2018/8/13, Mon.

 目覚ましは七時に設定してあった。止めた記憶がなかったがおそらく鳴ったのだろう。しかし気づけば八時前を迎えていた。ミンミンゼミの声が窓の外、朝の空気のなかに拡散していた。上階に行くと、母親は台所で素麺のサラダを作っている。前夜のうちに作り置きされてあったドライカレーを冷蔵庫から出し、電子レンジに収めた。父親が便所から出てきたのと入れ替わりに便所へ行き、その後、ドライカレーにサラダ、卵焼きを卓に並べた。サラダは素麺と野菜を混ぜてマヨネーズなどで和えたもの、卵焼きには前日の牛蒡の煮物の余りが混ざっていた。
 ものを食べ終えて皿を流しに運ぶと、冷蔵庫から飲むヨーグルトを取り出して一杯飲む。すると母親がゴミを出しに外に行っていたので、こちらも玄関を出た。午前八時の光はまだ勢いが少なく、透き通ったようで爽やかだった。燃えるゴミの袋にさらに小さな袋の塊を詰め込むのを手伝い、室内に戻ると薬を飲んだ。こちらが朝夕で飲んでいるのはクエチアピンというものが二錠、ロラザパムとスルピリドが一錠ずつである。このうちクエチアピンというのは、統合失調症双極性障害に使われるもので、気分を安定させる効果があって鬱病にも有効であるらしい。いわゆるメジャー・トランキライザーと呼ばれる効力の強いもので、2ちゃんねるのスレなど眺めていると、メジャーなど飲んだら人生終わる、などという言説もまま見られたのだが、こちらの人生がもはや終わっているのかどうかは定かでない。七月末から本が読めるようになり、いままた文章を書くまでに回復したというのは、実感としては曖昧だが、やはりこの薬が効いたということなのかもしれない。ロラゼパムスルピリドパニック障害時代に飲んでいたもので、効果はもはや何も感じられないのだが、惰性のようにして処方が続けられている。ほか、鬱病に良いというインターネット上の情報にしたがって、これらの薬と同時にマグネシウム錠剤を二粒飲んでいるのだが、これも何か効果があるのかどうか、実感として不明である。
 流しには母親が朝に食べた分、それにおそらく前夜の分も洗い物が溜められていた。それらを洗うとそのまま風呂も洗い、そして自分の部屋に戻って、窓を閉めるとSuchmos "YMM"をリピート再生させた。そうして屈伸などして下半身をちょっとほぐす。それからハーフパンツを空色のズボンに履き替え、上は黒の肌着のままで日記を書きはじめた。この日は、山梨の父親の実家へ行くことになっていた。出かける予定の九時までにもう時間がほとんどなかったが、少しでも前日の記事を書き足しておきたかったのだ。"YMM" の流れるなか打鍵を進めているとしかし、一二日の記事が終わりきらないうちに上階から、もう行こうという父親の声が聞こえた。それでコンピューターを沈黙させ、シャツと荷物を持って上階に行った。
 エディ・バウアーの半袖シャツを羽織り、車の助手席に乗りこむ。ラジオからは伊集院光の番組が流れていて、誰かゲストに識者を招いて自民党の総裁選について話を聞いていたが、どんなことが語られていたのかはもう忘れてしまった。ドライブ中のBGMとして、Donny Hathawayの『These Songs For You, Live!』を持ってきていた。父親がモニターの「Audio」の部分を押して操作すると、モニターが動いてその後ろからディスクを入れる場所が現れたので、CDをそこに挿入し、音楽を流しはじめた。
 母親も乗りこんで出発し、しばらくするとこちらは彼女からガムを貰ってもぐもぐとやりはじめた。道を走るあいだ、百日紅が至るところに花を膨らませていて、緑のなかに鮮烈な紅色を差しこませていた。木々の緑色も改めて見ると、密度の高い夏の濃さに満ち満ちている。その色を、今年初めて目にしたような感じがした。武蔵五日市駅周辺の通りには左右に街路樹として百日紅が植えられていて、鮮やかな色彩の列がしばらく続く。それらの木々は枝葉を四方八方に突き出しており、その先に花を灯しながら枝は幾分しなり、そのさまがソバージュというか、少々ぼさぼさとした髪の有り様を連想させるのだった。そうした印象は、一年前か二年前かに、同じく夏の帰省で同じ道を通った時にも日記に記したはずである。
 駅を離れて山に近づいたあたりから道がうねりはじめ、檜原村を抜けるあいだは激しい左右のカーブが続く山道で、左右に揺らされた。一月の時にはそれで随分気持ち悪くなったものだが、今回はほとんど何ともなかった。あれも当時の体調の悪さを証していたのだろう。流れるDonny Hathawayの音楽を時折り口ずさみながら揺られ、(……)に入り、(……)へと上って行き、スーパーに入った。昼食として、寿司でも買っていけば良いだろうという話になっていた。店内に入り、カートを引いて、寿司のパックを五人分籠に入れる。こちらは飲み物を確保しに両親の傍を離れたが、ペットボトルなどの置かれた区画が見当たらなかったので、パックのもので良かろうとオレンジジュースを選んだ。そのほか、唐揚げやポテトなどを盛り合わせた惣菜や、レタスやインゲン豆にミニトマト、豆腐などが籠に収められる。最後にビールなどの飲み物が求められたが、やはり区画が見つからない。母親が店員に尋ねたところ、壁の向こうになりますと言う。それで入り口に近いほうのスペースに戻って行き、目当てのものを発見して、ビール缶や、ノンアルコール飲料(「All Free」)や茶のペットボトルを確保し、終いとなった。会計には父親が向かった。長く待ちそうだったのでこちらは離れたところで待機して、(……)さんから来ていたメールに返信をした。これは前夜に、体調が回復してきたので近いうちに会いませんかとこちらが誘ったのに対する返答が届いていたのだ。(……)さんとはその後もやりとりを交わし、一九日の日曜日に久しぶりに代々木で会うことになった。
 会計の列が一向に進んでいないようなのを見て、何の目的もなくフロアをうろつきはじめた。少々ぶらぶらしてから戻ってくると、ようやく我々の品物の番が始まっていたので近くに立ち、会計された荷物を袋に整理した。飲み物の類は父親が店内の隅からダンボール箱を調達してきて、それに収められた。そうして両手に袋を提げて店をあとにして車に戻る。午前一一時の陽射しがのしかかるように頭に浴びせられるのに、これはこのなかで運動などしたらそれは倒れる者も出よう、ほとんど殺人的な光線だなと思った。
 車に乗りこむと(……)に向かう。途中にある貯水池の脇を通った際に窓の外に目をやると、濃緑に染まった水の上には細かな波紋が刻みつけられて緩慢に動いていた。上り道を走り、祖母の家に到着すると、父親が車内の収納を探った。取り出されたのはガレージの戸を開け閉めするリモコンで、それによってシャッターがひらかれてなかに車を収めた。降りると、先ほど買った荷物を手に運び、玄関の戸をくぐるとこんにちはと挨拶をした。上がって居間に入り、荷物を炬燵テーブルの上に下ろしてその場に座り込む。そうして祖母とちょっと話を交わした。毎日暑いけれど何をやっているかと問うのに、特に何もやっていないけれどと置き、でもだんだん元気になってきていると続けた。
 その後、母親とともに台所に立ち、サラダを皿に盛った。レタスを剝いて細く切り、水に晒して洗ったものを、大皿二枚に盛り付ける。そこに母親がミニトマトを加え、さらに家から持ってこられた素麺のサラダが乗った。ラップを掛けて冷蔵庫に収めておくとひとまず仕事は終わりである。時刻は一二時前だった。(……)さんが一一時五六分に四方津に着くということで、父親は迎えに行っていた。それを待ちながら居間の炬燵テーブルに集う。話はもっぱら母親と祖母が交わしているので(母親は祖母が漬けた梅干しを持ってきて一つ食べ、美味しいと言っていた)こちらは退屈し、そのうちに本を読もうと隣の部屋に移った。毛布や薄い掛け布団が重ねられてあったので、それにもたれながら、工藤庸子編訳『ボヴァリー夫人の手紙』を読む。しばらくすると、父親と(……)さんが到着したので、読書を中断した。廊下に出ると玄関に(……)さんがいたので顔を合わせ、どうも、こんにちはと挨拶をする。そうして居間の障子戸を開けるとすぐそこに(……)ちゃんがおり、こちらは早速傍らにしゃがんで頭を撫でた。
 食事のために食器を運び、テーブルの上に並べた。余裕の足りない卓上に所狭しと揃えられたのは寿司に先ほどのサラダ、大学芋、それに(……)さんが作ってきたというローストビーフのロールなどである。品物すべては乗り切らず、食べたあとからまた追加されることになった。こちらは両親や(……)さんに飲み物をつぎ、自分の分のオレンジジュースもコップに注いで、そうして乾杯がなされ、食事が始まった。山葵を溶かした醤油を小皿に用意して、寿司を次々と食って行く。その他大学芋やローストビーフ、サラダを黙々と食べ、あとから揚げ物の盛り合わせや、祖母が用意してくれた素麺も食べて、大層腹が膨れた。例によって会話は周囲の人間に任せて、こちらは黙ってものを食べながら時折りテレビに目をやったりするのだが、そのテレビは昼の情報番組を映しており、何か料理の紹介などがなされていた。(……)さんの手によって(……)ちゃんにも食事が与えられるのだが、赤子はじっとしておらず、うろうろと周囲を歩き回ったり動いたりして、食事をきちんと取らせるのに手間が掛かるのだった。彼女は玩具の鋏を手にしており、それで寿司を叩いたりするので、(……)さんは食べたいのかと言って玉子を小さく切り、それを与えたりもしていた。
 (……)ちゃんはまた、仏壇の前に行って、鈴[りん]を鳴らしながら笑みを浮かべたりもしていた。先日我が家にやって来た時もやっていたが、それをちーん、と鳴らすのがどうも面白いらしい。腹いっぱいになったこちらは、探検などと言って、彼女が居間を離れて家中をてくてくと歩き回るのに付き合ったりもした。そのうちに気づくと空が搔き曇ってきており、雨の気配が濃厚に漂いはじめた。小さな縁側のようなスペースに出ると、湿ってしっとりとした風が吹き過ぎており、庭の植木が葉を揺らしていた。空には青灰色の雲が折り重なって、雷が落ちるのも近く聞こえた。なかに入って、こちらが居間の片隅にあるマッサージチェアに就き、身体をほぐしはじめてまもなく、にわかに雨が始まって、あっという間に粒の横に流れる激しい吹き降りとなった。時刻は一時半過ぎだった。(……)ちゃんは縁側に続くガラス戸に寄って外を眺め、天気が荒れて植物が揺れているのが面白いのだろうか、笑いを立てていた。雷の閃光がほとんどひっきりなしというように部屋のなかにも走って届いた。
 そのまま二時を迎えると、テレビは『情報ライブ ミヤネ屋』を流しはじめた。冒頭、大阪は富田林の警察署から強制性交の容疑者が逃走をしたという報道がなされた。弁護士と接見をしたあとに、仕切りのアクリル板を無理やり押し破って外に逃げたらしい。とにかく怖いので早く捕まってほしい、などという近隣住民の言が伝えられるのを見ながら、こちらはマッサージチェアに居座り続けた。二時半頃になるとようやくチェアを立って隣室へ、家を発ってからここまでのことを思い返し、手帳にメモを取った。その頃には皆は居間で寄り集まって葡萄を食べており、流れるニュースについて(……)さんがもうこれはいいのに、とか何とか言うのが聞こえていた。
 メモを取り終えるとこちらもそのなかに加わって葡萄を食べ、さらに(……)さんが買ってきてくれた菓子、東京ミルクチーズ工場という店のクッキーも皆で頂いた。外はまだ曇ってはいたが、じきに雨は止んだようだった。母親が(……)ちゃんに、外に行くかと尋ね掛けたのを機に、こちらも一緒に外に出ることにした。椅子がないために胡座の姿勢を取り続けて腰が痛くなっていたし、腹も重くてちょっと動きたかったのだ。サンダル履きで玄関を抜け、ガレージも抜けてしばらく敷地の端に佇んだ。道路からは濡れた路面の水分が蒸発するように靄が立っており、彼方を見れば重なる山々の谷間に濃厚に白濁した霧が湧き、巨大な生き物のようにゆっくりと右から左へと推移していた。それから庭のほうへ戻り、母親と(……)さんが(……)ちゃんと一緒にいるのに合流した。庭の通路には青いビニールシートが敷かれていた。(……)ちゃんはその上を歩き、先ほどの雨で作られた水溜まりにも怖じることなく足を踏み入れ、そこに立ち止まり、地面に手を伸ばして、そこにある何かに指を触れさせたりしていた。そのうちに、その場で足踏みをして、水をびしゃびしゃとあたりに跳ね返させた。汚れてしまうよと大人たちが呆れ気味に見守っているのを意に介さず、その場にしゃがみこんでスカートの裾を濡らしてしまうのだった。
 反り返った庭木の葉のその下側に、露がいくつもぶら下がって極小の光をなしていた。こちらは茄子や胡瓜やネギが植えられている横を通って家の裏のほうに歩いて行き、あたりを眺めた。一月に来た時に(……)くんが滑り降りて遊んだ斜面は、草の海になっていた。その後、道を戻り、ふたたびガレージを抜けて敷地の入り口に佇んだ。そうしていると見覚えのあるオレンジ色の車が坂を上って来た。なかに乗っている人が手を振るのが見えたので、こちらも振りかえした。(……)さんの一家である。昼を食べてから午後に来るという話だったところ、ゲリラ豪雨によって一時は訪問が危ぶまれたが、雨が止んだのでやはりやって来たのだった。後部座席に乗った(……)(知的障害者である)が窓から姿を現し、ぶんぶんと手を振ってみせたので、笑って振りかえした。車が止まり、(……)さんが降りてくると、こんにちはと挨拶し、ご無沙汰していますと続けた。(……)さんにも同様に挨拶して、凄い降りだったねと言うのに同意を返した。
 室内に入ると、(……)さんの横に腰掛けた。飲み物はと問われたのに対して(……)さんは、酒が飲みたいなと言い、焼酎が用意された。父親は、(……)さん、と母親を呼び、何かつまみを、と要求した。それに応じて、先ほどの素麺のサラダや胡瓜などが出された。毎日暑いですけれど、どうですかと問うと、夏負けしてるよと(……)さんは言う。今頃(時刻は四時に近づいていた)になると飲みたくなると言い、おじさんは頚椎が悪いから、と続く。本を読んだりしていると苦しくなってくるのだが、酒を飲むと血行が良くなってそれが緩和されるのだと言った。じゃあエネルギー源みたいな感じですねとこちらが受けると、(……)さんは引き笑いを立てた。
 最近だかどうか知らないが、(……)さんは山崎豊子の『不毛地帯』という小説を読んだらしかった。こちらの兄がモスクワに勤めているというところから連想して思い出したらしく、シベリアのほうの話で、抑留時代を書いたものなのだが、などと(……)さんに説明するのだが、それは単なる連想から発された言葉で、話の落とし所がなく、尻切れトンボのようになってしまっていた。こちらはあとになって、山崎豊子というと去年あたりに亡くなった人ですよねとか(実際はもう数年前らしかった)、長いものを書く人ですよねとか話を拾った。こちらの会話だってそれ以上発展するものではないのだが、(……)さんとそのように、ぽつりぽつりとでもありながら普通に言葉を交わせていることは安心するべき材料だった。と言うのも、六月に祖父の十三回忌で山梨に来た際にも席を隣にしたのだが、その時は鬱気のまっただなかにいる時期で、本当に何も話すことが思いつかず、と言うかその気力が湧かずに、何か言われてもほとんど何の反応もできなかったからだ。こうした点を見ても、自分は確実に回復していると言えるだろう。
 四時半の電車に乗って帰ることになっていたので、時間は少なく、(……)さんとはほとんど話ができなかった。四時一五分頃出ようという話だったが、その時刻が近づくと寺の僧侶が訪ねて来た。盆で朝の七時から檀家の宅を回っているらしい。仏壇の前に座って務めと果たそうとしはじめるのだが、出発の時間が迫って我々は慌ただしくしていたため、坊さんの前でばたばたとしてしまうことになった。(……)さんともきちんとした別れの挨拶ができないまま、こちらは母親とともに外に出た。車に乗る前に、ついてきていた(……)さんに、(……)さんによろしく言っておいてくださいと伝えて、車に乗車した。
 (……)駅に向かって山道を下りて行くのだった。車中で母親は、(……)さんはまったく朗らかでいつも明るくしてるね、と言い、(……)さんがそれに同意するのに対して、知的障害者である(……)のことを指して、(……)さんだから育てられるんだねとの感想を漏らした。(……)駅に着くと車を降り、後部のトランクからベビーカーを取り出した。(……)さんが真菜ちゃんを抱き、ベビーカーはこちらが抱えて運ぶことになった。(……)駅にはエレベーターがなく、(……)ちゃんをベビーカーに乗せてしまうよりもそちらのほうが移動しやすいとの判断だった。それで改札をくぐって通路を行くのだが、貧弱なこちらにとってベビーカーはなかなか重く、進むあいだ母親と(……)さんから遅れを取った。普段は一人でこれを運ばなくてはならないのだから、(……)さんは大変である。ホームに入ると座れる席を探して進み、車両端の三人掛けが空いていたところに入った。席を確保すると(……)さんはベビーカーをひらき、(……)ちゃんを乗せた。発車までは数分の猶予があった。左のほうでは中年に掛かろうかという女性の集団が、笑い声を立て合いながら素早いやりとりで賑やかに話していた。
 道中、(……)ちゃんはパックの林檎ジュースを与えられて飲んでいた。疲れたのか、愚図りかけた瞬間もあったのだが、(……)さんが抱き上げると落ち着いて、大きな泣き声を上げることもなく過ごすことができた。駅に着いて乗客が乗ってきて、車両を移ろうとする人がいると、(……)さんは扉の前に置かれたベビーカーを手前に引き、母親は通る人に対して小声ですいません、と言って会釈をした。(……)さんは、優先席もなくて手すりだけついている車両があるじゃないですか、と母親に言う。あそこに入りたいなと思っても人が立っていることがあるのだけれど、子を育てる立場になってみて初めてわかる、自分も昔はそうしていたかもしれないから反省すると話した。こちらは一月の帰りの記憶から、高尾で乗り換えなくてはならず、その時はまたベビーカーを運ぶようだろうと思っていたのだが、今回の電車は直通の東京行きだった。それで高尾を過ぎたあたりから、本を取り出して読みはじめた。
 母親は立川の(……)さんに、急なことではあるが会えるかどうかとの誘いを送っていた。立川にそろそろ着こうという頃、それに肯定の返信があったので、母親は立川に寄っていくことになった。到着間際で(……)さんがこちらに、何の本を読んでるのと問うた。フローベールというフランスの作家の手紙ですと答え、何か聞いたことがあるとの言が返ったが、もうまもなく到着だったのでそれ以上会話を展開する猶予がなく、ありがとうございましたと礼を交わして(……)さんと別れた。来月あたりにまた遊びに行きますと彼女は残した。
 階段を上ったところで母親と別れ、こちらは(……)行きのホームに降りて乗車した。そうして手帳を取り出して時間をメモし、ふたたび本を読みはじめる。二五二頁に、「ぼくがやってみたいのは、生きるためには呼吸をすればいいのと同じように、(こんな言い方ができるとすれば)ただ文章を書きさえすれば[﹅7]いい書物をつくることです」とあった。文体の彫琢に精魂を尽くしたフローベールの言う意味とは多分違っているのだと思うが、こちらの日記もただ書きさえすれば良いと、そんなものであってほしいと思っている。二五四頁には推敲に苦慮している旨の証言があるのだが、そこを読んだ時には、(……)さんのことを、彼が『(……)』の推敲でやはり苦しんでいた時に、前世がフローベールだったとでも思って諦めるしかないですよという言を送ったのを思い出した。引いてみると、「今日の午後で、訂正はやめることにしました、もう何がなんだかわからなくなってしまったので。ひとつの仕事にあまり長くかかりきっていると、目がチカチカしてくる。いま間違いだと思ったものが、五分後にはそうでないように思われてくる。こうなると、訂正のつぎに訂正の再訂正とつづいて、もはや果てしがない。ついにはただとりとめのないことをくり返すことになる、これはもう止める潮時です」となる。
 (……)駅に着くと、ホームを歩いて自販機の前に行き、一〇〇円を三度挿入して小さなスナック菓子を三つ買った。それから待合室の壁にもたれ、本を読みながら乗り換えの来るのを待ち、乗ったあとも読書を続けた。時刻は六時過ぎだった。(……)で降り、機械にICカードをタッチさせると、残高不足の表示が出る。しまったなと思った。我が最寄り駅は無人駅なのでそのまま出ることはできるのだが、券売機がないのでカードに代金をチャージすることができないのだ。券売機の代わりに、乗車証明書発行機械などというものが置かれてあり、代金が足りなかった人はそれを発行して、次回どこかの窓口に行くようにと記されていたのだが、面倒臭いので券は発行しなかった。それで通りを渡り、坂に入ると、頭上に蟬の鳴き声が広がっている。下りて出た通りから見える空には、まだ雲が広く掛かっていたが、東の一角には弱い明るみが差していた。自宅まで来てポストをチェックすると、こちら宛の郵便が一つあった。小さな葉書で、差出人の名がないのだが、外国から届いたものなので(……)さんからだとすぐにわかった。表面には宛名、裏はクレヨンで描いたのだろうか、様々な色の線が乱雑に交錯して、落書きのようになっている。意図はわからないが、調子の回復したいま、彼ともまた会って話してみたいなと思った(以前のように哲学的な話題についていける自信はないが)。
 郵便物を持って家に入ると食卓灯を灯し、風呂の湯沸かしスイッチを押した。それからベランダの隅に出ていた僅かな洗濯物を屋内に入れる。激しい吹き降りにやられたのだろう、肌着のシャツは湿っていた。自室に戻って着替えると、Suchmos "YMM"を流した。昼にたらふく食って腹がまったく減っていなかったので、夕食を取るつもりはなかった。長くなるであろう日記を書きはじめなければならなかったが、疲労があったので、少し息をつくために先に本を読んだ。書見しながらベッドに腰掛け、ゴルフボールを踏むのだが、こうして足裏を刺激すると下半身が軽くなるのだ。それで七時まで本を読み、それからKurt Rosenwinkel『The Remedy』をバックに日記を書きはじめた。まずは前日の分を完成させなければならなかった。それを仕上げてブログに投稿すると今日の分に取り掛かったが、一時間に三〇〇〇字ほどのペースにしかならず、二時間が経過して九時になってもまだ中途だった。一旦中断して、先に風呂に入ることにして、上階に行った。仏間の箪笥から肌着を取り出し、洗面所に行って服を脱ごうというところで玄関の鍵が開く音がした。母親が帰って来たのだった。こちらが風呂に入ってまもなく、洗面所から母親の声がして、食事はと尋ねてみせたが、何もいらないと返答した。
 入浴を済ませて出てくると飲むヨーグルトを飲み、それから翌日のために米を研いだ。そうして自室に帰って、夕食の代わりに買ってきたスナック菓子を一つ食った(食べながら「(……)」を読んだ)。それからインターネットをちょっと眺めて、一〇時過ぎからふたたび日記に取り掛かり、現在時に追いつくと時刻はちょうど一一時半になっている。これだけ時間を費やして書いていてもやはり楽しいという感じはなく、記述を練る喜びなども特に感じない。つまらないわけでもないが、何にもならないことをよくも時間を掛けてやっているという感がなくもない。
 零時過ぎから『ボヴァリー夫人の手紙』を読み出した。日記が長くなったために今日は音楽に集中して耳を傾ける時間の余裕はなく、寝る前にいくらか読書をしたいという心だったが、ベッドに転がっているうちに微睡みにやられた。気づくと一時を回っていたので、もう駄目だなと眠ることにした。洗面所まで行って薬を飲む気力がなかったので、服用せずにそのまま消灯し、眠りに身を任せた。外出のためにさすがに疲れていたのだろうか、普段と違って入眠まで時間が掛かった覚えがない。