2018/2/5, Mon.

 例によって午前二時前くらいから何度も覚めるのだが、薬を飲まずともふたたび入眠できるようになってきている。六時頃に覚めたあとが難しかったが、七時を越えたあたりで一応寝付いたようで、覚醒は八時二〇分になった。不安はなく、わりあいに落着いた心での覚醒だった。カーテンをひらくと、空は青い。光のなかに塵が浮遊しているのをちょっと眺めてから、身体を起こす。
 背伸びをしたりと身体を和らげてから上階に行った。母親は前日に引き続き、臨時に頼まれた(……)の仕事で不在である。居間には南窓から陽が射しこんでおり、炬燵テーブルの上に乗り(食後、そのなかに入ってちょっと日なたぼっこのような時間を取りもした)、床にも引かれていて、玄関のほうの便所に行って戻ってくる際など、居間に続く扉のガラスが白く眩しくなっていた。ハムと卵をフライパンで焼き、米に乗せて簡単な食事とする。食卓から南の窓を見やると、山や樹々の大方はまだ影に浸されているものの、川沿いの樹々の梢のあたりには陽が届いて、そこだけ黄緑色を浮かび上がらせて空間に明るみの曲線を描き、柔らかいような質感を露わにしている。窓辺に吊るされた小さな水晶玉が、こちらの頭が前後に動くのに応じて、青やら緑やらの光を送ってみせる。
 皿を洗うと、そのまま風呂も洗った。ゴミが烏に散らかされていないか見ておいてくれとのことだったので(実際、寝床で覚めた時にも、烏が何匹も外を行き来し、鳴きを立てているのが見られた)、玄関を出た。今回のものかどうか知れないが、確かに烏がつついて千切ったらしいゴミ袋や紙の細かな破片が、少し散らばっていたので、一つずつ拾って塵取りに収め、林のほうに捨てておいた。
 そうして室内に戻り、白湯を持って自室に帰ると、早速日記を書きはじめた。前日の分を速やかに仕上げ、この日のものもここまで書いて、現在は一〇時直前である。
 その後、ベッドで光を浴びながら読書をした。エンリーケ・ビラ=マタス/木村榮一訳『パリに終わりはこない』である。読後は落着いた気分になっていたようだ。そうして運動をしてから上階へ行き、卵一つのみを食べると速やかに下りて、歯磨きと着替えをした。薬を飲み、ホットカイロを背中に貼りつけて、出発である。
 玄関を出ると風が林に流れるところで、竹の葉の鳴りが響き、それのみならず幹同士が擦れ合う音も頭上で立った。坂を通るあいだも風が大きく流れて樹々を揺らし、身に冷たい。街道に出るあたりでちょっと不安が湧いたような感じになり、車の通る音や、道路工事の音のいちいちが耳につくようで、知覚が騒がしく、うるさいように感じられたのだが、歩いているうちじきに受け流すような感じになった。薬のおかげだろうか。裏通りの途中では、抹茶色のメジロが一軒の庭木にとまって細かく鳴いているのを目に留めた。
 財布のなかに札が一枚もないという状況だったので、駅前のコンビニで金を下ろした。それから公衆トイレに寄ってから駅に入り、電車に乗る。道中、立川までのあいだは瞑目して非能動の状態を保ち、どんなものかと自分の心身を探ってみたのだが、不安には襲われず、落着きがあったので安堵した。立川を過ぎると、エンリーケ・ビラ=マタス/木村榮一訳『パリに終わりはこない』を取り出して読書をした。外を見れば空に雲は結構あるが、それでも明るくて良い天気だとの印象を否定できない。
 やや遅れる旨、(……)にメールを入れておき、中野で乗り換えて代々木へ渡った。駅を出るといつもの喫茶店に行き、先に入店していた(……)と合流する。カフェインを嫌って、葡萄ジュースを注文した。そうして、『後藤明生コレクション4 後期』について、何となく話しはじめる。特に後半の作品などは、作家が町を歩いた実体験を概ねそのまま書いているらしく、私小説的ではあるけれど、いわゆる近代文学的に内面や自意識を描くそれと違って、資料の引用などを交えて、私小説というよりもむしろ紀行文的な感触ではないかなどと話した。また、この時言うのは忘れたけれど、とりわけ後半の、大阪付近の文化や旧跡を扱った作品群の書き方はいかにも冗長であり、こちらは頭の調子がおかしかったこともあって、読んでいるあいだ、あまりきちんと読み取れた感じもしなかったのだけれど、この冗長さというのを、「蜂アカデミーへの報告」のなかにあった冗長さについての言及と結びつけて捉えることもできるのかもしれない。そこでは確か、岩田久二雄という、「日本のファーブル」とも呼ばれる学者の著作を引いて、観察記録というのはやはり省略をせず隈なく書く、そういう冗長な姿勢で書かれたのが本当なのだ、というようなことが話されており、後藤は確か、それをファーブルの昆虫記の書きぶりとも絡めて、「科学的」精神とちょっと対立させる風にしていたと思うのだが、後藤自身も後半の作品で、そうした冗長さを支持する振舞いを見せたということなのかもしれない(そして、この「冗長さ」とは言うまでもなく、「物語」と(単純に)対立させて考えられた時の「小説」的な態度でもある)。
 後藤の小説についての話が一段落すると、近況だとか最近の心境の変化などについて話した。こちらのそれについて言えば、読み書きに対する欲望に自信が持てなくなってしまったとか、他者というものの重要度が自分のなかで上がって来ているようだといったようなことである。諸々話したあと、三時半頃に退店した。(……)はトイレに行くと言うので、こちらがまとめて支払いを済ませ、店外で精算をした。そうして新宿へと歩き出す。
 まだ陽の感触は残っており、好天ではあるのだが、風が吹き、道は寒い。ジョギングや運動などについて話したりしながら、また三日に(……)と話したフローベール文学史的位置づけなどについても語りながら、新宿駅の南口へと歩いて行く。巨大な通りの横断歩道を渡って、東南口のほうへ移行し、下りて町中に入って行った。このあたりで(……)に、彼にとって「他者」とはどんなものかとそのスタンスを尋ねてみたのだが、「厄介なもの」というのが最初の答えで、それは確かに、と思わず笑ってしまった。ただその後、色々な意味で依存してしまう(あるいはせざるを得ない)存在でもある、それがまた厄介だ、というような話がなされたが、このあたりはあまりよく覚えていない。こちらは最近の変調のおかげで、以前からは考えられない変化だが、自分は一人でいないほうが良いのかもしれないと思うようになったと語った。自分一人で、脳内で独り言を繰り広げてばかりいると、それこそ頭がおかしくなってしまうのではないかという不安があり、家族がいるというのがありがたいような気持ちになっている、家を出るにしても、ルームシェアでもして誰かとの共同生活をしたほうが良いのかもしれない、などと話しながら、新宿紀伊國屋書店本店へと入って行った。
 次回の課題書は、喫茶店にいるあいだに決まっていた。今次復刊された、『フラナリー・オコナー全短編』(上下)である。これはちくま文庫から復刊されたのだが、しかし文庫のほうを見に行く前に、単行本の区画を見て回った。こちらはうろついたあと、後藤明生のコレクションや著作、また座談会をまとめた本などをぱらぱらめくり、(……)は(……)で何かしらメモを取っていたようだった。そうして、文庫の区画へ移る。件のものは平積みされているのがすぐに見つかった。(……)が見回っているあいだ、こちらはちくま学芸文庫の棚にR.D.レイン『引き裂かれた自己』を発見してしまい、そのうちの「統合失調気質における内的自己」を読み耽って、これは自分にも当て嵌まるところがあるのではないか、などと考えたりしていた。とにかく、自分がこの先、統合失調症などの精神病になるのではないか、もうなりかけているのではないかと気に掛かって仕方がないのだ。あまりこうした方面の情報に触れないほうがむしろ良いのかもしれないが、しかし結局、オコナーの文庫本と一緒に購入してしまった。
 退店すると、五時一五分だった。日が長くなりましたねと(……)が言うので、空を見上げて、今になって雲がなくなっていますねなどと返した。高層ビルの先に見える空は実際、まっさらな暮れの青さに染まっていた。腹が減っていると(……)が言い、飯を食っていくことになった。周辺を放浪した結果、(……)という野菜料理をメインとした店に入ることになった。通りから階段を上がって二階のフロアに入ると、通路の両側にカーテンで仕切られたテーブル席が並んでいるなかの一つに通された。飲み物を頼むと(こちらはジンジャーエール、(……)は生ビール)、カボチャの豆腐のお通しがついてきた。これはなかなか美味いものだった。そのほか、イクラのお浸し、安納芋、ブリを葱で少々辛味に和えたもの、大根の唐揚げ、ロールキャベツを注文してそれぞれ取り分け、追加でスパイシーチキンを注文し、最後に牡蠣の温蕎麦を食べた。
 話はこちらの変調だったり、互いの不安性向だったり、あまり精神衛生に良いとは言えないものが多かったようである。先々のことを考えると不安しかなく、特にこちらは最近、自分がこの先狂うのでは、精神病になるのではとそのことにばかり気を取られている。ほか、また他者について話して、自分のブログも他者に何かしら益するものになってくれていると良いと言い、また、この先の生活の不安と絡めて、こんな頭の状態であるし、十分な金を稼ぐような経済的能力もないから、ブログでアマゾンアフィリエイトでもできないだろうかなどと笑いながら話した。
 退店したのは、七時頃だったと思う。東南口に戻り、改札を入ったところで(……)と別れた。頭が固いような感じが生まれていた。駅の人波に圧されるような感じで、ホームに下りても人の多さに緊張するようだった。乗った電車も満員で、扉際に押し込められて逃げ場がなく、そうするとやはり、かつてのパニック障害時代のように、気持ち悪くなってくるのではとか、発作が起こるのではとか懸念が湧いて、実際、腹のあたりや呼吸の感覚など見てみても、自分が緊張しているのが明らかに認められたが、目を閉じて呼吸に集中することで何とかやり過ごした。こちらの前にいた女性は、満員でほとんど身動きが取れないなかにあってもスマートフォンでゲームをしており、電車が揺れるとこちらの腹のあたりにその身が当たってきた。武蔵境でだいぶ人が降りたので気持ちとして楽になり、立川まで来るとわりあいに落着いていたと思う。
 (……)に着くと、母親に何か菓子でも買っていくかと自販機に向かう。なかに、苺のふわふわショコラ、というようなチョコレートの類があったので、苺の類の菓子が最近好きらしい母親に良いだろうと二三〇円を払った。そうして待合室に入り、本を読みながら乗り換えが来るのを待つ。車内でも読書を続けて、最寄りで降りると、帰路を辿った。
 帰宅すると、ささやかな土産を差し出し、母親と分けて少々食べた。服を着替えてくるとアイロン掛けをして、翌日、(……)(叔母)がやって来て墓参に行くと言うので、自分も行くと申し出て、そのあたりのことをちょっと話した。入浴を済ませて自室に帰ると、この日のことをメモに取って時間を使ったようである。以前よりも早く、一一時とか零時になると眠気が重く湧くのは、やはり頭が過活動なのではないかと思われた。