2018/1/29, Mon.

 例によって深夜に覚めはしたものの、その時のことはあまり覚えておらず、その後、一応七時まで眠ることができた。上階に行くと、ハムエッグを焼いて、食事にする。皿洗いと風呂洗いをして自室に戻ると、またもや自分の症状が気に掛かって、こちらは解離性障害なのではないかなどと調べ物をしてしまった。解離性障害と呼ばれる症状でも、思考促迫や知覚の敏感さがあると言う。また、現実が現実でないような、あるいは自分が自分でないような感覚、いわゆる離人症も主な症状の一つとしてあるらしいが、自分にはこれが実際あるなとこの時はそう思われた。「解離性障害と芸術的創造性ー空想世界の絵・幻想的な詩・感性豊かな小説を生み出すもの」(https://susumu-akashi.com/2015/12/dd_creativity/#i-2)というページなどを見ていたわけだが、しかし、もうこのようなことに必要以上にかかずらうのはやめようと思う。結局のところ、人間の精神の形というのはそんなに単純に割り切れるようなものではなく、外から見てこれこれであると確実な診断を付すのは難しく、実際、統合失調症などは診断ミスが多いという話だが、それも当然で、ある一つの精神症状が色々な名前の疾患のどれにも現れる、ということもあるのだ。一度診断を付した精神が、その後変化するということだってあるだろう。自分の場合、時折り不安に襲われることはあるものの、概ね日常生活を問題なく遅れているのだから、もうそれで十分だと考える。
 インターネットを回ったあとは、読書をした。『後藤明生コレクション 4 後期』だが、この時、音読は無声音に戻していた。声を出すと、どうも頭を使いすぎるような感じがしていたからだ。読んでいるあいだ、気分はわりあいに良くて、やはり自分は、この現在に集中してそれを感じ、そこから得たものを綴って行きたいなと開き直るような気持ちになった。その後、そうした明るめの気分のまま運動に入り、tofubeatsを流して歌いながら身体をほぐした。
 一一時を過ぎると、久しぶりに日記の読み返しを行った。そのあいだ、廊下のほうから母親が呼ぶので何かと行ってみると、階段下の室でコンピューターを前にしており、なかに入っている写真を見たいのだということだった。ダブルクリックをするのだと実に初歩的な事柄を教えて、写真のファイルをひらいたあとは、これ全部いちいちクリックしないといけないの、と言うので、キーボードの矢印キーを押すようにと教えて自室に帰った。
 そうして日記を読んだあと、正午になると上階に行った。台所に入ると、大根の葉を炒めるかと母親が言うので了承して、ベーコンとともに切り分けて、フライパンで加熱した。ほか、スープやカレーパンなども合わせて食事を取る。テレビでは成田山新勝寺が取り上げられていた。昼食のあいだはだいぶ落着いた気分になっており、(……)。
 食後、立ち上がると、好天に惹かれてベランダに出たが、陽射しはあってもやはり風が冷たい。眼下の棕櫚の樹は葉を落としてすっきりとした姿になっており、畑の雪はほとんど溶けたようだった。食器を洗って自室に帰ったあとは、他人のブログを読んだり、またインターネットを回ったりして、一時から二時間も時間を使ってしまった。それから書き物に入る。二八日は外出の日だったが、やはり頻繁に思考というか妄想が湧いて、現在の瞬間に集中できていなかったのだろう、それほど記憶に残っていることがなく、一時間ほどで完成した。労力の面からすると、そのくらいコンパクトにまとまったほうが良いのかもしれない。
 外出の準備中は、無益な妄想を断ち切るためにヴィパッサナー瞑想の実況中継の技法を実行してみようというわけで、廊下から服を取って着るあいだも、「歩く、歩く」、「ボタンを付ける、ボタンを付ける」などと心中で呟きつつ、自分の動作を追うようにした。そうしていると確かに、不安は生じてこないようである。ここ数日で実感したことがあるが、不安というものは徹頭徹尾、自分の思考の働きから生まれてくるものである。要は、「~~したらどうしよう」などと考え、そのような考えを自分自身に差し向けることで、自ら不安を惹起しているのだ。そうした余計な思考=妄想が暴走してしまったのが最近のこちらなのだろうが、そこをヴィパッサナー瞑想の方法論で矯正していきたいと思う。
 身支度を整えると上階に行き、水を一杯汲んで薬を服用した。そこで電話が鳴り、母親が出たところ、(……)さんらしい。こちらは玄関のほうに出て、戸棚からマスクを一枚取ると、電話中の母親に行ってくると告げて出発した。
 道中、街道を歩いている途中に、不安が身に生じてきたが、これもちょっと経てば薄れていくのだと考えて呼吸に意識を戻し、やり過ごした。出勤のあいだも、呼吸や歩みに意識を向けようと試みたが、実際にはまた結構余計なことを考えてしまっていたようである。勤務中も、妙な妄想をしてしまい、自分がそれに従って突拍子のない行動を取ってしまうのではないかと心配したが、そのようなことはなかった。
 (……)
 そうして退勤し、駅に入って電車に乗る。目を閉じて休みながら到着を待ち、最寄りで降りると、ホームには真ん中あたりにまだ雪が残っていて、しかし降りた最後尾のあたりから階段のほうへ進むにしたがって、次第に乏しくなって行った。帰路の記憶は特にない。
 帰ると、母親は風呂に入っていたと思う。ストーブの前で温まるそのあいだも、呼吸や手を擦り合わせる感覚に意識の志向性を向けた。下階に降りて着替えをする時も同様である。上階に行くと食事、やや甘じょっぱいような鯖をおかずにして米を咀嚼する。テレビは『しゃべくり007』である。前半は阿川佐和子が出演していた。今まで二〇〇〇人以上もの人々にインタヴューを行ってきた阿川に対して、しゃべくりメンバーたちが札に書かれたお題を聞き出してみようという企画が行われる。有田哲平が趣旨を無視してひたすら一人語りで終わらせたのもちょっと面白かったが、白眉はやはりそのあとの堀内健で、始まりの何も考えずにものを言っているようなすっとぼけたような間からして面白かったし、そのあと、カラスの言葉がわかる、などと急に尋ねるのも訳がわからない。その後、カラスの声真似をして何を言っているのか互いに当てる、などというやりとりをしていたところから、突然お題の、嫌いな芸能人はいるかという質問に移ったのも脈絡がないが、カラス語で良いので、などと補足を付したのもさすがの瞬発力だった。
 途中、飲み会だったらしい父親が帰ってきて風呂に行ったので、それを待ちながら後半の、ゆりやんレトリィバァという女性芸人の出演回も視聴して笑い、最後まで見たのちに風呂に行った。出てくると、自室から布団のなかに入っていた湯たんぽを取り出して(数日前から用意して入れるようにしている)、上階に運び、薬缶で湯を沸かした。薬缶を火に掛けているあいだは、傍らに立ったまま、呼吸に集中するようにした。それで湯が高熱に沸いたところで、布巾を手と取っ手のあいだに挟んで薬缶を持ち上げ、湯たんぽに湯を注ぎ入れたのだが、その後、新たに薬缶に水を入れておこうと蓋を開けたところで、なかから昇ってきた高温の蒸気が左手の親指にまともに掛かってしまい、軽い火傷のようになった。じんじんと痛むのを流水でいくらか冷やしておいたのだが、現在、痛みも腫れもない。
 そうして室に帰って湯たんぽを仕込んだあと、眠る前に少々、と『後藤明生コレクション 4 後期』を読みだしたのだが、頭が重かったので、一五分ほど読んだのみで就床した。