暗い時刻から例によって何度か覚め、そのたびに心身に恐怖感があったと思う。頭がまたぐるぐると回って落着かなくなっており、そのまま思念がコントロールできなくなり、発狂するのではないかという恐怖を覚える時間があった。しかし、寝床で呼吸に意識を向けていると、そのうちにわりあいに静まりはした。多分そこで時間を確認したのではないかと思うが、その時、八時二〇分頃だった。
脳内物質の作用なのか、夢をたくさん見るもので、その多くは忘れられながらも、断片的には記憶に残る。この日見たものは、これも自分の恐怖感が反映されていたのだろう、ホラーじみたもので、幽霊に襲われて殺されてしまう部屋があり、そこに泊まらねばならず、どのようにして難局を乗り切るか苦闘する、というようなものだった。当然、もっと細かな設定や曲折があったものの、それらは忘れてしまったのだが、夢のなかにいるあいだは多分実際に恐怖を覚えていたのではないかと思う。一方で、女性と同衾して心地良さを感じるという幸福な一場面もあった。
八時二〇分頃に一応覚醒したのだが、恐怖感の残滓があり、頭もまだいくらか空転していて、すぐに起き上がる気力が湧かなかった。それでまた呼吸を見つめたりして時間を過ごし、しばらくしてから身体を起こすと、ダウンジャケットを着て便所に行った。用を足して戻ってくると、まだ不安があったので、薬を服用してから瞑想を行うことにした。そうして座っていてもあまり落着かなかったようで、一一分間で切り上げている。そうして上階に行った。
洗面所に入って顔を洗う。食事には前夜の汁物がある。米はもう釜のなかに少なく、半ば固まったなかからまだ食べられそうな部分をこそげ取るようにして少なくよそり、卓に就いた。新聞をめくって記事を確認していると、母親が、窓の外に向いて声を上げる。見れば、先ほどまで晴れて光も通っていたところに、いつの間にか白い靄が大量に湧いていて、近所の屋根を越えた先は、川沿いの樹々も彼方の山もすべて煙った白さに包まれて見えなくなっていた。火事かと思うほどの靄の厚さだったが、窓に寄ってみると、霧の細かな粒が横波を成しているのがわかり、近間の屋根からも蒸気が湧いているのが見えたので、前日の雨で溜まった水気が、本格的に上りはじめた太陽を受けて一挙に蒸発したものらしい。
食事のあいだも起き抜けの恐怖感が尾を引いたような感じで、気分が抑制的になっているのを感じていたのだが、食器を片付けて風呂を洗う段になって、浴槽のなかでブラシを持って身体を動かしながら、そんなにいつも朗らかな気分でいられるものでもない、今はこの状態を受け入れ、また穏やかさがいずれやってくるのを待とうと考えた。そうして掃除を済ませると、蕎麦茶を持って下階に帰った。前日の記録を付けておき、過去の日記を読み返す。二〇一六年一二月二〇日と二一日だが、あまり仔細に読む気も起こらず、読み流すようにしてさっと通過して、それからこの日のことを書きはじめた。現在は一〇時二一分に至っている。覚醒時の不安や緊張、恐怖感についてはここのところ毎朝のようにあるわけだが、日中は比較的落着いており、目立った症状は起き抜けのそれのみとなっている。なぜ睡眠時、あるいはそこから抜け出した際に恐怖を覚えるのか、夢を以前よりよく見ることも含めて、脳内物質の働きがどうなっているのか気になるところだが、これについては面倒臭いので調べない。前夜はいくらか夜更かしをしてしまったので今朝の症状を招いたような気もしており、勤務から帰宅後の夜はやはりなるべくコンピューターには触れず、本をちょっと読む程度にして速やかに眠るのが良いのだろうと思う。
書き物のあいだにはたびたび欠伸が漏れて、ベッドに座っていたのだが、欠伸とともに後ろに手を突いて休まねばならないような状態だった。終盤になって外から母親の声が聞こえ、しばらくして部屋にもやって来て、柚子を採ってくれと言う。それで一七日の記事を完成させると部屋を出て、玄関から屋外に出た。家の前の日蔭にはまだ雨の跡が残っており、三月の陽気などと聞いたわりには風が冷たい。家の南側に出るとしかし日なたもあって、そのなかに入ると仄かな温みが心地良い。母親は、高枝鋏を持って柚子の樹に取り掛かっていた。それは我が家のものではなく、隣家の(……)の敷地のもので、実を採ってあげるかわりに我が家にもいただく、というような話がついているらしい。それで鋏を受け取って、棘のついた枝と枝のあいだをくぐらせ、実を収穫していく。一〇個ほどは採ったか、これくらいで良いだろうとなると仕事を終いとし、鋏を工具置き場に戻しておいて、屋内に帰った。
正午前だったと思う。昼食にまたレトルトのカレーを食べたいと思っていたので、米を新しく研ぎ、すぐに炊飯器のスイッチを押しておいた。下階に戻ると何となくギターに気が向いて、隣室に入って楽器を弄る。瞑目しながら、自分の手指が辿って行く指板上の動きが良く思い浮かべられたが、しかしだからといって特段素晴らしいフレーズが生まれ出るでもない。しばらく弾くと自室に戻り、運動をした。運動はおおよそいつも、最初に床の上で脚を前後左右にひらいて筋を伸ばしたり屈伸をしたりしてから、ベッドに移って下半身の柔軟運動を行い、その後、腕や腹や背の筋肉を刺激するという流れになっている。最後のものはしかし、筋肉を刺激するといってもトレーニングというほどのことでなく、ちょっと身体を温めたいという程度のもので、ヨガ的に姿勢を取って静止するというやり方で行っている。この日は空腹だったので、柔軟運動までに留めて、それから食事へ行った。
食事は、母親が食べたぺろっこうどんというものが余っていたので、湯を沸かしている合間にそれを煮込み、卓で食べながらカレーの加熱を待った。先ほど感じたはずの空腹感が、なぜかこの時には薄れていたのだが(運動をしたためだろうか)、問題なく平らげ、その後カレーも、辛くて水を含みながら食べた。天気はやはり晴れ晴れとしないもので、空は曇りに満たされ、前日と同じく雨が降りそうな空気の色合いでもあった。
室へ帰ると蕎麦茶を飲みながら、ここ数日の新聞から書抜きを行ったのだが、そうしながら強い眠気が頭にあった。薬の効果のせいもあろうし、眠りが足りず、その質が悪いせいもあろう。書抜きを終えると、音楽を聞きながらちょっと微睡むことで解消されないかと思い、ヘッドフォンをつけてBill Evan Trioを流したが、あまりどうにもならなかったのでベッドに移った。そうして、まだものを食べてあまり時間が経っていなかったので、枕にクッションを乗せ、上体を高くして仮眠に入った。
三時二〇分まで、ちょうど一時間ほど眠ったようである。そこからすぐに起き上がれずに、瞑想めいた微睡みを過ごし、四〇分になってから床を離れた。そうして、改めて音楽を聞く。Bill Evans Trio, "All of You (take 1)", "My Foolish Heart"、BLANKEY JET CITY, "僕の心を取り戻すために", "胸がこわれそう"(『Live!!!』: #3,#12)、Nina Simone, "I Want A Little Sugar In My Bowl"(『It Is Finished - Nina Simone 1974』: #5)である。眠りを取ったために頭がわりあい明晰になっていて、Paul Motianのシンバルの連打や、"My Foolish Heart"におけるシズルの残響の波打ちや、ブラシでスネアを引っ搔くサウンドを聞いているだけで気持ちが良いようだったが、しかしその後、音楽にあまりに集中しすぎるとまた頭がおかしくなるのではないかという懸念があって、全面的に没入することを妨げられた。
四時一五分まで聞いて、本を少しだけ読みながら歯磨きをし、服を着替えた。(……)
ともかくも出発する。天気はあまり良くないものの、確かに寒さはそこまでのものではなかった。坂を上って辻まで来ると、この日も行商の八百屋が来ている。(……)は老婦人一人と立ち話をしており、近づくとこちらを向いていた婦人のほうが気づいて会釈をしてくるので、こんにちはと声を掛けた。(……)は例によって、寒いから気をつけてねと声を掛けてくれるので、ありがとうございますと礼を言って通り、街道に出る。
歩いているあいだは思考が巡って、前日に勤務中に読んだ資料というのは長田弘の文だったのだが、それについてまた考えた。と言うのも、一七日の記事に書いたこととはまた別の部分として、『ゴドーを待ちながら』の最後の部分(とされていたと思うが、こちらはこの戯曲を読んだことがないので記憶が不確かである)に、沈黙とともに、「木だけが立っている」みたいな台詞があるらしく、長田はそこを引いて、「存在」だけが最終的なアイデンティティとなる、というような解釈を述べていたと思うのだが、これは先日こちらも考えた「悟り」の様態に繋がるのではないか、というようなことを思ったのだ。だからと言って特段新たな見方が生まれたわけではなく、細かな内容は重複するので、ここには記さない。
勤務を終えると例によって電車に急いで、最寄りに着くと帰路を辿る。帰ると着替えて、食事である。テレビは『クローズアップ現代+』で、食品の「スモールチェンジ」について取り上げていたが、あまり真面目に目を向けなかったので、特段の印象はない。入浴を終えると、コンピューターには触れず、蕎麦茶を飲みながら読書をして(新聞朝刊、Catherine Wilson, Epicureanism、本村凌二『興亡の世界史 地中海世界とローマ帝国』)、一時直前で眠気が満ちたので就床した。