2018/1/28, Sun.

 覚めると、二時半だった。また随分と早く寝覚めしてしまったなと思い、しばらく気を落着けてから薬を飲んだが、やはり眠れない。寝床で瞑目したまま過ごして、そろそろ一時間くらい経っただろうと思って時計を見るとやはりそうで、仕方がないので読書でもしながら眠気を待つかとなった。それで身体を起こし、『後藤明生コレクション4』を読み出して、一時間ほど経ったところでまた横になってみることにした。それでもやはり確かな入眠はできず、眠ったのか眠っていないのか良くわからないような時間を過ごし、七時に至ったところで、ひとまず起きることにした。上階に行き、ストーブの前に座っていると、父親が起きてきたので挨拶をする。しばらくしてからカレーをよそって食べ、皿を洗い、風呂も洗って下階に下りた。
 そうして、セロトニン神経を活性化させようというわけで、読書である。前日までは無声音でやっていたが、この時は小さく声を出して行った。途中からベッドのヘッドボードにもたれるようにして、曇り空から洩れてくる陽光を受けながら読む。そうして一時間半ほど読んで、一〇時前に至ると、運動を行った。呼吸を意識しながら柔軟をして、頭がすっきりとしたところで、眠りを補おうとベッドに仰向けになり、しばらく静止した。この時は、うまく意識の混濁というか、イメージの流れのようなものに乗っていけて、心地良い休息が取れ、目をひらくと一五分ほどが経っていた。
 その後、先に外着に着替えてしまい、インターネットをちょっとチェックしてから、日記を書き出して、二七日の記事を仕上げてここまで至ると、正午を回っている。
 一時頃に出発。最寄り駅から行こうかと思ったが、居間の壁の時刻表を見てみるともう間に合わない時間だったので、(……)まで徒歩を取る。この時には気分はわりあい落着いていて、何と言うか、いまここに生存している、もうそれだけで十分なのではないかという思いが湧いていた。歩きはじめてすぐ、風が林の木の葉を鳴らすのを聞いても、この音だけで十分なのだ、という思いが立った。好天ではあるが、風がやはり冷たかったと思う。裏通りの路面には、まだ氷が貼り付いている。駅まで来て電光掲示板を見ると、発車まで数分あったので、公衆トイレで用を足してから改札を抜けた。一番前の車両に乗り、席に就いて、目を閉じて到着を待つ。あまり眠れていなかったので、睡眠を確保しようとしたのだ。ある程度は眠れたようで、立川の手前で、もう過ぎてしまったのではとびくりとなって覚めた記憶がある。
 到着すると、人々が降りて行くのをちょっと待ってから自分も降り、便所に寄ってから改札を抜けた。時刻は既に、二時一五分頃になっていたと思う。喫茶店へ向かう。入店し、寄ってきた店員に待ち合わせをしていると告げて、(……)たちを探す。それらしい人が壁際の席に就いており、一人でコンピューターを弄っていたので、今日は(……)はいないのかとそちらに向かいかけると、横から声が掛けられて、それで勘違いに気づいた。テーブル席に就き、会合の課題書だった本村凌二『興亡の世界史 地中海世界ローマ帝国』を取り出し、しばらくしてから近くにいた店員にココアを注文する。
 本については、こちらはあまり印象に残ったことがなかったので、特段に話すこともなかった。(……)の印象としても、思っていたよりも柔らかく、さして掘り下げない概論的な本だった、というようなものだったらしい。(……)は、横文字の人名が覚えられないと言って、高校時代に世界史の授業で使っていたというレポート用紙を用いて、真面目な勉強のように項目をまとめてきていた。会話をしているあいだ、まず、喫茶店は結構混んでいたのだが、周囲のざわめきが耳を圧するようにやけに厚く聞こえて、知覚が過敏になっているのではと思われた。また、(……)らの話を聞きながらも、「くだらない」とか「どうでも良い」とか、以前だったら思ったはずもなく、また本心で思っているとも思われないような心の声が自動的に湧き上がってきて、それでやはり、自分は統合失調症的な精神になっているのではないかと思われて、気分があまり晴れなかった。四時半を前にして、会計を済ませ、書店に向かう。
 外に出ると、五時前でも空に青さが残っており、日が随分と長くなったようだった。駅舎横のエスカレーターを上がって広場に出ると、雪がまだ結構広く残っており、小児がその上で遊んでいるのも見られる。オリオン書房への道を辿り、入店して、海外文学の棚を見に行った。しばらく見たのだが、それほど興味を惹かれるものもない((……)が読んだというロベルト・ボラーニョの『チリ夜想曲』はちょっと読んでみたいが)。次回の課題書をどうするかと言いながら、今回は日本の小説でも取り上げるかと思い立って、それで芥川賞を獲った若竹千佐子『おらおらでひとりいぐも』を話題に出した。振り返った背後がちょうど日本文学の棚であり、平積みされているなかの端のほうに、件の本がある。また、同時にもう一人受賞した人がいたなということも言い、それも探して、反対側の端近くに見つけた。石井遊佳『百年泥』である。どちらもそれほど長いものではないから、これら二冊を合わせて次の会の課題書としても良いのではないかと提案すると、そのように受け入れられた。図書館ではきっと予約がたくさん入っていて借りられないだろうからと、ここで購入してしまうことにして、二冊を持ち、岩波文庫や哲学の区画をちょっと見てから、購入に行った。
 エスカレーターを下って退店し、SUIT SELECTの前を通ると、聞き覚えのあるモダンジャズが掛かっていたが、何の曲だか思い出せなかった(Hank Mobleyか何かではないか?)。駅に向かうあいだもやはり風が大層冷たく、ぶるぶると震えてしまう。(……)からは、喫茶店にいるあいだに、今日は飯に行くかと訊かれていたが、精神が不安定なので、今日は帰るつもりでいると断っていた。駅舎の通路に入ってもざわめきが厚い感じがしたが、先ほど、喫茶店にいる時よりは耳につかなかったような気がする。改札を抜けたところで別れの挨拶を交わし、発車が近くて人々が急ぐなか、ゆっくりとホームに降りた。端の車両に乗ったが、席が埋まっていたので扉際に就く。本を読む気にもならなかったので、概ね目を閉じて移動を待った。そのあいだ、次第に尿意が意識されてきて、不安を来たすかと思って見ていたところが、じわじわと高くなっては来るものの、突発的に盛るということはなかった。
 (……)で降りると、ホームを辿って便所に行く。用を足して出てくると、ちょうど乗り換えの電車が着くところだったので、たまには、と最後尾でなく一番前の車両に乗り、座席に就いた。ここでも本は読まず、目を閉じて休み、時折りひらいていま自分が電車内にいるのだということを確認するようにしながら発車を待った。最寄り駅からの帰路のことは特別覚えていないが、やはり寒さに苛まれたと思う。
 帰り着くと、父親の車はあるが母親のそれがなく、どこかに出かけているらしかった。無人の居間に入って家中の静かなことを感じると、今までの自分からは信じられないことだが、やはり精神が不安定なところがあるのだろう、一人でいることの寂しさのようなものを感じた。しばらくすると母親が帰ってきた。職場からたくさん貰ってきたパンを、知人のところに届けに行っていたということだった。それで食事を取る。
 食事のあと、すぐに入浴した。束子健康法を行ったが、丁寧にやりはじめて幾日か経ったので、段々とあまり効果が感じられなくなってきているように思われる。しかし、なおざりにするのではなくて、これからも丹念に続けていくつもりである。入浴後は、頭に疲労感があって、今日は眠れそうだなという感じがしていた。それにしても九時に眠るのでは早すぎるので、もう少し時間を使おうということで、『後藤明生コレクション 4 後期』を読み進めた。ここでも声を出して音読をしたのだが、そうすると余計に頭が疲労して行くのがわかり、少々ふらつくような感じにもなってきた。それで、九時五〇分で読み物は打ち切り、上階に行って湯を沸かし、湯たんぽを用意すると、室に帰って早々と就床した。