●七時五分起床。スガシカオ "ココニイルコト"頭に。寝床でも、書くことについて悩む。ともかく起きて、上階へ。
●朝食は、前夜の天麩羅の残り、鶏釜飯、即席のシジミの味噌汁に豆腐やワカメや菜っ葉を足したもの(これが美味かった)、サラダ。父親、起きてくる。テレビ、知床半島。雪山。様々な鳥たち。「氷泥」という現象を知る。その後、『小さな旅』。島根県出雲。ここも雪景色。たたら製鉄やそろばん。
●食器(前夜に父親が飲み食いした分もあって、多かった)片付ける。その後、風呂洗い。炬燵テーブルの上で日向ぼっこ。しかし、頭には書くことのことが。下に下り際、石油を入れておいたほうが良いのではと思い当たる。タンク持ち上げてみれば、やはり軽くなっているので、玄関から外に出て勝手口へ。美しい晴天。石油が入るのを待ちながら、やはり悩む。いっそのこと、もうやめてしまったほうが良いのではという心がある。一方で、自分の生の記録が何も残らない、その一日がどういう一日だったのか、あとになって思い出せない、知る頼りがないというのにも、満足できない。しかし、記憶を探ってそれを言葉にするのが面倒臭く、苦しいようでもある。覚えていること、蘇ってくることが多すぎて、そのあいだの取捨選択と整理がうまくできないのだ。以前はただ盲目的に、できるだけ書くのだという思いに衝き動かされていれば良かったものを。
●なかに入り、自室へ。インターネット回る。その後、とりあえず日記に掛かる。二日の分は手帳から写し、三日もノートから。その後はメモに沿って簡潔に記す。一応、このようなやり方でなら記せてはいる。迷いがありながらも、自分は一応、このようにしてまだ書いてはいる。しかしやはり、苦しさがあるよう。ここで一〇時。今日は立川で、(……)や(……)と会合。
●その後、読書。ティク・ナット・ハン/島田啓介訳『リトリート ブッダの瞑想の実践』。読みながら、自分には書くことも含めて、様々なことに関して迷いがある、その迷いによる苦しみから逃れたいと思っている、そういう執着が自分のなかにある、と自分自身の心の内を認めるようにする。陽射しは窓から射し入って、温かい。自分の母親と和解した青年の挿話や、怒りと復讐心から誤って子どもを殺してしまったヴェトナム戦争の退役軍人の挿話に涙する。
読んでくださっている方々には申し訳ないが、ここまでで自分の書く営みは一旦、休止である。自分が書きたいのか否かもわからず、巡る思念のために思考がまとまらず、自分が日々の生活のなかでものをどう感じているのかも、いまいち良くわからないようになってしまった。自分自身を客体化して書き綴る営みによって、その混乱に拍車が掛かりそうな気がするのだ。この五年間と少し、ほとんど一日も欠かさずに自らの生活を日記として綴ってきたけれど、あるいは自分の書くことに対する欲望は、それによって消尽されてしまったのかもしれない。それならばそれでも良かろう、書くことだけが生ではないのだ。あるいはもしかすると、またいずれ書きたいという気持ちが自分のなかに生まれて、ふたたび書きはじめる日が来るかもしれない。それならばそれも良い。とりあえず今のところは、自分の生活を書き記すという営みの存在しない生活を、どのくらいになるかわからないが、送ってみようと思う。