目を覚まして時計を確認すると、二時になる前で、普段よりも覚醒が早かったが、これは上階でまだ起きていた父親の立てる物音で目が覚めたらしかった。この日も薬を飲まずに一応寝付き、その後しかし、六時頃からは正式に入眠することはできなかったと思う。一〇分か二〇分かそこらの微睡みくらいのものはあったようだが。ボディスキャンと言うか、死者のポーズ的なものも何度か行いつつ、八時半頃に起床した。
起床時には、比較的穏やかな気持ちだったと思う。上階に行って母親に挨拶し、前夜の餃子の残りや、サラダを用意する。新聞は書評面(若竹千佐子『おらおらでひとりいぐも』が取り上げられていた)をちょっと見たのみで閉じ(最近は新聞記事を読む気が全然起こらない)、呼吸をゆっくりとしながら餃子を米と合わせて咀嚼する。母親はじきに、(……)出かけて行った。それで、飯を食っているあいだだったか、もう食べ終えて一息ついている時だったか、電話が鳴ったので取ると、(……)ですけれど、(……)いる、と覚えのない名前と声が聞こえる。困惑していると、祖母の命日で(……)が来ていないかとか何とか訊いてきて、今日あたり来ていれば、沢庵をあげようと思って、とか言う。それで電話の相手がわかった。我が家との関係は良く覚えていないが(確か(……)の妹だったか?)、折に触れて漬物をくれる高年の婦人がいるのだ。(……)は六日に来るという話だったと思うが、母親は漬物にはもう辟易しているだろうから、確定的な日時は伝えずに詳しく知らない風で濁し、伝えておいてくれと言うのを了承し、礼を言って切った。そうして食器を洗い、自室に帰る。
時刻は一〇時頃である。三〇分ほど娯楽的な動画を眺めたのち、一一時前から読書に入った。トリスタン・グーリー/屋代通子訳『日常を探検に変える ナチュラル・エクスプローラーのすすめ』である。読書のあいだ、外の様子を見やると、本の内容にも触発されて、何ということもない景色だが、近所の屋根が薄明かりを帯びているさまなどに目が行き、風景全体が何とはなしに、綺麗だなと感じられ、そのように感じられたことそのものをありがたく思うような心が湧いた。音読でもって本を最後まで読み終え(三〇日に読みはじめたので、四〇〇頁ほどある本のわりに、こちらとしてはなかなか速いペースだと思う)、そうしてぼんやりとしていると、窓の上端付近に広がった雲から、段々と太陽の光が現れだす。そのさまを眺め、受け取るようにしていた。
しばらくしてから運動を行う。そうすると一時も過ぎて、上階に行けば、どこかしら出かけていた父親が帰ってきていたが、ふたたび外出していった。こちらは豆腐を電子レンジで温め、ほか、朝にも食べたサラダとゆで卵を食べる。そのうちに母親が帰ってきて、テレビを点すと、『アタック25』が映し出される。それを眺めながら、甘味の類を母親と分け合って食べて、番組が最後まで至ると立ち上がって食器を洗った。母親の使った分もまとめて洗い、彼女が餅を食うのに用いた皿は、こびりついたものがすぐには取れないので水のなかに浸けておく。
そうして、ベランダに続く西の窓からソファのほうに陽が細く射しているのに惹かれて、そのなかに座ってちょっとしてから、靴下を履いて下階に下りた。図書館に出かけるつもりだった。歯磨きをしたのち、出かける前にこの日のことをメモに取ってしまおうと思ったのだが、実際にはメモではなく正式に書き出してしまい、ここまで三〇分で綴って三時になっている。
振り向くと、雨が降り出していた。服を着替えて上階に行くと、両親は二人とも玄関にいて、何やら話をしている。青い作業着姿の父親が座っているその先、玄関の扉は開け放たれており、雨とも雪ともつかない半端なものが宙を降っているのが見える。こちらも玄関に行き、折りたたみ傘を持っていったらとか、傘を差して行こうとかやり取りをしたのだが、結局、すぐに止むだろうということで、また実際、まもなく降りが衰えてきたようだったので、傘を持たずに出発した。降りはやはりすぐに止んで、坂を上りながら振り向くと、入り口の先に覗く空に陽の色が見え、斜面の下の道に停まった車の車体にも反射している。前に向き直って歩きはじめても、路面に薄陽が敷かれていた。
街道を越えて裏路に入ると、前方に犬の散歩をしている二人連れがいる。並んで似たような犬を連れているのに、初めは夫婦だろうかと思ったのだが、よく見れば女性のほうは少々年嵩で、男性はまだ若く、近所の知り合いのようだった。呼吸に意識を向けながら行くと、不安が生じてこず、穏やかな落着いた心持ちでいられ、ありがたい気分が湧いた。(……)駅が近くなると、雨がまた始まって、少々冷たかった。
駅のホームに上がり、寒いなか、立ち尽くして電車を待つ。来たものに乗ると、手帳にメモを取っておき、それから瞑目して到着を待った。(……)で降りると図書館に入り、本村凌二『興亡の世界史 地中海世界とローマ帝国』を返却すると階を上がって新着図書を見る。タイトルをメモする気にはならず、見るだけでその場を離れ、海外文学の棚のほうに行った。何か海外の小説を読もうという気持ちになっていたのだ。休日だけあって、席はあまり空きがなく埋まっているようだった。目当ての書架の前をうろついて、ラテンアメリカ、フランス、ドイツ、英米と見て行った結果、念頭に上がったのは、イリヤ・トロヤノフ『世界収集家』か、メイ・サートン『七〇歳の日記』あたりだった。トロヤノフのこの小説は、リチャード・フランシス・バートンという探検家の生涯を綴ったものらしく、以前からちょっと読んでみたくはあったのだが、三〇以上の言語を話し、『千夜一夜物語』を翻訳したというこの人物は、この日にちょうど読み終えたトリスタン・グーリー/屋代通子訳『日常を探検に変える ナチュラル・エクスプローラーのすすめ』にも探検家の一人として名前が挙がっていたのだ。メイ・サートンのほうは、先日にも記した通り、個人的な興味に加えて、山梨の祖母にどうかと思っていたのだが、なかを覗いてみると、これはやはり祖母にいきなり読ませるにはちょっと厳しいのではないかと思われた。それは措いても、自分でも読んでみたくはあるのだが、心を決めることができなかった。と言うのは、ロラン・バルト『記号の国』を加えて借りようと思っていて、そうすると『世界収集家』のほうは長すぎる気がし、またサートンのほうは小説ではなく日記である。もう少し短めの小説を何か一緒に借りようと思って書架を辿ったところ、エンリーケ・ビラ=マタス『パリに終わりはこない』が目に留まり、これだなと即座に心が決まった。
本を見ているあいだ、南の大窓から、西空に現れた夕陽の光が射しこみ、目に届く時間があった。二冊を持って、フロアの逆の端へと移り、老荘思想の本をめくったり、仏教関連の書籍(仏陀の言葉を収録したものや、坐禅についてのもの)を探ったりする。そうした関心にはやはり、何でもかんでも気にしてしまう自分の神経症的性向から逃れるヒントがないかという思いが寄与しているのだろう(ただ、この時は特に不安を覚えていたわけではなかった)。そうして五時を回って、貸出手続きを済ませると、退館に向かった。
館を抜けて歩廊に出ると、空には雲が厚く出て大層青く、通路の路面にもその青さが反映している。東の方(と言うのは左方だが)は隙間なくその青い雲に籠められてもうだいぶ暮れの趣だったが、南西方向は山の周囲に(この山も雲とほとんど同じ青さの影となっていた)空白の地帯がいくらかあって、そこに残光の色が仄かに差し込まれていた。駅に入ると、ベンチに就いて電車が来るのを待つのだが、非常に寒い。改めて見てみても空は実に青く、特に東の方角は厚く塗り込められている。待っているあいだ、背後には小さな子どもを連れた母親がやって来て、セーターを着せ替えてやったり、写真を撮ったりしていた。子どもは風邪を引いていたのか、ちょっと咳を漏らしていて、しかし動き回って、声がこちらの耳に近くなる瞬間もあった。
やって来た電車に乗って席に就くと、暖房に温められて、ありがたいという思いが湧く。正面には、面長で、頭頂の毛の少なくなった男性(良さそうなコートを羽織っていた)が乗っており、静かに瞑目している。左斜め前の座席のほうには、老夫婦が座っていた。到着して乗り換え、最寄りで降りると、空はもはや暮れきって大変暗い。階段を抜けて通りを渡り、坂に入ったところで見上げると、星や飛行機の明かりが見えた。
道に出て歩いていると、背後から足音が近づいてきて、じきにこちらの影に追いつくようにして現れた影が、こちらのすぐ後ろのほうに添うようにしてきたので、警戒の心が働いて左にずれる。しかし、横から現れた人を見れば、(……)だったので、あ、こんにちは、と口にしたが、もう六時も回って薄暗闇だったのだから、こんばんは、と言うのが相応しかっただろう。
帰宅するとストーブにあたって、身体を十分に温める。ソファに座っていた父親はじきに風呂に入りに行った。こちらは着替えてきて、夕食にする。頭から尾まで丸ごと食べられる鰯を三尾、それに冷凍の唐揚げ、ほか茸の汁物や、カボチャを使ったサラダなどである。テレビは中国のパンダ事情について放映していたようだが、ろくに見はしなかった。
ものを食べ終えると、入浴に向かう。この日は温冷浴を念入りにやってみることにした。どうも、湯たんぽを入れているにもかかわらず、寝ている時に足が冷えているらしかったからである。今の時期は寒いので、まず膝のあたりまで冷水を浴びせてから湯船に戻り、二度目は腿の付け根まで、三度目で腰あたりまでという風に分けて下半身を冷やしては温めているが、その後、この日はさらに二回、冷水と湯のあいだを行き来した。そうすると、わりと具合は良さそうである。それから、身体を労るようなつもりで、束子で全身をゆっくりと擦り、風呂を上がる。
出るとちょうど八時頃で、両親は炬燵テーブルに集って、大河ドラマ『西郷どん』を見始めるところだった。炬燵テーブルの横にはエプロンとハンカチが一枚ずつ放置されており、これにアイロンを掛けようと思って母親にそう言ったところ、自分がやるから良いと言う。いやこちらがという風に申し出をちょっと続けてみたのだが、母親はやはり自分がやるからと繰り返すので、そこをあまり押してもと引き下がり、自室に帰った。
白湯を飲みつつ他人のブログを読んで九時、そこから日記を書き出して、現在は一〇時半前である。書いているあいだ、不安な気持ちがほとんど生じなかったのが、実にありがたいことである。
それから、歯磨きをするために部屋を出て、歯ブラシをくわえて戻る。この時父親は、階段下の室で、コンピューターを前にしていた。口を濯ぐと、湯たんぽの用意をするために上階に行く。台所に入って、薬缶を火に掛け、沸くのを待つあいだ、日曜日で父親は酒を飲んでいたようで、下階から鼻歌を鳴らすような声が聞こえていた。
自室に戻って湯たんぽを仕込むと、借りてきたエンリーケ・ビラ=マタス/木村榮一訳『パリに終わりはこない』を読みはじめたのだが、いくらもしないうちに眠気が湧いたので、読書を中断してさっさと眠ることにした。まだ一一時一五分だった。