2018/1/25, Fri.

 寝付いてすぐ、二時頃に一度目覚めた。就床の際に室を暖かく保っておこうと、空調を二時間後に切れる設定で入れておいたのだが、それがまだ稼働している最中だった。ここではしかし、問題なくふたたび寝入り、次に覚めたのが例によって五時前だった。心身が緊張にまみれていた。何故なのかわからないが、神経の乱れというものはとりわけ眠りの最中に発現するらしい。以前も記したと思うが、パニック障害に罹患した初期の頃もよく、激烈な神経症状によって早朝に起こされることがあったのだ。もう慣れているので、呼吸に意識を向けて心身の感覚を落着けて、それから薬を服用した。しかし頭は冴えたままで、どうも入眠できない気配だったので、もう一旦ここで起きてしまい、本を読む時間を取り、そのうちにまた眠くなってきたら寝ようと決めた。そのような判断を実行できるくらいには体調が回復していたわけである。実際、薬を飲んだこともあり、かなり緩やかで落着いた心身の調子になっていたと思う。
 それで明かりを点け(外はまだ暗闇だった)、ストーブと空調を入れて、『後藤明生コレクション4』を読み進めた。「蜂アカデミーへの報告」である。頭は冴えていたはずだが、眠りが少ないためなのか、文をやすやすと、スムーズに通過しては行くものの、気づけばやはりその意味がうまく拾い上げられていないというような感じがあった。また、自生思考あるいは自生音楽も頭のなかにあったのではなかったかと思う。起き抜けには確か、これも随分と懐かしい曲だがJourneyの"Don't Stop Believin'"が流れていたのだが、それで不安になるということはなかった。
 六時を越えたあたりで、どうもこれはまた眠れるのではないかという感触が兆しだしたので、読書は六時一七分までとして消灯し、ふたたび眠りに向かった。確かこの時に、ヨガでいうところの「死者のポーズ」めいた姿勢を取り、ボディスキャンを行ったのだが、手がさほど温かく重くはなっていかないかわりに、ここ数日のように痺れたりもしないので、神経が調ってきているとの確信を深くした。少々時間は掛かったかと思うが。無事に寝付くことができて、その後二度目覚め、八時二〇分頃を正式な覚醒とした。
 五時に覚めた頃からあまり寒さを感じていなかったのだが、七時頃に覚めた時には、脚のほうに薄く汗の感触があったくらいで、身体が熱を持っていた。最後の覚醒の時もちょっと発熱した風になっており、また筋肉痛のような鈍い感覚が身体の各所にあった。それと似たものとして思い出されるのは、深呼吸を頑張りすぎていた時のことで、あの時はそれ以前から夜更かしが続いて身体が狂いはじめていたところに、交感神経を過剰に活性化させてしまって発作を引き起こし、それを起点としてさらに神経が狂っていったのではないかと今となっては推測するが、この時も、昨夜の束子摩擦で神経を活性化させすぎてしまったかとも思ったものの、交感神経だけでなく副交感神経のほうも調えられたようで、不安になるということはなかったし、呼吸の調子も自ずと、軽い感触でありながら深いものになっていた。それでしばらくすると床を抜け、背伸びをしてから便所に行く。戻ってくると、瞑想である。この時もやはり自生音楽があって、なかなか消えずたびたびそちらに意識が逸れてしまったが、不安は覚えず、心身の感触としても、ここ数日にはないほどにすっきりとまとまっていた。二〇分ほど座って、上階に行く。
 母親に挨拶をして、ストーブの前にちょっと座ってから(空は見える限り雲はなく、実に晴れがましい、澄んだ青さにひらかれており、窓の右上に位置する太陽から注ぐ光がその青さを覆って輝き、こちらの目にも眩しく落ちてくる)、洗面所に行き、顔を洗うとともに髪を梳かした。それからゆっくりと嗽をして、台所に出ると米のおかずが特段ないので、例によってハムエッグを焼くことにした。ほか、野菜の雑多に入った汁物とともに卓に就き、新聞をめくりながら食事を取る。新聞記事をチェックするだけはしておきながら、実際にはまったく読めていない数日が続いている。この時、見田宗介のインタビュー記事が載っていたのだが、それでこの人の名前が「みた・むねすけ」と読むのだと初めて知った(ずっと、「けんだ・そうすけ」だと勘違いしていたのだ)。
 食事中も自生思考があったと思うが、自分の行動やほかの知覚と比べてそれが殊更に際立って煩わしいということはなかった。呼吸の感触や、汁物の野菜を咀嚼する速度から自分の落着きが自然と測られる。食事を終えると皿を洗い、この日は忘れずに風呂洗いも済ませて、室から湯呑みを持ってきた。白湯を注ぐ前に、南の窓に向いて脚をひらいたり、伸びをしたりしたのだが、その時に見えた近所の一軒の屋根に積もった雪の層の、あれは木造家屋で周囲のほかのスタンダードな瓦屋根とは屋根の形が少々違うようだが、細かな襞を成してなだらかに傾斜した白さのまさしくうねり[﹅3]と言うべき感触を帯びており、まるで高級な布のように映るのが珍しく思われた。
 白湯を注いで室に戻ると、コンピューターを点して前日の記録を付け、早速日記を書きはじめた。そうしているとやはり、神経の疼きのような微細な感覚が身体のあちらこちらに生じるので、まだ油断はできない。ひとまずは早朝の寝覚めとその際の緊張感がなくなるかどうかが一つのポイントだろう。しかし、前日にも離人感的なものが少々生じて怖くなり、自生思考がぐるぐると回った時間があったが、これも結局は神経の乱れが自分に行わせているのだということを確信しつつある。だからやはり肉体に働きかけて唯物的な部分のバランスを調えることが活路になるはずで、昨夜から今日までの感触では、それには束子健康法が一番効果があるのではという気がしている。これを毎日、やりすぎることはないが、丁寧に実行していればそのうちに自然と心身が調っていくだろう。今回の変調は、そのような丹念な「自己への配慮」を怠ったがゆえの狂いだったと言うべきだろう。
 日記を綴っていると母親が掃除機を持って部屋に来たので、機械を受け取って床や机上や本の上の埃を吸い取った。それからここまで記し、現在は一〇時四三分である。それからさらに前日、二四日の記事も書き上げてしまうと、一一時二〇分になった。コンピューターの前に座り続けて頭が濁った感じがしたので、瞑想をして心身を調え、さらに運動に入った。tofubeatsの音楽を流して、三〇分ほど身体をほぐし、その後小沢健二の歌をいくつか歌った。

書き物。途中、番組タイトル調べる。ヴァージニア・ウルフ。彼女の病気を検索。自分と似ているのではと。統合失調症だとか、解離性障害だとか。それで調べて、不安になる。
寄り道してしまい、二二日を書き終えるのは二時に。わかったのだが、不安というものは徹頭徹尾自分自身が作り出している。実感できたように思う。思考によって、つまりは言語によって。思考をする限り、言語を操る限り、不安はなくならない。重要なのは不安に飲み込まれないということ。不安が来ても、呼吸などでコントロールできると知ること。
ただ、それは認知の方面。神経的な唯物的なものがあって、こちらの調整もしなければならない。と言うか、これがベースとして調っていなければ、落着いて不安に対抗することはできない。
自分の今のものとしては、思考恐怖、雑念恐怖のようなもの。思考のコントロール。あるいは、考えは考えに過ぎないと知ること。
食事しながらそのようなことを考える。お茶漬け、汁物、卵、林檎。思考を手放せるかどうか試してみる。わりあいにうまく行ったよう。
洗濯物。出しておいた。食事したのち、アイロン掛けして、たたむ。そして下階へ。日記とブログ読む。この頃には既に落着いていたよう。ブログ途中まで。神経症状出てきたので。身体が妙な感じに。額のあたりもぴくぴくしたり。
ベッドで脚ほぐしながら読書。英語。四時過ぎに終えて、ストレッチ。足の裏を合わせて股関節を伸ばすやつ。
歯磨き。現在に集中。先ほどの思考繰り返す。思考をよく見つめるようにする。