例によって明け方に覚めたが、昨晩眠る前に、脚を丹念にほぐして血流を良くした甲斐あって、緊張感はさほどのものでなく、明確な神経症状らしいものも出ていなかった。しばらく自力で心身を和らげていたけれど、入眠できそうもないので、薬に頼ってさっさと寝付こうというわけで、スルピリドとロラゼパムを一粒ずつ服用した(この時、枕元の目覚まし時計を確認すると六時二〇分くらいだった)。それでふたたび横になったところが、それでもなかなかすぐには寝付けない。じっと身体を静止させて呼吸を続けていると、自ずと心身の感覚をも観察してしまい、瞑想のような向きになってきて、薬の作用も手伝ってかじきに意識が深いところに入っていく。手が麻痺するような、あるいはその感覚がなくなったような風になり、何らかの脳内物質が多く分泌されているのがよくわかる。ある境を越えると本当に、まさしく明鏡止水といった趣で心のうちがぴたりと静まっているのがわかるのだが、それは眠りに向かっていく寛ぎといった感じではなく、また同時に意識が鋭敏になっているから、ちょっとした家鳴りの音とか、起き出した母親が活動する音などが突然立つと、ややびくりと驚くような風になって心の静止が乱される。その揺れをもさらに観察して、ふたたび平静に復帰することもできるのだが、あまりこうした深い状態に長く入り続けてそれでまた頭の調子が狂っても困ると懸念されて、適当なところで瞑想状態を解除した。しかし、眠りに入ろうと目を閉ざすとまた自ずとそちらの方向に心身が導かれる。もう一度起きてしまって、眠気が湧いてくるのを待とうかとも思ったのだが、四時間程度の短い睡眠ではそれはそれで辛い。静止をしているのがまずいのだというわけで、ちょっと動きながらリラックスしようと、腰を左右に動かして床に擦りつけはじめ、そのあたりをほぐしていると、じきに欠伸が湧いてきた。これなら眠れそうだなと、ある時点で動きを止め、その後無事に入眠できたようである。
この日目覚めても目立った神経症状がなかった点で、自分はもう大丈夫そうだな、これから順調に回復していくだろうなという見通しが立った気がする。ここのところのこちらの変調というのは、統合失調症かなどと疑ったこともあり、実際そのような症状を少々呈しもしたのだが、結局はやはりパニック障害と、それに付随する自律神経失調症的な症状なのだと思う(と言うか、いわゆる自律神経のバランスが崩れたために、パニック障害的な症候が再発したのだろう)。つまりは今までに経験してきたことの反復なのであって(発狂に対する恐怖、というのは新しい要素だったが)、しかも過去よりも遥かに小規模な反復に過ぎず、その点大して恐るるに足らない。実際、過去の経験を思ってみれば、発症当初は一日の多くの時間をベッドで寝込んでいるような時期もあったわけで、その頃に比べれば今次は曲がりなりにも勤務に出続けることもできているのだから、まあ楽勝である(という強気な気分に、この時の寝床ではなっていたが、そのうちにまた弱気が出てくることもあろう)。
神経が乱れたのはやはり、コンピューターに向かい合いながらいつまでも夜を更かして起きているという生活が寄与したのだろうと思う(実際、最初の発症の時期も夜更かしばかりしていたのだ)。そこでやはり、少なくとも勤務日の夜、帰宅後にはコンピューターを点けず、なるべく早めに眠る生活を保ちたい。脹脛をほぐすことが効果的なのは、昨晩からこの朝の心身の状態で立証された気がするので、眠る前には一時間かそこら、寝床で脚をほぐしながら読書をする時間を確保するようにすれば良いのではないか(寝転がって本を読んでいるうちに身体が温まり、神経が調うのだから、これほど楽な話はない)。実際以前はそのような習慣だったような気がするのだが、それがいつの間にか途絶えてしまったのは、書き物を夜にやるようになったのが原因なのだろう。文を構築する方向に欲望が向かっていた頃に(つまりは(仮)のついていない「雨のよく降るこの星で」の時期)、日中はどうにも文を作ることに集中できず、深夜の静寂のなかでないとうまく書けないという風になってしまったのだ。今はもう文章を緻密に構築しようなどとはまったく考えておらず、気楽に、適当に書けるようになったので、こうして昼日中であっても日記を記せているし、外部的な要因で中断を余儀なくされてもほとんど苛立つこともない。
一一時五分に覚めはしたが、例によってすぐには起き上がれず、ベッドのなかでもぞもぞ動いて、二〇分頃になってから起床した。瞑想は寝床のなかでもうしたようなものなので、この起き抜けには省略し、上階に行く。母親がおり、食事はおじやだと言った。洗面所に入って櫛付きのドライヤーで髪を梳かし、顔を洗い、嗽をしたのち、食事を用意する。電子レンジのなかで鮭が加熱されているのを待ちながら椀におじやをよそって、それも同様に温めると、汁物とともに卓に並べて食べはじめた。新聞記事はドナルド・トランプ米政権のこれまでの総括が多かったようである。記事をチェックするだけして閉ざすと、母親が点けたテレビが『ドキュメント72時間』の再放送を流す(昨夜にもやっていたが、その時は良く見なかった)。熊手などを売る酉の市が舞台で、ものを口に運びながら何となく目を向けていると、デザイン事務所の長らしい六五歳の男性が現れる。一七の時から自力本願でやってきたという通り、実に自信のありげな、どっしりとした自負心に満ちたような語り口だが、その自恃には、幼少の頃から小児麻痺で脚が動きにくいところ、そうでない奴らには負けたくないというような跳ね返りの気持ちも含まれていたと言う。小学校の頃だったか、プールで泳いでいると脚がうまく動かなくなって死にそうになったが、それでも五〇メートルを泳ぎきったその時に、「人間死ぬ気になりゃ何でもできるな、と思った」と語るのを見て、あ、これは面白いな、と思った。個々の人間の人生観=物語の形成、つまりは己の体験をどのように解釈し、そこからどのような意味を引き出したかという語りは概ね面白いのだが、この人も、そうした物語を手短に語ってくれたのだ。しかし、この発言そのものはいかにも紋切り型の、良く聞かれるものであり、この人の語った内容のみがそのまま言語として[﹅9]例えば小説の頁を埋める活字になっていたとしても、それを読んだこちらはおそらく、少しも面白いとは思わないだろう(実にありがちな物語だとしか思わないはずだ。おそらく同じように、こちらが変換した言語[﹅2]を通じてこの日記を読む人々も、この時こちらが感じた面白さをあまり実感できないのではないだろうか)。なぜこの時、彼の発言=物語が面白かったかと言うと、それはやはり、それまでの数分に映った彼の身振り、動作、姿形、表情、語り口、声の調子、そういった諸々の周辺情報と発言が結び合わされていた結果なのであり、これらの周辺情報こそが小説でいうところのまさしく描写[﹅2]の領分であり、それによる差異=ニュアンス[﹅7]の付与に類比されるものだろう。それらの具体的な意味の網目[﹅5]のなかに置かれたからこそ、それそのものとしては凡庸極まりないこの発言が、具体的な重みと質感、ある種の説得力のようなものとすら言っても良いかもしれないもの(こちらがその言に説得されるという意味ではなく、この発言が彼の物語として確かに生きられている、ということを感じさせるような)を帯びるに至ったのだと思われる。こうした事柄を物凄く平たく言い換えると、例えばただ単に「愛している」と言っただけで相手に伝わるはずがない、ということなのだが、ところが不思議なことに、ほとんどただ単に「愛している」と繰り返すだけの、素朴とすら言えないほどの表現が、その「貧しさ」故に広く受け入れられ、流通しているかのように見えるのがこの世の中なのだ(全然良く知らないが、「メジャーどころ」のJ-POPなんかがその代表だろう)。
食後、風呂を洗って室に帰り、前日の日課を記録したのち、早速この日の日記を綴りはじめた。上の段落まで書いたところで一時間が経過して午後一時を過ぎており、身体もこごりだしている感じがしたので、ここで中断して読書に入ることにした。ベッドに寝転がって本村凌二『興亡の世界史 地中海世界とローマ帝国』を読み進める。ほぼ一時間でちょうど三〇頁ほどを読むと、二時を回っていたので上階に行った。母親は買い物に出かけており、洗濯物は既に入れられてあった。ひとまず腹にものを補給することにして、と言って米もないのでカップラーメンで良かろうと戸棚から取り出し、湯を注いだ。一方で小さな豆腐を冷蔵庫から出し、皿に移して電子レンジで二分間加熱する。熱しているあいだ、レンジの前で何をするでもなくじっと待ち、熱の力で下部がやや崩れて水気も漏れ出ているそれに、鰹節と麺つゆを掛けた。そうして卓に移って食事を取る。ものを食べるあいだ、ベランダに続く西の窓の曇った色が少々明るむ時間があるが、太陽の気配はまたすぐに絶えてしまう。
塩気が舌にひりつくスープもほとんど飲んでしまうと、ラーメンの容器や食器に始末を付けて(立ち上がって流し台のほうに行く際、外の道に薄陽が射して、アスファルトの上に一部、砂地ができたようになっているのを見かけた)、アイロン掛けを始めた。エプロンやシャツやハンカチの皺を伸ばしながら窓を見やると、この時はまた陽射しは薄れており、空に水色がまったくないではないが雲の多く含まれて希薄な色で、川沿いの樹々や山の姿を見る限り、空気もやや濁っている。しかし、明るく澄み切ったものでなく、フィルターを掛けられたようなその鈍い質感も、まあ悪くはないと思った。アイロンを掛け終えると、吊るされているタオルに手を出す。表面的には乾いているものの、湿り気が仄かに残っているのが感じられ、洗剤の匂いも嗅がれないが、今更外に出しても仕方なし、これ以上爽やかになるわけでもなし、と畳んでしまうことにした。その後さらに、下着や靴下なども畳もうとしたのだが、こちらはまだ水気が残っていたので、ひとまず吊るしたままにしておいた。
そうして白湯を一杯用意して、自室に帰る。日記を進める前に他人のブログを読むことにしてコンピューターに向かい合ったが、立った姿勢で読んでいるとどうも神経が刺激される感覚があって、頭が微かに揺らされるようであり、目も乾くようなので、椅子の上にコンピューターを置き、ベッドのほうに移って腰を据えた。読みはじめた時刻は三時七分である(そう言えば、食事を取っているあいだに時計を見て、そろそろ三時か、と思いながら直後に、まだ起きてから四時間しか経っていないのかと時間の流れが遅く感じられた瞬間があった)。読み物を終えると日記に掛かりはじめて、ここまで書くと現在は四時を回ったところである。これから、前日の分も綴らなくてはならない。
今現在、翌二一日の午後一〇時前を迎えているのだが、この日のこのあとのことは仔細に思い出せない、と言うか記憶を掘り起こすのが面倒臭いので、短く済ませることにする。記しておきたいことがあるとすれば、五時頃になって夕食に、肉と玉ねぎやエリンギなどの炒め物を作ったこと、ミシェル・フーコー/中山元訳『真理とディスクール パレーシア講義』の書抜きを終わらせたこと、音楽を聞いたこと(Bill Evans Trio, "All of You (take 2)", "My Romance (take 1)"、James Levine, "Maple Leaf Rag", "Scott Joplin's New Rag", "The Cascades", "The Chrysanthemum"(『James Levine Plays Scott Joplin』: #2,#4-#6)、Nina Simone, "I Want A Little Sugar In My Bowl"(『It Is Finished - Nina Simone 1974』: #5))、あとは、夜、また気持ちの落着かない時間があって、そこで例によってインターネットでヴィパッサナー瞑想などについて検索したのだが、その過程で以下のページや資料を見つけたということくらいである。
マインドフルネス認知療法
http://hikumano.umin.ac.jp/hosei/CBT7.pdf
瞑想(マインドフルネス)の注意点と危険性
http://hotrussianbabe.com/shinrigaku/archives/3494
雑念恐怖症の諸相〜森田療法の観点から〜
http://www.tuins.ac.jp/library/pdf/2008kokusai-PDF/00803otani.pdf
永井均先生のヴィパッサナー瞑想についてのつぶやきのまとめ~「不放逸は不死の境地、放逸は死の境涯」
https://togetter.com/li/652043