うまく入眠できなかった。自動的な思考、また自動的なイメージの狭間に捕らえられ、寝ているという実感がなく、切れ切れに覚めた。六時前になってようやく薬を飲み、それで八時過ぎまで、一応眠ったようだ。日中、活動できているので休めてはいるのだろうが、とても質の良い睡眠ではないだろう。最後の覚醒時にも自動思考が回っており、しばらくしてから起床した。
上階へ行き、ストーブの前に腰を下ろすと、テレビでは瀬戸内寂聴が秘書であるらしい若い女性と一緒に出演している。この女性が、六〇歳ほど年齢差のある瀬戸内とともに過ごす生活のことを綴った本を出したらしい。前夜の残り物で食事を取りながらテレビに目を向けたが、瀬戸内は、補聴器をつけてはいるものの、九五歳にしては実に元気で、喋りぶりにも淀みがなかった。彼女の小説は一作も読んだことがないのだが、そこまでの高齢になっていながらも文章を書き続けているというのは、やはりそれだけで素晴らしいこと、ことによると尊いと言っても良いかもしれないことではないかと思う。じきに母親が、テレビをもう消してと言うのでその通りにして、皿を洗った。
母親は面接へと出かけて行った。発達障害などのある子どもを支援するような職場だと言う。あとで帰ってきた際、報告を受けたところでは、早速明日から出向くことになったということだった。母親の出かけて行ったあと、こちらは上階に掃除機を掛け、そうして自室に帰った。インターネットをちょっと覗いてから、読書である。一〇時直前だった。エンリーケ・ビラ=マタス/木村榮一訳『パリに終わりはこない』をまもなく読み終わり、そのまま石川美子訳『ロラン・バルト著作集 7 記号の国 1970』を読みはじめた。和食(天麩羅やすき焼き)だとか箸だとかについてバルトが考察していることは、彼が体験したのはそうは言っても高級料理店などでの食事だろうから、一般庶民の暮らしをしているこちらとしては少々大袈裟にも思えてしまうが、しかし、彼が日本という文化形態に出会って、そこから非常に繊細に、形やイメージを豊かに引き出しているということは感じられる気がする。ここまで書くからには、バルトは本当に、見たもの、体験したもののそれぞれに、まさしく目を惹かれた[﹅6]、非常に惹きつけられたのだろうという印象が湧くものだ。
正午過ぎまで読んだ。その頃母親が帰宅して、部屋の戸口に来て、面接の結果を報告した。その後、運動をしてから上階に行き、食事を取る。素麺に、母親が買ってきてくれたコロッケとカキフライである。またその後、キウイもいただいたのだが、揚げ物にしても果物にしても美味しく感じられ、そのことに感謝した。食後、母親は、(……)自転車屋に電話をしていた。と言うのは、翌日の出勤にはバイクで向かうつもりのところ、そのバイクが壊れていてエンジンが掛からないので、運んで行って見てもらおうとのことで、事前の連絡をしたのだったが、店の主人はポリープを取りに行くという話で、今日は見られないということだった。それでも外へ出て、家の側部、様々なものの置き場に停めてある原付を、玄関付近の陽の当たるところまで移動させるのだが、エンジンが掛からないので家の横にある短い坂を力づくで持ち上げなければならず、母親とこちらと一緒になって押して行くのだが、これがなかなかの苦労だった。店に運んで行こうと言うのを、気軽に了承していたが、店までの道には長い坂があるわけで、後日になるにせよ、これではとてもでないが運んで行くことなどできないぞと思った(結局その後、母親は付近の自転車屋を検索し、取りに来てもらったとのことである)。そうして、母親が跨る後ろを押して、エンジンが掛かるかどうか何度も試したのだが、やはり結局駄目で、最終的に駐車場の車の後ろに置いておいた。その後、自転車も取り出してきてみようと母親が言うので、こちらとしては面倒臭い気持ちもあったのだが、玄関前の陽のなかに運んで来て、もう長いこと使っておらず汚れきっていて、タイヤのシャフトには蜘蛛の巣が掛かっているようなものを、雑巾で掃除していった。前輪は空気が抜けてベコベコになっており、空気入れを探したのだが、結局見当たらなかった。元の置き場に戻しておいて、屋内に入る。
二時過ぎだった。ギターを弾いたあと、書き物に入る。文を書きながら緊張するようなところがあったので、あまり気を張りすぎないようにした。そうして八日の記事を完成させると午後四時、歯磨きと着替えをして、薬を飲むとメモを取った。それで四時二五分になったので、『記号の国』を少しだけ読んでから上階に行った。
炬燵に入ってしまう。バイクは取りに来てもらったと言うのを聞きつつ、炬燵の心地良さにしばらく囚われ、五時直前になって出発した。誰だかわからないが、通りがかった女性にこんにちはと挨拶をして、歩いて行く。道を行くあいだは、呼吸に意識を向けた。そのおかげか、余計な物思いがなかったようである。と言いながら、やはり考えてしまっているのだが、呼吸とは、「流す」ための技法なのではないかと思った。何か余計な思い、嫌な思いが去来してきたとしても、それにいつまでもこだわらず、それを流し、その都度の現在の時点に(現在時点には常に呼吸の動きが存在している)立ち戻るための技法ということである。
時間が前後するが、街道に出た時には、西の空に黒い山の影と仄かな色の残光が見え、明るさのまだ残った空に虹のような形で雲の筋が掛かり、飛行機が細いV字型の軌跡を描きながら、斜め下に向かって、その雲のほうへと飛んでいる。裏通りを行く途中、(……)(我が家のほうにも時折り回ってくる行商の八百屋)のトラックが停まっているのに出くわし、挨拶をして少々言葉を交わした。
勤務は、余計な思考がなく、集中してこなすことができた。ただ、同時に、頭の疲れた感じ、頭痛もあった。退勤するといつも通り駅に入り、電車で帰る。帰路に特段の印象はない。
夕食は、昼の残りのカキフライや、素麺などである。テレビには、平昌オリンピックの開会式が映し出され、父親が興味深げに眺めていた。こちらは、頭というか意識が結構重くなっていた。皿を洗ったあと、『ドキュメント72時間』を見たいという気持ちがあったので、ストーブの前に座りこんで、『名探偵コナン』の映画版が流れるのを時間繋ぎに目を向けながら待つ。ドキュメンタリーは、おでん屋が舞台で、穏やかな気持ちで眺め、それから風呂に入った。湯に浸かっていても自ずと目が閉じて行き、そのたびに訳の分からない言葉が去来してくるような有様だったが、温冷浴をしているうちに少々意識が確かになった。それでも、出てきて歯を磨くと、読書はせずにすぐに眠りに向かった。