カーテンの際に薄く明るみの漏れる早朝五時半に、静かに目を覚ました。ふたたび目を閉ざしていると、いつの間にかといった感じで七時を迎えて、携帯のアラーム音で再度の目覚めを得た。ベッドから立ち上がり、アラームを止めて、ここでそのまま起床できれば良いのだが、やはり頭の重いような感じが僅かにあってまた寝床に戻ってしまう。そうすると浅く切れ切れの眠りながら長く臥位に留まってしまい、一一時を越え、メールの届いた振動音を機に瞼がひらいたままになった。窓は白かった。立ち上がって上階に行くと母親はクリーニング屋に出向いていて不在、冷蔵庫のなかからジャガイモのソテーと味噌汁の残りをそれぞれ取り出して温め、その二品のみで食事を取った。食後、風呂を洗って出てくるとちょうど母親が帰宅したので、玄関に運ばれた荷物を取り上げて、品々を冷蔵庫に移して行く。それから下の階に下って、一二時過ぎから前日の日記に取り掛かった。会話を書くのは難しく、なかなかすらすらというわけには行かず、骨が折れる。勿論記憶していて記すことができるのはごく一部であり、実際の順序通りに再構成するのも不可能技だが、覚えていると言っても事細かにそのまま覚えているわけでないから、受け取った意味を自分の言葉に移し替えるのに手間が掛かり、また個々の内容のあいだの脈絡を整備するのも難しい。そういうわけで一時間半を費やしても記事は終わらず、一時四〇分に至ってそろそろ出かける準備をしなければならないとキーボードから手を離した。美容院の予約が二時だったのだ。服を外着に替えて歯磨きをして、上がって行くと、母親が身体を拭いて行ったらと言う。自分ではわからないけれど近寄ると男臭いから、と言って、そんなに体臭を発しているつもりはないのだが、忠告通りにデオドラントシートで肌を拭い、そうして出発した。苔の染みついた林中の坂道を上って行くと、道のすぐ脇の草のなかからツクツクホウシの声が立つ。そこを過ぎて街道に出て、通りを渡って入店すると、先客はおらず、パートのスタッフもおらず、美容師の中年女性一人だった。これは何となく安堵する材料だった、と言うのは調子を崩してうつ病のようになっていたことをおそらく話すことになるだろうと予想していたところ、ほかの客やスタッフのいるなかではやはり話しづらいと思っていたからだ。早速明るい店内に招き入れられて、洗髪台に身体を預ける。最初の主な話題はパートの(……)さんの家の事情で、彼女の家のお爺さん、と言うのは旦那さんの父親が、もういくらか認知症で呆けていたのだが、電車と接触して病院に運ばれたと言うのだ。ICUに入っていて、意識はおそらくないようで「葬式待ち」との語が聞かれた。その老人は山のなかにある小さな祠のようなものにお参りで通っていたらしく、人もあまり通らないようなところなのですぐに見つけられて通報されたのは運が良かったと美容師は言った。そんな話を聞いてのち、鏡の前に移り、身体をカットクロスで包まれてしばらく、そうして(……)くんは元気だったと来たので、実は一月頃から調子を崩していたのだと明かした。仔細を尋ねられるのには、さほど詳しくは話さず、元々持っていたパニック障害が悪化したところから始まって、最終的にはうつ病のようになった、しかし今はもう段々回復してきたところであると説明した。(……)くんはものを良く考えて頭を良く使うから、というようなことを美容師は言った。一時間ほど髪を切られているあいだに二、三度、(……)くんは(歳のわりに)「しっかりしている」という評言を与えられたのだが、これがいまいち良くわからないもので、客観的に見て自分はしっかりしてなどいないとこちらは思う。二八にもなって親元を出ずにアルバイト身分のままで過ごして、実家にいながらさほど家事を受け持つでもなくやっていたのは読み書きばかり、挙句の果てに精神疾患を悪化させて休職中、などというのは多少なりとも情けないと言うべき現状ではないだろうか。この前夜の通話でも(……)が、こちらには能力があるのにそれが社会的に活用されていないのが勿体ない、というようなことを言っていたのだが、これも過大評価で、こちらはあまり家からも出ず大層世間知らずだし、大した能力など特に持ち合わせてはいない。唯一磨いてきた能力であるところの作文も、要はこの日記形式の文章しか書けないので、多様性のあるものではない。それでも昨年の秋にはコンサートの感想などもちょっと綴っていたし、年末頃には哲学的な考察なども日記のなかに取り入れて、わりあい「いい線行っていた」ように思えるのだが、現在はそうした契機も生まれて来ない。自分としてはこの日記ももはや大して面白い文章だとは思っておらず、欲望も希薄で、何故こうして毎日多くの時間を費やして書いているのかもよくわからないのだが、ともかく、美容師はこちらの受け答えを見て「しっかりしている」ということを繰り返し口にして、店にやって来る人々(大概中高年の女性だと思うが)などは、他人の話も聞かずに自分の好きなことを喋るだけだと毒づいた。そうした流れのなかでふたたび(……)さんが話題に登場したのだが、美容師は彼女が連日ICUに子連れで見舞っていることを取り上げて、そこにいるほかの人々も重傷の人ばかりだし、あまりそう頻繁に行く場所でもないだろうと苦言を呈してみせた。(……)さんは朝早く、子どもの学校の前などに病院を訪れており、看護師さんに毎回関係を聞かれるんですよとか、病院のあとはデニーズで外食なんですよとか話していたらしく、美容師はそれをいくらか考えなしな言だと取っているようだったが、こちらは笑って、あっけらかんとしているんですねと受けた。これは初めて知った事実なのだが、(……)さんは耳が悪いらしく、補聴器をつけてはいるのだが、それもあって仕事中にも話を半分くらいしか聞かずに適当に答えていることがあると美容師は苦笑する。五〇歳にもなってそれだと彼女は言うのだが、しかしこちらは、そうしたあっけらかんとしているところが(……)さんの良いところなんですよと不在の彼女をフォローした。ほか、ヨガをしたらどうかとか、ジムに行ったらどうかとかそういった話もあったのだが、それらに関しては詳しく語らずとも良いだろう。散髪の終盤、美容師はこちらの頭を指でぐりぐりと刺激しながら、(……)くん、前頭葉が固くなっているよと言った。頭を使いすぎているという言い分らしいが、しばらく刺激していると、若いからすぐ柔らかくなるわと頭皮を動かしてみせる。そのマッサージは遠慮がなく、力の籠ったもので少々痛いくらいだったのだが、それは口にせずになされるがままに施術を受けていた。髪を切ってもらいすっきりすると、三二五〇円を払い、礼を言って退店した。時刻は午後三時だった。何となくアイスでも食べたいなという心があって、散歩がてら、近間の、と言って歩いて一五分ほどは掛かる先のセブンイレブンまで行くことにした。何だかんだで人と接して多少笑いながら話したこともあってか、気持ちは僅かに朗らかに、ほぐれたようになっていた気がする。横から身を通過していく風は涼しさもぬるさもなくまろやかで、空には雲が多く掛かっていたが、大概は青灰色を混ぜたなかに一箇所、白が磨かれ艶めいたようになっている部分があって、あそこに太陽があるなと窺えた。道を歩きながら自らの二八という歳を思って、まだ三〇にも達していない、考えるまでもなく若いなと、それだけぽつんと心中に独りごちた瞬間があったが、薬剤のせいで性欲もなく感受の官能も失ってしまった現在、自分が若いということも実感としてあまり馴染まないようでもある。街道を進んで交差点まで来ると、蟋蟀の、硝子を擦り合わせているように摩擦の強い鳴き声が通りの脇から湧いていた。ガソリンスタンドにはジャパン・ビバレッジのトラックが停まっており、もう年嵩の店員が運転席の外で愛想良く、窓越しにドライバーとやりとりをしているところだった。コンビニに入る前にもう一度空を見上げると、先ほど見つけた太陽の痕跡はなく、雲は広く連なっているが、南のほうには洩れる白さの散在があって青みも見え、雨の心配はなさそうだった。入店すると籠を持ち、ドリンクコーナーの前に立ったが、飲むヨーグルトは普段買っているものの半分ほどのサイズの品しかなく、それで一五一円と割高だった。しかしそれを二つ籠に収め、振り返ってアイスの区画を見分し、いくつか保持してさらに、たまには両親に甘い物でも買って行こうと甘味の類も数種加えてレジに向かった。一四九二円を会計して店を出ると、また蟋蟀の音が通りに渡っていたが、すぐに車の走行音に乱された。ビニール袋を片手に提げながら歩いて行き、交差点から裏道に入る。もう夏は過ぎたが歩いていれば肌着が汗で湿って、林からはまだいくつかツクツクホウシの鳴きが飛び出ている。土塊を積み上げた敷地の前に人相の良くない人夫らが三人座りこみ、軽トラックの脇で休憩を取っている。その横を過ぎ、ほかに人のいない裏道を、緩い向かい風を浴びながら家に帰った。帰宅すると買ってきたものを冷蔵庫に収め、居間に立ったまま、ワッフルコーンのアイスクリームを食す。母親もこちらが買ってきた「雪見だいふく」を一つ食べ、こちらは貪欲に余ったもう一つも食べてしまうと自室に帰り、服を着替えて日記を綴った。時刻は四時、それから三〇分強で前日の記事が完成したが、それを投稿するとそこからこの日の分には入れず、隣室に足が向いてギターを弄りはじめた。適当に乱雑に弾いているうちに時間を費やしすぎて五時半目前になり、母親が上階に上がった気配を聞いてこちらも台所に向かった。カレーを作ろうと言う。BGMとして小沢健二『刹那』をラジカセで掛けようと思ったところが、CDが見当たらない。部屋に確認しに行っても見つからなかったので、仕方なく、"流星ビバップ"のメロディーを口笛で吹きながら野菜を切り、フライパンで炒めた。かたわら、前夜に(……)さんに貰ったオクラを茹でて、笊に上げておき、フライパンのほうは水を注いで、そこに肉を投入した。煮ているあいだに郵便を取りに行くと、夕刊と、「国境なき医師団」の活動報告と(父親がいくらか献金しているのだと思う)、(……)クリニックからの父親宛の封書が入っていた。居間に戻って夕刊の一面、北海道の続報を伝えている脇の、自民党総裁選が告示という記事だけを読み、それから台所に入って、ジャガイモを割り箸で刺してみると既に柔らかく割れる。それでカレールーを投入し、お玉を揺らして湯に溶かし、母親がスパイス類を振ったあとから牛乳を加えて完成とした。隣のコンロではオクラの肉巻きが四つ焼かれており、母親はあとでこのうちの一つを隣家に持っていったようだった。時刻は六時ちょうどだった。それから自室に下りてきてふたたび日記に取り掛かり、一時間半以上を掛けて記述を現在時まで連ねて行った。大した文を書くでもなく、ただ時間だけが本当に抵抗なく、するすると過ぎ去ってしまう。そうして食事に向かった。カレーを火に掛け、イカフライとオクラの肉巻きの乗った皿をレンジで温め、マカロニのサラダや豆モヤシが母親の手によって一皿に収められる。品をそれぞれ運んで椅子に就くと、サラダから口をつけはじめた。まもなく八時を迎えてテレビは『ぴったんこカン・カン』を流しはじめて、画面のなかでは米倉涼子がスペインの一家に滞在し、四か月間勉強したというスペイン語を、短い期間のわりに巧みに話していたが、特段の興味はない。料理を平らげて食器を片付けると風呂に行き、湯をくぐって出てくると冷凍庫から「クーリッシュ」(ベルギーチョコレート味)を掴み出して自室に下り、(……)さんのブログを読みながらアイスを吸った。それから、久しぶりに緑茶を飲む気になった。上階に行き、台所の頭上の戸棚から急須と湯呑みを取り出して、まず一杯注ぎ、さらに急須に湯を入れておいて部屋に持って行くと、二杯半分の茶で一服しながらインターネットを閲覧した。以前は緑茶を飲むと、おそらくカフェインの作用で覿面に心身が強張り、すぐに強い尿意も覚えたものだったが、パニック障害の症状が消えた今、不思議なことにそうした影響も感じられなかった。九時過ぎからサルトルの書簡集を読みはじめたが、書見のかたわらにも茶が欲しくなっておかわりを注ぎに階を上がった。母親が入浴に行っているなか点けっぱなしにされた居間のテレビは、地震に襲われた北海道からの中継をしていて、街路灯も家の灯も消えた真っ暗な住宅街をレポーターが示してみせた。あちらに明かりがあるのが見えますでしょうかと指されたその先は、緊急停止した苫東厚真発電所だといい、そこから目と鼻の先の区画でもまだ停電が続いているということだった。テレビに目を向けながら茶を用意していると、帰宅した父親が居間に入ってきたので、おかえりと顔を合わせた。そうして下階に戻り、茶で腹を水っぽく膨れさせながら読書をしていたのだが、ちょうど一〇時に掛かる頃、唐突に歌が歌いたいような心が起こって、本を置き去りにしてSuchmos "YMM"を流した。さらに"GAGA"、"Alright"と歌うと小沢健二に移って、"流星ビバップ"、"痛快ウキウキ通り"、"さよならなんて云えないよ(美しさ)"、"大人になれば"、"ローラースケート・パーク"と流していき、最後にキリンジの三曲、"グッデイ・グッバイ"、"エイリアンズ"、"あの世で罰を受けるほど"と歌って、長々とした一人歌唱大会は終わりを告げた。一時間ほどが経っており、一一時からふたたび読書に戻った。サルトルはボーヴォワールに宛てた手紙は必ず「ぼくの可愛いカストール」で始め、律儀にも毎回何らかの直截な睦言を記している。一九三九年の最初から順にいくつか拾ってみると、次の通りである。
「あなたにさよならを言えなかったことがとても心残りだよ、ぼくのいとしい人」
「情熱的に愛しているよ」
「あなたをこの腕の中に抱きしめたい」
「ぼくのすてきなカストール、ものすごく好きだよ」
「あなたに会いたくて仕方がないよ、頑固屋さん」
「あなたのそばに行きたくてたまらない」
「あなたから離れて本当に淋しいよ、ぼくのいとしい花」
「ものすごく愛してるよ、ぼくのすてきなカストール。あなたに再会し、あなたと一緒に楽しみたくてたまらない。あなたは少しも抽象的になど思われない」
一方で一九三九年夏のこの時期、サルトルはルイーズ・ヴェドゥリーヌというボーヴォワールの友人とも恋愛関係を始め、手紙の書き出しでこちらには「ぼくの恋人」と呼びかけながら、やはり律儀に毎度、同じような愛の言葉を送っている。以下のようなものである。
「ものすごく会いたいよ、恋人さん。きみのベッドのわきに坐り、きみの暖かい小さな手をとって、きみの優しいほほえみの一つを目にしたいな」
「全力をこめて愛している」
「ぼくだってきみのそばに、ベッドの端に腰をおろして、きみの髪の毛を愛撫したくてたまらないんだ」
「いつでもきみのことを考えていて、きみによって自分を癒やしている」
「全力をこめて接吻する。熱烈に愛しているよ」
「ぼくの恋人さん、どんなにぼくがきみのことを愛しているか、どんなに激しくきみに愛着をいだいているか、せめてきみに感じてもらえたらいいのに」
そのすぐあとの時期には前々から交流のあったターニャという女性と一緒に旅行に出ており、彼女と寝たなどということをボーヴォワールに報告している(サルトルは彼女の処女を奪ったらしく、「こんな汚ない仕事」などという語を使っている)。ターニャとの関係は、ボーヴォワールやルイーズとのあいだにあるような穏やかなものではなかったようで、罵り合いの修羅場のような場面も彼は手紙に綴ってボーヴォワールに知らせていたが、いずれにせよ多情な男なのだ。書見は午前二時まで続けられた。その間、(……)さんから送られてきた手紙二通のことを思い出してそれを読み返したり、コンピューター前に立って自分の最近の日記を読み返したりもした。日記はそこそこ悪くないのかもしれない、思ったよりも頑張って書けているのかもしれないとちょっと思われた。この日も睡眠薬を服用せず、本を閉じるとすぐに消灯して布団に入ったが、例によって眠気はまったく感じられなかった。ヨガで言うところの「死者のポーズ」、あるいは自律訓練法のポーズのように、腕を身体の両側にだらりと伸ばして力を抜いた姿勢でじっとしながら夕食時以降の記憶を追いかけて行った。それが終わると姿勢を崩して横を向いたりもしたが、外から重なり合って響く虫の音は、その重奏のなかにほとんど新たな動きは導入されず単調に繰り返されるのみで、片耳でそれを聞いているとちょっと催眠的なようにも思えたものの、眠りはやはり遠かった。寝返りを繰り返しているうちに一度時計を見て、三時過ぎに至っていたのは覚えている。それからどれくらいで眠りに就いたのかは定かでない。