一〇時前起床。柔らかく煮込んだうどんを食べる。
通院の日である。服は久しぶりに麻素材の真っ白なシャツを着ることにした。ボタンの一つ一つの色が違っているという部分に、ちょっと洒落気の利いている品である。ズボンはこれも久しぶりに、藍色のストライプ柄のものを履いた。それに帽子を被って、クラッチバッグに本と手帳、年金の払込書を入れて持つ。
八月の最終日だが猛暑がまだ残って、車中はかなり暑かったと思う。医院の駐車場には結構車が停まっていたので、これは混んでいるのではないかと予想した。車から降りてビルの入り口に入って行くと、こちらの前後にもそれぞれ歩く者があって、それもこちらと同じ精神科が目当てらしい。後ろの女性がエレベーターを使うのに、抜かされてしまうと母親は言ったが、こだわらずに階段でゆっくり上がった。待合室に入るとやはり混んでおり、席に空きがあまりなかったので、診察券を受付に出すと別室のほうに行って椅子に腰掛けた。母親が暑いと言って西側の窓を少々開けた。前回、二週間前に来た時もやはり北の窓を背にしたこの席に座って、その時は風がやたらと荒れて激しい音が聞こえたものだが、この日はそういったことはなく、聞こえてくるのは時折りの電車の走行音くらいのものだった。岡田睦『明日なき身』を読んで一時間弱、正午を回ったところで名を呼ばれた。急いで本を閉じて鞄を持ち、待合室に入ると受付の職員のほうに顔を向け、はい、すいませんと言いながら室内を横断する。軽いノックをして診察室に入り、医師に挨拶をして椅子に腰を下ろした。
二週間のあいだ来なかったということは、特に(おそらくは悪い意味での)変化はなかったようですねと医師が言い、安定しているとこちらは受けた。生活にも自分の感覚にも特段の変容はない。友人に会いに二度出かけたことを報告し、そのうちの一回が代々木だと言うと医師はその遠出に少々目をひらくようだったが、こちらとしてはパニック障害の症状が消散したいま、出かけることに特別の難儀は感じない。それよりもとにかく感性と思考なのだ。そういうわけで、安定しているけれど、本を読んでいてもあまり面白くはないし(日記に関しては、問われた際に、書いていても面白くないので今は縮小版になっていると答えた)、何というかもう少しテンションが上がるというような状態が欲しいと述べたが、その点に関しては医師は楽観的で、回復してきているようなので段々そうなってくると思いますよという軽い返答があった。こちらはあまり楽観視はできない。一二月以前の感性と思考力のレベルを取り戻したいというのが理想なわけだが、頭の働きが以前とは違っているのが明らかにわかるのだ。かと言って改善のために何が出来るわけでもなし、とりあえず薬を飲みながら時が経つのを待つほかはない。自分はあまり性急に、多くを望みすぎているのかもしれない。この日に綴った(……)への返信にも書いたことだが、二〇一三年から丸五年を費やして頭を養ってきたのだから、もし元のレベルに戻りたいとすればそれにも同じくらいの時間は掛かるのではないか。処方はふたたび二週間分となった。ありがとうございますと礼を言って立ち上がり、扉に寄って、失礼しますと言いながら室を出た。
会計は一四三〇円だった。釣り銭や診察券を財布に収めて、処方箋と明細書を手に取ってから、どうもありがとうございますと女性の事務員に礼を言う。すると、お大事にと返ってくる。いつも通りそのやりとりをこなしてから待合室を抜けて、階段を下った。薬局は空いていた。四三番の番号を渡されたが、薬の出来た番号が示される電光掲示板には既に四二の数字があったので、それほど待つことはなさそうだった。実際、岡田睦を読んでいるとじきに呼ばれ、カウンターに近寄った。(……)さんという、四〇代ぐらいだろうか、細面で眼鏡を掛けた女性の職員が相手だった。これまでにも何度も顔を合わせたことがある。相手が薬を一つずつ示すのに、はい、はい、と単調な相槌を打ち、調子はと問われたところに安定していて、と受けた。会計は一一二〇円だった。丁度を支払い、受け取った領収書をビニール袋に収めて、薬局をあとにした。
車のなかは酷い暑さだった。「から好し」で昼食を取ることになった。移動し、入店するとお好きな席にどうぞと言われた。先客の食膳が片付いていなかったが、テーブル席のうちの一つに就いて、膳が下がるとメニューをひらいた。母親はレディースセットにすると言った。こちらは油淋鶏定食に決め、卓を拭きに来た店員に、注文よろしいですかと声を掛けて品を頼んだ。そうしてこちらは席を立って、水を二杯用意してきた。料理が届くまではさほど待たず、意外に早く来たなと思った。鶏肉をかじっては白米を同時に口に含み、咀嚼する。合間に千切りのキャベツを挟み、米も肉もなくなると味噌汁を啜って終いである。母親のほうの唐揚げは三個、こちらは四個だったが、母親はこれでも多いと言って三個目をこちらに寄越してみせた。さらにレディースセットにはついていた杏仁豆腐も半分いただいた。食事を終えると母親はトイレに行くと言って一万円札を取り出し、払っておいてと言うので席を立ってレジカウンターに行き、端数を充当して会計を済ませた。
前日か前々日あたりから、イオンモールむさし村山に行こうという話になっていた。こちらの靴がひびが入っているほど古くなってしまったので、それを新調したいのだった。しかしその前に、年金を払い込むためにコンビニに寄った。入店すると手前のカウンターは空で、奥のカウンターに寄って払込みを済ませた。それからアイスの区画を眺めた。冷たいものを一つ食いたい気分になっていたのだが、見れば普通のワッフルコーンの横に、三〇〇円もする割高なソフトクリームがあって、一丁これを食ってみるかと手に取った。会計を済ませると外のダストボックスにカバーを捨て、母親を待つあいだ(彼女はまたメルカリのために何か品を発送していたようだ)、立ち尽くしてアイスをかじった。母親も出てきたところで車に戻って、なかでコーンをぱりぱり食って平らげた。
時刻は一時過ぎだった。三〇分ほど掛けてイオンモールに移動した。ノースコートの正面、入り口の近い端に停車した。建物のなかに入ると母親と別れ、フロアを歩いて行った。比較的早い時点、電子表示の案内板を前にしているあいだに、冷たいものを先ほど食べたためだろうか便意を催して、トイレに行った。行ってみると個室は和式を除いて埋まっていたので、壁に寄って催したものに耐えながらしばらく待った。待っているこちらの前を子どもが一人、通り過ぎて、小便を済ませて出て行った。先客が一人去ったところで入れ替わりに個室に入った。広めの便所だった。
案内板にまた戻ってちょっと眺めると、ZARAの店舗に入った。靴のほかにはややフォーマルな感じのジャケットも欲しいと前から思っており、あれは三月だったか前回来た際にZARAには結構良さそうなものが並べられていた記憶があったが、この度はあまりぴんとくるものがなかった。先日立川のTreasure Factoryで目にしたようなチェック柄のものが欲しいような気がしていたが、自分の持っているシャツの多くが柄物であることを考えると、組み合わせが悪くなってしまいそうで、悩みどころではあった。
一階の通路を辿って行き、端まで行くと二階に上がって、こちらも通路に沿って順番に店に入って見分していった。COMME CAの店員がやたらと話しかけてきて(別に不快に感じたわけではない)、ウール地のジャケットを手に取った時など、それはウールの生産が日本一の町で作っていてと、愛知県だったかどこだかの名前を挙げていたが、耳にした傍から忘れてしまった。HIDEAWAYSという店にデニム調の靴のシリーズが並べられていて、これが少々気になった。ここの店員は店内に一人女性がいるのみで、積極的に話してくるでもなく、いらっしゃいませなどの声を上げるでもなく、距離を取って不動で立ち尽くしながらこちらの動きを窺っているようだった。
エスカレーターで一階に下りた。ちょうど最初の位置から一回りしてきた格好だった。初めに素通りしていたGrand PARKという店に入ってみると、こちらの乏しいセンスを惹きつける(何かに惹きつけられる感性というものが今や希薄化してしまっているわけだが)ジャケットがあった。無地の紺色のものだった。羽織ってみると、見事にぴったりのサイズだった。身につけて鏡に向かい合うとほぼ同時に男性の店員が声を掛けてきて、プッシュしはじめた。とにかく生地がしっかりとしているということだったが、実際、先ほど見回ってきたなかにあったものはどれも薄かったり固かったりして、フォーマル度合いが足らず、こちらの要望にぴったりと答えるものではなかったのだ。店員の勧めに殊更に乗せられたわけではないが、元々二万円ほどの品が半額になっているということもあって、これは買いだろうと判断し、購入を決定した。そのほかこの店では、気軽に羽織れるようなタイプのジャケットも試着してみたりして、店員の方と話しながらいささか時間を使ったのだが、迷われたものの羽織りの品はいくつか既にあるので、買うのは先ほどのジャケット一着のみとした。
クリーニング屋が用いるような黒いカバータイプの袋を提げながら階を上がって、HIDEAWAYSにふたたび入った。靴を見分していると女性店員が近寄ってきたが、地味な感じの、あまりセールストークが得意でなさそうな人だった。彼女と話しながら、そこにあったデニム調のシリーズの品を履き比べ、最終的にローファータイプのものに決定した。今まで履いていたものは処分してもらうことにして、新たな品で足を覆いながら会計を済ませ、店をあとにしたのだが、いざ歩いてみると、足のサイズにぴったりだと思っていたのが僅かに隙間があり、また足の裏への負荷も思ったよりもあったので、これは丈の高いほうを買うべきだったかもしれないなと早速疑われた。しかし今更品を取り替えに行く気もない。
時刻はちょうど三時だった。買いたいものは買ったと母親に連絡すると、しばらくしてから返信があり、二階のスターバックスコーヒーの前で落ち合うことになった。それでそちらに移動して、立ったままちょっと待っていると母親が姿を現した。彼女はまだ一階をもう少し見て回りたいと言った。こちらはもう用は済ませたし、さっさと帰路に就きたかった。エスカレーターを下り、スーパー成城石井に入って買い物をしようとするのを見て、それでは車の鍵を貸してくれと言って受け取り、フロアを辿って外に出た。買ったものを車に収めておき、本の入った鞄を取り出した。喉が渇いていたので何か飲むことにして、手近の自販機に近づき、林檎ジュースを買った。近くには滑り台のついた遊具が設置されており、数人の子どもがその上を動き回って遊んでいた。ベンチには一人の男児の母親らしい女性がおり、こちらが立ち尽くしたままジュースを飲んでいると、しばらくして彼女はゆうた、ゆうた、と息子に声を掛けたのだが、子どものほうは遊ぶのに夢中で声の答えず、母親のほうを一瞥もしていなかった。
ふたたび建物のなかに入り、通路の途中にある背もたれつきの小型ソファのような座席に座った。PARIS JULIETという店の前にいると母親に送っておいてから、岡田睦『明日なき身』を読み出したのだが、一〇分もしないうちに連絡があって、今もう車に来ていると言った。同じメールには同時に、アイスクリームを買ってきてとの要望が記されていた。確かにフロア中のどこかでアイスが売っているのを見かけた憶えがあったが、わざわざ戻って買うのも面倒なので要求は無視して出口に向かうと、その出入り口のすぐ脇に店があったので、それならと買うことにした。バナナ風味のアイスクリームは三九〇円だった。それを持って車に戻り、母親と分け合って食ってから乗りこんで出発した。
帰りにスーパーに寄って買い物をしていくということだった。それで(……)のスーパー「オザム」に到着し、入店した。カートを押しながら回って行き、野菜やら豆腐やら飲むヨーグルトやらを籠に収めて、品物は籠から溢れそうなほどいっぱいになった。会計を済ませて荷物を袋に整理し、車に戻った。母親は隣接する服屋を見て来たいと言うので、こちらは車内で読書をしながら待った。扉を閉じていると車内は蒸し暑く、途中でドアをひらいたが、外気が入ってくるとそれだけでだいぶ涼しくなるものだった。時刻は午後五時、陽射しはなく空は曇り気味で、雨粒が散った瞬間もあった。五時二〇分に到って『明日なき身』を読了したが、その時間を手帳にメモすると同時に母親が戻ってきた。二〇〇〇円くらいの品(ガウチョパンツだったか?)を一つ買ったらしかった。
それで帰路に就いた。疲れたこちらは座席を後ろに倒し、フロントガラスに向けて足を伸ばし、赤い靴下の足が外の人から見えるような、行儀の悪い姿勢を取って休んだ。自宅に着く頃には折悪しく雨が結構な降りになっており、濡れながら荷物を運び込んだ。買ったものを冷蔵庫に収めておくと、下階に戻った。レシートを見ながらこの日の支出を日記に記録しておくと、疲労していたので、夕食の支度は母親に任せてこちらはベッドに横になったのだが、このあたりのことはよく憶えていない。携帯を見ると、七時前に(……)にメールの返信を送っているから、寝転びながらその文章を練っていたものかと思う。
ありがとう。回復したのは、7月から薬を変えてそれが効いたのかもしれない。あまり実感はないけどね。7月末からまた読書ができるようになった。
気分の落ち込みはなくなったが、感情は平板なままで、以前感じられたことが感じられない(欲望とか、喜びとか、面白さとか、季節感とか)。
ともかく読み書きを、また楽しく充実してできたらっていうのが目標というか理想かな。それにはもしかしたら、何年か掛かるのかもしれない。以前のレベルに達するのにも、丸五年掛かったわけだから。
(……)のほうも、元気に家族仲良く夏を越せたようで良かったね(まだ暑い日はあると思うが)。
夕食には、朝にも食ったうどんの残りを食べたが、これは時間が経って相当にでろでろになっていた。ほか、スーパーで買ってきたばかりの秋刀魚などを食した。食事のあいだは雨が盛って、雷も頻繁に聞こえ、停電しないだろうかと母親は不安を漏らした。
日記を綴るのだったが、やはり疲労感が勝っていたので、一〇時から寝転がって読書を始めた。岡田睦の次に選んだのは、朝吹三吉・二宮フサ・海老坂武訳『女たちへの手紙 サルトル書簡集Ⅰ』である。訳者の朝吹三吉というのは、朝吹亮二の父親で、朝吹真理子の祖父らしい。
一一時を越えると、Jose James『While You Were Sleeping』を流しながら日記を綴った。もはや記憶を無理に掘り起こそうとして詳細に書くのでなく、覚えている限りのことを適当に記せば良いだろうという軽い姿勢でいたのだが、それでも一時間半掛けてイオンモールの途中までしか記せなかった。一時過ぎからふたたび読書をして、二時頃就床。