明け方に一度、もう少し明るくなってから一度、それぞれ覚め、多分どちらの時も心身にいくらか硬い緊張感があったと思う。しかしこの朝は薬に頼ることなく再度入眠することができ、正式な覚醒は八時四〇分から五〇分頃となった。この時もまだ多少緊張感のようなものが残っていたが、寝床でじっとしながら呼吸や身体の感覚に意識を傾けているうちに、呼吸の感触から次第に固さが抜けて行ったようだった。
毎度の覚醒ごとに夢を見ているのだが、覚えているのは最後の覚醒の時のもののみである。場所は(……)のあたりとして認識されていて、坂を下って行くと、背の高い集合住宅が周囲に立ち並んでいるような雰囲気のなかに、一つ大きな建物がある。入り口が広く開け放たれており、食堂のような具合でなかには座席がたくさん並んでいて、実際人々がそれぞれに集っていたと思うが、体育館めいた印象もあったようである。なかに入って行き、周囲の会話が漏れ聞こえるのに、大学生らしいな、と判断する。そこから多分、この場所が大学の一施設らしいものと認識されて、集まっている人々も授業の合間の大学生となったのだと思う。
(……)と遭遇する。随分と久しぶりに会うな、という感じがあったが、この時の自分の身分が現在のそれとして認識されていたにせよ、大学生として思われていたにせよ、会うのが久しぶりだという感覚は現実に照らして正しい。(……)はバンドサークルに入っているようで、そのうちに周囲でちょっとした演奏が披露されてもいた(食事をしている人々を楽しませる余興、といった感じだったと思う。演目は、曖昧な記憶だが、何となくレゲエかスカ風のものだったのではないか)。それを眺める一幕がある。また、自分はこのバンドサークルに入会させてもらいに来たのか、それを見物しに来たかという立場だったらしいが、場所の隅で一人でギターを適当に弄っている時間があった。自宅で弾いているのと同じように、ブルース風にやってみたり、特に枠組みもなく雑駁にコードやフレーズを散らしたりとしていて、満足して演奏を止めると、バンドサークルの一員(先輩)らしい男性から、「スケール感」というようなことを通りがかりに言われる。要は、スケールをただなぞっているだけの味気なく機械的な演奏になってしまう傾向が強い、というような指摘だったようである。その後、(……)とまた何か話したり、初対面である女性の先輩も交えて何らかのやりとりがあったりしたのだが、そのあたりは忘れてしまった。
覚醒しても寒さのために一向に床を抜ける気力が起こらず、身体を丸めたまま時間が過ぎるに任せてしまい、九時一〇分くらいになってようやく布団をめくって外に出た。電気ストーブを点け、ダウンジャケットを羽織って背伸びをし、トイレに行く。用を足すと洗面所で嗽をして、室に戻って瞑想を行った。薬を飲んでからやったほうが良いのではないかとも思われたのだが、自分が大丈夫かどうか試してみようという心もあって、結局服用しなかった(そうして、現在正午に至ろうとしているが、この日は今まで薬を飲まなくても大丈夫なくらいに心身が落着いている)。天気は白い曇りであり、窓を開けると座って始めのうちは寒く、手も冷たいが、瞑想をしているうちに次第に身体が温まって行った。呼吸の感触が自ずと軽く、深くなっており、能動性を働かせずとも自然とゆっくりとしたものになり、吐いたあとも少々停止が入るような調子だった(そのように軽い呼吸をしているとしかし、段々酸素が足りないというような感じになってきて、何回かに一度、これも自然と、大きな呼吸が挟まるのだが)。また、ここ数日は瞑想をする時はいつも、頭のなかがいくらか乱れているというか、ごちゃごちゃしているような感じがあって、目を閉じているあいだにイメージの断片も良く見えたものであり、そうした混濁が瞑想を通してやや綺麗に片付く、というような様子だったのだが、この時は初めから意識は明晰に澄んでおり、呼吸をしながら意識が深いところへ潜っていくという感覚もあまりなく、幻覚めいたイメージも特段見えなかったと思う。
心身の落着きを探って、このくらいかなというところで顔や身体を擦り、腕を伸ばして目を開けると、ちょうど一五分が経っていた。そうして上階に行く。ストーブの前に座りこんで少々身体を温めてから、台所に入って、前夜から続く鍋料理を温め、フライパンで卵とハムを焼いた。新聞には芥川賞と直木賞の結果が報告されていた。別に誰が獲ろうとどうでも良いのだが、見てみると『おらおらでひとりいぐも』の若竹千佐子氏で、これは(……)も言及していたし、確か(……)もブログに感想をちょっと書いていた覚えがあって、(……)のほうでは確か、ヌーヴォーロマンを消化したというか、二〇世紀のそういう試みがあってこそ生まれたものなのだろう、みたいなことが言われていたような記憶が(まったく正確ではないが)あり、少々気になっていたものなので個人的にタイムリーと言えばそうである。芥川賞はもう一人同時に受賞したらしく、こちらはまったく知らない人と作品だったので、自分が現代日本文学の潮流から確実に遅れ、時代に取り残されていることを定かに認識した。直木賞には特段の関心はない。
読もうと思う新聞記事をチェックしたあと、ものを食べていると(母親はタブレットで昔のフォークじみた音楽を流しながら、炬燵テーブルの脇に寄って、アイロンを掛けるか何かしていた)、インターフォンが鳴る。母親が出に行って、受話器越しに何やら困惑したような風にやりとりをしていたので、何のセールスかと思えば聖書を配りに来たのだと言う。(……)
(……)
(……)
(……)蕎麦茶を用意して自室に帰った。この日の日記の記事を作成して、過去の日記の読み返しを始めた。二〇一六年一二月一七日の記事を見ると、八三〇〇字とか記されているので(以前は記事タイトルの横にその日の日記の字数を記録していたのだ)、たった一日のことに八〇〇〇字も綴っているんじゃねえよと面倒臭く思ったのだが、読んでみるとなかなか力の入ったと感じられる描写がいくつも見出されたので、下に引いておく(ブログにも当時、これらの部分を抜き出して載せたのだと思うが)。まず冒頭からして実に散文的に、周囲の物々を良く見ているなあと我ながら思ったものである。二番目の「星屑」のくだりについては、こちらはいかにも「文学的」で、かなり気取った感じもするけれど、まあそこそこ頑張ってはいるだろう。
「目覚めると、部屋にはまだ朝が満ちきっておらず、向かいの壁の時計は薄暗く沈んでいたが、針が六時半あたりを指しているらしいことが窺えた。はっきりとした寝覚めだった。左向きだった姿勢を、右に寝返りを打ち、カーテンをひらいてちょっと身体を持ち上げると、南の山の稜線が、橙色をうっすら帯びているのが見えた。五時間の睡眠だったので、もう少し眠りたかったが、身体を戻して瞼を閉ざしても、意識が確かな輪郭を持って冴えて、混濁の気配が欠片も匂わないので、もう一度寝付くことはできないと如実にわかった。それでも布団を抜ける決心が付かず、窓を眺めたり、狸寝入りのようにして意識だけは確かなまま、瞼を落としてじっとしたりしていた。空は、まだ控えめに、おずおずとしているような調子で、和紙のような淡さの水浅葱である。窓のすぐ外に残った朝顔の蔓の残骸の、窓枠に接したてっぺんのあたりに、昨夜は眠る前に床で読書をしながら風の音を聞いた覚えがあるので、明けないうちに飛んできたものだろうか、赤茶色の腹を晒した葉が一枚、引っ掛かっていて、輪郭のそこここにちょっとした尖りを作って平たいその姿が、気付いた時には大きな甲虫の一種のように見えて、瞬間ぎょっとした。しばらく視界を閉ざしてからまたひらくと、時計の針は七時を回っており、そのすぐ横の、扉の上には、山の端を越えて空に膨らみはじめた朝陽が、窓によって整然とした矩形に切り取られて宿り、萎びた蔓の影もそのなかに散り混ざっているのが、のっぺりと平坦に陥るのを防いで、いくらかの装飾となっている。光の通り道にはまた、卓上に積まれた本の小塔があり、真ん中あたりに三巻並んで挟まっている『フローベール全集』の、白い背表紙がさらに一際白くなっているのが目についた」
「(……)汁物と米もよそって卓に行った。新聞は、昨日の日露首脳会談の話題に大きなスペースを割いている。ものを食ったあと、それを読むのにもあまり身が入らずに、流れている連続テレビ小説のほうを見やって、視線がついでに窓のほうに行った瞬間に、先ほど母親が随分汚れていると嘆いたものだが、その表面に溜まった点状の埃汚れのなかの一つが、緑色をはらんでいるのに気付いた。それは、窓際に吊るされた水晶玉の反映が宿っているらしく、ほかにも緋色を帯びたものも見られて、こちらが顔の位置を移せば、それに応じて反映の度合いも変わる。ガラスを埋め尽くす汚れは陽に浮き彫りとなって、その一つ一つが白く締まって満ちるように艶めいて、例によって馴染みのイメージの反復だが、星屑の集合のように目に映り、宇宙の一画を切り取って縮小したかのようで、現実の夜空の表面は、どんな澄んだ藍色の時にもこれほど無数の輝きに満たされることなどあり得ないだけに、白昼の太陽のなかでのみ目に映る紛い物のこの星空は、それが紛い物であるがゆえに星天の理想的な像をいっとき受け持って具現化してみせるのだろう、本物よりもかえって、星屑という言葉を付すのに似つかわしいような感じがするのだった」
「布団を干そうとベランダとの境に立って、外を見やると、陽を受けて葉に白い覆いを被せている柚子の木の、その樹冠の横を、快晴で光が渡っているとはいえ確かに冴えた冬の空気のなかなのに、小さな蚊柱のようにして羽虫が集まり飛び交っているのが見つかって、あれ、すごい、虫が、などと、思わず腕を伸ばし指を立てて、その場にいた母親に知らせるという、まるで純真な小学生のような無邪気な振舞いを演じることになった。布団を持ったまま、それを干しに移ろうとせずに見つめていると、何の虫なのか知らないがその集団は、入れ代わり立ち代わり靄のように柔らかく形を変えて蠢いて、ほとんどただの点としか映らない一匹一匹が集まるとしかし泡の立ち騒ぎのようで、吹き出されて直後の、連なって宙に漂う細かなシャボン玉の粒を連想させるのだが、しかしこの極小の泡は勿論、いつまで経っても破裂して消えることはない。遠くでは午前一〇時の純な光に濡れた瓦屋根が、かすかに陽炎を立ててじりじりと揺動している」
「路上には陽が広く敷かれて、足もとから温もりが立って身がほぐれるように気持ちが良く、寒さの感触など感じられない。坂に入ると正面で、立ち並ぶ木と樹間に染みる空の青さを後ろにして、ひらひら飛ぶものがあって、ほとんど水平に、緩急を付けながら流れてなかなか落ちないそれが、枯葉とわかってはいてもあまりに蝶に似ていて、まさか本物ではないかと思わず目を凝らしてしまう。坂を抜けて表に出て、街道脇の歩道を行っていると、短い鳥の声が頭上から落ちて、見上げれば電線に止まったものがある。手で掴めるくらいの大きさの、薄白い鳥が、その腹を晒しているのをすぐ下から見たが、その先の空が甚だ明るくて、鳥の姿形のその細部がうまく捉えられない。目を寄せている鳥が飛び立って行ったあとは、自然と視線が空の高くに向かって、澄明極まりない青さに思わず周囲を見回してみれば、どの方向も果てまで何の瑕疵もなく清い一色が湛えられて、視線の抜ける広大さに、これは凄いなと遅れ馳せに驚き、高揚するようになった。そのなかに見つかった唯一の闖入物はと言えば、直上の遠くに、あれは飛行機だったのか、旅客機らしくはなく、むしろまるで、個人が操るハンググライダーのようにも見えたのだが、小さく白い物体が浮かんでいて、飛行機のように後方に軌跡も残さず、唸りも落として来ずに、たびたび見上げてもただ貼りつけられたように浮遊しているのに、本当に進んでいるのかと足を停めてみれば、確かにゆっくり、水に浮かんだように流れて行くのがわかった。裏通りに入ったところでふたたび、その飛行物の進む西の方角に目を向けてみると、しかし空には光が撒かれて濡れた布巾で擦り磨いたかのように艶っぽくなっているだけで、先の物体はもうどこにも見えなかった」
「途中で、本のページの上に、外を滑っていく建物の途切れ目から素早く射しこんだ昼下がりの陽が乗って、その一瞬に紙の表面が、埃が一面に付着したかのようになって、文字を読み取ろうとする視線を遮るのに、いまのは何だ、と不思議になった。それから、ふたたび陽の射しこむ僅かな時間を狙って目を凝らしてみると、紙の繊維が明るく温和な照射に浮き彫りになったものらしい。指先をちょっとずつ動かして紙の角度を変えてみると、陽の当たり方によって、表面の陰影が異なった模様を描くのが面白くて、その変幻に捕らわれて、文の続きになかなか戻れないような有り様である。ページを反らせば、繊維が伸びるようで、一面まっさらな、暖色混じりの白さに統一される。ところが窪みを生むように曲げると、途端に繊維の紋様が細かな蔭とともに明らかに浮かんで、その筋が文字の上に覆いかぶさって視認を妨げる。無数の引っ搔き傷のようなその緻密な構成は、石盤の表面に付されたそれに似通ったようでもあり、人間の肌の肌理を間近から眺めているような質感でもあった」
また、この一年前の日記を読み返していて気づいたのだが、読点の付け方が今よりも細かく、一文のなかでもフレーズを短めに区切っていると思う。そして、今こうして今日の日記を書いていても、自ずとそのようなリズムが戻ってきているのだが、これは過去の日記を読んだことに影響されたと言うよりも、それもこちらの心身の調子が戻っていることの証のように思われる。つまり、文を綴りながら同時に頭のなかに流れる独り言のリズムがゆっくりとして落着いたものに戻ったのだ。むしろそれで初めて気づいたのだが、ここのところ(この二、三か月、多分日記の書き方を記録方式に戻して以来)の自分の意識は、全体的に「気の逸った」ものだったのだと思う。脳内の独り言もかなり加速的なものになっていたようで、それは多分唯物的には、ドーパミンの分泌がやたらと促進されていたということなのではないか。
読み返しを終えると、インターネットをちょっと覗いてから、現在の日記を書きはじめかけたのだが、夢のなかでギターを弾いていたことを思い出すと実際にギターを鳴らしたくなったので、僅か一文だけ書いただけで中断して隣室に入った。そうして楽器を適当に弄り回し、三〇分ほどしてからコンピューターの前に戻ってきて、一一時半からまずこの日のことを記しだして、現在一時を回ったところである。書いているあいだ、雲に遮られながらも陽射しが仄かに明るんだ時間もあったのだが、今はまた曇天が強くなっており、雨も降ってきそうな冷え冷えとした空気の色合いになっている。
その後、前日、一六日のことも記したが、書き物の途中で心身の調子が乱れてきたので、あまり頑迷に堪えようとせずに、ゆっくりと緩くやっていこうというわけで、大人しく薬剤を服用した。そうして一六日のことを三三〇〇字ほど書き足し、完成させると、放置していた一二日の分に移るのだが、五日間も経ってしまったので当然のことだけれど、取ってあったメモを読んでみても記憶が戻ってこないので書くのが面倒臭くなり、この日はもうメモをそのまま日記としてしまおうと横着した。一三日以降の記事は綴ってあるので、これでようやくブログの日付を進めることができるというわけで、一二日から一六日の分を投稿し、そうして今は二時四〇分に至っている。薬を飲んだこともあって、三時間続けてコンピューターの前に留まり、キーボードを叩いていても、自分の心身は定かに静まっており、さほどの疲労も意識の乱れも感じない。
それから食事を取りに上階に行った。レトルトのカレーがあっただろうというわけでそれを食べることにして、鍋に湯を沸かしているあいだ、残り物である蒟蒻とイカの煮物を、調理台の前で立ったままつまむ。一方で鍋料理も温めており、十分煮立つと平鍋を持って、残った中身をすべて椀に注ぎ込んだ。そうして、既に沸いていた湯にカレーのパウチを入れておいてから卓に移り、加熱を待ちながら鍋料理を食べる。箸で具材をひとつまみすると、湯気が立ち上がって顔や目の至近を上り流れて行く。食べてしまうと台所に戻ってカレーを用意し、また卓に就いて食べるのだが、たかがレトルトのカレーごときに一口一口味わうように、目をつぶって美味いなと感じ入るようにしていた。
始末をしてから室に戻ると三時過ぎ、外出までにまだいくらか猶予があったので、読み物をすることにして、まずこの日の新聞を読んだ。「PLO「オスロ合意崩壊」 イスラエル承認 取り消し 米の仲介拒否」(六面)、「サウジ強権外交 苦境 ムハンマド皇太子主導 国内外から批判 米も「慎重に」」(六面)、「ロヒンギャ 2年で帰還完了 バングラ・ミャンマー政府合意」(六面)の三つの記事である。それから、本村凌二『興亡の世界史 地中海世界とローマ帝国』も少々読むのだが、段々と眠気が湧いてきていた。四時一〇分に至って読書を止めると、そのまま瞑想に入ったのだが、これも眠気にやられてぐらぐらとする有様で、一〇分間しか座っていられない。さらに続けて、なし崩しに姿勢を緩めて、布団を身体に掛けてちょっと休む形になってしまい、少々微睡むと四時四〇分になっているので、支度を始めなければと動きだした。Oasis "Wonderwall" を流して服を着替え、上階に行くと居間のカーテンを閉めて出発である。
二度目の食事を取った頃から雨が降り出していた。今は結構な強さでばちばちと傘を打つが、そのわりに空気に冷たさはあまりなく、身を貫くほどの寒気ではない。坂を上り、街道に向けて道を行くが、路面の各所に水が溜まっているので、電灯の黄色く照らし出してくれる僅かな道の盛り上がりを狙って歩を踏み、時折りは仕方なく流れるものを横切って渡りと、普段よりも左右に動く足取りとなる。街道まで来ると通る車のライトのなかに降雨が浮き彫りになり、光のなかがざらざらとした質感を帯びるとともに、雨粒の姿が露わになることで光線の範囲も明確になって、空間の途中に、ライトの上端によってくっきりと境が引かれているのが目に見えるのだった。飛沫を撒き散らす走行の音は烈しく、音の大きさのせいで車のスピードのほうも普段よりも速いような気がしてくる。道の遠くから来るものらのまっさらに皓々と白い二つ目が、路面に反映して車体の下方に伸びており、放たれたもとのほうよりも、反射した光のほうが厚くなっているので殊更に明るく目に映る。
裏通りに入ってしばらく行ったところで、先ほどよりも雨が弱まっていることに気づいた。表にひらく横道のところに掛かると、街道の車の騒がしさが伝わってくる。裏通りの路面はさしたる起伏もなく、水がそう厚く溜まるでもなく、あまり避ける必要もなくゆっくりと行くこちらの横を、男子高校生の集団が追い抜かしていく。
勤務中、読んだ資料にベケットの言葉が引かれており、正確に覚えていないのだが、「どのようなことでも、言語に移すとその瞬間にまったく違ったものになってしまう」というような言で、どちらかと言えば嘆きのニュアンスを含んでいたように思う。これは言語を操ることを己の本意と定めたものならば誰でも実感的に理解しているはずのことで、言わば言語の無慈悲さとでも言えるのかもしれないが、こちらがこの時思ったのは、しかしそれは同時に、大袈裟な言葉を使うならば言語の救い、言語の慈悲深さでもあるのではないかということだ。大きさも違う、性質も異なる、体験者に与える影響も様々であるこの世のあらゆる物事が、ひとたび言葉になってしまえば、言語という資格において等し並に並べられてしまう。その言語の平等主義を自分は好ましく思うことがある。つまりは、言語などというものは最終的には単なる言語に過ぎず、所詮は言語でしかない[﹅10]、そして物事を単なる言語でしかないものにしてしまえる、というのが一種の慈悲深さのように感じられることがあるのだ。自分でも何を言っているのか(と言うか、何をどう感じているのか)よくわからず、理屈として的の外れたものになっているのではないかという気もするが、そのように思うことはある。そのような、所詮は言語でしかないようなものにまさしく耽溺し、深くかかずらって生きることを選んだ作家という人種は、だからひどく倒錯的な人間たちなのだろう。
帰りは電車の発車が迫っていたので走って駅に入る。乗ると扉際に就き、最寄りで降りると雨は止んでいた。携帯電話を見ると、(……)からの誕生日祝いのメールが入っており、返信を考えながら階段を上る。木の間の坂に入ると、周囲の樹々から滴る雫の音が立って、ここだけまだ雨が残っているような感じがする。坂を出て曲がったところで、(……)が自宅の車庫の前に出て何やらやっていた。視線を向けていると、宅内に入ろうと向かう際にこちらに気づいたので、こんばんは、と挨拶を交わして過ぎた。
帰宅するとストーブの前で身体を温めてから、洗面所に行き、石鹸で手を丹念に洗う(インフルエンザが流行っているらしい)。着替えてくると食事、ナゲットやカキフライを細かく千切って、それとともに白米を食べる。テレビは多分『クローズアップ現代』だったと思うが、ドナルド・トランプ政権のロシア疑惑について扱っていたものの、音量が小さく、あまり集中して目を向けもしなかった。父親は寝間着姿でソファに座り、緩く脚を組んだ気楽な姿勢で寛ぎながらテレビを見ているその腹が呼吸で上下している。母親はこちらの向かいでタブレットを弄って何やら見ていた。
食後の入浴中は、湯に浸かりながら目を閉じて、メモ代わりにこの日の生活を順番に思い出していき、それに時間を掛けたので出た頃にはもう一一時半が近かったと思う(髭を剃ることもした)。蕎麦茶を持って室に帰り、夕刊(「パレスチナ援助 半額保留 米、国連難民期間への支払い」(三面)、「対北圧力 20か国一致 外相会合 非核化へ連携」(一面)、「年金受給開始 70歳超も 政府方針 選択制 額上乗せ」(一面))及びCatherine Wilson, Epicureanismを読んで、零時半前である。瞑想を一〇分行って、(……)そうして、二時半頃に床に就いた。