2018/3/29, Thu.

●母親と、飯能の美杉台公園に花見に行く。郵便局と銀行に寄ってから埼玉の方へ。スーパーアルプスで買い物、おにぎりや焼きそばにたこ焼き、クリームパンなど買ってから公園へ。白い桜が満開で、回廊のようになっていた。写真を撮ったりしたあと(こちらは、枝に止まっている鵯の姿をズームで捉えようとしたが、あまりうまく行かなかった)、通路の脇に腰を掛けて食事。運動部の中学生がランニングで前を通り、こんにちは、と声を掛けてくるのに返す。食事を取ってから車内に戻ると、空気が相当に暑く熱されていた。
●その後、二月一七日にも訪れた朝日山公園にも行った。階段ではなくて、同心円状になっている坂を上って頂上まで行く。頂上には人がおらず、ちょっと経つと黒い犬を散歩させている婦人が一人、上ってきたのみだったが、どこかから姿は見えないものの、笛の音が響いていた。
●帰ったあとは、ソファに横になって休んでしまう。それから服を着替えてきて、自室にいても間が持たないので上階に行き、何かやることはないかと母親に訊くと、アイロン掛けと言うので、自分のワイシャツやハンカチ、母親のズボンにアイロンを掛けた。それからはまた間が持たないのだが、ソファに就いて何をするでもなくいると、座布団のカバーを取り替えていた母親がテレビを点ける。録画されたなかから『おしゃれイズム』を選んで、マツコ・デラックスが豪邸を見に行くという企画が映し出されるのだが、見ていても面白く感じないので下階に下りた。と言って、何かやることがあるわけでもなく、兄の部屋に入って適当にギターを爪弾くのみである。
●本当に、何を見ても聞いても何をしていても心が動くということがなくなってしまったのが苦しい。本を読んでいても音楽を聞いていても、以前のように何かが迫ってくる瞬間、何かそのものに触れることが出来ているという感覚がない。本など、読んでいて一応意味は理解できているようなのだが、質感などがまったくわからないのだ。もう自分は一生このままなのかもしれないと思うと、どうすれば良いのかわからなくなる。以前の自分の脱け殻のようにして生きている現状である。一か月前はまだしも、日記を書くこともできていたのに、今はそれもできず、何かを見ても、その場でこれを書こう、という気も起こってこない。
●夜、八時頃から母親と歩きに出る。母親が、宮ノ平駅や都バスの時刻表を携帯電話で撮影しておきたいと言ったのだ。それで散歩がてら、一緒に外に出た。母親は道中、ここは誰の家で、ここは誰の家でと色々な宅について触れてみせて、実に良く知っているものである。また、道の暗い部分に来ると怖いねとしきりに口にしていた。