●横山貞子訳『フラナリー・オコナー全短篇 下』。「長引く悪寒」、「家庭のやすらぎ」。
●時間を持て余してしまう。「何をしよう」という心が明確に出てこない。今までの自分には、なかったことである。自分の中心にあったに違いない書く欲望が希薄化してしまったことで、その他の欲望もまとめて薄くなってしまったかのようである。自分がこんな状態に陥るとは思っていなかった。
●何をしていても、楽しい、面白いという感覚が薄く、感動というものがないようなのが苦しい。感情が平板化してしまったのだろうか? 気分がそう悪いわけではないのだが、欲望と、それに基づいた感動がなくなってしまったので、生の張り合いがないようだ。
●自生思考もまだある、と言うか、これはおそらくなくならないものなのだと思う。一応、その都度の判断は適切に下せている。何かに苛立つということもなくなって、以前よりも平静な人格になってはいるのだが、そのかわりにプラスの感情すら薄くなってしまったような感じがする。
●久しぶりに音楽を聞く。Keith Jarrett Trio, "Old Folks", "Falling In Love With Love", John Legend, "Ordinary People"。
●父親、自治会の総会へ。スーツ姿だった。
●録画された番組から、『A-Studio』。峯田和伸。
●二時半過ぎ、散歩へ。陽が出てきていた。歩調緩し。桃色の花の樹に、鵯。彼岸の入りで墓参りの姿が多くある。梅の花びら、道に散っている。
●帰宅後、洗濯物を片付ける。そうしてヴァージニア・ウルフ/御輿哲也訳『灯台へ』書抜き。
●夕食の支度、餃子を焼き、蕎麦を茹でる。合間、母親、愚痴る。車や洗濯物の有無で、出かけているかいないか周囲から常にチェックされているかのようであること、また、世間話で外出のことを聞かれるのが嫌だと。愚痴を受けても以前と違って苛立ちは湧かない。穏やかに受け答えする。
●横山貞子訳『フラナリー・オコナー全短篇 下』。「障害者優先」。狂信的な少年と、それを更生させようとする男、それにいくらか知能の低いらしい子どもというのは、『烈しく攻むる者はこれを奪う』の設定を思わせる。苛烈なような篇が続く。七時半前まで。母親はクリーニングを取りに。
●夕食後、母親と並んでテレビ。『おしゃれイズム』。広瀬すずなど、『ちはやふる』に出演している三人組。新田真剣佑という珍しい名前の人を知る。笑顔良し。
●風呂に向かう際、母親が、皿は洗っておくから置いておいて良いと言った。こちらはそれに対して、自分の分だけは洗っておくよと答えたのだが、このように互いに配慮をし合う関係が母親とのあいだに築けていることはありがたいことだと思った。
●音読を頑張ったためか、頭痛があったが、入浴で解消。父親、九時過ぎに帰宅する。