2018/1/27, Sat.

 初めに覚めたのは四時二〇分である。だいぶましにはなったが、例によって心身の緊張があった。それをやりすごし、しばらく経ってから薬を服用する。そうして、腰をもぞもぞとベッドに擦りつけながら時間を過ごす。この動きを行うと、どうしてなのか緊張が緩くなり、神経が和らぐのを如実に感じたが、しかしなかなか眠りはやって来ない。六時頃になってようやく寝付いたらしく、最終的に覚めたのは九時前だった。頭には確か、藤井隆"ディスコの神様"が流れていた。
 瞑想はせず、上階に行く。母親に挨拶をして、鍋のおじやを丼に移し、電子レンジで温めて卓に就く。それで新聞記事をチェックしながらものを食べる。食事を取って下階に帰ったあとは、まず読書をした。時刻はちょうど一〇時、『後藤明生コレクション4』を二六〇頁の「ジャムの空壜」から読み出す。黙読ではなくて、音読をする、と言っても声をはっきり出すのではなくて口を動かして無声音を発するのだが、このようにしたのは、ずっと昔、パニック障害の症状が酷かった時代にやはり諸々インターネットで調べてしまうもので、その折、音読がセロトニン神経を活性化させて不安に良いとか見たのを思い出したからだ。当時もいくらか取り組んだのだが、その時は効果をあまり実感できず、続かなかったようだ。今はどうかと言うと、確かに何となく、頭が落着くような気はするので、しばらく本を読む時はこの方式でやってみるつもりである。前日もそのようにして読書に勤しみ、コンピューターをほとんど使わなかったこともあって、随分と久しぶりのことで一〇〇頁も読んだのだ。
 それで一〇時半まで読書をして、それから何をしたのかは覚えていない。医者に行くつもりだったので、一一時前になると電車の時間を調べ、すると一一時半頃のものがあったので、外出の支度を始めた。いつもながらのチェックのシャツに空色のジーンズを履き、カーディガンとモッズコートを羽織る。上階に行くと、母親は出かけているようで、玄関を出ると車がなかった。道を歩きはじめると、前方に(……)が、道に出ているのが見える。距離のあるところからちょっと会釈をして、家に続く細道に入らずに杖をついて立っているのに近づいて行き、挨拶をして少々立ち話をした。先のほうに、消防車が来ており、人もちょっと集まっているのが見えていた。それについて話を振ると、何だか良くわからないが、シートか何かが燃えたとかいう話である。誰かが火を点けたのか、あるいは太陽光線の反射の具合で発火したのか、真相は知れない。天気は澄みやかな晴れだったが、雪が残っていてまだ寒いですねと言うと、お祖母ちゃんの時も随分降ったね、という風なことを返してくる。こちらの祖母が死んだのは二〇一四年の二月七日だが、夜の九時頃に病院から故人の亡骸を運んで帰ってくるちょうどその道すがら、雪が始まり、翌日に掛けて大層降ったのだ。あれも四年前ですねと言いつつ、その一週間後の葬儀の時にも同じくらい降りまして、と当時の記憶を話した。順番は前後するかもしれないが、目的地を訊かれて医者に、と答えると、どこか悪いのかと続くので、精神科とかパニック障害とか言うのもこちらは構わないが、あちらには無用な気遣いを与えるかと気が引けて、ずっと前から持病のようなものがあるんですよ、と濁した。そうして、お寒いので気をつけてと別れ、進むと、すぐ先で今度は(……)が掃き掃除をしているので、挨拶をする。ここでも同じようなやりとりで、どこへと訊かれて医者へと答え、どこか悪いのかと言うのにも同じようにして濁した。
 消防車は一台、こちらが消防員や集まっている人々のあいだに入ると、パトカーがちょうど発っていくところだった。事情は窺い知れなかったが、過ぎて坂に入り、駅へと上って行く。駅へ入ればホームには日なたがあるものの、西から吹く風が大層冷たい冬の晴れである。やって来た電車に乗ると、席に就いて到着を待ち、降りると向かいに乗り換えた。
 (……)で降り、便所に寄ってから改札を抜けて、(……)へ向かう。やはりひどく冷たい風が吹き、身を刺されながら行くと、医者のビルの周囲にも雪が残っており、道に貼り付いてもいる。ビルに入って階段を上がって行き、待合室に入ると、結構先客が集まっていた。カウンターの事務員にカードを差し出し、室の角、ソファの端に就いて、『後藤明生コレクション4』を読みはじめた。ここでも、口の動きはほとんどなく、ほとんど口内で僅かに舌を動かすのみだが、音読のようにして順番を待つ。人数は結構いたのだが、診察室に入っても長く留まる人がおらず、思いのほかに早々と捌けていって、正午前に着いたところが、一二時二〇分には番が来た。ノックをして失礼しますと言いながら室に入り、医師に挨拶をして、椅子に腰を下ろした。どうかと訊かれるのには、まあわりあいに落着きまして、と笑みを浮かべながら応じ、ただ一番大きなこととしては、必ず早朝に寝覚めをしてしまうと言った。四時から五時頃と具体的な時間を言い、その時に必ず心身に緊張感があるなどと説明し、どうも早朝に神経症状というのが出やすいらしいと話したところ、医師は睡眠薬の処方をするかと尋ねてきた。どうしようかなと思いながらここに来たんですけど、と応じつつ、しかしひとまず、良くはなっているようなので、今のままで様子を見てみるという風に告げ、同じ薬を出してもらうことにして、室を後にした。
 会計を済ませるとビルを出て、隣の薬局へ行く。カウンター裏で立ち働いていた局員に挨拶をして処方箋を渡し、お薬手帳はと訊かれたのには、もう埋まってしまったので新しいものをいただきたいと頼んだ。そうして手近な席に就き、順番を待ったのだが、この日の薬局は常になく忙しかったようで、一旦外出していた人らが戻ってきてもちょっと待つような状態だったし、隣の老人などはそのようにして待たされるのに苛々したのか、途中、立ち上がってその場をちょっとうろうろとしていた。こちらは待つことはそう苦ではないから、落着いて本を読み、呼ばれるとカウンターに行って、前回も同じ人だったが、眼鏡の女性局員とやりとりをした。そうして会計をして、退出する。
 道に貼り付いている氷の上を、小学生の、まだ低学年の女児が前後に滑り、母親がそれをたしなめるように穏やかな呆れのような調子で声を掛けていた。こちらは道を線路のほうへ折れて、駅へと向かう。風がやはり大変に冷たく、身体をぶるぶると震わせたが、好天のためにこの時はかなり穏やかな気分になっていたと思う。駅を反対側へと渡ると、図書館に入る。特に何かを借りるつもりはなかったが、新着図書でも見ておこうかと思ったのだ。入館して、雑誌の区画をちょっと覗くと、『現代思想』の最新号が入っており、「保守とリベラル」と題されていたと思うが、手に取ることはしなかった。そのままCDの新着も見るが、特に興味を惹かれるものはなく、便所に行ってから階を上がる。新着図書は多少気を惹かれるものがあったのだが、メモを取っておらず、覚えていない。確認してから哲学の棚を見に行くと、ここに『脳はいかに意識をつくるのか 脳の異常から心の謎に迫る』という本があり、取って見てみると、「抑うつと心脳問題――精神疾患は、実のところ心の障害ではなく安静状態の障害なのか?」とか、「統合失調症における「世界‐脳」関係の崩壊――「世界‐脳」関係が崩壊すると何が起こるのか?」とか、こちらの身に迫る話題があり、その場で立ち尽くしたまま読んだ。じきに、書棚の横の席に移って、ほとんど憑かれるようにして読んだのだが、それは自分が統合失調症なのではないか、少なくともそれになりかけているのではないかという不安に衝き動かされたが故の行動であり、そのように不安に興奮させられた頭だったので、ゆっくりと文字を追うような心の余裕もなく、文をなぞる視線の動きも早くて、また専門用語もあって本がどういったことを言っているのか理解できない部分もあったし、内容もほとんど覚えていない。ただ、そこに載っていた統合失調症の例とか、抑うつの説明とかに、自分との類似点(例えばここで紹介されていた統合失調症患者は、前兆症状として、視覚や聴覚が相当程度鋭敏化していた、などという点である)を見出しては恐れ慄き、身を不安に浸していた。しかし結局のところ、この本では自分が統合失調症になりかけているのか否かわからないので、そのうちに落着いて読むのを止め、そうして退館に向かった。
 駅までの通路の上に残った雪から水が溶け出しており、注ぐ陽光に輝き、際立っている。駅に渡ってホームに入ると、陽射しのなかに入って正面からそれを浴びるのだが、胸に当たる光の感触がじりじりと、随分と熱く強く感じられた。
 電車に乗って(……)まで行くと、すぐには降りずにしばらく目を閉じてうとうととしていた。そこに発車を知らせるアナウンスが聞こえたので、急いで降りたが、それは向かいの番線の電車だった。電車が滑り出して行く横、ホームを中ほどに向かって歩き、自販機でスナック菓子を二つ買う。まもなくやって来た電車に乗り、最寄りへ至った。
 帰路に特段の印象はない。帰宅すると、母親が食べた煮込みうどんの残りがあったので、それをいただき、室に帰った。この時もまた、自分は統合失調症なのではないか、このまま行くと人格が崩壊したり、後戻りできない地点に至るのではないかという不安から、色々とインターネットで検索してしまった。以前も引用したサイトだが、まず下記にこのページを引用する。

◆ 初期の自覚症状
発症の初期によく体験される症状として、以下の様にまとめられます。(中安信夫著、初期分裂病より)。

1、 自分の意思によらずに、体験そのものが勝手に生じてくると感じられる。その中に、自生思考(とりとめもない考えが次々と浮かんできて、まとまらなくなる。考えが自然に出てくる。連想がつながっていく)、自生視覚(明瞭な視覚的イメージが自然に浮かんでくる)、自生記憶想起(忘れてしまった些細な体験が次々と思い出される)、自生内言(心の中に度々ハッキリした言葉がフッと浮かんでくる)等により、「集中できない」「邪魔される」と感じられる。
2、 自分が注意を向けている事以外の、様々な些細な音や、人の動きや風景、自分の身体感覚や身体の動き等を、意図しないのに気付いてしまう。そのことで容易に注意がそがれてしまう。「どうしてこんなことが気になるのか」と困惑していたものが、「気が散る」「集中できない」と感じる。
3、 どことなくまわりから見られている感じがする。この体験は人込みの中で感じられることもあるが、自室に一人でいる場合でも生じる。気配を感じることもある。
4、 何かが差し迫っているようで緊張してしまうが、何故そんな気分になるのか分からなくて戸惑ってしまう。緊迫が勝手に起こり、それに対して困惑するような症状。
 (第7回 「統合失調症の初期症状」; http://www.oe-hospital.or.jp/column/column7.html

 このなかで、一番と二番は概ね自分に当て嵌まるもので、昨日今日だと特に、自生思考よりも音楽が頭のなかに勝手に流れるという症状のほうが目立っている。四番も当て嵌まるが、これは、そのように頭のなかに勝手に思考や音楽が湧き上がってくることに対する緊張や不安であり、それによるストレスだろう。その基盤となっているのは、ドーパミンの分泌過剰なのだと思う。
 続いて、同じサイトの次のページを引用する。

 統合失調症の初期症状を、本人は違和感として自覚できるように、普段の自分にない状態を「病気ではないか」と判断できることを「病識」といいます。しかし、病初期にあった病識は、病状の進行により曖昧になり、結局消失することもあります。妄想等の激しい急性期症状への経過についてまとめてみます。
◆ 初期症状により「集中できない」等の違和感について、「何故このようなことが起きるのか」という意味を考えたり、「何とかしよう」と対処を考えても症状は消えないため、神経がすり減りひどい疲れを自覚することが多い様です。不眠などの睡眠障害も伴います。この段階では病識があります。
◆ それでもなお、普段気にならない周りの音や雰囲気、人の仕草に過敏になり、例えば「何か特別の意味があるから人は笑っているのではないか?」「何かのサインがどこからか送られているかもしれない」と疑い深くなります。集中しようとしても考えがまとまらず混乱し、徐々に病識は曖昧になります。
◆ この状態が続くことは本人にとって不安や恐怖であり、予期せぬことに備えて、人との接触を避け部屋に閉じこもりじっとしていることもあります。この状態を自閉といいます。また幻覚として、自分のことを言われる内容の幻聴なども出現します。このように自閉をすることは、自分を守るための手段であると考えられます。
◆ 何とかこの事態を納得させるために理屈を考えます。例えば「人が笑っているのは、自分のことが外部に漏れているからだ」と考え「部屋に盗聴器が仕掛けられている」と結論付けたりします。この状態で病識はなくなります。
◆ この状態で人に関わると「自分を馬鹿にしようとたくらんでいる」等と感じるため怒りっぽくなり、時に「追い込まれた」と感じ急速に緊張感が著しくなり、強い拒絶や興奮が起きてしまいます。
 (第8回 「初期症状から急性期症状と病識の変遷」; http://www.oe-hospital.or.jp/column/column8.html

 現在自分は、概ね一つ目の項目の段階に至っている。ここに書かれていることがかなりの程度で当て嵌まるので、自分は統合失調症なのではないかという疑問が解消されて、確かにそうらしい、ことによると統合失調症と呼ばれる疾患に陥っていたその手前まで来ていたらしいと認識され、それでむしろ落着くようなところがあった。気が狂うということを恐れてしまうというのは、年末年始の変調がややトラウマ化しており、あまり思考を野放しにしすぎるとまたあのようになってしまうのではないか、それ以上先に行ってしまうのではないかという恐怖だが、これは不安障害的な症状だろう。思考が生じてくること、自生思考がコントロールできなくなることに恐怖を抱いているわけだが、ある意味で、自分はこの不安によって気づかないうちに症状がこれ以上進行することを止められたのかもしれない。そうだとすると、皮肉なことに、不安障害的な性向によって自分はある種救われたとも言えるわけだ。
 しかし、まだ来ていないことを恐れてばかりいても仕方がない。自分がこの先発狂するかどうかなど結局は誰にもわからず、もしそうなってしまったとしても、それは自分にはどうしようもないことである。現実的に考えて、自分は今、肉体的な神経症状も大方収まって、日常生活を概ね問題なくこなすことができている。今現在の実際的な問題としては、うまく眠れないということがおそらく一番大きなこととしてあるだろう。これに関しては、睡眠薬を用いても良かったなと現在二八日の時点ではそういう気分になっているのだが、この日の医者では処方を断ってしまった。もう一つの問題としては、自生思考や自生音楽が気に掛かって不安になる、ということがある。これに関しては、まず、唯物的な要因としてドーパミン優位の脳をどうにかする必要がある。単純な対立図式になってしまうが、それにはセロトニン、あるいは副交感神経を活性化させることがやはり有効なはずで、その点、効果的なのはまずはおそらく運動だろうと思う。さらには音読もどうもやはり効果があるような気がしており、声を出して文をゆっくり読んでいると、明らかに頭が、悪い意味でなく重くなって来て、呼吸の調子も緩くなり、欠伸が出てきたりもするのだ。これはやはり、セロトニンが分泌されている証しなのだと思う。ただ、今日(二八日)の話になるが、今しがた一時間ほど『後藤明生コレクション4』を音読したところ(「大阪城ワッソ」及び「四天王寺ワッソ」)、途中まではリラックスしていたのだが(頭の重い状態で声を止めて、思考を確認してみても、自生思考や自生音楽は生じてこなかった)、終盤は頭が澄んでまた自生音楽が始まってしまったような具合で、これは多分、副交感神経が活性化されたのに拮抗して、その後、交感神経も活性化され、ドーパミンの分泌が促されたということではないのか。そのようにしてバランスが取られるのだと思うのだが、要は不安を感じず、自生思考もそこまで暴走せず、目の前のことややりたいことに集中できればそれで良いわけで、文を読む際には音読を行って、そのたびにセロトニン神経を活性化させるのは良い習慣ではないかと思う。そのようにして、全体的に今よりも落着いた頭になって行ってくれないかというのがこちらの望みである。
 また、意識の志向性が頭のなかの音楽や思考に向き、そこから離れなくなってしまうというのが煩わしい、あるいは怖いわけだが、これに対してはサマタ瞑想の技法が有効かもしれない。つまり、常に(とは現実には行かなくとも、折に触れて)呼吸に意識を向けるようにしつつ、頭が逸れて、自生思考や自生音楽が生じていることに気づいたら、また呼吸に戻すという方法である。ティク・ナット・ハン氏という仏僧がおり、彼は日常生活を送る上で常に「いま・ここ」に気づき続けるマインドフルネス=汎瞑想を提唱しているようなのだが、インターネットで調べた限り、おそらく彼もこのようにして呼吸(とそれと連動した身体感覚)をホームポジション的な位置づけとして置いているようだ。この人の本は、いずれ読んでみたいと思う。
 今現在の結論としては、このような地点に自分は至っている。こうした生の技法を続けていれば、自分は何とか、不安にも追い立てられず、また自生思考などの症状をこれ以上進行させることもなく生きていけるのではないか。
 日記を書くつもりが、そうこうしているうちに五時に至ってしまったので、上階に上がった。カレーを作ることにして、野菜を切り分け、鍋で炒める。煮込みはじめると母親に後を任せて下階へ戻り、『後藤明生コレクション 4 後期』を読んだ。音読をしているうちに七時を回ったので、上階に行くのだが、腹が減っていなかったので先に風呂に入ることにした。それで洗面所で服を脱ぎ、ぶるぶると震えながら浴室に入って蓋をめくったところが、湯が入っていない。スイッチを点けるのを忘れていたらしいので、湯沸かしのそれを押しておき、ジャージを着て居間のストーブの前に避難した。そうして身体を温めながら待っているうちに、やはり先に食事を取るかという気になったので、カレーをよそって食べる。テレビは、八時台から、出川哲朗が電気駆動のバイクを充電させてもらいながら各地を旅する番組が始まって、結構面白くそれを眺めた。出川のキャラクターもともかくとして、映し出される一般の人々の様子が、特に何ら際立った印象をもたらすわけでないけれど面白く、テレビ番組というのは基本的に、芸能人を映しているよりもそのあたりの人間を映しているほうが面白いのではないかとも思われる。
 その後入浴し、九時を過ぎて室に帰ると、日記を記した。二六日の分をノートから写して投稿し、この日の分も一一時過ぎまで書いたところで、この日はそこまでで切りとして、眠りの準備を始めた。コンピューターを前にしていたので頭が冴えていたような感じがしたが、歯を磨いてからまたちょっと音読をしていると、欠伸が湧いてくる。それで零時ちょうどに明かりを落として就床した。