一度覚めた時に時計を見やると二時四〇分で、毎日驚くほど正確だなと思った。薬を飲んで九時まで眠り、ボディスキャンをしてから起き上がる。上階に行くと、外は雪景色である。立ったまま居間の南窓を見通すと、川沿いの樹々が雪を施されて、白さが樹々の合間に差し挟まったために遠近の境が曖昧になり、全体としてボリュームを増したような風に見えた。朝食中は、あまり気分が晴れなかったようである。
一〇時半から正午過ぎまで、読書をしている。トリスタン・グーリー/屋代通子訳『日常を探検に変える ナチュラル・エクスプローラーのすすめ』である。途中、白い空に太陽がうっすらと見えた時間があった。音読をして気分が少々明るいようになり、その後、運動である。
そうして昼食へ。確かこの時は煮込みうどんを食べたのではなかったかと思うが、ものを食べると副交感神経が働いたのか、穏やかな気分になった。芸能人の女性たちが格安の着こなしを競う番組を眺め、食後、炬燵で休んだ。その後、外へ。隣の(……)宅の入り口の階段を掃除しようというわけで、母親と一緒に雪搔きを行った。母親は塵取りを使い、こちらは大きなスコップ型の雪搔きを操って、段の上の雪をすくっては、階段を上り、道に出て、林のほうへと投げ捨てて行った。(……)の家の階段を掃除し終えると、その後、自宅の前もいくらか綺麗にする。合間、母親は駐車場の隅で、濃いピンク色の手袋を付けた手で雪をぺたぺたとやって、不格好な雪だるまのようなものを作っていた。その子どものような様子、また、目を向けると返されてきた笑みに、何かちょっと心が和むような気持ちが湧いた。
室内に戻ると、二時半になっている。自室に帰ると、やはり自分のいまの状態に対して不安が抜けきれないのだろう、ヴィパッサナー瞑想や認知行動療法について検索してしまい、それに時間を費やして、書き物をする時間がなくなった。二〇分だけ前日の日記を記すと、外出の支度に入る。上階に行って、豆腐を温めて食べた。この頃には、川沿いの樹々の雪がもう溶けてなくなっていたので、あまり大した降雪ではなかったと言えよう。
家を出発すると、林のほうから、梢の雪が落ちて竹の葉を掠めて鳴らし、また地にも連続的に当たる音が立つ。姿は見えなかったが、烏が樹冠のほうで鳴き声を降らしていた。坂を上っているあいだにも、脇の林から雪の落ちる響きが続く。
裏通りを行きながら、空き地にふたたび敷かれた雪のまっさらな白さに目をやっていると、反対側から激しい猫の鳴き声が立って驚いた。見れば、自動車整備工の敷地に、二匹の猫がいる。一匹は細めのもの、もう一匹は相対的にやや肥えたように見えるもので、細いほうが何かやたらと地面に寝転んで身をくねらせているその周りを、もう一匹が回っていた。
この日の勤務中は、何か気が逸っていたと言うか、不安があったと言うか、落着かずに時間が過ぎるのを待つようなところがあったようである。終わると、もうすぐに帰れるからというわけだろう、一応落着いて、電車が入線してくる時間まで待ち、退勤すると駅に入った。
帰るといつも通り、ストーブの前に座って身体を温めるのだが、そうしているうちに父親が帰ってきた。アイスを買ってきたと言う。これはあとで食後にいただいたのだが、濃厚な味の美味いもので、食器を洗っている父親と並んだ際に、礼を言っておいた。夕食は鶏肉とグラタンを混ぜたような料理だった。
入浴を済ませて室に帰ると一一時半頃、眠る前に少々本を読もうと思ったが、意識を保つことができず、いつの間にか時間が過ぎており、零時半になって諦めて就床した。