気づくと時刻は九時半に迫っていた。寝床の暑い午前だった。母親が部屋にやって来て、出かけてくるから洗濯物を頼むと言ったその声で意識が本格的に覚醒したのだった(彼女はこの日、草木染めの教室に出かけて行くのだった)。淫夢の類を見た覚えがあったが、詳細に思い出すことはできなかった。抗精神病薬を服用しているためだろうか、性機能の低下が起こっていて、性欲はほとんどない。ベッドから起き上がるとコンピューターのスイッチを入れ、起動させるのだが、プログラムの更新がどうとか出て時間が掛かりそうだったので、室を抜けて階段を上った。
冷蔵庫から鮭と、焼売の乗った皿とを取り出して、電子レンジで少々温めた。よそった米とそれらを卓に運び、新聞に散漫に目を向けながら口に運んだ。食べ終えて食器を片付けると、そのまま風呂を洗い、飲むヨーグルトを飲んでから下階に戻った。コンピューターを前にして日記を書き出し、前日の分に短く書き足して完成させるとブログに投稿した。一三日の記事は一万字を越えていた。そうして今日の分もここまで綴ったが、途中でインターネットを眺めたために余計な時間を食って、現在はちょうど一一時になっている。
Suchmos "YMM"をリピート再生させて窓を閉じ、屈伸を始めた。眠りから覚めた時から脚は鈍くこごっていた。それでしばらく下半身をほぐし、それから工藤庸子編訳『ボヴァリー夫人の手紙』を読みはじめた。初めはSade『Lovers Live』を流していたが、二曲目の"Somebody Already Broke My Heart"が終わった時点で書見に対する集中力が整った感があったので、音楽を消して窓を開けた。一時間のあいだ読書を続けると一二時半、読み物を中断して上階の洗濯物を取りこむことにした。ガラス戸を開けて裸足で踏み入れると、炎天の下にあるベランダの床は、焼けつく砂のようになっていた。吊るされていたものをすべて取りこみ、ソファの上にタオルを集めて畳んで、畳んだものを洗面所に運んでおく。それからパジャマもハンガーから外して同じように整理していると、家の前に車が停まる気配が耳に届いてきた。母親が言っていた宅配が来たのだなと当たりを付けて受話器のほうに歩いて行き、インターフォンがなるとすぐに取った。予想通り宅配便だと言うので、少々お待ち下さいと受けて居間を出て行き、台の上に置かれた簡易印鑑を取って玄関を開けた。宅配員は眼鏡を掛けた中年の女性だった。こんにちはと挨拶をして、差し出された紙に印鑑を押し、助かりますと彼女が言うのに重ねてありがとうございますと礼を言って小包みを受け取った。中身は母親がメルカリで購入したバスタオルである。それをテーブルの上に置いておくと、洗濯物の片付けに戻って、すべて畳んでしまうと居間をあとにした。
部屋に戻って来て、一時ちょうどからふたたび読書に取り掛かった。二時を迎えると、市内に高温注意情報が出ているとの放送が流れ、室内にいても熱中症に注意するようにと女性の声が伝えるのを聞いた。そうして二時半になる頃、思ったよりも早かったが、母親が帰ってきた音が階上から聞こえた。臥位で本を読み続けていると、ちょっと経ってから母親は部屋にやって来て、アイスを買ってきたから食べればと言う。それでスプーンとともに差し出された「牧場しぼり」を受け取り、本を椅子の上に置いてクッションで押さえながら、文字を追うかたわらアイスを頂いた。部屋にはまた、白いテーブルに積まれた本の上にLevainのビスケットが置き残されてあったが、先ほど小さなポテトチップスを食べたばかりだったので、そちらは食べる気にならなかった。食べ終えたアイスの容器は机の上に置いておき、引き続き書見に集中した。最後まで読み終えてしまうつもりだったのだ。ベッドに転がってしどけなく脚を伸ばして読んでいると、窓の外近くに人の気配が立ち、男同士の話し声が聞こえた。男の一人はたびたび大きく咳きこんでいた。聞いていると、ユスラウメがどうとか言って何やら番号を口にしたりしているので、おそらく梅の木の調査に来た市役所の職員だなと推測された。つい先ほどインターフォンが鳴って母親が出て行ったのもこれだったのだろう。しばらくすると彼らは仕事を終えたらしく、気配はなくなった。そうして三時半を迎える頃、『ボヴァリー夫人の手紙』は読了された。感受性の希薄化が起こっている現状、面白いという感覚もあまりぴんと来ないもので、もはや自分においては本を読んだ際の判断基準として面白いとか楽しいとかいうものが適合しないようにも思えるのだが、この本からはたくさんの書抜き箇所をメモしたわけでやはり面白かったと言うべきなのだろう。フローベールは愛人のルイーズ・コレに向けて『ボヴァリー夫人』の執筆が一向に進まないことをたびたび嘆いており、「四時間かけて、ただのひとつ[﹅6]の文章も出来なかった」などと愚痴っているのを見ると、やはり(……)さんのことを思い出してしまうものだった。彼のブログにまったく同じような文言が書きつけられていなかっただろうか? (……)さんもよほど文章を練る人間だが、フローベールの推敲も拷問のように徹底したものだったようで、「わずか二十五ページ(……)のために、くり返しくり返し書きなおされた草稿は、保存されているものだけで、表と裏ほぼ全面を埋めつくした原稿用紙二百枚近くにのぼる」と言う。何しろ彼は『ボヴァリー夫人』を書き上げるのに四年半の歳月を費やしているのだ。
そうして部屋を抜けて上階に行き、アイスのゴミを洗って片付けた。ビスケットのほうは一、二枚つまんでから冷蔵庫に収めておいた。先ほど飲み干した飲むヨーグルトのパックも潰してゴミ用の紙袋に収めておき、下階に戻ってくると、何となく兄の部屋のほうに足が向いた。入ると、ベッドにはエプロンをつけた母親が仰向けになっており、ルーペを使いながら携帯を眺めていた。おそらくまたメルカリでも見ていたのだろう。こちらは何となくギターを手に取り、立ったまま肩に掛けて、何となく弾きはじめ、Eマイナーペンタトニックの上に乗って適当にフレーズを散らした。しばらくするとそれも飽きてギターを戻し、隣の自分の部屋に移って日記を書き出した。
日記に区切りがつくころには四時半を迎えていた。「(……)」を読んだあと、読み終えたばかりの『ボヴァリー夫人の手紙』から早速書抜きをすることにした。Sade『Lovers Live』を三曲目の"Smooth Operator"から流し、打鍵に集中していると母親がやって来て、父親がもう帰ってくると告げた。昨晩山梨の実家に泊まった父親は、この日は祖母を都留市の親戚の法事に連れて行くという話だった。食事の支度をしてほしいと母親は言うので、了承し、打鍵を取りやめて上階に行った。豚汁にしようか、何だか豚汁が飲みたいと母親は言った。それかきのこ汁でも良いと続け、ほかには手軽なところで茄子を炒めることになった。母親はそれから、ほんの少しだけと言って草取りをしに外に出て行った。それでこちらは冷蔵庫から茄子の五つ入ったビニール袋を取り出し、鋏で口を切った。さっと洗ってから一個を取り上げ、蔕を取り除き横に半分に切ってはさらに縦に等分し、そうしてできたブロックを三つ四つに切断した。切ったものはボウルの水に晒し、すべて切り終えると笊に挙げて、フライパンにオリーブオイルを引いた。チューブのニンニクをそこに落としてしばらく熱してから、茄子を投入する。フライパンを時折り振ってなかのものをかき混ぜ、焦げ目がつくとひき肉を加え、肉の色が変わりきったあたりで醤油と砂糖を投下した。そうして茄子の炒めものを完成させると、階段に行って途中に置かれた箱から玉ねぎを一つ取り上げる。豚汁を作るのは色々と具が多くて面倒なので、簡便に玉ねぎと卵の味噌汁を作ることにしたのだ。ボール型の野菜を上に放っては受けとめながら台所に戻ると、左右の端を切り落とし、皮を剝いた。乾いた茶色の皮の下から出てきた白っぽい薄緑色は、使っているまな板の色とほとんど同じだった。沸かした湯のなかに切り分けたものを投入すると、茹でられるのを待つあいだ、朝刊を持ってきてめくり、「働く外国人 拡大へ一気 「移民はだめだが」 最長5年の在留資格」という記事に目を通した。台所の入り口には扇風機が置かれて緩慢な風を送ってきており、足もとの蚊取り線香からは煙の筋が立ち昇っていた。読み終えると玉ねぎが良い具合に柔らかくなっていたので、水をちょっと加えて嵩を増してから味噌を溶き入れた。汁物を仕上げるとさらに、自宅で取れた太い胡瓜を一本、手頃な大きさに分割して皿に盛り、ラップを掛けて冷蔵庫に収めておいた。そんなところでこちらの仕事は終いとし、自分の部屋に戻ると、時刻は六時直前だった。まず前日の夕刊から「白人至上主義集会に抗議 ホワイトハウス前 反対派数千人」という記事を読んだ。それから先ほど読んだ外国人の新在留資格についての記事とともに、内容を一部写していたのだが、その途中にインターフォンが鳴った。それで上階に行くと、玄関の戸は開け放たれており、外に父親の真っ青な車が停まっているのが見える。玄関内には荷物がいくつも置かれてあったので、こちらはそれらを居間のほうへと運んだ。荷物の中身は実家から貰ってきた野菜や菓子類や飲み物などだった。茄子にインゲン豆が大量に収められた袋を野菜室に入れ、チューハイやノンアルコール飲料なども狭い冷蔵庫のなかに何とか収めると、半端だが残りのものは放って下階に戻り、新聞からの書抜きを進めた。その後、『ボヴァリー夫人の手紙』の書抜きもさらに進めて、七時を回ったところで切りとして食事を取ることにした。
上階に上がって行くと、母親は台所でしゃがみこんでゴミの処理をしているところだった。市から指定された緑色の燃えるゴミの袋のなかに別のゴミ袋を無理矢理に詰め込むその手伝いをして、周囲をセロテープで補強もしたものを外の物置に持って行った。駐車場の隅にある物置に袋を入れておくと、あとから母親も出てきてもう一つ袋を渡してみせるので、それも収めておく。そうして室内に戻り、こちらはさっさと食事の支度を始めた。茄子の炒めものをレンジに入れ、米をよそり、大根おろしを作って味噌汁を温めては胡瓜のサラダを冷蔵庫から出し、各々卓に運ぶ。ものを食べだすとテレビには『サラメシ』が映っていたが、番組のなかで特に興味を惹いた事柄はない。食べ終えると追加で先ほど切り分けた胡瓜を持ってきて、マヨネーズを掛けてむしゃむしゃやった。そのあと、母親が味噌をスプーンにすくってきたのでそれをつけてさらに食べ足し、それから流しで洗い物をした。そうして、忘れかけていたが、抗精神病薬とマグネシウムを飲むと時刻は八時頃だった。すぐに風呂に入らず下階に戻ったのは、何となく本を読みたい気持ちがあったからである。それで金子薫『アルタッドに捧ぐ』を新たに読みはじめた。一時間ほど読み進めるうち、生真面目でかっちりとした文体の作品、という印象を抱いた。
九時を越えて入浴を済ませてくると、さらに続けて書見を行った。序盤、ソニー・シャーロックの『バイレロ』という音楽を描写するくだりがあるのだが、そこの記述はいくらか空疎に感じられた。音楽を言葉で記述することの難しさというもので、音楽を書き表し、評言するには必ず形容修飾と比喩が用いられるのだが、それらの言葉は決して音楽に追いつくことはない。「彼女のソプラノはどんなに甘美で移ろいやすく聞こえようとも、その艶のある力強さを失うことはない」とか、「ミルフォード・グレイヴスのドラムスは、地表を砕き、大地の表情をより豊かなものへと変えていく」とか、「ギターの音は赤色の絵具のように曲中を塗り潰していき」などの文言が、こちらにはやや上滑っているような感触を与えた。
ほかに悪い意味ではないが引っかかりを覚えたのは、何度か段落の冒頭に出てくる「さて」と「ところで」の接続語である。「さて」は記述を物語の現在時に定位する時に用いられ、「ところで」は説話の本筋からやや逸れる時に用いられるのだが、これらの接続詞を律儀に段落冒頭に配してみせることで、「本間」とほとんど一体化し透過された存在であった語り手の「手つき」がそこに垣間見られるような感じがし、記述の流れを調整するその感触が文体の生真面目さを増しているように感じられたのだ。
一一時になる前にと読書を中断して、日記を記しはじめた。一時間と一〇分掛けて、『アルタッドに捧ぐ』の感想を僅かばかり綴った頃には零時が迫っていた。歯磨きをしてから音楽を聞きはじめる。Jose Jamesの『Love In A Time of Madness』なのだが、冒頭から五曲聞いてみても、どうにもぴんと来る瞬間が訪れない。分厚いシンセサイザーを基調としたR&Bという趣向で、適当な連想かわからないもののJames Blakeを思い起こさせる瞬間などもあったようだが、自分の感性はこうしたサウンドには刺激されないのかもしれない。次に、Ella Fitzgeraldの『Mack The Knife - Ella In Berlin』から"Gone With The Wind"を聞いたが、やはりアムステルダムの音源よりもこちらのほうが録音の質が良いと確信した。"Misty"、"The Lady Is A Tramp"と続けて聞いたのだが、楽器の音もクリアでシンバルの刻みなど気持ちが良いし、Ellaの声の響き膨らみ震えが細部まできちんと捉えられている。パフォーマンスは隙なく緩みなく完成されていて、傑作と言っても良いのではないか。最後に、Bill Evans Trio "All of You (take 1)"を聞いて、それで音楽鑑賞は終いとした。
小説を読みたいという気持ちが一日の最後にあっても残っていて、金子薫『アルタッドに捧ぐ』の続きを読みはじめた。午前二時まで読書に費やしてしまおうと思っていたが、一時半を越えたあたりからベッドに転がった身に薄い眠気が生じはじめた。動く気力を奪われかけるのに抵抗して起き上がり、読書はそこまでとして、オランザピンをブロチゾラムを一錠ずつ取り出し、洗面所に行って水とともに飲みこんだ。戻ってくると消灯し、一時四五分の就床となった。
工藤庸子編訳『ボヴァリー夫人の手紙』筑摩書房、一九八六年
ぼくが恐れているのは、熱に浮かされること、動くことなんだ。もし幸福がどこかにあるとしたら、それは沈滞のなかだろうとぼくは信じている。よどんだ水に時化はないからね。
(29; エルネスト・シュヴァリエ宛、クロワッセ、一八四五年八月十三日)
*
(……)こんなふうに病気で、苛々して、死ぬほど胸苦しくなることが日に何回となくあり、女もなけりゃ酒もなし、地上の浮れ騒ぎにはいっさいかかわらず、ただ遅々としてすすまぬ仕事だけをやっている、雨が降ろうが風が吹こうが、雹が降ろうが雷が鳴ろうがおかまいなしに、袖をたくし上げ、髪を汗ぐっしょりにして鉄床をたたいている実直な職人みたいなもんだ。昔はぼくもこんなじゃなかったよ。この変化はごく自然に起きてしまったのだ。ぼく自身の意志もいくらか働いていただろう。この意志が、ぼくを導いて進歩させてくれるだろうと期待している。心配なのはただひとつ、意志がにぶりはしないかってことだけさ。じっさいに日によって、自分でも恐ろしくなるほどぐったりとしてしまうことがある。ところでぼくはあることを理解したようだ、重大なことだよ。つまり幸福ってやつは、ぼくらのような人種にとっては、観念[﹅2]のなかにあり、ほかにはないってことさ。自分の本性(end31)がいったいどんなものかよく見きわめて、それに調和して生きようじゃないか。ホラチウスいわく「おのれに忠実なれ」。問題はそこなんだ。誓って言うが、ぼくは名声にはあこがれない、それに芸術のこともあまり考えない。ただ出来るだけうんざりしないようなやり方で時をすごそうとしているだけなんだが、そのやり方をぼくは発見したね。ぼくと同じにするといい。外界と縁を切ってしまうんだ[﹅13]。熊みたいに――一匹の白熊みたいに――して暮らす、何もかも、屁とも思わんことだ、何もかも、きみ自身もふくめてだよ、きみの知性だけはべつだがね。今ではぼくと世間とのあいだに、とてつもない距たりが出来てしまったので、ときどきまったくあたりまえでまったく簡単なことを耳にしてもびっくりすることがある。平凡きわまる言葉なのに、なぜかひどく感心してしまうこともある。ちょっとした仕草や声の調子にあきれ返ってしまったり、ほんのばかげたことに、ほとんどめまいをおぼえたりする。きみは、自分の知らない外国語を人がしゃべっているのに、じっと聴き耳を立てていたことがあるかい? 今のぼくはちょうどそんな具合なんだ。すべてを理解しようとするからなんだろうが、あらゆることに夢想をさそわれる。しかしこの呆然たる状態は、愚かしさ[ベティーズ]とはちがうと思っている。たとえばブルジョワってやつだって、ぼ(end32)くにとっては何かこう測り知れないものだ。モンヴィルの身の毛もよだつ[﹅7]災害、という話ね、あれでぼくがどんな気持になるか、わかってもらえるかしら。なんでも面白さを見つけるためには、ただ時間をかけてそいつを眺めるだけで充分なんだ。
(31~33; アルフレッド・ル・ポワトヴァン宛〔クロワッセ、一八四五年〕九月十六日 火曜夕)
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(……)もの悲しい醜悪[グロテスク]というのは、ぼくにとってはとてつもない魅力です。どこか道化じみてほろ苦いところにあるぼくの性格がひそかに要求するものに、それが応えてくれるからでしょう。もの悲しい醜悪がぼくを笑わせるのじゃない、ただ長い夢想を誘われるのです。それはいたるところにあって、ぼくはまたそれをちゃんと見抜くんだが、一方で世間のだれかれと同様にぼく自身のなかにもそれがある、だからこそ、ぼくは自分を分析するのが好きなんです。研究すること自体がぼくには面白い。ぼくの精神はかなり生真面目なほうですが、にもかかわらず自分のことを真剣に受けとめられぬところがある、というのも、ぼくは自分自身がとても滑稽だと感じるからです。喜劇の舞台で演じられるあの相対的な滑稽さではなく、人生そのものの本質にふくまれていて、ごく単純な行動やまったくありきたりの仕草などから立ちのぼるあの滑(end47)稽さ。(……)
(47~48; ルイーズ・コレ宛〔クロワッセ、一八四六年八月二十一 - 二十二日〕金曜夕 午前零時)
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(……)ぼくの考えでは、与えられた文章について、じっさいに形式[フォルム]を内容から切りはなしてみせてくれぬかぎり、このふたつの言葉はいかなる意味ももちえない、ぼくはあくまでもそう主張しますね。美しい形式のないところに美しい考えはありません、逆もまた真なり。<芸術>の世界において(end48)<美>は形式からにじみ出てくるものなのです、ちょうどぼくたちふたりの世界では<美>から魅惑が、愛が生まれ出るように。ある物体の本質をなす様々の特徴、たとえば色彩、拡がり、硬さ、といったものをそこから抽出しようとすれば、物体そのものが空疎な抽象概念になってしまう、つまりは破壊されてしまう、それと同じことで、<観念[イデー]>から形式をとり出すことはできません、そもそも<観念>はその形式のおかげをもって存在しているわけですから。形式のない観念というものが考えられますか、不可能でしょう。同様に、何らかの観念を表わそうとしない形式というのも、ありえません。(……)
(48~49; 「ルイーズ・コレ宛〔クロワッセ、一八四六年九月十八日〕金曜 夕十時)
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(……)貴女は、ぼくが本気であの女を愛したと言うけれど、そんなことはない。――ただ彼女に手紙を書いているあいだだけ、なにしろぼくはペンで感動することのできる人間だから、そのときの話に本気になっていたのだけれど、書いているあいだだけ[﹅10]ですよ。(……)
(51; ルイーズ・コレ宛〔クロワッセ、一八四六年十月八日〕木曜夕 十時)
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バイロンからシェイクスピアへという評価の移りゆきは、フロベールの内面でおきた重大な変革に対応している。サルトルはこの変革を<詩人>から<芸術家>へのコペルニクス的転換[﹅9]と呼ぶの(end54)だが、じっさいに、バイロンにあこがれ『狂人の手記』をつづっていたころのフロベールにとって、書く[﹅2]行為は、自分が内にかかえる「熱情と詩想」を漠然と、反抗の姿勢を貫きながら歌いあげることにほかならなかった。その<詩人>が否定され、作家個人の感受性や内的生活と呼ばれるものが、書かれるべき作品[﹅8]に奉仕する場[﹅]となってしまったときに、<芸術家>が誕生する。そのとき作品は「大空を映し出す海」のように「宇宙全体」を反映し、作家の個別的な生(「シェイクスピアが何を好み、何を嫌い、何を感じたか……」)は、作品の普遍性のなかに拡散して見えなくなってしまうはずである。
(54~55; 註)
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(……)資質などというものは、ことさらに追い求めようとさえしなければ、じつはだれでも思いのほかもっているわけで、べつにどうということのない人でも、正確に書くことさえ知っていれば、自分の回想録を書くだけで素晴らしい書物をつくることができるはずだ、ただし、誠実に、あますところなく書きつくすとしての話ですが。(……)
(56; ルイーズ・コレ宛〔クロワッセ、一八四六年十月二十三日〕金曜 午前零時)
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ぼくは自分のために、自分だけのために書くんです、ちょうど煙草を吸ったり眠ったりするのと同じようにね。――それはまったく身勝手でぼくひとりのものなので、ほとんど動物的な活動だといえるくらいです。(……)
(64; ルイーズ・コレ宛、ラ・ブイユ〔一八四七年八月〕十六日)
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(……)結婚は、ぼくにとって信仰を捨てるようなもので、考えただけでぞっとする。あの話があったときのぼくの苛立たしい気持は、アルフレッドが死んでしまったいまでも記憶にのこっています。まるで、信仰篤き者が、司教の派手なスキャンダルを耳にしたような具合でしたからね。いやしくも神の被造物について口をさしはさもうとする人間なら、才能のいかんを問わず、ただ精神衛生という見地からしても、おいそれとは罠にかからぬような立場に、まず身をおかねばなりません。だれでも酒、愛、女、栄光を描くことができる。ただし、その人自身は酔っぱらいにも、愛人にも、御亭主にも、浮かれ者にもならないという条件つきでね。人生というのは、中に入りこんでしまうと、よく見えなくなるものなんです、そのためにひどく苦しむか楽しみすぎるかどちらかですからね。ぼくの考えによれば、芸術家とは怪物的なもの――なにかこう自然を逸脱したものなんです。神の摂理のように芸術家に様々(end84)の不幸がふりかかってくるのは、芸術家がこの明白な事実を頑なに否定しつづけているからです。そのために彼も苦しみ、他人も苦しめることになる。この点については、詩人を愛した女か、女優を愛した男にきいてみるといい。というわけで(これがぼくの結論であります)、ぼくは今後も甘んじて、いままで生きてきたとおりに生きてゆくつもりです、ひとりぼっちで交友関係のかわりに一群の偉人たちを相手にし、ぼく自身熊みたいなもんだから、熊の毛皮を敷いて、という具合にね。世間だの、未来だの、人さまの言うことだの、とにかく身を固める話だの、いや、以前にはそのために眠られぬ夜をすごしたこともあるけれど、文学で名声を得ることでさえ、全部糞くらえですよ。ぼくは以上のような人間です、わが性格、かくのごとし。
(84~85; 母宛、コンスタンチノープル、一八五〇年十二月十五日)
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本をお読みなさい、夢想にふけるのはよくありません。息の長い勉強に没頭するのです。ただがむしゃらに勉強する習慣だけが、いつどこにあっても好ましいんです。阿片のようなものが浸み出してきて、魂をしびれさせますからね、――ぼくは恐しいほどの倦怠を経てきた、どうしようもなくうんざり[﹅4]して、虚無のなかを空まわりしたもんです。そんな状態からぬけだす(end88)には、ひたすらに粘り強く、誇りをもちつづけるしかありません。貴女もやってごらんなさい。
(88~89; ルイーズ・コレ宛、クロワッセ(一八五一年〕七月二十六日)
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(……)ぼくは人生を憎む、いや、思わず言ってしまったが、言ってしまった以上否定はしない、そうさ、ぼくは人生を、そして人生を耐え忍ばねばならぬと思わせるものすべてを、憎む。飯を食うのも、服を着るのも、起きているだけでさえ、やりきれないほどめんどうだ。(……)
(92; マクシム・デュ・カン宛〔クロワッセ、一八五一年〕十月二十一日 火曜)
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(……)偉大な作家たること、自分の文章でつくったフライパンに人間どもをのせ、甘栗よろしくその上で跳びはねさせることは、たしかに素晴らしい。自分の思想の重みすべてを、人類の上に投げかけていると感じるときには、狂おしいほどの自負をおぼえるにちがいない。しかしそのためには、なにか言うべきことがなければならない。――ところが正直言って、このぼくには、他人にはないもの、これほどうまく言い表わされたことはないというほどのもの、これ以上うまく言い表わすことはできまいというほどのもの、そうしたものはなにひとつありません。(……)
(96; ルイーズ・コレ宛〔クロワッセ、一八五一年十一月三日〕月曜夕)
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(……)文学について言うと、ぼくのなかにはふたりのまったくちがった人間が棲んでいます。一方は獅子吼[﹅3]、リリスム、鷹の悠然たる飛翔、文章のさまざまな響き、思考の昂揚に陶酔する。もう一方はできるかぎり真実を掘りおこし、掘り下げようとする、瑣末なことがらを重要なことと同じように力強く描き出すのが好きで、自分の再現するものにほとんど即物的[﹅3]な存在感を与えようとする、後者は笑うことを好み、人間の動物的な愚かしさを認めて悦に入る。(……)
(99; ルイーズ・コレ宛〔クロワッセ、一八五二年一月十六日〕金曜夕)
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ぼくが素晴らしいと思うもの、ぼくがつくってみたいもの、それはなんについて書かれたのでもない書物、外部へのつながりが何もなくて、ちょうど地球がなんの支えもなしに宙に浮いているように、文体の内的な力によってみずからを支えている書物、もしそんなことが可能なら、ほとんど主題がない、あるいはほとんど主題が見えない書物です。もっとも美しい作品とは、もっとも素材の少ない作品なんです。表現が考えに近づけば近づくほど、言葉がそこにぴったり貼りついて見えなくなれ(end101)ばなるほど、美しさは増すのです。(……)
(101~102; ルイーズ・コレ宛〔クロワッセ、一八五二年一月十六日〕金曜夕)