剰に覚醒していた。その過覚醒をもたらした直接的な要因は、やはり深呼吸のしすぎだっただろうとこちらとしては推測する。何しろ瞑想時のみならず、生活内のほかの時間のあいだにも、呼気をすべて吐ききり、吐ききった先で何秒か止める、というような呼吸を実践していたのだが、ドーパミンは物事に集中する際に分泌されるものであるらしいところ、これによって自分の頭は一時的にドーパミンが過剰になってしまった、要は「ハイにキマって」しまったのだ。身体が軽く、滑らかになる感じとか、思考の明晰さとかはその作用だったのだろう。そして、不安障害である自分は不安の意味素に非常に敏感だから、覚醒しすぎた頭がそれまで定かに見えていなかったような不安要素を発見していき、さらに、ドーパミン(交感神経)が過剰でセロトニン(副交感神経)が追いついていない状態だから、不安は覚醒作用と結びついて雪だるま式にふくれあがっていき、ついには発作的な妄想の様相を呈した、というところだろうと思われる。今の自分はおそらくまだ、ドーパミンが優位な神経バランスが残っているだろうから、薬剤で交感神経の働きを抑えつつ(実際、スルピリドにはドーパミン抑制効果があるらしい)、そのバランスを適したものに調え、保っていくことになるだろう。
  • 何故そんなにも呼吸の実践をがんばってしまったかというと、これは明らかに自分の、常に万全の体調でありたいというような願望(これこそまさに我執である)から来ている。そして、なぜそんなに万全さを求めるかと言えば、不安が怖いからであり、なぜなら不安は自分の場合、最終的には発作へと帰着するものだからだ(そしておそらく、自分にとってパニック発作は、象徴的に、「死」「発狂」といったような、「不可逆的に外へ出て戻れなくなること」というような意味を含んでいる。「死」はともかくとしても、そのような元に戻れないような急激な、一挙の変化などこの世にはまずあるまい、と理性的に考えても無駄である。なぜなら最初のパニック発作そのものが「不可逆的な変化」として体験されてしまっているからであり、「一瞬の不可逆的な変化によって戻れなくなること」がこの世に存在するということを、自分の心身は知ってしまっているからである。発作体験が強固なトラウマとなっているわけだろうが、これを克服する方策はひとまず二つ考えられる。一つは、「あの発作は不可逆的な変化などではなかった、パニック障害によって自分は大して何も変化していない」という認識=理屈=物語を新たに作り出すことだが、これは端的に言って不可能だろう。もう一つは、パニック発作と「不可逆的な変化」という意味の連結を現在時点において切り離すことだが、これは結局、上と同じことを言っているのか? ともかく、不安は単なる不安にすぎず、それはそうそう発作につながるものではない、よしんばつながったとしてもそれで自分は本質的にどうにかなるものではないという考えのもとに、不安を受け入れ、それと共存していく、ということだ。こうした認知を自分はとうに構築できているつもりでいたのだが、やはりそうはうまく行っていなかったらしい。ここにおいては(呼吸の存在を中核に据えた)ヴィパッサナー瞑想の観察 - 受け流しの方法論がやはり有力な手法となるだろう。我々不安障害者は不安から逃れることは絶対にできない、しかし不安とは、そもそも逃れる必要すらないものなのだ。
  • 12時ちょうどから書き物を1時間強。その後、運動をして澄んだ気分に。洗濯物を取りこみに行く。大変に暖かで気持ちのほぐれる陽気なので、洗濯物を入れたあと、ベランダに溜まった日なたのなかに座りこんで、日なたぼっこをする。畑のほうにはカラスが二匹おり、一匹は父親が育てている大根の葉をどうもついばんでいるようだった。じきに二匹一緒に飛び上がって、近くの電柱及び電線の上に移る。その後、取りこんだものをたたみ、またシャツ類にアイロンをかけようとしたところが、思いのほかに乾いていない。それで三枚をまた外に出し、きちんと陽が当たるように二段に分けておいた。
  • その後、豆腐などで食事を取り、室に戻ると読書、古井由吉『白髪の唄』である。338頁に、藤里の空襲体験が短く語られており、そこに、「(……)人に棄てられた防空壕の中へ、お父さんには申訳ないけれど、火が吹きこんだら三人一緒に死にましょう、と飛びこんだきり、周囲のことは知らなくなった。妹の息のほかは、何も知らなくなった」とあるのだが、この「知らなくなった」という言い方はちょっとすごいのではないかと思った。
  • 三時に至ると外出の支度をして、薬を飲んで上へ行った。母親、帰宅している。イスについて窓のほうを眺めやり、自分の知覚を確めるようにしていると、川向こうの空に煙が一瞬、薄く吹き上がって、すぐに消えてそのあとが続かなかった。
  • 三時十五分頃出発。何を見ても不安、というような心の調子が、底のほうのかすかなものだが感じられ、街道に出て東の果てに澄んだような白い雲が大きく出ているのを見ても、知覚の確かさを疑うような心があったようだ。まだ陽の残った時刻なので、表通りをそのまま行く。車道を挟んだ向かいから、立ち話をしている婦人の連れた犬が、こちらに向かって吠えてくる。工事の続く会館跡の敷地を覗くと、奥のほう(裏通りのほう)が結構深く掘られていて、そこに入ったショベルカーの運転席も見えないくらいだった。
  • 駅傍の、西から陽を受けて明るんだマンションに目が留まる。常にない風合いを感じたようで、その感触を言葉にしようと試みて、白々、という語が出たがこれは違うなと払われたあと、定かなものが続かず、明るくきれいなのは確かなのだがと思いながらも言葉が成らずに、意識が逸れた。T字路の横断歩道で止まる。頭に、Suchmos "STAY TUNE" が流れている。渡って職場のほうへ向かうと、喫茶店から女性店員が出てきて、通りを渡りかけ、半分行って車線のあいだで止まる一方、進むこちらの目の前には横道から女性が一人、唇の赤い人が出てきてこちらと目が合い、ふっとそらして背を向けると、先のほうにいる二人の連れ合いだったようで横に並んで合流していた。と、このような「何でもない」、実に意味の薄い情景(?)が記憶に定かに残っており、それを容易に記述できるというのは、どういうことなのだろう? また、今この部分を記述しながら、一応「こちら」という形で一人称を用いてはいるものの、実質三人称と変わりがないような、カフカの小説に言われることの逆で「こちら」を「彼」に置きかえても何の支障もないような、自分自身を中心として書いているのではなくてその場にあった動き(意味の浮遊)の一部分、一断片として(その場に包含されたものとして)書いているような感じがしたのだが、この点、どうだろうか?

 紙のノートに記したのは上の部分までである。ここからはキーボードに戻り、現在は一月一三日土曜日もそろそろ終わろうという時刻になっている。この日の生活の続きを記すと、手帳のメモには、「勤務、最初、緊張」とあるのだが、これについてはよく覚えていない。労働を終えて職場を出て、駅舎に入るまでのあいだ、駅前を行き交う人々の各々の流れだとか、ロータリーの内に灯っている電飾の灯りだとか、そこにある動きのそれぞれがくっきりと把握されて、本当にこの世界が意味の「揺蕩い」として感知されるような感じがした。駅に入り、電車に乗ると、席に就いて瞑目する。発車しても目を閉ざしたままでいると、電車が空気を切って走るその音がやけに大きく、烈しく聞こえて、まるで大波が寄せているような、海のなかを突き進んでいるかのようなイメージが脳裏にもたらされ、目をひらいているよりもかえって走行の速さがよくわかるようだった。
 最寄り駅で降り、坂を下る。出口あたりで見上げると、空は澄んで星もあるが、青いというよりは鈍いような色合いである。帰宅して食事、テレビは『クローズアップ現代』。吉野源三郎君たちはどう生きるか』の最近のブームについて。高橋源一郎が画面に登場したところで、その名を口にすると、父親が、この人がそうなのかと受け、何か前に読んだけれど何だったか、などと洩らしていた。それを機に会話の生まれそうな気配になったので、俺があげた本はまだ読んでいないのかと訊くと、まだだと言う。いまちょうど、テレビでも取り上げられていた『君たちはどう生きるか』を読んでいるところだと言う。こちらのプレゼントしたヘミングウェイ老人と海』はどんな話だったかと尋ねるので、もう長いこと漁に出ながらも釣果のない老人がおり、仲の良い子どもの釣ってきた魚などを食って暮らしていたところ、ある日の漁で大物が掛かって三日ばかり海の上で奮闘することになり、と筋を話しながら、その先の、大魚との闘いに勝ったは良いものの結局鮫の襲撃を受けて得たものを喰われてしまう、という結末が思い浮かび、これ以上話すといわゆる「ネタバレ」になるなと思って留まった(もっとも、「ネタバレ」をすることで面白くなくなる小説というのは、読む価値のない作品だということを自ら証すものだと思うが)。父親は、読んでみるよ、と言っていた。そこから、どのような文脈が挟まったのだったか忘れてしまったが、本の読み方や本を読んでいる時の感覚というようなことに話が及び、読んでいると、「ふっと来る」瞬間があるでしょう、それは自分自身の過去の記憶かもしれないし、あるいはその本のなかで前に読んだ部分かもしれないけれど、とゆっくり、言葉を丁寧に扱うようにして話し、だから本というのは、まっすぐ、直線的に読んでいくものだけれど、そのなかで色々な部分が色々なところに繋がっている、言わばネットワークを成しているのだ、というようなことを語った(要は、書物というのは「テクスト」なのだということを言ったのだ)。
 その後、テレビ番組は『グッと! スポーツ』に移って、レーサーの佐藤琢磨が出演する。一回のレースでは三時間、高速で走りっぱなしになる、しかし人間そんなに集中力を保てるものでないから、どこかでうまく力を抜く時間を作らなければならない、自分たちにとっては最も高速で走っている直線コースの部分がそれなのだと話していた(しかしその直線コースでのリラックスというのは、僅か数秒間の話である)。また、レースを終えるとほとんど軽い脱水症状のようになり、一回走れば三キロ体重が減ると言っていたのも、具体性があって興味深く聞かれた。
 食後、入浴中は、瞑想について考えた。まず、瞑想の大別としてサマタ瞑想というものと、ヴィパッサナー瞑想があるらしい。前者は「止」の瞑想と呼ばれ、後者は「観」の瞑想とも呼ばれるようだが、要は集中性のものと拡散性のもの、という風にひとまず理解しておきたい。ずっと昔にインターネットを検索して得ただけの情報なので、確かでないが、流派によって、観察をするのに必要な集中力を養うためだろう、サマタを訓練してからヴィパッサナーに移るものであるとか、最初からヴィパッサナー式でやるものだとか、ヴィパッサナーをやるにしても補助として「サティ」の技法、すなわち気づきをその都度言語化する「ラベリング」を用いる派、用いない派と様々にあるようだ(ラベリングは必須なのかとか、ラベリングをすることに囚われてもまずいとか、それは自転車に乗る際の補助輪のようなものに過ぎず、慣れてくれば不要になるとか、当時覗いた2ちゃんねるのスレで色々と議論されていた覚えがある)。それはともかくとして、集中性/拡散性の二分を、能動/非能動(ここではひとまず、「受動」という言葉は使わずにおく)と読み替えてみたいのだが、そのように考えると、サマタ瞑想は一つの対象に心を凝らし続ける能動性の瞑想であり、それに専心するとおそらくドーパミンがたくさん分泌されるのではないか(そして今回、呼吸法の形でそれをやりすぎたためにこちらの頭は少々狂った)。対してヴィパッサナー瞑想は、能動性がほとんど完全に消失した状態として考えられる。以前、瞑想とは「何もしない、をする」時間なのだと考え、日記にもそんな風に記したことがあったと思うが、これはおそらく正解なのだと思う。したがって、ヴィパッサナー瞑想を実践するにあたっては、多分、身体を出来る限り動かさず、静止するということが重要なポイントになると思うのだが、そのように能動性を排除したところで何が残るかと言うと、感覚器官の働きや、心のなかに自動的に湧き上がってくる思念などの、「反応」の類である。そして、ヴィパッサナー瞑想は、能動性を退けたからと言って、純然たる受動性に陥ってこれらの反応に対して無防備に晒されるがままになることを良しとせず、それらに(比喩的な意味ではあるが)視線を差し向けることによって(視線=眼差しには(どのようなものであれ何らかの)「権力」(力)が含まれている)、それらと静かに対峙し、それらの反応をただ受け止め、受け流すことを目指すものである。まず能動性を消去し、その次に完全な受動性のうちに巻き込まれることをも拒むその先に、能動/受動の狭間において露わになってくるもの、それが「実存」ではないかと、この時風呂に浸かりながら考えた(ここでは「現実存在」という言葉から、実存主義的な意味合いを剝ぎ取ろう)。あるいは「存在性」と言っても良いと思うのだが、要はただの「ある」という様態がそこに残る/浮かび上がってくるのではないかと思ったものであり、そこで中核となるのがおそらく呼吸、及びそれと結びついた身体感覚ではないか。そして、「悟り」というか、ヴィパッサナー瞑想が目指している境地というのは、このただ「ある」の様態、「存在性」の様態を常に自らの中心に据えて自覚しながら生きる、というような生存のあり方ではないかと思ったのだが、この議論がどの程度確かなのかはわからない(國分功一郎が取り上げて最近とみに知られるようになっていると思われる、「中動態」というものと、このような議論はやはり関係があるのだろうか?)。
 その後のことは、メモを見ても大して思い出せないので、省略する。