2018/2/6, Tue.

 この日の朝というか深夜というかは、あまりうまく眠れなかった。眠ろうとしても意識が沈んでいかず、脳が自走して何か良くわからない妄想とかイメージとかを繰り広げているのを眺めてしまい、入眠できないという感じがあるのだが、やはり睡眠薬を貰うべきなのかもしれないと考えた。一応七時半まで寝床に留まり、起き上がるとゴルフボールをちょっと踏んでから上階に行った。食事は、焼きそばと野菜スープである。テレビは朝の情報番組で、おたまについて取り上げていたが、特段の興味はない。
 風呂を洗って洗面所を出てくると、母親が台所の床にしゃがみこんで何やらやっている。仏壇にあった香炉の灰を紙の上に広げて、線香の燃え滓を取り除こうとしているのだ。そこでこちらもしゃがみ、母親がスプーンで灰をふたたび香炉のなかに入れていく一方、黒い燃え滓を指で摘んで取り除いて行った。
 それが終わると自室に帰って、コンピューターを点ける。支出などを整理したあと、九時半から読書に入った。エンリーケ・ビラ=マタス/木村榮一訳『パリに終わりはこない』を音読するのだが、最中は、頭に負荷が掛かっている感じがして、眠気のようなものが湧き、目を閉じそうになる。終わったあとは、わりと落着いた気分になっていたようである。
 そうして、久しぶりにOasis "Wonderwall"を流しながら服を着替えて、歯を磨く。洗面所で磨いていると、上階から、まだかと母親に急かされた。上って行き、トイレに寄って外に出て、母親の車に乗り込んで出発した。墓参である。道中、車内にはMr. Childrenがごく薄く掛かっていたので、口ずさみ、まず母親の用事で眼科に停める。薬を貰ってくるあいだ、こちらは車のなかで待っていた。好天だが、足が冷える。しかし、洩れ入ってくる薄い陽の温もりも、左膝付近に掛かっていた。外を見れば、二本立った竹の葉が良く揺れている。
 目を閉じて休んでいると、気持ちが落着いて、ありがたいと思った。しばらくしてから目をひらき、ふたたび竹のほうを見やり、今度はその先にある空にも目をやると、実に青々としている。母親はなかなか戻って来なかったので、携帯電話でウェブに繋ぎ、他人のブログを読んだ。母親が帰ってきた頃には、一一時をちょっと回っていた。(……)(叔母)との待ち合わせは一一時だったのだが、まだ連絡がないと言う。ともかく駅へ向かったが、こちらからメールを送ってみればと提案すると、ネットワークがどうのこうのと出て送れなかったようで、それであちらからの連絡が届いていなかったのではないかとわかった。実際、行ってみると、駅前のベンチに叔母は座って既に待っていた。彼女を乗せて、寺へ向かう。
 降りて墓地に入り、水を用意しようとするのだが、井戸の水が凍っているようで、汲み上げポンプの取っ手を動かしてみても、水を汲み上げる抵抗の感覚がまったくなく、空回りするばかりでどうしようもない。幸いと言うか、手近の桶に、あまり綺麗ではなかったようだが水の入ったものがあったので、それを使わせてもらうことにした。墓所の前に行くとこちらは周辺を掃き掃除し、叔母が花を支度したりして、じきに線香を供える。手を合わせ、以前だったら金とか時間とかを願っていたところだが、ここではやはり精神の健康を願った。
 墓地を出ると、二人は外で食べてきたらいいと言って、こちらは一人、歩いて帰ることにした。車が出ていくのを見送ってから寺の居住区域に隣接した便所に行き、出てくると、猫がいる。鈴をつけており、寺の飼い猫のようである。しゃがんで手を伸ばしたりしてみるが、近づいてこない。じきに離れてしまったので、諦めて外に出て、道に出て帰りはじめた。好天だが風はやはり冷たく、立ち止まってモッズコートの前を閉ざす。街道へ出て、日なたの多い北側に渡って、歩いて行った。帰るあいだは折々陽に当たられて心地よく、穏やかな気持ちになって、今は以前と同じような安心した心持ちになっているのではと思われ、ありがたかった。
 家に帰ると、一二時二〇分頃だった。着替えて、食事はうどんを用意する。フライパンで生麺を湯がき、それを余っていた汁物に入れて煮込む。一方、豆腐をレンジで温め、卓に就くと、ゆっくり味わうようにして食べた。
 その後、室に帰ると書き物をしてから、運動である。運動はいつも、床の上で下半身の筋を伸ばし、ベッドに移ってさらに柔軟をやり、その後、腕立て伏せなどを行うといった順序なのだが、今までは最後の、やや筋トレ的な行程も、力を入れた状態で身体を静止させるという風に行っていたところ、この日は、通常の筋肉トレーニングと同様、身体を動かすことにした。それでいつもよりやや念入りにやって、するともう三時前なので、外出の支度である。
 着替えて上に行き、出る前に米をといでおく。冷えた手を電気ストーブで温めてから、出発した。まだ日なたの残っている表通りを、先ほど帰ってきたのとは逆方向に進んで行く。(……)
 勤務中も、最初はやや頭が散漫だったようなのだが、次第に集中できた。ただ、途中、意識が少々遠くなるようなというか、頭に違和感があり、どうもやはり脳が疲れて眠気が湧いているのではという感じがあった(実際、欠伸も結構出た)。
 労働を済ませて退勤すると、(……)そうして駅に入る。電車に乗ると扉際に立って、最寄りで降りて帰路を辿った。帰宅すると、食事はキーマカレーである。食後はやはり眠気というか、目を閉じたくなるような頭の重さがあって、テレビはフレッド・コレマツという、二次大戦中の米国の日系人収容に対して反抗し声を上げた人を取り上げていたのだが、それに目を向けながらも、折々に目を閉じてしまった。皿を洗ったあと、風呂に入る前にも、父親が場所を離れた隙に炬燵に入って休んでしまう有様である。その後の入浴時もやはり、湯に浸かりながら瞑目してしまった。温冷浴はこなしたが、身体を念入りに擦る気力はなく、下半身は擦らずに上がって、室へ戻った。その頃には多少眠気が弱くなっていたので、零時半前まで読書をしてから就寝した。