この日の起床も例によって遅くなり、正午を越えた。七時、九時、一一時と頻繁に意識が浮上しかけてはいるのだが、寝床から動くことができないのだ。一時に就床したので、時間にすると一一時間もベッドに留まっている体たらくである。上階に行くと母親に挨拶をして、洗面所で顔を洗った。食事は前日の残り物が多くあった。焼きそばにたこ焼き、茄子や玉ねぎの炒め物である。それらを温めて卓に就いて食べていると、母親が自分の分と二人分、キャベツの千切りと同じくキャベツのスープを用意してきてくれた。ものを摂取しながら、目は新聞の一面を散漫に追っていた。薬を服用して食器を洗い、浴室に向かうと、キッチンハイターの匂いが香った。実際、浴槽の縁にレバー式のハイターが置かれてあったが、どこに用いたのかは不明だった。意に介さずに浴槽を洗い、出てくるとガムを三粒一気に口に入れて咀嚼しながら階段を下った。コンピューターを起動させ、前日の記録をつけるとともにこの日の記事も作成しておくと、日記を綴る前にと読書に入った。朝吹三吉・二宮フサ・海老坂武訳『女たちへの手紙 サルトル書簡集Ⅰ』である。ベッドに仰向いて読んでいるとしかし、一時間ほど経った頃から眠気とも疲れともつかないものが差しはじめた。一一時間も寝床にいたにもかかわらず、あるいはむしろそのためになのか、横になると身体はやや重いようで、次第に瞼が閉じてくるのだ。それで、定かに眠ったわけではなく頭は半分保たれていたのだが、五時半まで薄い意識のなかに過ごした。ここまで怠けてしまう体たらくは異常であり、やはりうつ症状がまだ残っているということなのか、それとも慢性疲労症候群か何かなのか、いずれにせよ気分障害や鬱には日内変動があって遅い時刻から症状が和らぐ傾向にあると聞いた憶えがあるが、自分も夕刻以降のほうが心身が楽なような気がする。重い身体を何とか起こし、被っていた布団を片寄せておくと上階に行った。あとは蕎麦を茹でるだけ、と母親は言った。ソファに就いている彼女の隣に腰掛け、ぼんやりとテレビを眺めた。明日は台風二一号が日本列島のちょうど中央付近に上陸するらしかった。居間には卵のような匂いが漂っており、何か料理に使ったのかと思えば、その硫黄性の香りは例の「マグマ塩」のものだと言う。そう答える母親はタブレットを操って、買うつもりもないのだろうが電子書籍購入アプリのようなものを操作して、恩田陸とか京極夏彦とかの著作を眺めていた。時刻は六時に到った。こちらは日記を書いてしまおうと下階に戻って、二日の記事を仕上げて、ちょうど一時間ほどでここまで綴って現在は七時である。
ふたたび上階に上がって行くと、テレビは再三、台風二一号の上陸に対して注意を促している。関西の方では上陸を見越して既に鉄道の運行停止や学校の臨時休校が決定されているらしかった(休校だからと言って、やったーと喜んで遊びに行ったりしてはならないよと注意する小学校教師に対して、当たり前じゃん!とそれこそ大いに喜んでいそうな生徒の声が返っていた)。台所に入って、蕎麦つゆを用意し、大皿にキャベツを敷いたその上に茹でた豚肉を乗せる。食卓に就いてものを食べはじめると、母親が番組を移して『スカっとジャパン』が流れるが、この番組はわりあいにくだらないものだとこちらは思っており、あまり好きではない。向かいの母親は、メルカリで売ってしまったブラウスを買い戻したいと話した。Laura Ashleyのもので気に入っていたのだが、「軽い気持ち」で売りに出してしまい、「馬鹿なこと」をしたと後悔していると言う。こうした母親の無思慮あるいは優柔不断は以前からのことで、それを受けるとこちらは何か口を突っ込みたいような気分にもなり、父親なども多分これにはたびたび苛立たされて来ているのではないか。こちらもこの時、母親の嘆きのトーンに対して心の底で苛立ちのようなものをほんの微かに感じたようだったが、特に言いたいことが思いつかなかったので、家にいるとメルカリばかり見てて依存症のようだと気落ちした風に漏らす母親を沈黙で受けながら蕎麦を啜った。食後、母親の分もまとめて皿を洗い、入浴を済ませると自室に戻って、「わたしたちが塩の柱になるとき」を読んだ。それからTwitterを覗いていると瀬川昌久に関する柳樂光隆の発言を見かけた。瀬川昌久という人はジャズ評論の重鎮で、こちらは蓮實重彦と対談をしているという繋がりでその名を知ったものだ。柳樂曰く、瀬川から電話が掛かってきて、東京ジャズの出演者だったCorneliusやRobert Glasperなどについて質問攻めを受けたと言うのだが、御年九四歳の人間が探究心を失わずにRobert Glasperなどを聞いているというのは素直に凄いなと思われた。それから前日の新聞記事から書抜きを行った。一時間以上も費やして情報を写しているあいだ、BGMはJose James『No Beginning No End』、それから『Love In A Time of Madness』と移行して行ったが、この後者の作品は最初にじっくりと耳を傾けて聞いた時よりもBGMとして流したほうがむしろ良い印象を受けるようだった。書抜きを終えると一〇時過ぎ、この日の新聞からもいくつか記事を読み、そのあとは日付が変わるまでサルトルの書簡を追った。そして歯磨きを終えると夜半の音楽の時間である。まずKeith Jarrett Trioの『Standards, Vol.1』から"All The Things You Are"を流したのだが、これは難しい演奏で、テンポも速めでこちらなどはJarrettのピアノを追おうとしてもそのうちに正確な拍をロストしてしまう。続けて"It Never Entered My Mind"にそのまま移行し(虫の羽音を激しく増幅させたかのようなスネアの切り込み)、それからAvishai Cohenの『Into The Silence』から二曲聞いた。ECMのカラーに合わせたのか、このアルバムでのCohenは比較的ゆったりと、ロングトーンを穏やかに波打たせながら吹いており、ソロイストとして前面に出張るのでなく、ピアノに役割を委ねて全体のサウンドを構成するほうに重きを置いているようだった。それで、Avishai Cohenというのはもっと激しいトランペッターだったよなと『The Trumpet Player』の冒頭、"The Fast"を聞いてみると、ここではまさしく火を吹くようなと言うべき、息つく間もなく高速で均一に宙を埋め尽くすプレイが披露されていた。最後にいつも通り、Bill Evans Trioの"All of You"(この日はtake 2だった)を聞いて、終いである。それから瞑想をして、一時二五分に床に就いた。薬剤のせいで早く起きられないのではないかと疑って、この日は就寝前の薬を服用しなかったのだが、そのせいだろう、眠気は微塵も感じられず(薬を飲んだとしてもほとんど何も感じられないのだが)、入眠には時間が掛かった。目は冴えていたが、それでも何度か姿勢を移しているうちにどうにか寝付いたようである。