2018/2/22, Thu.

 五時前に目を覚ました。服薬をしようにも薬の袋が寝床になくて、寒さのせいもあって起き上がる気にならず、そのまま眠ったが、そうするとやはり寝付きは多少悪かったような気がする。七時台からは眠りが浅く、もう少し眠っておきたいと思いながらもあまりうまく入眠できず、七時四〇分になって覚醒を受け入れた。真っ白な曇りの朝だった。呼吸に意識を向けながらも思念が巡り、寝床にいるあいだ、時間が経って行くのが実に速いなという感じがした。呼吸をしているうちに、気づけば一〇分、一五分が経っている。
 八時頃になって寝床を抜け出し、上階に行った。早いじゃない、と母親は言った。便所で放尿し、食事は前夜と同じく、天麩羅や、茄子に舞茸と牛肉の佃煮を合わせたものや、野菜の汁物である。食べているとじきに、NHK連続テレビ小説が終わり、『あさイチ!』が始まって、この日は過去の回の再放送で、先日も見た瀬戸内寂聴の出演回がもう一度流される。それをふたたび見ながら林檎を食った。番組では、前回は見逃した部分だが、瀬戸内の『いのち』の終わりの部分が読まれ、曰く、七〇年間小説一筋にやってきたが、あの世から生まれ変わるにしても自分はもう一度小説家になりたい、それも女の、ということだった。それに触れて瀬戸内は、やはり女のほうが喜びも、苦しみも、深く感じることができて、それが生き甲斐となる、ということを言った。自分は、女性のほうが感受性が強いというこのような見方に必ずしも同意するものではないが、苦しみも、と彼女が言ったところにやはり何かしら感じるものはあった。
 皿を洗って、風呂も洗う。その後、炬燵に入るその頃には、番組は今度は小澤征爾がゲストの回を流している。時間が前後するが雨、というか細かな雪のような降りが始まっており、ぱらぱらと結構降っているそのなかで、母親はストーブの石油の補充をしていた。終わったら受け取ろうと思って待っていたわけだが、そのあいだ、母親が修理を頼んだバイク屋がやってきて、明細を渡して行ったらしい。母親が室内に戻ったあと、値段を見てくれと言うので、封筒を切り開けて見てみれば、(……)円余りで、母親はそんなに掛かるのかという意味合いの声を上げた。
 小澤征爾の出演を見たあと(クラシック以外に聞く音楽はあるのかという質問に、ブルースが大好きだと答えていたのが印象に残った)、母親とともにタオルやシャツや靴下などの洗濯物を干した。それから掃除機を掛け(この日はトイレのなかまできちんとやった)、下階に下りた。食事を取っているあたりは、テレビを見ていても余計な思念が生じるのが感じられたが、食後は心が落着いて、それがあまり気にならなくなった。これは食事を取って副交感神経が働いたためかもしれない。ともかくも心が落着いていれば、思念があってもさして支障はないのだ。
 この日はここで服薬をして、ここまで日記を書くと現在はちょうど一〇時である。それから、W・G・ゼーバルト/鈴木仁子訳『土星の環 イギリス行脚』を三〇分ほど音読した。母親は、(……)という、家から一五分ほど道を行ったところにあるのだが、障害者支援サービスをしている団体がいわゆる「まちゼミ」をひらいているというので、そこに出かけていた。(……)それで(……)ふたたび読書に戻ったのだが、この日は寒い曇天で、布団に潜っていても本を持つために出した手が冷たくなる。ゼーバルト土星の環』のなかでは、一一三頁の、このあたりはジョゼフ・コンラッドことコンラト・コジェニョフスキのエピソードが語られているのだが、彼が船員になってから十数年後にウクライナの伯父の家に帰還した際、家まで送っていく橇を操る御者が聾啞の子どもなのだが、この子についての記述やその後の風景の描写なんかがちょっと良くて、書き抜くことにした。「イギリス行脚」と副題の付されている作品で、実際、語り手の行った様々な場所、そこで話者の体験したことについての語りもあるけれど、話は結構、色々な人物のエピソードに飛んだりして、流れを要約するのは難しそうな小説である。六章では、サウスウォルドとウォールバズウィックのあいだのブライズ川という川に鉄橋が掛かっており、かつてこの路線を走っていた列車は、本来中国皇帝が乗るために造られたものだった、というところから、記述はほとんど歴史記述のようになり、太平天国の乱とか、その後のアロー号事件に始まる英仏の中国侵略とかが語られるのだが、太平天国の乱というのも、学校の勉強で名前だけは知っているけれど、考えてみると一五年くらい続いているもので、しかも二千万に上る人々が命を落としたといい、洪秀全の自殺のあとを追っても大量の人々が自殺したということで、改めて意識するととんでもない出来事だというか、このあたりの歴史の本なんかもちょっと読んでみたいなという思いが湧き、ひとまずゼーバルトの記述を書抜きメモに加えておいた。
 そうして読んでいたのだが、ちょうど一二時半になったところで、帰ってきていた母親が階上で床を踏み鳴らしてこちらを呼ぶのが聞こえたので上がって行くと、石油を運んでくれと言う。(……)から帰ってきたあと、バイクの代金を払いに行き、さらに石油やその他の諸々を買ってきたらしい。それで寒い寒いと言いながら外に出て(雨はかすかに降り残っていた)、赤いポリタンクをよいしょっという風に持ち上げて勝手口の箱に入れる。その後、もう一つのタンクに液体を移し替えておくわけだが、こちらはなかに入って母親の買ってきたものを冷蔵庫に入れてから、炬燵にあたっていると母親が、ポンプの電池がないから新しいのを取ってくれというので仏間から取ってやった。
 その後、焼きそばを作る。フライパンで野菜と麺を炒めて、完成するとこちらは食卓、母親は炬燵テーブルで食事を取る。母親が、何か録ってあるものを見ようかと言って、『家、ついて行ってイイですか?』を流す。一人目のカップルについては措いて、二人目は、プラモデルなどの類が大好きな五〇代の男性だったのだが、この人は二六歳の時に母親を亡くしていて、ある朝突然、卒中だか脳梗塞だかで倒れていたのだと言う。だから前夜の何でもないような、まったくいつも通りの会話が最後のものになったと言うのだが、その翌日だかに、母親が作ってくれた最後のカレーを涙をぽろぽろ流しながらよそって食べたと語るのには、少々もらい泣きめいて目が潤んでくるところがあり、これはまあ言ってみればありがちな「物語」、感動話なのだが、自分にはそれに感化されて涙を催してしまうようなところが前からあるにはあった。以前はしかし、これはよくある物語に過ぎない、こんなことで目に涙を帯びるのはナイーヴ過ぎる、と自分を制する心が働いていたところ、このところはもう別に、そんなことは良いのではないかと、大いに感情移入して涙して良いのではないかと思うようになっている。と言うのには、最近は自分の感情というものが本当によくわからず混乱しているので(段々そこからまた統合を取り戻しつつあるような感じもするが)、そうしたある種単純な感情の働きが自分に確かにあるということに安心する心があるのだ。またこの番組は、いつも素人の家を借りて収録をしているわけだが、この日のその家の主である九二歳のおばあさんが、健康そうで喋りもしっかりしているのだが、やはりたまにすっとぼけたような感じを見せていたのだが面白く、母親と一緒になって大いに笑い声を立てた。
 その後、『激レアさんを連れてきた』という番組も流し、それも視聴する。一人目に出て来たのは、竹馬ならぬ「鉄馬」でキリマンジャロ山を登頂した経験を持つという超人じみた七〇歳の男性で、最初のうちは修行のために四キロの鉄下駄を履いて登山をしていたというこの時点から既にあたかも漫画のエピソードなのだけれど、じきにそれが物足りなくなり、鉄下駄は一〇キロのものになり、最終的に竹馬から「鉄馬」に至ったというから、半ば訳がわからない。もう一人、出て来たのは森三中の黒沢で、彼女は中学生まで「朝ごはん」という概念そのものを知らなかったという話が語られるのだが、それを見るかたわら、アイロン掛けを行った。
 そうして二時半になって下階に下り、エンリーケ・ビラ=マタス/木村榮一訳『パリに終わりはこない』から二箇所書抜きをして、この本の書抜きはこれで終いである。そうすると三時、(……)のブログを読んだのだが、夜にはコンピューターを使わないという生活習慣を保っているために、自分の過去の日記や他人のブログをなかなか読むことができない現状があり、「(……)」も、いまだ二月二日までで停まっている遅れぶりである。ブログを読む際にも音読をしたのだが、やはり音読は何となく良いのではないかという感じがして、この日は、昼時にはちょっと明るいような気分で、テレビを見ていてもよく笑っていたし、全体的に心持ちが落着いており、余計な思念の蠢きもほとんどないように思われる。ここまで日記を書き足して、もう四時を回っている。
 上階へ。豆腐を電子レンジで温め、ゆで卵とともに食べる。済ませると下階に戻って、歯を磨きながらゼーバルトを読む。一四四頁から一四六頁のあたり、西太后についての記述のあたりは、何だかガルシア=マルケスのあの過不足ない語りを思い起こさせるようだというか、『族長の秋』を読んでいる時の感触と似たものを感じた。服を着替えると上階に行き、ストーブに当たりながら手を擦って、五時に出発である。
 雨は続いていた。坂を歩いているあいだ、その先の辻で八百屋や人々と会ってちょっとした会話を交わすことを期待している自分に気づいた。それとともに、先ほど読んだゼーバルトの小説のなかの一節、「時間の否定は、トレーンの哲学の学派におけるもっとも重要な教えである、と<オルビス・テルティウス>についてのかの書物には記されている。この教義にしたがえば未来はわれわれがいま持っている恐怖と希望というかたちのなかにしか存在せず、過去はたんに記憶であるにすぎない」(一四七頁)という部分が思い起こされた。未来というものは現在時に現前していないのだから、明らかに我々が頭のなかで構築する観念なのだが、恐怖(不安)や希望(期待)というものは、この観念を志向することによって、つまりはある意味で何らかの「妄想」によって生まれるのだと思ったのだ。そして、希望や期待が生まれてくれば、その裏返しとして、恐怖や不安も生じてくる。しかし我々はどうしても未来という観念を妄想せずにはいられない存在だろうし、そうしなければ生きていけない。したがって我々に出来るのはただ、自分が妄想しているということを自覚しながら妄想するということなのではないか。そういうわけで、現在を離れて未来を妄想していたなということを自覚しながら歩いて行き、辻では予想通り八百屋の旦那や、近所の老女や、(……)と立ち話をしたのだが、書き留めるほどの内容ではないものの、そうしたささやかな他者との触れ合いによって、期待通り、和むような気持ちになった。これはありがたいことだが、しかしおそらく、このありがたさにも執着しすぎてはいけないのだろうと考え、次の現在に行こうと思いながら歩みを続けた。
 この日の勤務は最初、何故か緊張があったが、始まるとなくなった。しかしその代わりなのか、働きながら疲労感を覚えていた。終わるといくらか和らいだようだったので、やはり多少、気の張るところはあるのだろう。
 缶に入っていた最後の菓子をもらってしまい、退勤すると、雨はまだ残っていた。駅に入り、電車に乗って座席で瞑目し、発車前の駆動音を聞いた。電話の鳴りを底にかすかに思わせるような、待機中の息遣いのような音だった。電車が走っているあいだは呼吸に集中し、ゆっくりと息を吐いて腹の動く感触に意識を向けていた。降りて傘をひらくと、電車が行ってしまったあとに、ちりちりとした細かな雨音が残る。
 駅を出て通りを渡ると、煙草に火を点けた男性がおり、一緒に坂に入る格好になった。何かぼそぼそと言っているので、独り言だろうかと思いながら抜かすと、じゃあまたね、と後ろから聞こえたので、ハンズフリーの電話だったようだ。通りに出ると、また雨音とともに行く。呼吸を意識することを忘れずに行きながら、帰りは思念があまり巡らないような気がするなと思った。一日の活動を終えてほっとしているのか、あるいは疲れのためだろうか。
 帰宅すると、寒いと言ってストーブの前に座った。母親にまた菓子をもらってきたと示すと、あとで半分ずつ食べようということになった。手を洗って自室に戻って着替えると、手帳にメモを取る。メモ書きをしながら、欲望という感じがないのをやはり不思議に思った。忘れてしまう前に、というような心はあるらしい。このようにして自分は、もうほとんど自分なりの書くことと生きることの一致を実現しているのではないかともちょっと思った。
 夕食は、赤飯の残りのおにぎりに、野菜の汁物、丸蒟蒻や牛蒡や人参の煮物、また、酢を帯びさせているのだろうか細切りの玉ねぎとカニカマに、ワカメやシーチキンを混ぜたサラダである。これらのどれも美味いもので、煮物は牛蒡の味が良かったし、おにぎりを食べると、口内から食道を通って胃に入っていく熱そのものがありがたいように感じられた。夕食のあいだはスピードスケートがテレビに掛かっていたのだが、それにもほとんど目を向けず、ものを味わって食べた。食事の終わるあたりからテレビを見てみると、男子のリレーをやっていた。コースの内側を併走している選手たちが、交代の場所まで来るとうまく走者の前に入りこみ、その背を前走者が押し出すことによってリレーが繋がれる。よくぶつからないなと思いながら見ているあいだ、最初のうちは中国がトップをキープしていた。韓国の選手がそれを抜かそうとした際に転倒して遅れを取ってしまい、ここで最下位が決定した。あとの走者はカナダとハンガリーで、ハンガリーは序盤はあまり目立っていなかったように思うが、最終的にトップでゴールした。
 その後、入浴前に、カーリングフィギュアスケートのハイライトも目にした。女子のフィギュアスケートは二人の演技を見たのだが、選手の個性だとか凄さ、持ち味といったものが当然まったくわからないものの、きちんと継続して見慣れれば、この分野も面白いのだろうなと思った。
 入浴中は呼吸を意識し、頭がさほど回った覚えはない。今日は髪を洗っているぞときちんと確認しながらシャンプーを手に取り、束子健康法も呼吸に合わせて身体の隅々まで行った。出ると下階へ行き、歯磨きをしながらゼーバルトの続きを読んだ。その後しばらく音読を続けたあとに、メモを取ろうと思っていたことを思い出した。それで手帳に記しはじめたのだが、眠気で瞼が落ちる有様だったので、仕方なく諦めて就床した。零時四〇分である。




エンリーケ・ビラ=マタス/木村榮一訳『パリに終わりはこない』河出書房新社、二〇一七年

 倦怠感に満ちた青春時代の思い出の中で、退屈しきっていた瞬間、パリ時代のある午後の、忘れがたい一瞬だけがなぜかいつもよみがえってくる。あの日の退屈でたまらなかった瞬間が自然に思い出されるのだ。屋根裏部屋にいる私は、ひどく小さい窓を通してサン・ジェルマン・デ・プレ教会の鐘楼を眺めている。自分は世界の中心で暮らしているのだ、ともう一度自分に言い聞かせてみる。その瞬間に、これまで何度となく同じ言葉を繰り返し、今また口にしたが、これは退屈している何よりの証だということに思い当たる。その時、誰かが世界の中心はデルポイではなく、ある偉大な芸術家が創作を行ってきた場所なのだと言ったのを思い出した。自分は偉大な芸術家で、ここは世界の中心なんだろうか? サン・ジェルマン・デ・プレは何かの中心だと、本当に信じていいのだろうか? どう考えても、自分が子供っぽい考えに取りつかれているとしか思えなかった。そこまで考えなくていいだろうと思い直して、そうした疑念を払いのける。そして、ふたたび退屈する。
 ああ、ぞっとする! ひょっとすると自分自身とうまく折り合いをつけることができないのだろうか? エラスムスは、自分自身とうまくやっていく術を心得ていたら、退屈することはないと言っている、と学生時代に人から教えられた。どうやらその術を忘れてしまったらしい。私は世界の(end242)中心にいるのではないし、おまけに退屈しきっている。倦怠感から逃れるために知性は役に立つのだろうか? この状態から自分を救い出してくれるのは知性しかない。頭を空にして、冗談半分で倦怠感に襲われた瞬間に風穴を開けようとする。ふと、退屈するということは、時間を無駄にしているということだと考える。その言葉を『教養ある女暗殺者』を書こうと思って用意した白紙に書き留める。人から聞いた話だと、白紙は作家を怯えさせるとのことだ。一年前屋根裏部屋にやってきた時に、小さな戸棚の上の段の引き出しで見つけた鉛筆を使ってその一文を書き留めた。その戸棚は、先ほど退屈している時に外を眺めた窓の下にある。ひどく短くなるまで使い込んだ鉛筆は、以前あの屋根裏部屋に住んでいた間借り人のものに違いなかった。コピのだろうか? それとも、ハビエル・グランデスのだろうか? あるいは、コピの前に住んでいた魔術師ホドロフスキーの友人のものだろうか? それとも、ブルガリア人の舞台女優のものだろうか? 隣の黒人がブルガリア人の女優と寝た時に残していったものだろうか? 大昔に住んでいた映画人ミロシェヴィッチのものだろうか? この屋根裏部屋で五カ月間暮らした服装倒錯者アマポーラのものだろうか? あるいはもともとミッテランが使っていたものを、この狭い部屋で暮らしてきたボヘミアンたちが、間借り人の中でもっとも有名な人物に敬意を払って何代にもわたって大切に守り続けてきたものだろうか?
 今はあまり退屈することはない。この屋根裏部屋に身をひそめていた二日間に、同志モルラン[﹅6]、つまりミッテラン氏が何をしていたのか気持ちを集中させて想像してみる。おそらく護身用の拳銃を持っていたのだろう。それにこの鉛筆もあったはずだ。今もまだここにある鉛筆、これはフランスのレジスタンス運動の象徴的な品を収蔵する博物館があれば、間違いなくそこに収められるだろ(end243)う。今の私のようにその部屋の鏡の前に立っているミッテランを思い描いてみる。彼は耳のところに鉛筆をはさみ、にこやかに笑っている。彼は同志ルネ・シャールが少し前に口にした、《信仰者の破滅は、自分の教会を見出すことにある》という言葉が気に入り、書き留める。
 (242~244)

     *

 デュラス論集の冒頭で彼女は、ほかにすることがないからものを書いているだけだと言っている。(end261)さらに続けて、《することがなくても平気なら、何もしたりしないわ。何もしないでいることができないから書いているのよ。ほかにものを書く理由なんてないわ。これがなぜ書くのかという問いに対する私の本当の答よ》と言っている。この正直な言葉に私は感銘を受けた。あの本を読んだ数日後に、サン・ブノワ通りでマルグリットとばったり出会った。そこで少し立ち話をしたが、話が文学に及んだので、どういう答が返ってくるかおよその見当はついたが、なぜものを書かれるんですかと尋ねてみた。予想通りの(《何もしないでいることができないから…》という)答が返ってくるだろうと思い、実はもうあの本は読んでいて、どのような答が返ってくるか分かっていますよと伝えようとして、口を開きかけた彼女を遮るようににっこり笑いかけた。というのも、興味があったので彼女について書かれた本にはすべて目を通していたし、出たばかりの論集の中に書かれていることもすでに読んでいると伝えようとしたからだ(そうすれば、私が彼女の世界に関心を持っていることが分かってもらえると思っていた)。
 しかし、予想とは違う答が返ってきたのでびっくりした。《自殺しないために書いているのよ》と彼女は簡潔明瞭に答えた。私はひどくうろたえ、何を言い、どう話を続ければいいか分からなくなって、もごもご意味不明のことを口走った。デュラスはエル・フロールへ行かなくてはならないので、道を開けてもらえるかと命令口調で言った。そして、《ぞっとするわね》と言ってこう付け加えた。《これからピーター・ブルックに会うんだけど、あの人に会うといつも何か良くないことが起こるの。前回なんか、エル・フロールの前で車にひかれそうになったのよ》。
 彼女がものを書くのは、何もしないでいることに我慢できないからか、それとも自殺しないため(end262)だろうか、いったいどちらだろう? 彼女は本当にまじめに言っているのか、あるいはつねに文学を生きているのだろうか? ある伝記作家が本を書く場合、作家が語ることをそのまま引き写すのではなく、その人が生きた人生を語るために本人が死ぬのを待たなければならないのだろうか? アンドレ・ジッドが、芸術家は自分が生きた人生を語るのではなく、いずれ自分が語ることになる人生を生きなければならない、と書いていたのをどこかで読んだ記憶がある。ああでもない、こうでもないと考えつつ、いったいどうすればいいのだろうと思い悩んだ。いずれ自分が語ることになるような生活を送ればいいのだろうか? そのためにはどうすればいいのだろう?
 屋根裏部屋に戻るまでそうしたことを考え続けていたので、自問自答に疲れ切ってしまった。その後、時間が経ってようやく理解できたのだが、デュラスは否定の偉大なスペシャリスト、ペーソス[﹅4]のある、もしくは正確にそのふりをするプロだった。彼女の著書『エクリール』に出てくる次のような一文ほど人を惹きつける魅惑的な文章は珍しい。《書かれるものの到来の仕方は風に似ていて、むき出しで、それはインクであり、書きものである。その移行の仕方は、この世のほかのどんなものとも違う特異性をもっているだけだけど、ただひとつ似ているのは命そのものよ》。この言葉は感動的ですらある。しかし、文字通りに受け取っていいのだろうか? それに、この一文は何を言わんとしているのだろう? 何かを語っているとすれば、その何かとは実を言うときわめて単純なことである。ごく単純なことを言っているにすぎない――つまり、文学というのは風と同じだと言っているのだ。しかし、実にうまい言い方であることは認めざるを得ない。当時は気が付かなかったが、今ならマルグリットは火遊びが好きだったのだと言い切れる。今だから言えるのだが、マルグリットは絶えず消滅していく言葉がいかに空しいかを明らかにするのが楽しくて仕方なかっ(end263)たのだ。
 (261~264)