2018/1/22, Mon.

 やはり明け方に一度覚める。例によって、心身が不安と緊張にまみれていた。呼吸を観察すると、自ずとその感触が固く、浅くなっているのが感じられる。だからと言って特段に深いものにしようとはせず、ただ呼吸と身体の感覚に意識を向け続けているうちに、わりあいに落着いて、吐息が軽いものとなってきた。しかし、それでも容易には寝付けなさそうだったので、薬の力を借りるかというわけで起き上がり(この時だったか、時刻を確認すると、四時四五分頃だったと思う)、机の一角から紙袋を取ってベッドの上に薬剤を取り出す。暗闇のなかで種類を間違えないように、目覚まし時計を持ち、ボタンを押して薄いライトを灯して薬のパッケージに近づけ、きちんと確認してから服用した。そうしてまた布団のなかに潜ると、スルピリドドグマチール)が胃薬としての効果もあるからだろう、空の腹がぐるぐると動き、音を鳴らす。薬剤のおかげで緊張感は段々薄くなってきたが、かと言って眠気のほうは一向にやって来ず、それを待ちながら自ずとものを考えた。呼吸に意識を向けながら考えるという技術を身に着けられたようなので、この時の物思いは落着いたものであり、思考があるからと言ってストレスを覚えるわけではなかった。
 まず、このように不安に冒されている時間をも自分は丁寧に生きていきたいと思ったのだが、そこにおいて丁寧に生きるとはどういうことなのかと言えば、勿論、そこに生じている不安(によって導かれる身体感覚)をすら、よく感じ取るということである。しかしだからと言って、その不安に巻き込まれてはいけない。そのために軸足を置く足場、まさしく場所[﹅2]として、呼吸というもの(を中心とした身体感覚)があるのだが、それを常に己の根幹/ベースに据えることによって、能動性でも受動性でもないただ「ある」の状態、「存在性」とでも言いたいものが開示されてくるのではないか、というのは過去に記した通りである。それは、呼吸感覚こそが自分の存在の最終的な帰着先になるということで、これは考えてみればまるで当たり前のことであるというか、何しろ、呼吸活動というのは生命維持機能の根幹であり、呼吸がそこにある限り自分が存在していることは明らかだし、呼吸が(一時的にではなく恒久的に)なくなれば自分がもはや存在していないということもまた同様に明らかであるはずだ。したがって、例のデカルトは「近代的」と呼ばれるらしい「自我」の存在様態として、「私は考える、故に私は存在している」という定式を作ったわけだが、これを、「私は呼吸している、故に私は存在している」と読み替えるのがヴィパッサナー瞑想的なあり方ではないか(あるいは呼吸とはほとんど自動的な機能なのだから、ここに「私」という一人称の主体を持ち出すことすらことによると誤りというか、不正確なのかもしれない。「呼吸がある」ということそのものが、そのまま等しく「生」である、というような言い方のほうが良いのかもしれない)。
 こうした定式は上にも書いた通り、まったくもって当然の、言わば常識的な事柄であるはずで、ブログを通じてこの文章を読む方にもこちらの感じていることの内実が伝わるかどうか心許ないのだが、しかしおそらく、生を送るうちに我々人間は(様々な感情の働きや言語などに慣れ親しむことで)この当然の事柄についての実感/体感を失ってしまうのではないだろうか。例えば赤ん坊の頃などは、誰も自分の存在感として、ほとんど呼吸と身体の感覚しか持ち合わせていなかったはずで、ヴィパッサナー瞑想的な実践というのは、言わばそのような、人間としての(あるいは動物としての?)原初的な[﹅4]生の様態を幾分か取り戻そうとする試みなのかもしれない。
 呼吸を通じて現在の瞬間をよく感じ取り、しかし同時にそれに巻き込まれることはないというあり方を考える時に思い出されるのは、一昨日見つけた資料(http://hikumano.umin.ac.jp/hosei/CBT7.pdf)で読んだ仏陀の言葉であり、曰く、「見るものは見ただけで、聞くものは聞いただけで、感じたものは感じただけ、考えたことは考えただけでとどまりなさい。そのときあなたは、外にはいない。内にもいない。外にも、内にもいないあなたはどちらにもいない。それは一切の苦しみの終わりである」と言う。ここから考えるに、呼吸とは、物事への密着[﹅2]の術なのではないか。物事の内側に取り込まれることなく、しかしかと言って、それらを恐れて逃れ、殊更に距離を置くでもなく、外でも内でもないまさしく境界線上に立つこと[﹅21]、そのようにある意味で付かず離れず(「不即不離」とは仏教的な概念ではないか?)でありながら、境界線上における密着(と言うと、「付く」の意味合いが強くなってしまい、それは「より良く感じる」という側面を強調したい自分の心の現れだと思うが、むしろもう少し中立的な言葉でもって、「接触」とでも言ったほうが良いのかもしれない)の位置にあること、自分としては現在のところ、仏陀の言葉からこのようなことを考えた。
 眠りを待ちながらそうしたことを考えているうちに、母親がトイレに立つ物音が聞こえたのだが、かすかな困惑とともに時計を確認してみると、先ほどから一時間が経って六時近くになっていたので、自分はそんなに長いあいだ眠れずに過ごしていたのか、と驚いた。その後もなかなか、意識がきちんと沈んでいかず、寝ているのか覚めているのかわからないような状態があいだに挟まったのち、何とか一応眠れたようで、九時一〇分に目を覚ました。
 前日に書いた通り、もう敢えて座する瞑想を行わず、生活のなかで実践していけば良いのではないかというわけで、起き抜けの瞑想はやらなかった。伸びをしてダウンジャケットを羽織り、上階に行く。ベッドから抜け出した直後は大して寒くないと思ったのだが、居間に上がって行くとやはり寒く、あとで新聞を見れば最高気温は四度とあり、何でも雪が降るらしい(と言うか、一一時を回った現在、既に降り出している)。台所に立って、電子レンジのなかのホットドッグや、鍋の汁物が温まるのを待つあいだも、欠伸をすると身体が小刻みに震えるさまだった。
 食卓に就いてものを食べていると、母親が、携帯電話をこちらに差し向けて、画像を見せてくれる。(……)の妹である(……)はニューヨーク付近に住んでいるらしいのだが、そちらでは雪が積もっており、それでシャー・ペイ犬を模した雪像を作ったということだった(前日にはやはり、梟の模造も見せられていたのだが、そちらは羽根の襞も細かく表現されており、大した出来映えだった)。シャー・ペイ犬という犬の種はここで初めて知ったのだが、中国の犬らしく、皮膚が弛んでたくさんの皺を持つものらしい。母親はその後、それと似たチャウ・チャウ犬の動画を携帯電話で探し、閲覧していた。
 外は一面まっさらに白い曇り空であり、寒暖の差で窓が曇る。母親によればもうごく小粒の雪が降り出しているということだが、卓の位置からは視認できなかった。食事を終えると食器と風呂を洗い、一度下階に戻って湯呑みを取ってきて、ポットから白湯を注いで戻る(階段や廊下を行くあいだ、裸足の裏がひどく冷たい)。コンピューターを点けると前日の記録を付け、一〇時一五分から早速日記を書き出した。前日の分を早々と完成させ、この日のことを書いているあいだ、ふと背後の窓を見やれば、雪が本当に降り出しており、既に近所の瓦屋根の襞の合間にいくらか溜まっていたので驚いた。しかし、一一時半前を迎えている現在、降りは先ほどよりも細かく、かすかなものとなっており、そう積もる気配も見えない。
 その後、二一日の記事をブログに投稿し、久しぶりに何となくはてなキーワードを探っていると、自分のものと同じように日記形式で毎日記されているブログを発見し(「(……)」というものである)、ちょっと覗いてみて興味を覚えたので読者登録をした(こちらは極々一般的なブログ、何らかの明確な主題を持ち、それに沿って明確なタイトルを付した記事を並べているそれには基本的に興味が湧かず、自分のそれと同じように毎日の生活を題材とし、日付ばかりを記事の題として由無し事を綴っているものに専ら関心を持つ性質である)。それから自分のここ最近の記事も読み返したのち、脚をほぐそうというわけで読書に入った。『後藤明生コレクション 4 後期』である。前夜に読んだ冒頭の「『饗宴』問答」は、何だかんだ言ってもやはり不安に脅かされているようなところがあったのだろうか、あまり強い印象を覚える瞬間がなかったようなのだが、この時に読みだした「謎の手紙をめぐる数通の手紙」は、読み進めているうちに面白いな、と感じられた。手紙の前置きや余談/迂回が膨張しすぎていつまで経っても本題が見えてこない感じなど、もうわりあいに見知ったやり方ではあるものの、やはりこちらの好みではある。そのようなあたり、少なくともこの「後期」の後藤明生というのは、やはりカフカやヴァルザーの方面に近い書きぶりと言って良いのだろうが、まったく曖昧な印象批評ではあるものの、彼らほど「適当に」書いてはいないというか、言語の自走性に従ってぽん、と勢いで書いてみたという雰囲気の部分が散見されるようでありつつも、同時にそれらをうまく整地/舗装して流れを作り出している、というような感触もあって、天然さと理知性がうまく同居しているような印象を受けた。この篇はまだ二通目の手紙の冒頭までしか読んでいないのだが、最初の手紙の対話など大変面白く、笑ってしまうもので(「お話の途中、失礼ですが……」「は?」というやりとりの反復など、ヴァルザーの文章にもある反復技法を思い出してしまう)、後藤という人は、一篇目の「『饗宴』問答」の架空の問答についても、こうした「饗宴」ならばいつまででも続けられると書き込まれてあったけれど、多分本当に、このような「問答」をいくらでも書き続けられるような作家だったのではないか。
 一時一五分まで読んだところで切りとした。その頃には、先ほどは幽かなものでしかなかった雪が急激に降り増して積もりだし、景色を白く埋めていた。読書の途中に職場からメールが届いており、早めに出勤できないかとのものだったので、了承の返事を送っておいた。そうして上階に行き、食事を取る。朝のホットドッグの残りと素麺である。卓に就いて心を落着けて素麺を啜ると、非常に美味く感じられたので、自分はどうやら大丈夫そうだなとの感をここでも深めた。改めて窓外を見てみると、座った姿勢からは近間の道路は窓の下方に隠れて見えず、いくつかの家屋根と、樹々と川向こうの集落とその先の山が目に入るのだが、それらの景色の大方が空漠とした白さに籠められて、山の姿はまったく映らないし、川向こうの家の姿形も霞んでほとんど見えない有様だった。こんな調子では、長靴を履いていくようではないか、むしろ職場も完全に閉まってはくれないか、などと母親と交わしながら食事を取り、室に帰ると日記を書き足しはじめた。書き出してまもなく、携帯電話に(……)から着信があり、出れば、(……)やはり来てもらうようだとのことなので、長靴を履いて行きますと了承した。ここまで記して二時一六分である。
 その後、もう支度を始めることにして、歯を磨きはじめた。その合間に過去の日記の読み返しをするつもりのところが、自分のブログの最近の記事を読んでしまい、それで時間を使って、口を濯ぐと上階に行った。靴下を履く。テレビのなかでは高田純次が故郷の調布を訪れており、それを見やりながらちょっと体操を行ったあと、室に戻った。Oasisを流して服を着替える。それで三時直前、まだ余裕があったので歌をいくつか歌ったが、この時も気持ちを高めすぎないように、歌いながら自分の呼吸や身体の感覚を意識した。
 そうして上階に行き、外出の準備を締めくくる。長靴を履くとは言ったものの、実際にはそうする気にならず、ただ雪のなかを行って靴や靴下が濡れるだろうから、替えのものをビニール袋に入れてバッグに収めた。タオルも加えて出発である。家の敷地やその前の道路にも既に雪が厚く積もっており、道に出ると車の作った轍のなかを行く。坂に入る間際で振り向くと、白く染まった家々に、遠くの霞んだ景色のなか、すぐ傍の柚子の樹が白さのなかに黄色を加えており、見ていると電線から落ちた雪が樹に当たり、仲間を巻きこんでさらに落ちて行った。坂に入ってから右手を見れば、白く塗られた樹々のなかに川の水の動きは見えず、家屋根には、ありがちな比喩だがまさしくチョコレートの板のように四角く整然と雪が形を成している。上っていくあいだ、雪かきの音があたりから聞こえる。静かななかに、烏の声や、ぴよぴよと軽い鳥の鳴きがくっきりと立つのが、雪の降っているなかにも、と何か物珍しく思われた。
 街道に出ると、歩道に積もった雪はほとんど手付かずの厚いままで、先人が踏み分けたその足跡をこちらも辿るようにしてゆっくりと踏んでいく。前方に下校する女子中学生が見えたところで、北側に渡った。そうしてまた慎重に行くあいだ、歩を踏み出すたびに、足の裏の前方に重さが移る際、雪が踏み固められる音が鈍く、連続的に立つ。
 裏通りに入ると、車の通った跡を辿れるので、多少は歩きやすくなった。進んでいると女子中学生の二人連れが後ろから迫り、ふわふわで嬉しい、などと言いながらこちらを追い抜かして行く。見れば先を行くオレンジの靴のほうが、轍でなくてその外の白雪のまだ踏まれていないなかを敢えて踏み分け、白い靴下の上に素肌のちょっと覗く足を蹴り上げたりしている。中学一年か二年生だろうか、二人とも折り畳み傘の狭い守りの下に小さな身体を屈めるようにして足もとを向き、快活に進んでいく後ろ姿(リュックサックを背負っていた)を見るに、何て邪気がないのだろう、これだけでもう小説ではないかと思った。しばらく先でも、横道から入ってきたやはり女子中学生の集団が、道脇のちょっとひらいた敷地に集まって、何やらきゃあきゃあとはしゃぎ合っているのに、また邪気のなさを覚える。小学生くらいの年齢の子どもの無邪気そうに遊び回る姿は見慣れたものだが、自意識もおおよそ固まった中学生がそのように、ひとときであっても無垢なような様子を示しているというのは、何だか感動的ではないだろうか? 
 道は静かだった。足音や道端の家の雪かきの音、時折り裏路に入ってくる車の音など、さまざまな音が、雪が降っているというその響きがあることによって、それぞれくっきりと輪郭を立たせるようであり、その合間の時間も実に静かに感じられるというのは、どういう効果なのだろう。さらに進んで空き地に掛かると、一面白く埋められたそのなかに男児が二人遊んでおり、目を振れば女児の姿も二つあって、水色とピンクの傘をそれぞれ指した彼女らが白さのなかをゆっくりと、少しずつ横切っていくそのさまを真横から眺める視線になって、ここでも、これだけでもう映画ではないかとの感を得た。その場を離れながら、やはりこの世界そのものこそがこの世で最も豊かな映画、音楽、小説、そしてテクストなのだと前々からの考えを繰り返したのだが、これらの極々日常的でささやかなシーン/偶発事に、そんな風に殊更に感じ入ってしまって良いものだろうか? 
 ようやくのことで職場に着く。服の前面やバッグについた雪を払い、傘の雪も飛ばしてから扉をひらく(……)。(……)仕事は結局なくなったということだった。(……)ただの散歩になってしまった(……)が、色々なものを見聞きすることができたので、損をしたという気持ちはまったくなかった。(……)
 (……)帰途に就く。電車が出ているのか心配だったが、駅に入ると、遅れてはいるが動いているようだったので改札をくぐる。自販機でスナック菓子を二つ買い、電車に乗る。途上、外を眺めていると、樹々は雪を乗せて白く凍った像のようになっており、時折り乗ったものがなだれ落ちて白い幕を作っているのが見られる。最寄りに着いて降りると、ホームにも雪が大層厚く積もっており、ここを行くのがこの日の路程で一番難儀だったかもしれないというほどだった。足もとの雪は至る所からちらちらと煌めきを放っており、その上に降り続く雪片の影が舞い乱れるのだが、実のところ、それらのうちのどれが電灯に照らされた影なのか、どれが地に落ちる直前に揺動する実物なのかまったく見分けがつかなかった。
 普段下りる坂は車や人の通りもあまりないので、雪が多く残っているだろうと思われ、そちらを通る気にはならず、行きにも来た道を戻ることにして遠くへ回る。街道の対岸で雪搔きをやっており、「これからあとどんくらい積もんのかな」と声が聞こえる。進むとこちら側でもやっている人があるので、通り過ぎざまにご苦労様ですと声を掛けた。入った坂でも同様である。帰り着くと、靴のなかに新聞を詰めておく。時刻は五時半くらいだったようだ。
 ひどく空腹だった。日記の読み返しをしてから上階に行ったが、米がまだ炊けていなかった。卓で待っているあいだ眠くて、目を瞑ってしまい、じきに突っ伏して眠りを取った。起きると七時に至っており、米が炊けているので台所へ行き、炊飯器を開けて米をかき混ぜ、熱を逃した。ほか、鯖やカボチャに汁物をよそって卓に就く。呼吸を意識しながら、ゆっくりと食べるように心掛けた。テレビは『YOUは何しに日本へ?』を映していた。それを見ながらものを食べ、八時くらいになると風呂に入った。身体を労るようにして束子でゆっくりと皮膚を刺激したあと、ストールを洗った。洗面器に洗剤を混ぜて揉み洗いをして、濯いでから出ると、洗濯機に放りこんで脱水を行った。長く入浴して、既に九時頃だったはずである。そうしてエプロンにアイロンを掛けていると、父親が帰ってきた。電車が途中で停まっていたので、タクシーを使ったらしい。前に一〇人ほど待っており、後ろにはさらに並んでいたという話だった。
 室に帰ると一〇時過ぎから書き物を始めたが、どうも力が入ってしまい、すらすらと言葉が出てこず、記憶の細部を思い出そうと考えてしまうようだった。緊張感とも言うべき集中の感じがあったが、しかしそこに不安はないようだった。
 この日の残りの時間については特に覚えていないので、省略する。