2018/1/16, Tue.

 七時になる前に一度覚めたのだが、その時、また心身が覚醒的になっていた。不安に冒されている感覚があったのだが、横たわったまま瞑想を試みて、多少和らいだはずである。それでも薬を飲んでふたたび入眠し、この日は長く寝過ごさずに、八時四〇分頃起床した。この時も不安感が拭いきれていなかったのだが、ともかくも便所に行ってきて瞑想をすると、いくらか心身が落着く。
 上階に行くと、母親はまだ出かける前だった。冷蔵庫から、ピラフや前日の汁物や牛肉の炒め物を取り出し、それぞれ電子レンジで温めて食す。新聞をめくったが、特段に興味を惹かれる記事は見当たらなかった。母親が出かけて行き、一人になった居間で食事を取るあいだ、やはり思考が勝手に回転するのが煩わしく、ストレスであるというような感覚があった。それに影響されて気が逸るようだったので、ともかくもゆっくりと、丁寧に行動しようと心がけつつ、食器を洗い、風呂も掃除する。そのあたりで、ホームポジションとしての呼吸ということを思い出して、そちらに意識を向けるようにしながら、ストーブのタンクを持って石油の補充に行った。玄関から出て勝手口のほうに回り、箱をひらいてポンプを稼働させる。待っているあいだ、あたりを見ると、空には薄雲があって地上に降りる陽射しは弱め、そのなかを細かな羽虫が飛び回っているものの、棕櫚の葉をちょっと揺らすだけの風でも身が震えかけて、春はまだ遠いように感じられる。タンクが満たされるのが遅かったので、石油の保存してあるポリタンクを持ち上げて、液体の流入を手伝ってやり、後始末をすると室内に戻ってタンクを機械に収めた。蕎麦茶を用意して下階に戻り、コンピューターを点けて、まず日記の読み返しをした。二〇一六年一二月一五日では、「裏通りを抜けて街道に出て、歩道を行っている時にもう一度見上げると、近くの電灯と高みの月とが一緒に視界に収まって、そうしてみると、街灯のほうには辛うじて、飾り気めいた金の色合いがはらまれているのに対して、その先の遠くで撒かれた月の明るさには、そのような和らぎは窺われず、病人の顔のような青白さの印象が眼裏に残った」という描写が少々良いかもしれない。一六日のほうには、「一番星がはっきりと輝く、暮れきった湖色の午後五時も、風が、吹き付けるというほどの勢いはなくて、道に沿って流れてこちらの身を過ぎていくだけでしかし、肌が震える冷たさである」という一文が見られ、「湖色」という表現が、「こしょく」と読ませたいのか「みずうみいろ」なのかわからないが、珍しいかもしれない。
 それから、数日前に発見していた「生きる技:ヴィパッサナー瞑想」(https://www.jp.dhamma.org/ja/art/)というゴエンカ師の講演録を読んだ。そして、インターネットをちょっと覗いて一一時、書き物に入った。前日の記事を仕上げ、この日のものもここまで記すと、一二時四〇分である。さらに、一月一二日の記事を書かねばならないのだが、疲れたのでここで少々休息しようと思う。
 そうしてベッドに寝転がり、腰をもぞもぞさせたり、脹脛を膝で刺激したりして心身を休ませる。そうしているあいだ、目を閉じているのだが、もう瞑目するだけで瞑想をしているような具合になり、閉じた視界が蠢くのが感じられ、時折り夢未満のイメージもそこにちらちらと現れる。そうして次第に頭のなかがすっきりしていった。起き上がるとまたインターネットで、ヴィパッサナー瞑想などについて調べるのだが、結果やはり、自分は言語を実体化しすぎているというか、仏教が「雑念」として退けるものに囚われすぎていたのではないかと思った。言語を操って文を作ることを毎日の営みとして定めた者としては必然的な結果かもしれないが、それで心身のバランスを崩してしまっては元も子もない。瞑想をやっているあいだも、自分の精神は多分、思念を観察しているつもりが、知らぬうちにそれらに取り込まれて、コントロールを失うような状態になってしまっていたのではないか。つまりは、言語に耽溺しすぎた、思考に淫しすぎたということだ。上のURLでその発言を読んだゴエンカ師も、観察の対象として「呼吸」と身体の「感覚」の二つを挙げているわけで、今後はこれらの身体的直接性に対する感覚を養って行き、身体性と言語性のあいだに良いバランスを保っていくのが肝要ではないか。
 そういうわけで早速身体を動かすことにして、運動を行った。各種の体操をしているあいだも、呼吸の感覚(自分が捉えやすいのは特に、空気が鼻や口を出入りする時のその「音」である)や身体の各部の感触を意識して行い、すると確かに心が静まって行く。三〇分ほど、音楽もなしに、外から聞こえてくる鳥の声に時折り耳を寄せながら身体を動かして、そこからまたここまで書いて時刻は二時直前である。
 食事を取りに行った。豆腐を電子レンジで温める一方、それとゆで卵だけでは物足りない気がしたので、カップ蕎麦を用意した。食べているあいだも呼吸や、あるいは咀嚼の感覚を見るようにしていると、蕎麦の麺がなかなか口触り滑らかで美味く、即席のカップ蕎麦ごときで美味を感じられるとは自分は何と安い人間なのかと思った。食器を片付けて下階に戻ると、歯磨きをする。同時にコンピューターを操作し、地元の図書館のホームページに繋いで、借りている本村凌二『興亡の世界史 地中海世界ローマ帝国』の返却期限を確認すると、一月二五日だった。二八日の会合に持っていくので、期限が来ないうちに忘れずに貸出延長手続きを取らねばと思っていたのだ。そうして口を濯ぐと、気分が軽くて良かったので、Oasis "Wonderwall"を流して歌いながら服を着替えた。そのまま"Rock 'N' Roll Star"も流し、すると三時直前、外出前に瞑想をすることにした。この時もやはり呼吸と身体感覚に意識を向け、一〇分間座ると上階に行く。居間のカーテンを早めに閉めてしまい、食卓灯も点けておくと出発した。
 まだ三時過ぎ、陽射しも豊富で、和やかな空気である。坂に入り、上って行きながらやはり呼吸を観察していると、次第に吐息の奥に引っ張るような感覚が生まれ、吸ってもうまく吸えていないような、ちょっと苦しいような感じになってきた。息を吸っても酸素を取り込めていない感じというのは実に馴染みのあるもので、パニック障害の最初期の症状の一つがそれだった(電車内では随分と苦しめられたものである)。それであの頃の感覚だなと思い出し、坂を上りきったところで一旦止まって、大きく一息つくと、それで問題なくなったので歩みを進めた。
 街道に出ると風が吹くが、日蔭のなかにあっても寒さというほどのものはなく、温暖な、穏和なというか、「温厚な」とでも言いたいような陽気である。表の道を進み、車の流れる姿や音に意識を傾ける。Oasisの"Hey Now"が頭のなかに流れていた。坂下の横断歩道で止まると欠伸が漏れて、視線を右手に向ければ、涙で霞んだ視界の遠くに山の、やはり陽射しを降らされて色の霞んだ姿が映る。工事中の会館跡を行きがかりに覗くと、地面は瓦礫というかごろごろとした石の塊が、しかしあまり上下に乱れて段を作らずに敷き詰められたようになっていて、その情景がちょっと目に残った。なかで作業をするショベルカーの車体が、光を薄く跳ね返していた。
 勤務中については特段に記しておきたいことはない。退勤すると駅に入り、電車に乗る。座らずに扉際に立って、一旦手帳にメモを取ろうとしたがやはりやめて、目を閉じ、頭のなかでこの日の生活を想起していくことにした。そうして最寄り駅に着いて降りると、夜気にさほどの冷たさがなく、むしろ密室から出て空気の動きに触れられた爽やかさのようなものすらあり、と見ているうちに突然正面から突風が来て、これにはさすがに少々寒かったが、しかしその感触にも鋭く固まる冷気が含まれておらず、拡散的な[﹅4]/横に伸びたようなものだった。
 坂に入っても風が続き、周囲の草木がひっきりなしにざわざわと音を立てる。ストールを鼻まで持ち上げて通ってから、何だか巡るような風の動きだったようなとその響きに思い、右手のガードレールの向こうの暗闇に静まった樹々に目を向けながら下りて行き、出口も間近になって首を傾けると頭上に、影になった裸木の枝振りと、その先に灯る星々が見える。オリオン座の真ん中の三星がしかし薄いな、と見ながら、こういうことなのだな、心と頭を静かな状態に落着けておければ、殊更に求めて書こうとしなくとも、書くべき事柄が向こうからやって来て、そこに自ずと言語もついてくるのだなと思った。やはり最近の自分は、言語が先走っていた、あるいは言語と同一化しすぎていて、常に頭のなかを言語が無秩序に暴れ回っているような感じだったのだろう。この日でどうも、そのあいだのバランスをかなり適したものに戻せたような気がする。
 帰ってストーブに当たり、身体を温めていると、母親が内科と整形外科に行ってきたと話す。そこからやり取りが始まって、(……)
 それで話しているうちに、九時四五分頃には帰ってきていたはずなのに、気づけば一〇時半に至っており、なぜこんなことに時間を使わなくてはならないのかという苛立ちを久しぶりに感じた。そのように精神が少々乱れていたせいで、食事を取っていても何だかあまり味が感じられないようだったので、呼吸と咀嚼に注視しながら心を落着けるようにした。食後、入浴した頃には気分は平静に戻っていた。リラックスした心地良さという感じではなかったが、非常に平らかに落着いてはいて、不安に脅かされている感覚もないので、どうも自分は大丈夫そうだなと思われた。湯船のなかで身体を停めると心臓の動きの生み出すあるかなしかのさざ波の反復だけが水面に残るその送り出しの、何だかいたいけなような、慈しみたいような慕わしいような情を淡く覚えた。
 風呂から出たあとも心身を探りながら、どうもほぼ正常に戻ったのではないかと感じられ、疲れというほどのものもなく、眠気も差してこなかったが、時刻は既に零時を越えており、アイロン掛けをしているうちにさすがに疲労感のようなものが滲んできた。自室に帰るとしかし、健康のほうにいくらか戻ったからだろう、やや夜更かしの気分になって、蕎麦茶とともに煎餅をつまみ、娯楽的な動画を眺めて時間を使った。一時半前までそうするとコンピューターを閉じて、歯磨きとともに読書に入る。本村凌二『興亡の世界史 地中海世界ローマ帝国』を、二時直前まで少しばかり読み進める頃には眠気が重く、消灯して床に就くとすぐに寝付いた。