前夜は久しぶりに夜更かしをして三時前の就床になった。それでこの朝は確か、七時頃にまた一度覚めたのだったと思うが、床に就く前に薬を飲んでいたのでこの時はそれに頼らず、呼吸を観察して非能動の状態に入ることで自ら寝付こうと試みて、成功したのだったと思う。そうして一一時二〇分頃まで眠った。覚めると、しばらく身体をもぞもぞと動かしながら起き上がる気になるのを待ち、一一時四〇分頃起床した。便所に行ってきてから、窓をひらいて瞑想を行う。近所のどこかから、何か建材のようなものを動かしているらしき物音が渡ってくる。
一七分座って正午を越えると、燃えるごみを持って上階に行った。ごみを上階のものと一つに合流させておく。(……)台所に入ると、前夜の残り物であるところの、マカロニと豚肉をトマトソースで和えた料理や、大根の煮物がある。また、菜っ葉の入った味噌汁があって、鍋の底のほうにやたらと豆が溜まっているから何かと思えば、これは納豆らしい。それらを温めるとともに、ハムエッグを焼いて米に乗せ、食卓に就いた。新聞は見出しをざっと追うだけで読むことはせず、誰もいない居間で黙々とものを食べる。
書き置きの傍には、この日がこちらの誕生日だからというわけで、小さな袋が用意されてあった。メモによればなかはハンカチらしく、父親に一枚置いて、二枚好きなものを取るようにと言う。見てみると、一枚はPOLO Ralph Laurenのものであり、もう一枚は良く覚えられない名前のもの、三枚目はBrooks Brothersというブランドのものだった。POLOを父親に譲ることにして、残りの二枚を自分のものとして、東の窓際の棚の上に置いておく。誕生日プレゼントにはもう一つ、シールで留められた青い紙の包みがあり、これはどうやら金らしい。二八歳にもなって正職にも就かず(今後も一生、正職に就くつもりはないのだが)、生活を諸々頼っている身でありながらそれに加えて金を貰うなどとは、実に決まりが悪いなと思った。とは言え、本当に微々たる、ほんの僅かなものではあるが、月々に金を収めてもいるので、そのうちからいくらかが返ってきたものと考えることにして、ありがたく頂戴した。
食事を終えて食器を洗うと、フライパンに水を張ってそれを熱しているあいだに、風呂洗いを済ませる。出てくる頃にはちょうど水が煮立っているので火を止めて、水をあけた上からキッチンペーパーで拭って掃除をしておく。そうして白湯を用意して下階に戻り、この日は大変に久しぶりのことだが、過去の日記の読み返しをした。二〇一六年一二月一一日と一二日のもので、もはや一か月分以上読み返しが遅れてしまっているわけだけれど、如何ともしがたく、ゆっくりやっていくほかはない。一二日の記事から、最近の関心に連なると思われる以下の記述を引用しておいた。
(……)瞑目して思念を遊ばせながら、立川までの路程が過ぎるのを待った。以前はこうした時間は、勿論音楽に耳を傾けていて、それがなくてはおそらく手持ち無沙汰になっていたと思うのだが、いまは退屈もない。それは一つには、周囲の様子を見回し観察して、日記に書くような具体性の欠片が転がっていないか探すということが可能になったからでもあるのだが、この時は特段それを心がけたわけでもなかったようである。代わりに自分の思考を観察して、物思いを遊ばせていたようで、それで退屈しないのはおそらく、どんな瞬間や時間であろうとも、内外に何かしら観察するべきものがあるという認識のあり方になってきているからで、その時間時間に自足することができていると言えるのではないか――この日の会話でもちょっと話したことだが、こうした観察と追認と気付きの実践は、日記を書き付けるなかで認識が繊細になり、世界の(すなわち時間の)肌理がより細かくなったことの帰結である――と言うよりは、両者は、実践と結果が相互に影響を及ぼし合い、相乗するようなものなのだが――そして、そうした認識のあり方は、ヴィパッサナー瞑想を行う時のそれと、似通っているようである。実際、生活のなかで何か印象深いことに遭遇し、それを実況中継のようにして脳内で言葉に落としこむ――すなわち、その場で「書く」あるいは「記述する」――時の頭の使い方と、ヴィパッサナー瞑想を行って、微細な「気付き」に言葉でもってことごとくラベリングしていく(数か月前からはそれもやらなくなって、おのれの知覚を自動的に追尾するような認識の仕方になっているが)時のそれとは、ほとんど同じであるように思われる。そういうわけなので、瞑想をたびたびやっていたのも、もしかすると世界の肌理を増すのに貢献したのかもしれないし、ヴィパッサナー瞑想を訓練してきた人の心持ちというのも、おおよそどんな時間であろうとも退屈することなく自足できるというものではないかと思えるのだ。世界の肌理が微細になる、認識の解像度が上がるというのは、勿論、差異あるいはニュアンスを見分ける能力が向上したということで、瞑想が精神疾患に効果があったり、あるいは全般的に精神に良い影響を与えたりするのも、神経的・生理的な効果はそれとしてあるにせよ、正確な観察力が磨かれることで、それまでは気付かなかった情報=ニュアンスを、明確に自覚的な状態で取りこむことができるようになり、それによって生のあらゆる瞬間が充足するということではないかとも考えられる(科学的・客観的な根拠がなく、まるきりこちらの主観的な体験に拠った推論だが)。先ほど記した、生の哲学としての西洋哲学と、東洋哲学の結節が可能なのではないかとの思いつきとは、こうした事柄である。
それで一時過ぎ、そこから間髪入れず、(……)が先日送ってきてくれていたメールの返信を読んだ。そうしてそのまま、それに対する再返信を綴りはじめたのだが、長くなってしまうので手短になどと言いながら、書いているうちに思っていたよりも長くなってしまうのが常で、これに結局二時間ほどの時間を費やした。綴り上げた返信を、以下に引用しておく。
(……)返信が大変遅くなってしまい、申し訳ありません。二〇一八年を迎えたということで、遅ればせながら、今年もよろしくお願いします。
返信を綴れなかったのは、この年末年始に不安障害の症状が高じて、いくらか統合失調症的な様相を来たすまでに至ってしまい、ゆっくりと落着いてお返事を考えるどころではなかったからです。本当に、頭のなかを言語が常に高速で渦巻いて止まらず、先のメールに記したものですが、「ほとんど瞬間ごと」の「解体/破壊と建設/構築」を往来する精神の運動をまさにそのまま実現したかのようであり、それによって発狂するのではないか、自己の統合が失われるのではないかという恐怖を体験しました。一時はどうなることかと思いましたが、今は薬剤をまた飲みはじめて、不安のほとんどない状態に回復していますので、ご心配なさらず。この間の経緯や、今次の自己解体騒ぎについての分析・考察も漏れなく日記=ブログに記しており、なかなか大変な経験ではありましたが(しかしパニック障害が本当に酷かった頃に比べれば、何ほどのことでもないのです)、そこからまた生み出された思考もあり、我ながら結構面白い体験をしたのではないかと思うので、関心が向いたら是非読んでいただきたいと思います。
丁寧で充実した返信をいただき、ありがとうございます。今しがた読ませていただき、色々と思うところや共感する部分もあるのですが、それらについて細かく述べているとまた無闇に長くなってしまうでしょうから、ここではそれは差し控えます。ただ一つ、取り立てて印象に残ったことに言及させていただくならば、(……)の返信のなかに現れている主題とこちらの最近の関心事に共通するものとして、「抽象概念の具現化」というものがあるのではないかと思いました。
言うまでもなく、意味や概念とは、所詮は意味や概念に過ぎず、この世界に実体として存在しているものではありません(この世界の物質的な様相だって実体的なものではなく、我々の認識機構が作り出した仮象に過ぎない、という議論もあるのだと思いますが、話がややこしくなるのでこれについては今は措きましょう)。本来は我々の頭のなかにしか存在しない概念というものにどのようなものであれ現実的な力を持たせたいならば、それを具体的な、目に見える形に具現化するというプロセスが不可欠です。こちらとしては、これが「芸術」と呼ばれる営みの役割の一つではないかと考えています。つまりは、この世には何か素晴らしいもの、「希望」なら希望が、あるいは「愛」なら愛が、実際に存在するのだということを説得的な形で示す、ということです(あるいは素晴らしくないものが、それでもやはり存在してしまうのだ、ということを示す、という方向での試みもあるはずで、それはそれでやはりこの世にあるべきなのだと思います)。
一方、(……)の返信のなかにも、例えば、「研鑽された系譜は、具体的な他者に宿り、魅力的な一人の人間の生き方として表出するのです」とか、「深い精神は身体に宿り、本人の自覚はともかく、一人の魅力的な教師として、他者を教える存在になるのです」といった文言が見られます。ここには明らかに、「体現」のテーマが観察されると思います。先のメールにおいて、最近こちらは、ミシェル・フーコーが晩年に考えていた「生の芸術作品化」のテーマに惹かれていると触れました。ある個人の生が芸術作品のようなものとなるということは、その人の生が洗練され、卓越したものとして形作られ、それによって何らかの概念を「体現」するということではないでしょうか? ここにおいて想起されるのは、もう二年と半年も前のことになりますが、New York Timesの記事で述べられていたCornel Westの言葉です。彼は明らかにこうしたテーマと同じことを語っていると思われるので、下に引用します。
(……)Yet, at the same time, we’re trying to sustain hope by being a hope. Hope is not simply something that you have; hope is something that you are. So, when Curtis Mayfield says “keep on pushing,” that’s not an abstract conception about optimism in the world. That is an imperative to be a hope for others in the way Christians in the past used to be a blessing — not the idea of praying for a blessings, but being a blessing.
John Coltrane says be a force for good. Don’t just talk about forces for good, be a force. So it’s an ontological state. So, in the end, all we have is who we are. If you end up being cowardly, then you end up losing the best of your world, or your society, or your community, or yourself. If you’re courageous, you protect, try and preserve the best of it.(……)
(Cornel West: The Fire of a New Generation, By GEORGE YANCY and CORNEL WEST, http://opinionator.blogs.nytimes.com/2015/08/19/cornel-west-the-fire-of-a-new-generation/)希望について語るのではなく、希望そのものに「なる」ということ。(……)の文脈で言えば、(……)が関心を持っていらっしゃるのはきっと、生存の様式そのものとして「哲学」をするということであり、「哲学」を体現し、ほとんど「哲学」そのものに「なる」ということなのではないでしょうか。それは別の言い方で言えばおそらく、「考えること」がほとんどそのまま「生きること」になるような生のあり方であり(こちらにおいてはそれは、「書くことと生きることの一致」として言い換えられます)、おそらくこの関心こそが、単なる「思想の歴史家と、そうした知性に群がる官僚」と(……)とを根本的に分かつ点であり、そして我々を結びつける接続点なのではないでしょうか。
そして、「生きること」の総体とは、一日ごとの「生活」の積み重ねとしてあるのですから、ここからは、毎日の生活をどのように形作っていくか、という問題が必然的に出来します。そうして、一日の生活をさらに細かく捉え、その日のうちの瞬間ごとの選択の集積、という水準にまで微分化して考えることもできるでしょう。ここにおいて、瞬間瞬間の自己を絶えず観察し続けることを目指すヴィパッサナー瞑想の方法論は、自己を高度に統御して洗練させることで、自分自身を最終的に「芸術作品化」していくための手法としての意義を露わに示すものではないでしょうか。
こちらとしては、(主に後期の)ミシェル・フーコーの文献に当たることで、こうしたテーマについての思索をさらに深めたいと思っています(そう思っていながらも、怠惰やら勤務やら色々なことにかかずらわって、読書が一向に進まない現実があるわけですが)。また、この主題体系のなかに、「差異」や「ニュアンス」というテーマをも、おそらく何かしらの形で接続できるとこちらは見込んでいるのですが、まだそのあたりは明瞭に見えておらず、今後の思考の発展を待ちたいところです。自分のなかで明確な形を成した思考は、その都度日記に書くつもりでいるので、気の向いた時にブログを覗いていただければと思います。
ほか、返信をいただいて一番強く感じたことは、仲間たちと対面し、あるいは横に並んで具体的な時空を共有しながら、日常的に思索と対話を交わす環境にいらっしゃることがとても羨ましい、ということです。勿論、妬んでいるわけではないのですが、しかしそうした環境は大変に楽しそうだなと想像し、自分もいつかそのような場に身を置けたらと夢想することをやはり留めることはできません。とは言え、今の自分の生活だって、読み書きを続けていられるのだから、そこそこ悪くないものです(と言うか、読み書きを続けることさえできれば、自分は概ねどのような環境でも、わりあいに満足すると思います)。こちらはこちらの場所で、目に見えたものや頭のなかに生まれた事柄を書き続け、自己の変容を続けて行こうと思います。
そうするともう四時である。さらに間髪入れずに、(……)が綴っていた日記のデータも貰っていたので、そちらを読み出し、四時台も後半になったところで作業を取りやめて上階に行った。
ひとまず、何かエネルギーを補給したかった。そしてその後に夕食を何かしら拵えるつもりでいたのだが、冷蔵庫を覗いてみても大した食材がない。おそらく買い物をして帰ってくる母親を待つようかとも思ったが、それでも冷凍庫に豚肉が保存されていたので、これを炒め、ほかに玉ねぎと卵の味噌汁でも作れば良かろうと当たりを付けて、先ほどと同様のメニューで食事を取った(炊飯器の米はもう固くなっていたので、皿に取り分けて、のちにラップを掛け、冷蔵庫に入れておいた)。ものを食べながら、卓の上、右手に、何故か古いアルバムがどこからか取り出されて置かれていたので、五つほどセットで箱に入っているそれらのなかから、一つ二つ取り出して眺めてみると、幼い頃のこちらと兄が家の前の道路で遊んでいる様子などが映っている。自分にこのような頃があったとは、まったく信じられないなと思った。また、若い頃の両親の姿もなかに映っている。ロカビリー気取りなのか、半端なリーゼントめいた髪型にサングラスを掛けた父親が、滑り台の上で幼いこちら(多分、まだ三歳かそこらではないか)を抱きかかえ、その後ろから兄も続いている、といった写真があり、そうしたものを見ているとやはり多少は感傷的な気分が催されるもので、自分は今、二八にもなっても一人暮らしをしたこともなく、まだ親元に置いてもらってあり、ただ読み書きばかりを自分の成したいことと思い定めて、社会的・経済的な能力に関してはとんと興味を持たず、金を稼いだり家庭を築いたりする能力に関しては無能そのものという風に育ってしまったけれど、本当にそれで良かったのだろうかなあ、母親はともかくとしても父親は、次男がこんな風に育ってしまって、残念だという思いを時には覚えたりもしないものだろうかなあ、などと不甲斐ないような気分が少々滲んだ。しかし自分がそんな風に、本当に殊勝な気持ちを抱いているのかと問うてみると判然としなくなり、ここからまた例の、自己の統合が緩くなったような不安を感じはじめて、頭のなかがぐるぐると回りだしたのだが、これにはコンピューターを長時間見つめながら言語を操り続けたこと、また薬剤の効果が切れはじめていたことが寄与していたのだろうと思う。しかし、不安を感じながらも自分は行動することができるぞというわけで、食器を洗ったあと、まずアイロン掛けを行った。するともう多分五時も過ぎていたと思う。外も青く暮れてきて、室内も暗いので明かりを灯してカーテンを閉め、次に米を新しく研ぎはじめた。この時、離人感めいたものがあったのだが、これは自分の場合、意識の志向性が脳内の言語に向かい過ぎてしまい、目の前の外界の知覚が希薄になることによって起こるようで、ホームポジションとしての呼吸に戻るべく、口から息を、細く音を立てながら吐くその動きに意識を寄せると、途端に目に入っている米だとかシンクだとかの実在感が回復したので、やはり呼吸に対する意識というものを訓練すれば、自分は何とかうまくやっていけそうである。そうは言っても、精神が落着かない状態に陥り続けていることは確かだった。(……)しかしそれはそれとして、母親が買ってきたものを冷蔵庫に収め、それから味噌汁を作りに掛かった。母親は寿司やらフライの類やらも買ってきていたので、それをおかずとすれば炒め物はなくてもよかろうと、汁物だけを用意することにしたのだ。玉ねぎを切り分けて湯に投入し、出汁と味の素を振ると、煮えるのを待つあいだに椀に卵を溶いておく。手持ち無沙汰になると、鍋の前に立ち尽くしながら呼吸に意識を向けて精神の鎮静を図り、適当なところで味噌を溶き入れ、卵も投入して完成とした。
その後、室に帰り、薬を飲んでおいてから歌を歌う。何曲も歌い呆けていると、身体が軽くなり、頭もすっきりとまとまったような感じがした。そうして、六時半頃から書き物に入る。一月一〇日の記事を仕上げ、一一日にも入ったが、途中で、まだ記憶の定かなこの日のことを先に綴ってしまおうと(定かに覚えていることを十全に綴るというのが、やはり楽しいのだ)一四日の記事に移り進めて、あっという間に八時である。瞑想をしてから食事を取りに行った。
食事は、白米に玉ねぎと卵の味噌汁、寿司(ネギトロ及びイクラの手巻きと鉄火巻を少々)、カキフライ二つに厚揚げである。食べているあいだ、そこに存在していることそのものに集中できないというか、やはり言語が脳内に湧き上がってくるのが気にかかって仕方がない、というようなところがあったようで、テレビは大河ドラマを映していたけれど、特に印象に残っていない(居間にいるのは母親だけで、彼女は炬燵テーブルに就いており、既に食事は終えて食器は空になっていたようで、父親のほうは自治会の会合に出かけていた)。しかし、厚揚げの滑らかな舌触りを美味に感じたことを良く覚えている。醤油を垂らしたカキフライや、その厚揚げとともに白米を食べ、食後には、こちらの誕生日ということで、父親が昼間に買ってきてくれたらしいコンビニのチョコレートケーキを頂いた(忘れていたのでここに記してしまうが、(……)からも誕生日おめでとうとのメールが届いていたので、いつの間にやら二八歳にもなってしまっているが、歳相応に精進したいとの返信をしておいた)。食事を終えると食器を片付けてそのまま入浴に行った。
入浴した頃には、薬剤もかなり効いてきていたのか、湯に浸かりながら自分の意識や感覚をあるがままに放置してリラックスしている、という趣があった。たびたび瞑目しながらゆっくりと時間を掛けて浸かり、出てくると既に一〇時前だった。室に戻って、瞑想を行う。この時も、呼吸をホームポジションとして据えるのだということは考えず、多方向に拡散して逸れていく思念の糸をそのままに放置し、遊ばせながらただ観察した。多分、それで良いのではないかと思う。言語が湧いてくるのが怖い、あるいは不安であり、ストレスであると言って、それを克服するには、やはり結局はそれをよく「見る」こと、殊更に見入るほどに注視するのでなくとも、受け流しながらも観察を働かせて定かに見ることのほかにはないのではないか、という気がしたものである。
そうして、日記の記述に取り掛かった。記憶の残っているものからというわけで、一一日、一二日のものはメモも取ってあることであるし後回しとし、前日、一三日の記事である。五〇分ほど進めて一一時に至ると、一度中断して上階に行った。と言うのは、会合に行っている父親が帰ってきたあと寿司を食うのかどうかわからないという話が先に出ており、もし食わずに余ってしまうのだったら翌日まで保たせるのも難しいだろうから、こちらが食べてしまうと言ってあったのだ。それで確認しに行ってみると、鉄火巻は食べたようで、手巻き(シーチキンとレタスのもの)が一つだけ残っていたので、それをいただいた。醤油を垂らして食っているあいだに、テレビでは、あれは何の番組だったのか、ロシアにおける「殺人マニア」のことが取り上げられており、長年に渡って何と八一人も(一人を除いてすべて女性)を殺したというから凄まじいものである。その後、母親が昼に食べきれず持ち帰ってきたサンドウィッチもあったので、それも食べてしまうことにして、電子レンジで熱して自室に持って帰り、付け合わせのポテトと一緒にプラスチックの楊枝で突き刺して口に運びながら、ふたたび日記を書き出した。ものを食べてしまうと容器を上階に運んでおき、白湯を注いできて、それを啜りながら一三日の記事を進めて、仕上げた頃には零時も間近になっていた。そこからさらにこの日の記事をここまで書き進め、現在零時九分に至っている。
そののち、歯磨きをしつつ本村凌二『興亡の世界史 地中海世界とローマ帝国』を読みはじめた。口を濯いできてからも、ゴルフボールを踏みながら読書を続け、じきにベッドに横たわって、眠気が兆してきたところで終いとした。一一五頁から一三三頁まで、時刻は一時半過ぎだった。ダウンジャケットを脱ぎ、戸口の横にある電灯のスイッチを切って、布団に潜り込む。入眠に苦労はなかった。