2018/9/6, Thu.

 七時のアラームで覚めて、携帯を取ったあと布団に戻ったが、このあたりのことはもはや記憶が曖昧で蘇ってこない。一〇時頃から寝床で蠢きだしたが、瞼がひらいたままになる最終的な起床は一一時を待った。寝そべっているあいだ、太陽の光が胸の上に置かれて熱く、ひらいていたカーテンをふたたび閉ざしていた。起きた頃にはツクツクホウシが一匹、窓の外で鳴きを上げていた。起き上がると、ステテコパンツを履いて上階に行く。母親は皮膚科に出かけていた。手指にウイルス性の出来物のようなものができ、それを窒素によって焼き切る治療をしているのだ。洗面所に入って顔を洗い、調理台の前でチョココロネやカキフライやらを用意していると、腹が排泄を訴えたので便所に行った。このタイミングで便意を催し、排便する際にも尻の穴にひりひりするような刺激があったのは、おそらく前夜に食べた獅子唐のためだろう。戻ってくると食事を卓に運んで新聞をめくりながら食べ、薬剤やサプリメントの類を摂取したあと食器を洗った。そうして風呂場に行き、浴槽を擦りながらこの朝の睡眠時間を計算して、八時間も九時間も床にいるのはやはり眠り過ぎでもう少し早く起きねばならないと考えた。浴室を出ると台所で立ったまま、前日に「ぎょうざの満洲」で買った杏仁豆腐プリンを食し、そうして自室に下りて行った。正午を回ったところから日記を書きはじめ、一時半を迎える前には記述はここまでに至っている。文を綴っているあいだにTwitterを覗くと、北海道で震度六の地震があったという報に出くわして、大阪の地震から西日本豪雨、つい前々日の台風二一号にまた大きな地震と、よくもこう次から次へと自然災害が起こるものだなと思った。日記に区切りが付くと、そのまま間髪入れずに岡田睦『明日なき身』の書抜きを行った。二箇所を写し、それから久しぶりに過去の日記の読み返しをした。二〇一七年と二〇一六年の九月六日の記事である。昨年というのは、今のようにあるいは二〇一六年のように起床から就床まで自分の行動を追って行くという形式の記述を一旦取りやめていた時期であり、この日は私的な思考の類を綴っているのだが、この頃に比べて長く論理を繋げた内省がどうもできなくなった、何かに触発されて思考が生まれるということがあまりなくなってしまったというのが病後の一つの変化である。またこの日には、瞑想に相当集中できたようで、体感では一五分ほど座っているように感じられたところが、目をひらいてみると実際には一〇分しか経っていなかった、とも記されているのだが、こうした研ぎ澄まされた精神の集中、これを今の自分は失ってしまった。過去には耳鳴りを招きそうになるくらいの静謐な集中力を瞑想の際に発揮していたこともあり、そうした集中性はものを感じ考えるにあたっての基盤になっていたと思うのだが、現在の自分の精神というのは、安定していると言えば聞こえは良いが波がなく、一日のどの時点でも感触が変わらず、弛緩してはいないまでも平板である。とにかく差異=ニュアンスを感じる力が衰退したとともに、応じて自分の精神内にも差異=ニュアンスの起伏が生じなくなったというのが、病後の状態の最も主要な特徴だろう。一月から三月頃に掛けて自分は統合失調症様の症状を呈していたわけだが、あれが本当に統合失調症になりかけていたのだとすると、自分の世界からの差異=ニュアンスの消失はそれによって起こった認知機能の低下なのかもしれないし、あるいはその後に現れてきたうつ症状の後遺症なのかもしれないし、あるいは離人症/現実感喪失症候群の軽いものなのかもしれない。精神疾患とは厄介なもので、確かな解答は知れないし、医者にも誰にもわからない。ただ病前と病後で自分が変質し、自分の内から何かが欠けてしまったかのように感じられるのは確かである。そうしたことはともかく、日記の読み返しを終えると二時を回っていたので上階に行った。肌着を畳んでからアイロンのスイッチを入れると、機械が温まるのを待つあいだに屈伸をして、台所で飲むヨーグルトを一杯飲む(この一杯で最後だった)。それからシャツやハンカチにアイロン掛けをして、エディ・バウアーのシャツを持って自室に戻り、収納のなかに掛けておくと、運動をする気持ちが起こっていた。Keith Jarrett Trio『Tribute』を流して下半身をほぐしはじめ、その後は腹筋運動を六〇回、さらに休み休み腕立て伏せを行って、すると三時を迎えた。午前の晴れ空から一転して外は曇っており、空気はくすんだ色合いに落ちこんで、薄灰色の雲に雨の気配すら感じさせるようだった。「(……)」を読んだあとは、音楽を消してサルトルの書簡集を読みはじめた。ベッドに寝転がったまま読書を進め、五時のチャイムが鳴ってまもなく、インターフォンの鳴る音がした。急いで上がって行き、受話器を取ると、行商の八百屋をしている(……)さんである。玄関に出ていき、すいませんと声を掛け、今、下で草取りをしててと母親の所在を告げると、じゃあいいかと相手は言うので、もう一度すいませんと言って引き取った。わざわざどうもね、と言って(……)さんはトラックのエンジンを掛け、去って行った。こちらは自室に戻って、手帳に読書の時間をメモしておくと、台所に入って米を三合研ぎ、炊飯器にセットするとすぐさま炊きはじめた。飯の用意を急ぐのは、この日は八時から(……)や(……)らとSkypeで通話する約束になっていたからだ。それから茄子を五本切って、フライパンで炒める。たびたびフライパンを振ってかき混ぜながら火が通るのを待ち、醤油で味付けを済ませると、今度は小鍋を火に掛け、粉の出汁を水に振っておいてから玉ねぎを切った。味噌汁の支度である。玉ねぎを投入すると卵を一個、椀に溶いておき、夕刊を取りに玄関を出た。一面は全面北海道の地震に当てられており、センセーショナルな事件を伝える際の、太く真っ黒な帯に白抜きの見出しが用いられていた。室内に入ると玉ねぎが柔らかくなるのを待ちながら、卓に就いてその一面を読んだ。厚真町というところで土砂崩れが起こり、くすんだ色の森が広範囲に渡って滑り落ちて山裾の住宅を巻き込み、チョコレートのような色の山肌が露出している写真が載せられていた。道内最大の苫東厚真火力発電所が緊急停止し、北海道の全域二九五万戸が停電したというから凄まじい。記事を読み終えて台所に戻ると、玉ねぎは具合良く煮えていたので火を弱めて味噌を溶き、そのあとから溶き卵も垂らして加えた。それで支度は終いとし、風呂のスイッチを付けて階段を下ると、草取りを終えた母親が疲れたと言いながら途中に座っている。何かやってくれたのと問うのに、茄子と味噌汁と答えて横を通り抜け、自室に入るとすぐさま日記を綴りはじめた。現在時まで記述を繋げる頃には六時半前を迎えた。それから「北海道地震、最大震度7で死者7人 阪神上回る295万戸停電で経済活動に大きな打撃」の記事を読んで、早々と食事を取りに上階に行った。こちらが作ったものに加えて魚を煮たと母親は言った。煮るというよりはソテーのようになったその魚料理に、米に茄子、味噌汁にサラダをそれぞれよそって卓に移った。食べはじめてまもなく、インターフォンが鳴って、出て行った母親が大きな声で話しているのを窺うところでは、隣家の(……)さんらしかった。しばらく話してから戻ってきた母親は、オクラを貰った、こんなに大きいのと言って、台所でそれを差し上げてみせた。テレビはニュースを映しており、話題は勿論、北海道地震の被害の様子である。水の配給に並ぶ人々や避難所の人々の姿が映され、卓に移動した母親は、大変だね、と漏らし、電気が使えないなんて、どんな生活かと思うねと続けた。茄子や魚とともに白米を咀嚼し、サラダを食ってから最後に味噌汁を飲んで食事を平らげると、薬を飲み、入浴に行った。早々に上がって時刻は七時半頃、自室に戻ると約束の八時まで前日の夕刊を読んだ。そうして時間が間近になってSkypeにログインし、八時ちょうどになると携帯が震えて五分だけ待ってくれと(……)から届く。それから自分の今日の記憶を探ったり、日記に僅かに文章を書き足したりして、五分ばかりでなくしばらく待ったのだが相手がログインする気配がないので、メールを送ると、IDを教えてくれと返ってくる。それでこちらのIDを伝えるとコンタクトがあって無事に繋げることができ、まもなく(……)と(……)のいるグループにも呼ばれて通話が始まった。初めのうちは部屋が暑いとか、(……)は涼しそうだとか、背景に蟋蟀が聞こえて風流だとか些末な話をしていたのだが、そのうちにこちらの容態に話題が移って、一月以降の症状の変遷を話した。言葉が高速で脳内を渦巻き流れて行くのに不安を覚えたというところから始まって、一月から三月頃までは統合失調症に近く、思ってもいないことが頭に浮かんでくる自生思考の症状があったが、三月の末頃から欲望の希薄化が始まり、そこからうつ症状が始まった、それが最も重かったのが五月から七月に掛けてだが、七月末に読書ができるようになって以来、うつ症状からもだいぶ回復して今に至る、というわけである。(……)の兄は統合失調症患者なのだが、お兄さんには自生思考はあったのかと尋ねると、陽性症状が出ている時期にはやはり話すことがまとまらないような状態になったらしかった(しかしこちらの経験した症状は、「話すことや思考がまとまらない」ということとは少し違う気がする)。そこから(……)の兄の話も混ざるようになり、彼の容態の経過が語られた。曰く、二年ほど前に幻聴に命令されて部屋から飛び降り、その際に統合失調症専門医の元に入院してから状況が上向いた。同じ病気に苦しむ人々が自分以外にも数多くいるというのが気持ちを楽にさせる発見だったらしく、病院から紹介されて患者の集まりのような場所に顔を出すようになった。一方で精神保健福祉手帳を取得し、障害年金を得ることで金銭上の心配は解消させ、今は職業訓練所に週五で通って、病気だということをオープンにしながら就職することを目指しているとのことだった。以前に比べると兄の状態は安定しており、楽しそうにしていると言う。そうした兄の体験を踏まえて(……)は、こちらにも社会的な繋がりのようなものがあったほうが治って行くと思うよと言った。一方で(……)も同様に考えているらしく、こちらに、今長期的にやらなければならないことや行かなければならない場所などはあるかと尋ねてみせた。要は労働などの社会的な義務のことだろうと捉えて、それはない、そこからは解放されていると答えたが、やはりそうした社会や外部の他人との関わりがあったほうが良いという話だったのだろう。義務とは少々異なるが、日記を書くということはあるけれどと言うと、それは公開しているのかというようなことを訊くので、ブログをやっていると答えると、そこに他人の声は届くのかなどと(……)は言う。Youtuberの例を挙げて、彼らはあれで飯を食っているわけだが、その際に視聴者の声が経済的にも精神的にも大きな支えになっている、言わばそれで呼吸をすることができていると述べるのに、こちらは、自分はしかしそうしたものがなくても書いていけるタイプだからなと応じ、何かに繋がれば良いけどねとの言には、何かに繋がるなら繋がるで悪いことではないが、そうでなくても別に良く、こちらは積極的にそれを求めていこうとは思わないと述べたが、これはあるいは意固地なように映ったかもしれない。その「悪くない」ということが大事なのだと(……)が言って、話の意味合いは少々ずれるが、五感をひらいて日常のなかに「悪くない」瞬間を探して行ってほしいという風に言ったのは、感受性が働かないというこちらの症状を踏まえてのことだろうが、話を俗っぽく均してしまえば要は「小さな幸せ」のようなものを生活のなかに発見していくことが生を豊かにするというようなことではないのだろうか。芸術的な瞬間と言い換えても良いが、自分はかつては確かにそうした五感を駆動させる瞬間のことを知っており、それをわりと頻繁に感じてもおり、本を読んで書抜きしたいと思う箇所に遭遇するのと同様に、道を歩いていればあたかも言葉でそれを採集するがごとく日記に記述したいと思う瞬間に日々出会っていたものだった。書物に記された言葉の意味と、世界のなかに無数に浮遊している意味=ニュアンスとは、自分にとってはほとんど同水準にあるもので、言わば自分はこの世界そのものを世界で最も豊かなテクストとして、あるいは芸術作品として読んでいたのだが、そのように感じられていた感性こそがなくなってしまった、というのが今の自分の状況なのだ。そしてそれはおそらくは心理的な要因に帰せられるものというよりは、純粋に物質的な要因によるもので、要はどういうわけか脳が変質して、ドーパミンだかノルアドレナリンだかわからないが、ある種の脳内物質が分泌されなくなったのだろうとこちらは踏んでいる(この推測は、瞑想をしても変性意識に入れなくなったという状況とも符合する)。それにはもしかすると、医者で処方されている抗精神病薬の効果も関連しているのかもしれない、何しろ精神の薬はまさしくその脳内物質の伝達を調整するものなのだから。有り体に言って、抗精神病薬の服用をやめればまたかつてのような感性が戻ってきてくれはしないかとも考えるのだが、それはわからないし、差し当たりは医師の処方に従って薬を飲み続けるつもりではいる。話が逸れたが、この夜の友人たちとの会話に戻ると、諸々話している時に(……)が突然、自分でもその唐突さに言及しながら、もう皆でアイマスの曲でもやれば良いんじゃないかと思ったねと言い出した。「アイマス」というのは『THE IDOLM@STER』というゲーム及びアニメのことで、(……)はわりとそちら方面の趣味を持っている人間なのだ。その(……)の発言に対して、それまで黙りがちだった(……)が軽く乗って、(……)も明るく応じたのだが、こちらとしてはギターをまた練習したり、スタジオに入って演奏を合わせたりということはいささか面倒に思われたので、気乗りはしなかった。病前はアコースティックギターで弾き語りをしたいなとか、ブルースでもやりたいなとちょっと思うことはあったが、そうした音楽をやりたいという気持ちも現状薄れている。しかし黙っているこちらを置いて、三人が具体的に話を進めようとするのには、疎外感と言うほどでもないが、モニターの向こうとの温度差を感じるのが事実だった。こうした音楽をやろうなどという提案は、こちらの生活に外部から新たな刺激を取り入れようというか、括って言えば、自分の世界に閉じこもってばかりいないで、「他者」との関わりの機会を持ち、それによってできれば感性の駆動を狙っていこうとの誘いだと受け取れて、こちらにはままならない存在である「他者」との交流が重要だという点には自分も同意するのだが、しかしこちらの症状がそれで改善するかどうかは未知数であり、スタジオ入りの一点に関して言えば気が向かないのが実際のところだった。(……)はのちになってまた唐突に、カラオケに行きたいとも口にした。こちらはそれを受けて、会話の終盤、何か言っておきたいことはあるかと問われた際に、スタジオ入りはどうかなと思うが、カラオケに行くくらいだったら練習もいらないし良いかなというくらいの気分でいると述べたところ、そのくらいから始めて行くかと話がまとまった。具体的な日取りに関しては、(……)と(……)は元々九月一七日に映画を見に行く用があったらしく、その日で良いのではとなった。場所は川崎で、(……)からはだいぶ遠いのがネックではあるが、立川から南武線で一本ではあるし、たまには遠出もしてみるものだろう。何の映画を見るのかと尋ねても、笑いばかりで判然とした答えが返って来ず、タイトルは明言されなかったが、アニメだということ、そして(……)が漏らした「ユーフォ」の語を聞くに、『響け!ユーフォニアム』の劇場版なのだろう(このアニメ作品のタイトルは、古谷利裕が放送当時、「偽日記」で「神作品」だと興奮した様子で言及していたのでこちらも知っている)。テレビ版放送を見ていないと話がわからないのではとの懸念も提出されたが、何も知らないで見るのもそれはそれで面白そうだとのことで、こちらも映画から参加するという雰囲気になった。放映時間はまだ詳細が出ていないらしく、集まりの正確な時間は(……)がそれを確認してから、とのことになった。それで通話は終わり、おやすみ、ありがとうと言い合ってSkypeからログアウトしたのだが、連絡のためにLINEをインストールしてほしいという話が出ていた。こちらの携帯はスマートフォンではなくてガラケーなのだが、PC版LINEというものがあるというので、それをインストールして電話番号で登録し、早速登録したとの報告を(……)に送っておいた。そうすると時刻は零時が間近になっていた。朝吹三吉・二宮フサ・海老坂武訳『女たちへの手紙 サルトル書簡集Ⅰ』の読書を始め、一時間ほど読んで一時が目前になったところで本を閉じ、瞑想を始めた。この時、変性意識には相変わらず入れないのだが、うまい具合に身体の力が抜けた感じになり、二〇分ほどの瞑想を終えたあと布団に入って同様に身体を緩いようにしていると、睡眠薬を飲まなかったがさほど苦労せずに入眠できたようだ。



岡田睦『明日なき身』講談社文芸文庫、二〇一七年

 (……)早速、便所の裏に行ってみた。この下に下水道がある。丸くて分厚いコンクリートの蓋がふたつあって、手前のが浮いているように見える。これが下の便所ので、もう一枚が上。この上のが水が出なくなった。ずいぶん前だが、この上の便所の水が止まり、これも水道工事店の人に来てもらった。応急措置でもしたのか、水が出るようになったが、こんど、水が出なくなったら、全部取り替えるようですね。黙然と聞いているきりだった。これだって、水洗便所一式買い、取り付けの手間賃払える金などあるはずがない。で、使用しなくなった。一階の蓋の傍に行ってみると、糞と小便とトイレットペーパーで押し上げられているのがわかった。カーキ色の臭い液体がまわりに溢れている。自分でなんとかするほかない。着たなりのまま、把手の付いた蓋を取り除け、スウェーターの右手を腕まくりして、黄色い物を摑み上げた。糞小便とトイレットペーパーが溶け合って、摑みにくくなっている。右手で掬うように搔き出すのだが、躰までが凍て付くような冷めたさだった。こ(end64)こは石塀と家屋のあいだにある細長い所で、搔き出した異物をあたりかまわず放るように捨てた。それが、いくらやっても黄色くてひどく臭い物はあとからあとから現れる。この糞尿物の始末、別のやり方はないかと思案した。やってみるに価する方策がうかんだ。右腕はもう痺れたような感じになって、しかも汚れている。風呂場の洗面所へ行って、キレイキレイという薬用の液体石鹸で丹念に洗った。水道の水のほうが、まだ冷めたくなかった。そこから、ガレーヂの跡の簡易物置に行き、スコップを持ち出した。門扉からはいった所に、下水溝がある。そこにも蓋があるが、下水道のよりひとまわりもふたまわりも大きく、厚さ五センチほどか、マンホールのような、これも丸くて重い物だ。それを、スコップの先を梃子にしてこじあけることを考えついたのだ。門扉から物置までコンクリートが打ってあり、その蓋との隙間にスコップの先を挿し入れ、すこしずつまた挿し入れては持ち上げた。かなり蓋があいたので、スコップをそのままにして、そのマンホールの如き重い円形物に両手をかけて取り除いた。蓋の裏に、見たこともない白くて小さい虫がびっしり犇[ひし]めいていた。目下は、そんな虫けらどもにぞく、としてはいられない。見ると、下水溝の縦の丸い孔があり、それへ落ちる下水道の横の穴が汚物でぎっちり詰まっていた。また思いついたのは、これも物置にあるが、今では使っていない家庭用のゴミ焼却炉の火搔棒だった。そいつを持って来て、糞小便と紙の"三位一体"をちょっと搔き出したら、(end64)黄色の汚物が下痢便のように落下した。すぐにまた手を洗わなくちゃと思いながら、異臭に包まれて立ちつくしていた。
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 二日二た晩、原稿書くボールペンも擲[なげう]ち、ただ寝ていた。餓えは痛い。胃を中心に苦痛が広がり、全身ちくちく痙攣する。三日目、本棚の隅の小ぶりなバッグをふらふらあけ(end137)た。この上にゴミを被せてある。ずいぶん前、いつだったか、ドアの鍵をなくしてしまった。一度、女家主に出て行けといわれている。鍵紛失しましたなどいったら、本当に追い出される。この中に、NTT、東電に支払う現金入れてある。誰がはいって来るかわからない。だが、この劣化した部屋に、これまで侵入した者は一人もいない。その形跡すら窺えない。摑み出して、出かけた。行きつけの"コンビニ"がある。これを喰おうと思っていた物を買った。まるで、餓鬼だ。トリの唐揚げ。そこの赤いベンチで、一と口齧って啖らおうとした。噛み切れない。喰うのにも、体力が要るのを痛感した。寝たきり、痴呆、末期ガン患者等々、流動食とか胃にカテーテルの穴をあけるとか点滴になる。人の手を借りる。厭だ。トリ肉に前歯を立て、全力を込めた。一と切れ、口中にはいった。入念に咀嚼した。呑み込んだ。ネコ舌というのか、なんでも冷めたいのが好みで、店にある"チン"を頼まないから、肉がとても固い。
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