2018/3/2, Fri.

 四時台に一度目覚めて、すぐに服薬してふたたび眠った。起床は七時五五分になった。寝床を抜け出すと、ダウンジャケットを羽織って上階に行く。階段を上がって行きながらおはようと母親に挨拶をした。朝食にはハムと卵を焼き、前夜の鍋料理の残りをすべて払ってしまった。NHK連続テレビ小説が終わると、テレビは『あさイチ!』で、北川景子がゲスト出演していた。
 食後、冷蔵庫の野菜室の整理。ものを一つ一つ出して行き、床の上に置いておいて、すべて出すと敷かれていたカレンダーの紙を捨てる。代わりに新聞紙を、三枚重ねて敷き入れておき、ものを戻して行く。ある程度整理がついたかと思う。使いかけの野菜は上段に置いておくことに。
 一〇時過ぎからティク・ナット・ハン/島田啓介訳『リトリート ブッダの瞑想の実践』を読む。ベッドで。布団を身に掛けなくとも大丈夫な温かさ。陽が窓から射しこみ、顔に当たる。一一時半くらいにはいくらか勢いが弱くなっていて、見れば薄く編みなされたような雲が広く空に。
 昼食は、母親の作ってくれた芋幹や人参やシーチキンのサラダに、納豆で米、またブナシメジや野菜のスープ。母親、一二時半過ぎに出かけて行く。「子どもプラス」の仕事。食後、食器を洗い、タオルを畳んでおいて下階へ。
 ギター弄る。その後、室で、インターネットで自生思考とマインドフルネスなど検索。身体がこごった感じがあったので、二時からベッドに寝転んで、ティク・ナット・ハンを読む。三〇分ほど。それで日記を書き出してみるのだが、文を書きたいという感じが全然しない。記憶を思い返すのも面倒臭いような感じ。何を書いておきたくて、何がそうでないのかもよくわからない。もう自分は書かなくても良いのではないか、という気もする。自生思考のために頭のなかも訳がわからず、むしろ書かないほうが身のため、精神のために良いのではないかという感じもなくもない。前日、前々日もメモを取ってはあるのだが、改めて綴る気持ちが起こらない。
 三時半。ギターをまたちょっと弄ってから(今度は立って、ピック弾きをする)上階へ。ハンカチ類にアイロンを掛ける。その後、エプロンも一枚。外は好天である。アイロン中、威勢の良い排気音の車が、外の道を通り過ぎて行く。
 室に帰ると、歌を歌う。Oasis "Wonderwall"に、Maroon 5 "Sunday Morning"。花粉の影響の上に本を音読して喉を使ってもいるので、歌うと喉が痛いよう。歌を歌うと、ちょっと気持ちが上向いた気がする。とは言え、文を書くことに対する欲望が薄れてしまったいま、ニヒリズムめいた空虚さが常にどこかにあるような感じはする。文学や読み書きというものに出会う前、大学三年生から四年生の頃も、ニヒリズムというものに悩まされていて、結局自分がパニック障害になったのも、自分という存在がわからないというその不安によるものだったのではないかという気もしないではない。とすれば、今自分はまさしく、二度目の大きな発作とともに、二度目の実存の危機を迎えていると言っても良いのかもしれない。とは言え当時と比べればそれなりに歳も取ったし、一度経験していることであるからそれほど鬱々とした感じもなく、日常生活を支障なくこなせている程度ではある。
 これから、石川美子訳『ロラン・バルト著作集 7 記号の国 1970』の書抜きをしようと思う。
 書抜きをしているあいだ、音読の効果と前頭葉の関係についてなど、また検索してしまったのだが、まとめブログにまとめられたスレを眺めているあたりで、なぜか腹のあたりが軽いように、呼吸がやや楽なようになってきた。五時過ぎである。
 運動を行った。BGMとしては、Marvin Gaye『What's Going On』を久しぶりに流した。それで腕振り体操を初めに行い、その後柔軟、腕立て伏せほかと移行していく。#3 "Flyin' High (in the Friendly Sky)", #4 "Save The Children"を聞きながら、このアルバムのベースの滑らかで推進力のある動きはやはり素晴らしいなと思った。運動をしながらしかし、何故だか、いまこのように身体を動かしていて、意味はあるのだろうかというような問いが勝手に脳内に湧き上がってくる。意味も何もないと思うのだが、自動的に言葉が浮かんでくるのだ。どうも最近は、上にも書いたように、自分の生の意味だとか、自分とは何なのかというような問いに囚われてしまっているらしい(書くことを生の第一義に据えていたあいだは、この問いは消滅した、自分の問いではなくなったと思っていたのだが)。そして、ヴィパッサナー瞑想的な実践によって、「いまここ」の瞬間を微分的に細かく認識できるようになったのは良いが、暴走的な頭がその瞬間瞬間に無益な問いを投げかけてしまうのだろう。一方で、そんなことはどうでも良いではないかという心もあるのだが、問いにも、問いの却下にも落着けず、そのあいだを行ったり来たりして止まないというのが、自生的な思考を備えてしまったいまの自分の状態である。しかし、自分のこの存在もいつかなくなるのだと考えると、やはり生とは、この世界とは一体何なのだろうという声が浮かんでくるもので、けれどきっとそれに明確な答えを出して落着くことのできないまま、問いをひたすらに問い続けたまま、何もわからずに死んでいくのが自分の生なのではないかという気がする。
 運動ののち、上階に行った。もうだいぶ薄暗くなっていたので電灯を灯し、居間の窓のカーテンを閉めて行く。出勤の前に食事を取るわけだが、母親が昼に作ってくれた肉じゃがと、ゆで卵を食べることにした。ストーブの上に載せられた鍋から肉じゃがを皿によそり、電子レンジで温める。卓に就き、肉じゃがのなかの人参やじゃがいもや蒟蒻を箸でつまみ上げながらそのものを確認し、口に入れ、ものを食べることそのものに集中しようと思うのだが、やはりどうしても頭のなかのおしゃべりが止まらないものである。それでも時折りは咀嚼に意識を戻して、食べ終えると皿を洗った。靴下を履いてしまい、下階に戻ると、歯を磨きながらティク・ナット・ハン/島田啓介訳『リトリート ブッダの瞑想の実践』を読む。ブッダの挿話を引いて、「牛」を手離さなければならない、自分が縛られているものから自由にならなければならないと語られるのだが、確かに、欲望だとか、「~~したい」「~~したくない」という気持ちから悩み苦しみは生まれるのだから、すべての執着を放棄することができ、最終的には生への執着すら捨てることができれば、もはや何も怖いものはないだろうなと思った(しかしそのような状態が実現可能なのか疑問だし、実現したとして、それは通常の、常識的な人間的「幸福」とはまったく違うものなのではないか?)。その後、服を着替えた。この間、呼吸を意識しつつ、ゆっくりとした動作で動くことができた。
 出発。道に出ると、東の空に満月。見事な形と明るさ。暈が周りに丸く。黄色く。その縁は仄かな赤味。空気、肌に触れると、やや冷たい。この日はコートを羽織った。
 表通りを行く。呼吸と歩みにのみ集中しようとするのだが、やはりどうしても思念は勝手に動く。月が常に途上にある。車の風切り音。
 労働、問題なし。労働中は思念、うごめかない。一応、目の前の仕事に集中できている。この日はまた、職場が静かで、何か落着いた気分でいられ、このような時間も悪くないと思えた。菓子をいくつか(多分(……)が、一年間おつかれさまということで用意したのではないかと思うが、ホームパイとかカントリーマームとか飴とかが大量にあった)コートのポケットに入れる。そういえば、働いている間、アレグラFXを飲んできたのに、半ばまで鼻水が出て仕方がなかった。(……)が今日で勤務が最後だというので、あいさつ。とにかく身体には気をつけてと。
 退勤。駅へ。電車、座ってメモ。向かいに接続の電車来るまで。乗り換えの人が来ると、瞑目して到着待つ。
 帰宅。ストーブ前。母親、疲れたねと。着替えて食事。米、焼売(四つ)、芋幹と人参やシーチキンのサラダ、肉じゃが、ブナシメジとワカメとセロリのスープ。肉じゃががうまくなったと言えば、味を足したからと。あと、母親が半分残したカレーパンも食べた。焼売とともに米を食べつつ、うまいねと告げる。
 テレビは『所さんのそこんトコロ』。最初は東海道だかの旧宿場町を訪ね、本陣だった宅を訪問したり。その次は庭のリフォーム。特段、書いておきたいことはないが、庭の造作の技法で、たしか「洗い出し」と言っていたか、それはへえ、と思った。四角く成型したコンクリートの、表面だけ固化しない液体をかけ、中が固まったあとに表面を洗い流すと、コンクリートに含まれた小石が模様として浮かび上がるというもの。気分の良さ、あるいは落着き、続いていた。
 皿洗ってストーブ前。『ドキュメント72時間』。浅草のバッティングセンター。外国人に人気らしい。見たい気もしたが、ちょっと見て、風呂へ。
 夕食中また、(……)の手紙。「(……)」を発行したと。なかなか達筆だな、と思う。文章のなかで、金子兜太の死について触れている。同時に、澤地久枝の本を読んでいて、などと合わせて名を出しているので、(……)という人は結構教養があるのだな、と思った。
 眠かった。風呂に入っていても、目を閉じてしまう。出ると下階へ。手帳にメモを取って、零時二五分頃、床に就く。




石川美子訳『ロラン・バルト著作集 7 記号の国 1970』みすず書房、二〇〇四年

 (……)挨拶は、礼儀作法の網目の線にすぎず、その網目のなかでは何も抑えられておらず、もくろまれてもおらず、意味深長でもないのだった。だれが、だれに、挨拶をしているのだろうか[﹅18]。このような問いだけが、挨拶を正当化し、平身低頭して平らになるまでおじぎをさせるのであり、挨拶においては意味ではなく線のかたちこそが大事なのだと思わせてしまうのである。そして、西欧人なら過剰なものと見てしまう姿勢にたいして、シニフィエいっさいが、考えられないほどに不在になっている身ぶりの慎みそのものをあたえることになる。かたちあるものは空虚である[﹅13]と仏教のことばが言っている――くりかえし言っている。それこそが、作法(この言葉には造形的な意味と社交的な意味があり、ここではふたつを分けることはできない)の実践をとおして、礼儀正しい挨拶や、折り曲げられたふたつの身体――たがいに線を書きあっているが屈従しているのではない身体――が語っていることなのである。わたしたち西欧人の話しかたの慣習には、大きな欠陥がある。というのは、もしわたしが、あの国では礼儀とはひとつの宗教なのだと言ったら、礼儀には何か神聖なものがあるのだと発言することになってしまうだろう。だからこの表現は、つぎのことを示唆するように、すこし曲げて言われなければならない。あの国では、宗教は礼儀にすぎないのであると。あるいはこう言ったほうがいいだろう。宗教は礼儀に取って代わられているのである、と。
 (103; 「おじぎ」)

     *

 (……)蛙が水にとびこむ音が芭蕉を禅の真理に目ざめさせたのだと言われるとき、つぎのように理解することができる(このような言いかたは、まだまだ西欧的すぎるのだが)。芭蕉が水音を耳にして発見したのは、もちろん「啓示」とか象徴への過敏とかいった主題ではなく、むしろ言語の終焉である。言語が終わる瞬間(大いなる修業ののちに得られる瞬間)というものがあり、反響のないこの断絶こそが、禅の真理と、俳句の短くて空虚なかたちとを作りあげている。ここでは「展(end113)開」はきびしく否定される。なぜなら重要なのは、重く、充満し、深遠で、神秘的な沈黙の状態のうえに言語を押しとどめることではないからである。また、神との対話(禅に神はないのだが)にひらかれたような虚心の状態ですらない。俳句でしめされるものは、言説のなかにおいてであれ、言説の終焉においてであれ、展開してはならないのである。しめされるものには、反響も光沢もない[﹅8]。それはせいぜい、なんども繰りかえすことしかできない。それこそが、公案[﹅2](師から課題としてあたえられる逸話)を修業する参禅者が教えられることであった。すなわち、あたかも意味があるかのように公案を解明するのではなく、またその不条理を理解するのですらなく(不条理もまたひとつの意味だから)、「歯の抜け落ちるまで」その公案を噛みしめるということである。このように、禅のいっさいが――俳句はその文学部門にすぎない――言語をとどめる[﹅7]ための大いなる実践であるように思われる。わたしたちが眠っているときでさえ休みなく放送を流しつづける心のなかのラジオのようなものを断つために(それゆえに修行僧は眠らせてもらえないのだろう)、そして精神の抑えきれないおしゃべりを空虚にして、麻痺させ、ひからびさせるために、なされる実践。禅において悟り[﹅2]とよばれているものは、西欧人にはややキリスト教的な言葉(天啓[﹅2]、啓示[﹅2]、直観[﹅2]など)によってしか訳しえないが、おそらくは言語の突然の中断にほかならないのではないだろうか。「さまざまなコード」の支配をわたしたちのなかで消し去ってしまう空白であり、わたしたちの個我を形成するあの内的な語りの裂けめなので(end114)はないだろうか。そして、この無 - 言語[﹅3]の状態がひとつの解放であるのは、二次的な思考(思考についての思考)の増殖や、余分なシニフィエのかぎりない追加――言語そのものが、この循環を取りしきりながら、またその典型にもなっている――は、仏教的な経験にとっては、閉塞状況のように思われるからである。そうではなく、二次的な思考をなくすことこそが、言語のかぎりない悪循環を断ちきってゆく。こうした経験すべてにおいて重要なのは、えもいわれぬものという神秘的な沈黙のもとに言葉をおしつぶすことではなく、言葉に節度をもたせる[﹅7]ことであり、回転しつづける言葉のこま――回転しながら、象徴による置きかえという強迫観念的作用をひきずりこんでしまう――を止めることである。ようするに、攻撃されているのは、意味を生みだす機能としての象徴なのである。
 俳句においては、言葉を制限するために、わたしたち西欧人には想像もつかないような配慮がなされている。なぜなら重要なのは、簡潔であることではなく(すなわち、シニフィエの密度を減じずにシニフィアンを縮めることではなく)、その反対に、意味の根幹そのものに働きかけることだからである。そうして、その意味が噴出したり、内在化したり、暗黙裏に認められたり、解き放たれたりすることのないようにする。隠喩の無限の広がりのなかや、象徴が作用する諸領域のなかに、意味が流れだしたりしないようにする。俳句の短さとは、形式上のことではない。俳句とは、豊かな思考が短いかたちに凝縮されているのではなく、つかのまのできごとが一気にその正確なかたちを見出しているのだから。(end115)言葉に節度をもたせることには、西欧人はもっとも向いていない。長すぎたり短すぎたりしてしまうからではなく、そのあらゆる修辞学ゆえに、シニフィアンの饒舌な流れのもとでシニフィエを「冗漫に表現」したり、意味内容を暗黙のものとしている領域のほうへと形式を「深化」したりして、シニフィアンシニフィエとの関係を不均衡にする義務が課せられているからである。俳句の正確さ(現実をそのまま描写することなどではなく、シニフィアンシニフィエの適切な関係のことだ。その意味関係を越えたり、その関係にすきまをあけたりしがちな余白やしみや間隙を取り去ることである)。俳句の正確さには、当然ながら、音楽的な(意味による音楽であって、かならずしも音による音楽ではない)なにかがある。俳句には、音符のもつ純粋さと球形性と空虚そのものがある。おそらくそれゆえに、俳句は二度くりかえして読みあげられるのであろう。この繊細な言葉を一度しか読まなかったら、完璧さのもたらす驚きや鋭さや唐突さにひとつの意味をあたえることになってしまうだろう。二度ではなく何度も読んだなら、発見すべき意味があると前提して、深遠さをよそおっていることになってしまうだろう。二度だけ読まれることで、その響きには特異さも深遠さもなくなり、意味が無効となったなかで一本の描線を引くことでしかなくなるのである。
 (113~116; 「意味の免除」)