2018/2/7, Wed.

 例によって深夜のうちに一度覚めた。さっさと薬を飲み、一応寝付いたのだが、しかし本当に眠れているのかどうかいまいち良くわからないようでもある。八時半になると意識がはっきりして、しばらく寝床で呼吸に集中してから、九時になって起床した。
 食事は、キーマカレーの残りである。母親は、九時四五分頃、外出していった。こちらはものを食べ、風呂を洗って下階に戻ると、やはり自生思考があるのが気になって、その関係の薬について調べたり、スレを覗いたりと神経症的な振舞いを取ってしまった。その後、読書、エンリーケ・ビラ=マタス/木村榮一訳『パリに終わりはこない』である。ベッドで好天の陽を浴びながら音読していく。途中、窓を見上げると、光を放つ太陽から湧くようにして薄雲が広がっており、光の混ざりも相まって雪のようになっている時があった。
 一二時半過ぎまで本を読み、その後、運動をした。前日の運動のために腹は筋肉痛になっていたので、腹筋は避けて済ませ、それからメモを取ると一時二〇分である。そのまま書き物に入り、五日の記事からここまで書いて一時間強が経っているのだが、時間があまりにも速く、ほとんど一瞬のようにして過ぎ去ってしまうこの感覚は一体何なのだろう。以前にも勿論、たびたびそうした思いを抱いたことはあるが、そのどの時よりも最近は一日が速く、時間が止めどない。記憶力も落ちたような気がするというか、そう言っては少々違うのか、何と言うか、以前よりも一日の各部、生活の細部が、自然と要約/縮約されて捉えられているような感じがする。
 上階へ行った。何かしらのエネルギーを補給しようというわけだが、その前にアイロン掛けをすることにして、エプロンやハンカチを処理した。台所には母親が作ってくれた鍋料理があったのでそれを温め、一方で例によって豆腐を熱し、それぞれを食べる。豆腐を食いながら、喉元を過ぎて胃の腑へと落ちて行く熱の感覚が気持ち良いようだった。ものを食べたあと、身体の力が抜けたように、楽なようになった。自生思考があるのがやはり気になるのだが、それをも受け入れるかのような心持ちに、この時はなっていた。最近の自分の思考は、脈絡のない妄想が甚だしく、そんなことを考えているとそのうちに本当に行動に移してしまうのではないかと不安なのだが、食後、これもやはり不安障害、あるいは強迫性障害の一種なのではないかと思いついた。「やってはならないこと」に対する不安があり、それを恐れるがゆえに、それについて考えてしまう、ということではないのか。
 その後、皿を洗ってから下階に帰り、(……)のブログを読む。そのあいだは不安は収まっており、自然なような感覚でいられ、四時一四分を迎えた現在も一応そのような状態ではある。
 そうして、本を読みながら歯を磨き、服を着替えた。室を出ると、母親もちょうど出かけるところだった。父親の会社の幹部連のあいだで、夫人も一緒の会食があるのだという話だった。上階に行き、母親が玄関を出たあと、こちらはホットカイロを背中に貼ろうと思って戸棚からそれを取ったところで、インターフォンが鳴った。玄関の戸が近かったので返事をしながら直接そちらを開けると、(……)で、父親のやっている自治会の組長の仕事の関連で、転出・転入か何かの調査結果を持ってきたのだった。頭を下げて礼を言い、封筒に入ったものを卓上に置いておくと、カイロを貼ったり、マスクを用意したりしてから、トイレに入った。
 排便すると五時、出発しようと玄関を抜けたところで、ちょうどまた人が来ており、先の(……)と同じ用事で、紙を受け取って卓に置いておくと、出発した。ガーゼのような質感の薄い雲が、空に広く掛かっているなか、東の果ての低みには隙間があって、すっきりとした青と白が覗いている。坂に入ると、川のほうからぴちぴちというような鳥の声が上ってくる。上って行っても、弦を軽くはじくような短い鳴き声が繰り返し聞かれる。街道に出ると、西の空に少々厚く溜まった雲の裾が、下から煽られるようにしてオレンジ色に焼けていた。歩いているうち、一刻ごとにその色が深まっていくような暮れ時で、裏通りに入ったところで見るとさらに濃くなったようで、またもう少々進んでから見返ると、紫を含んで茜色の風情になっていた。
 一方で例によって、頭のなかでは思考が回っており、時間が過ぎるのがとにかく速いなと思っていた。すべては生成し、変転し、過ぎ去っては流れ消えて行くのだという思いが湧いており、自分もその変転のなかで変化せざるを得ない、この先狂うかもしれないし、あるいは病に冒され、いずれは死ぬだろう。しかしそれでも、自分はこの生を生きていたいという気持ちがあるようだった。生が一切皆苦なのだとしたら、そんな場所からはさっさとおさらばするのが良いのかもしれず、生きたいというその心こそが苦しみの最終的な根源なのかもしれないが、それでも自分は、生の苦しみを受け入れ、この一瞬一瞬を精一杯生きようと思った。そのように考えて感情をやや高ぶらせていたのだが、少し経つと、精一杯などと気張る必要はない、ただ生きれば良いのだと冷静な気分になり、これこそがまた変転を証しているのだと考えた。思いさえも続かずに、移ろい続けて行くのだ。
 労働は一応問題なくこなせてはいたのだが、何か落着かないような、早く終わってほしいというような気持ちがあったように思われる。また、すべてが、自分の動きや言動さえもが自動的に動き、回って行くような、そんな印象に付き纏われて、自分が何か勝手な言葉を口にしないかと恐れるようなところがあった。この自動感というのは、良くわからないが、やはりメタ認知が鍛えられすぎたためのものなのではないかというような気がする。勤務が終わると、気持ちは落着いたようだった。帰り際、(……)に、元気ですかと尋ねられ、唐突だったので何で、と返すと、声があまり聞こえなかったと言った。また、(……)が、前日こちらの元気があまりなかったと言っていたと言う。(……)こそ、声の小さく、内気そうで、活発とはとても言えない人間なので、彼にそう言われるとは、と(……)なども笑い、こちらも面白く思って笑ってしまった。そこでちょうど彼が来たので、どのあたりが元気でなかったかと尋ねると、声のトーンが一段低かったと言う。前日は眠かったからそのためかもしれず、また、最近のこちらの変調が、意外と外に出ているのかもしれないとも思われたが、しかしともかくも生きている。(……)にもそのように、生きてはいる、とやや冗談めかして返したのだが、これはわりとこちらの本心であるように思われる。ともかくも自分はいまこの瞬間、生きており、存在している、最終的にはもうそれで十分なのではないか?
 退勤して駅に入った。改札を通る時、SUICAのなかの金が随分少なくなっていることに気づいた。今日あたり、入金しておかなければならない。電車に入ると席に就く。向かいには、風体の良いとはとても言えない老人がおり、ポテトチップスか何かをぱりぱりと食べていた。
 降りて帰宅すると、両親はまだ帰っていない。ストーブを点けて温まり、その後着替えに下りた。そこで携帯電話を見ると、(……)から着信が入っている。掛け直すと、長いことコールが続いていたが、切ろうと思って電話を耳から離したところで出た気配があり、もしもしと掛けて会話を始めた。体調はどうかと尋ねられたが、良いのか悪いのか良くわからないと言い淀んだ。少し前にも電話をして、近いうちに会おうという話をしており、あちらは水曜日が休みなので、それでは二八日の水曜日を空けておくと言った。そうしてほかの話はせずに短く通話を終え、服を着替えて食事を取りに行く。
 鍋料理に、米には茶漬けを振り、ほか、薩摩芋とほうれん草である。また、食後には苺を食べたが、これが美味しいものだった。食べ終えたあと、何となくバラエティでも見て気持ちをほぐそうかという気分が湧いてテレビを点け、『水曜日のダウンタウン』を眺めた。見始めた時間にはまず、人脈を活用して助っ人を呼んで行うサッカーというものをやっており、最終的に五〇人以上もメンバーが集まって、コートが人でいっぱいになり、ヘディングの連続でボールが回る、というような事態になっていたのが滑稽だった。その後、高田純次は普通に、「高田純次です」と自己紹介をしたことがあるのかとTBSの出演番組を検証するという企画が披露され、結果としては初期はそのように通常の自己紹介をしていたのだが、これを見ながら大いに笑った。
 そうして、一一時も近くなってから風呂である。出かける前に沸かしてあったのでもうだいぶぬるくなっており、それを追い焚きして、温冷浴を何度も行った。束子で身体を擦ることも、前日はあまりできなかったがこの日は下半身までもやり、結局、一時間近くの長きに渡って入っていたのではないか。風呂を上がるともう零時前になっていたが、両親の帰りは遅く、まだ帰ってきていなかった。自室に帰ってこの日のことをメモに取ると零時一〇分過ぎ、眠気は特段に湧いていなかった。それなので読書を行ったが、その最中に両親は帰宅した。カラオケに行っていたらしく、終電になったのだった。こちらは一時前まで読むと、欠伸が出るようになったので、明かりを落として床に入った。