●横山貞子訳『フラナリー・オコナー全短篇 上』を読んでいる。「善人はなかなかいない」や「田舎の善人」に顕著だが、オコナーはまったく救いのない暴力の物語を淡々と、無慈悲に書いてみせる。
●「田舎の善人」では、それまで気の良い聖書売りとだけ見えていた青年が、最終盤になって豹変するのだが、その「本性の開示」には演出上、ほとんど何の劇的な要素もなく、あくまで淡々と描かれており、青年は冷静を保っていて、それがかえって慈悲のなさを強調しているように思う。
●昼食後、散歩に出た。(……)の宅の横の白梅が、道の上まで迫り出して咲き誇っていた。歩いているあいだ、紅白の梅が到るところに見られて、目を楽しませる。
●気分は悪くはない。帰ってきたあと、母親と並んでテレビを見て、笑うことができているのだが、それでもやはりどこかに空虚さ、つまらなさのようなものがある気がする。完全な満足や自足などというものは人間にはなく、色々あるけれどまあ悪くない、というところで落とすほかないのだろうが、もう少し、生の張り合いのようなものが欲しくはある。日々を過ごしていくうちに、また変わってきてくれるとありがたい。
●以前のように、一日のことを朝から晩まで細かく書くという気力は起こらなくなってしまった。何か別のやり方で良いので、また書くということが自分の生き甲斐になってくれないだろうか。あるいは、何か別の表現、別のことでも良い。歩いているあいだには、写真がもしかしたら合っているかも、とか、書くにしても短い形式で、俳句や短歌をやるのも良いかも、などと考えていた。
●死ぬまで文を書き続けるのだと思い込んで疑わなかった自分が、今のようになってしまったので、まったくもって、確実なことなどないというのがこの世の相だと思わざるを得ないが、今のところ、読むことのほうは毎日続けられている。これだってもしかしたら、いずれやめてしまう日が来るのかもしれないが、ともかくも今はまだものを読む気がある。
●洗濯物を取りこむ際、ベランダの床が、スリッパを履いた足がつるつると滑るくらいに花粉にまみれていた。
●トリスタン・グーリー/屋代通子訳『日常を探検に変える ナチュラル・エクスプローラーのすすめ』書抜き。
●夕刻に掛けて一時間ほど音読をしたところ、頭がすっきりとまとまったようになった。脳内物質の分泌のためなのか、音読をするといつも、最初のうちは欠伸が湧き、目が閉じかけてくるのだが、この時は、それを越えると気づけば口が良く動くようになっていた。音読はやはり精神安定に良いのではないか。どうせ本は読むので、これからも毎日続けて行きたいと思う。
●オコナー「強制追放者」。面白かった。収容所に入っているという妹を呼び寄せて黒人と結婚させたいガイザックと、そのような話をして黒人を「混乱」させてほしくないマッキンタイア夫人の、そのあいだの会話の噛み合わなさ。「収容所」というショッキングなワードと事実が提示されているにもかかわらず、マッキンタイア夫人はそれについてほとんど一言も言及せず、無視し、自分の主張を押し通そうとする。そんな夫人ものちには、ガイザックに解雇通告を言い渡すのが辛くなって、先延ばしにしながら体調を崩し、不眠になってしまう。ついに通告をしようというところで、ガイザックは事故でトラクターに轢かれて死んでしまう。オコナーはどの篇でも、このように、ぴったりと嵌まる印象的な落ちを用意していると思う。その後、夫人は神経を病んで入院し、退院後は隠居暮らしに入るのだが、やはり身体が悪くて寝たきりの生活になってしまう。そのような没落のなかで、彼女が煩わしがっていた老神父だけは以前と変わらず訪ねてきて、カトリックの教義を説いて聞かせる、その一点の変化のなさが皮肉なようである。
●夕飯の一品として、冷凍のカキフライを揚げたのだが、これが美味いものだった。噛んだ瞬間に内から汁と味わいが染み出てきて、一緒に食べる米が進むものだった。冷凍食品のわりに、二個、三個と口にしても美味さが減退しない質だった。
トリスタン・グーリー/屋代通子訳『日常を探検に変える ナチュラル・エクスプローラーのすすめ』紀伊國屋書店、二〇一六年
色は、生命の兆しの乏しかったところに、命の息吹をもたらし、喜びの源となる。長い間、雪の白と不毛な岩とに閉ざされていた平原に緑が満ち、やがて紫や金銀の花々がほころんでいくさまは、無上の美しさであると、シベリアを訪れたある旅人が記している。だが色は、実は見つけようと思えば、たとえ往々にして無愛想な山岳地帯というキャンバスにさえ見出すことができる。やすやすと立ち現われてはこないかもしれないし、あふれるほどに見つかるものでもないけれども、時が経過し、光が移ろうにつれ、ほんのつかの間でも色は現われる。一九世紀の英国の写真家でエッセイも書いたフィリップ・ギルバート・ハマトンは、次のように述べている。
目に見ることのできる世界で、まばゆいばかりの壮麗さと清浄さとを、かくも見事に兼ねそなえているものは、凍てついた雪にすっぽりと覆われ、広大なる湖の水面にその姿を映した堂々たる山をおいてほかに知らない。太陽が傾くと幾多の影が伸び、氷河のクレヴァスの奥底を覗いたかのような、冷たく緑がかった青を帯びる。日に照らされた雪ははじめ、典雅なる白バラの、次いで燃え立つ紅バラの色に染まり、空は淡い孔雀石の碧[みどり]となり、やがて世にもまれなる不可思議な光景は、青ざめた薄墨に覆われてしまうが、あまりにもつかの間のその美しさ(end181)は、決して見た者の心を去ることはない。
(181~182)
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(……)アル=マスーディは、バックギャモンに興じるインドの人々が、反物や貴石を賭けてゲームに臨み、賭けるものがなくなると、しまいには自分の体の部位まで賭けたと記している。これほどまで熱のこもる勝負の前には、痛み止めの特別な赤い膏薬を満たした銅の鍋が、競技者の脇に置いたコンロにかけられた。賭けに負けた競技者が指でもって支払わねばならなくなると、ゲームをしながら指を落としてその切り口を熱い膏薬に浸して麻痺させ、切断による中断を最小限ですませようとしたとい(end225)う。
(225~226)
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人ごみにもまれて都会がいやになる人は少なくないが、そういう環境で浮かれるタイプもいる。フランスの詩人ボードレールは人にまみれることに官能を刺激され、人の数が増えるごとに喜びも増したという。ウォルト・ディズニーも、ディズニーランドを構想するのに、観客という群衆の存在によって観客自身に劇場にいるような興奮をもたらす効果を狙った。画期的なテーマパークが初めて開園する直前、ディズニーとともに場内を車でまわったゲストたちはみんな、その仕掛けに目をみはったが、ディズニーは一番の出し物はまだここに来ていないのだと指摘した。「パークを人で埋めてごらんなさい。そうして初めて仕掛けが完成するんです」と。
(227)
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初めての土地に足を踏み入れたとき、わたしたちはたいてい目新しいものをありがたがる。旅の始まりのころは、しばしば新しさを貴重さと混同しがちだ。やがては身をもってそうでないと学んでいくのだが。プラスティック製の自由の女神像だの土地の名物料理だのラクダの試乗だの、物売りは新しもの好きの弱みにつけこんでくる。マーク・トウェインは[その著書『ヨーロッパ放浪記』で]、アルプスでヨーデルを聴く楽しみを例に引き、目新しさの交換価値が時間とともにいかに衰えていくか、ものの見事に示してみせた。
一五分ほどすると、またひとりヨーデルを唄っている羊飼いの少年に出くわした。わたしたちは半フラン渡して、ヨーデルを続けてもらった。少年は見えなくなるまでヨーデルで送ってくれた。それからあとは、一〇分ごとにヨーデル唄いと出会った。最初のひとりには八セント、二人目には六セント、三人目には四セント、四人目は一セントで、五から七番目には何もなし、それ以後はヨーデル唄いのひとりひとりにそれぞれ一フランずつやって、これ以上ヨーデルを聴かせてくれるなと頼んだ。アルプスにはヨーデルがありあまっている。
(238)
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その昔、古代インドのある国王が、毎日王国の荒れた地面を歩かなければならない臣民を気遣った。王は慈悲ぶかい人で、事態をなんとかいい方向へ向けたいと考え、解決策をひねり出した。領土の地面という地面に柔らかな獣の皮を敷きつめ、臣民のか弱い足の裏を守ればいいと思いついたのだ。賢明な側近のひとりが勇を鼓して別の手立てを提案した。獣の皮を小さく切って足にくくりつければ、もっと安くて簡単に、同じ結果が得られるのでは? こうしてサンダルが誕生した。
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空腹よりも切迫するのが、干からびた細胞が水分を求める声だろう。だがわたしたち程度の喉の渇きでは、先人たちの危急にはとうてい近づけない。ゴビ砂漠にいたスウェーデンの探検家スウェン・ヘディンは、日記にどんな末期の一文を記すことになるかわからないが、その前に携帯コンロのアルコールが飲めるかどうか試してみる、と書いている。ウィルフレッド・セシジャーは砂漠のアラブ人がすさまじい渇きを癒すのに、ラクダを殺してはらわたの中身を飲むか、ラクダの喉に棒を突っこんで嘔吐させ、その吐瀉物を飲むかすることを教わった。
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