2018/9/11, Tue.

 七時の携帯、八時の時計のアラームでそれぞれ覚めたが、音を消しただけで起床は見なかった。九時半頃には既に頭ははっきりしていたと思うのだが、前日の夕刻と同様何となくやる気が起こらず、だらだらと寝床に留まり続けた。一〇時半に、両親の帰ってきた音がした。この日は朝早く、八時から彼らは年金事務所に話を聞きに出かけており、さらにその後は「サイボクハム」というところへ昼食に行くということで、この時一旦帰宅したもののすぐにまた出たようで家中は静かになった。一面の白雲のなかに太陽の姿が辛うじて見て取れる曇りだった。気力のない状態は続き、結局、眠くもないのに目を閉じて過ごし、一一時半過ぎまで横になったままでいた。起き上がるとステテコパンツを履き、上階に行った。セブンイレブンの冷凍食品のたこ焼きを食べることにした。電子レンジに五分間掛けているあいだにもう風呂を洗ってしまい、加熱されたものを取り出すと冷えたソースを垂らしてまた二〇秒温めた。そうして細切りのキャベツとともにたこ焼きをテーブルに運び、マヨネーズと鰹節を上から加えて食した。新聞の一面から、自民党総裁選関連の記事を読みつつものを食べると、水を汲んできて薬とサプリメントを摂った。マグネシウム錠剤は特段の効力を感じられないのだが、二四〇錠入りのものを買ってしまったためにまだまだたくさん残っている。バコパハーブはだいぶ少なくなってきた。ドーパミン関連のサプリメントを新たに試してみたいと思っているのだが、現状で三種類飲んでいるわけで、あまり増えすぎても飲むのが面倒なので今あるものがなくなってから購入するつもりである。ホスファチジルセリンは一日四個飲んでいて一瓶一二〇カプセル、したがって一か月分だが、これは結構評判が良いので三か月か半年か、長期的に摂取してみるつもりでいる。食器を洗うと緑茶を用意して自室に下った。コンピューターを起動させ、Evernoteに九月一一日の記事だけ作っておくと、この日は日記を書き出すのではなく、前夜に見つけたSIRUP - SWIM / Music Bar Session(TOKYO SOUNDS)の動画(https://www.youtube.com/watch?v=TmjGdJD8i5E)を流した。この曲が大層気に入られて、何度も繰り返し再生し、歌詞も検索して合わせて歌う練習も始めて時間を費やした。一時前になると一旦止めて、(……)さんのブログを読んだ。そこにFISHMANS『空中キャンプ』の名が出てきていたので、読み終わるとこちらも"ずっと前"、"BABY BLUE"と流し、さらにまたSIRUP "SWIM"に戻ってリピート再生した。Amazonを調べてみると"SWIM"が収録されている『SIRUP EP』が出てきた。ディスクを注文しようかとちょっと思っていたが、在庫切れだったので、MP3音源で購入してしまうことにして手続きを進めた(一三三〇円)。スタジオ盤の"SWIM"を早速流してみたが、こちらは歌唱の質感がメロウ寄りになっていて、ちょっと聞いた限りではYoutubeのスタジオライブ音源のほうがこちらの好みに合っているようだった。そうして時刻は二時前、ようやく日記の作成に取り掛かり、ここまで綴ると三時の一〇分前に至っている。何か茶菓子とともに一服をしたいなというわけで、上階に行くと、もう米を研いでしまおうという気になった。それで笊に三合を用意して洗い桶のなかで研ぎ、六時半に炊けるようにセットしておくと、玄関の戸棚を探った。玄関の外からは停車した車のエンジン音が漏れ聞こえており、両親が帰ってきたのだと知れていた。バターサブレがあると思ったのだが見当たらず、煎餅くらいしかないのを確認していると母親が入ってきて荷物を置くので、それを受け取って野菜などを冷蔵庫に収めた。何か茶菓子はないかと訊くと都合良くパンを買ってきたというので、そのなかからクリームパンをありがたく頂いた。そうしてサイボクハムのチラシを目にしたのが茶を用意しているこの時だったかどうか、何にせよ、母親は一六〇〇円のハンバーグ、父親は何と三七〇〇円のステーキと豪勢な昼食を取ってきたと言うので、そんなにするのかと受けた。そうして自室に下り、緑茶を口にしながらインターネット記事を読んだ。それからベッドに移り、SIRUP "SWIM"を流したなかで足の爪を切ったあと、書抜きに取り掛かった。朝吹三吉・二宮フサ・海老坂武訳『女たちへの手紙 サルトル書簡集Ⅰ』で、打鍵をしているあいだは購入したばかりの『SIRUP EP』を流していたが、"SWIM"以外の曲もなかなか良さそうだった。三〇分掛けてこの本からの書抜きは終了、そうするとベッドに腰掛け、九月八日の新聞を取って椅子の上に置いた。一面の「スルガ銀役員関与 認定 第三者委 不正融資 社長ら退任」についてはあまり興味がなかったのだが、一面に取り上げられているからという理由で一応目を通し、そうすると関連記事も読む気になって頁をめくって八面に移り、そこの記事を読んだところで五時のチャイムが鳴ったので切り上げて部屋を出た。階段を上がり、台所に入って夕食の支度はサイボクハムで買ってきた肉を焼くと言う。母親がジャガイモを切って二つの鍋で火に掛けたあとから、豚肉の肩ロース(一パック三枚で一〇〇〇円ほど)の三枚をそれぞれ三等分し、胡椒と塩を振りかけた。茄子も合わせて入れようということで母親が切ったそれをオリーブオイルの熱されたフライパンに投入し、隙間に肉を敷いて行く。そうして蓋を閉じてしばらくしてから開け、肉を裏返してみると片面に良い具合に焼き色がついたところだった。また蓋を閉じて火に掛けているとじきに肉は焼き上がったが、茄子が固いんじゃないのと母親が言って、肉だけ皿に取り出して茄子を熱する。そうしてふたたび混ぜ、おろし風焼肉のたれを全面に掛けて完成である。一方でジャガイモの鍋の一つには味噌を溶いて味噌汁にして、もう一つには醤油を差して煮詰めていた。あとはモロヘイヤを茹でねばならないということでフライパンをコンロに乗せ、新聞を読みながら湯が沸くのを待ち、モロヘイヤを投入する。茹でているあいだも新聞記事の文を追い、一記事読み終わらないうちに野菜をボウルに上げた。水を取り替えて何度かゆすぐと、まな板の上に乗せ、包丁で細かく切り分けてパックに入れておいた。最後に、獅子唐を炒めて支度は終了、階段を下りたのが五時四〇分で、室に帰るとふたたび九月八日の新聞を前にして、待機児童問題関連の記事を読んだ。いわゆる待機児童は今年四月時点で前年より六二〇〇人弱減ったが、それでもまだ二万人ほどは残っており、認可外の保育所に入ったりして「隠れ」と言われるほうは七万一三〇〇人と言う。その隣には障害者雇用水増しの件が載せられており、結局、司法機関では六割、立法機関では四割が不適切な算入だったと記されていた。それで九月八日の新聞は終い、九日の分に移って一面から「対中関税 全品に検討 第4弾30兆円に 米、日本にも「脅し」」という記事を読んだあと、読むものを新聞から書籍に変えた。金子薫『鳥打ちも夜更けには』である。ベッドに乗って物語を最後まで追ってしまうと時刻は七時過ぎ、検索して出てきた大澤聡の書評も読むと夕食を取りに行った。米にジャガイモとワカメの味噌汁、豚ロース肉と茄子の炒め物、ベーコン入りのクリームコロッケが一つ、モロヘイヤに豆腐にサラダと色々取り揃えられた食事となった。肉や茄子とともに米を咀嚼し、おかずがなくなると皿に残ったたれを米とサラダに掛けて食べた。テレビはどうでも良いような番組だったので記すほどのことはない。母親から、来月の第二火曜日(父親の休日である)にはこちらも一緒にまたサイボクハムに行こうと誘われたが、行くとも行かないとも明言しないで黙っていた。薬剤を服用して皿を洗うと、裸足のままローファー型の靴を履いて散歩に出た。雨のあとで道路は一面濡れており、外気のなかに出ると半袖半ズボンの格好ではやや冷えて、上着が欲しくなるようだった。空は繭のような煙のような雲が全面を占めて薄白い。SIRUP "SWIM"が脳内で再生されるなか坂道を上って行き、人通りのまったくない裏道を大股気味に行くあいだ、靴のサイズに僅かに余裕があるもので蹴り出しの際にかこ、かこ、と音が鳴るのだった。街道に出て、帰路を行く疎らな人々とすれ違っているうちに、背を探ってみるとほんの微かに汗の感触があって身の内が温まっているそこに、細かではありながらそこそこの雨が降りかかって来たが、意に介さず歩調は変えずに進んで行き、道の終盤になると足音のリズムに合わせてまたSIRUP "SWIM"が頭のなかについてきた。帰宅すると母親が電話をしており、身体を気遣うような言を送っていることからすると、相手は山梨の祖母らしかった。先ほどこの祖母から黄桃が贈られて来ていたので、その礼を伝えるために電話をしたのだろう。こちらはすぐに入浴し、湯に浸かったり冷水を浴びたり頭を洗ったりしながらこの日の記憶を探ったが、読んだ記事の情報がうまく出てこなくて流れが詰まり、そのまま風呂を上がった。最近はネット上の記事や新聞記事などを読んでもあまり頭に入らないようだと言うか、以前だったら内容の簡潔な要約くらい思い起こせたのではないかと思うのだが、なかなかうまく行かない。冷蔵庫のなかに入っていたバターサブレと緑茶を持って部屋に戻ると、携帯に(……)からの着信が残っていた。留守番メッセージも残されていて、聞くとLINEの設定の件で話がある、折り返してほしいとの内容が、ところどころ発音の不明瞭な、何だか判然としないような口調で述べられていた。それですぐに電話を掛けたのだが繋がらず、ひとまずこちらは茶を飲み、ビスケットをつまみながら一年前の日記を読み返した。そうして日記に取り掛かろうとしたところで着信があったので出ると、(……)さんがLINEの設定に協力してくれるとのことだった。こちらは良くも仕組みがわかっていないのだが、以前に(……)や(……)のIDを検索しても出てこなかったところ、(……)さんは「年齢認証」というものを済ませているらしく、それが成されていると検索に表示されるようで、実際(……)の伝えるIDを打ちこんで検索してみると(……)さんのアカウントが発見された。早速メッセージを送っておき、それに対する反応はすぐにはなかったが、これで(……)さんを経由して(……)たちと繋がれるだろうというわけで通話は終了した。それからこの日の日記に文を書き足して行ったが、やはりどうも記憶や文章がうまく順当に繋がって軽やかに出てこず、一一時頃に至って一旦緑茶をおかわりしに行った。そうすると父親が、山梨から来た黄桃を食べるかと切り分けはじめたのでそれを待ち、三人揃って口にした。まだ若く、身が固めだったが新鮮な味わいだった。そうして室に戻り、日記に切りを付けた現在は一一時二〇分である。先ほど(……)さんからの返信があり、(……)ともLINE上で繋がることができた。それから、こちら、(……)、(……)、(……)のグループがLINE上に作成され、そこでしばらく雑談が続いたなかに川本真琴の名前が出てきて、久しぶりにその楽曲を聞くことにして、ヘッドフォンをつけて"愛の才能"、"DNA"、"焼きそばパン"、"1/2"と流すと時刻はもう零時を一〇分越えて、LINE上の話も止まっていたのでコンピューターをスリープ状態にした。そうして歯を磨きながらカロリン・エムケ/浅井晶子訳『憎しみに抗って 不純なものへの賛歌』を新たに読みはじめた。訳者あとがきから読んだのだが、そこでは本書が執筆された背景となるドイツの状況がいくつか触れられていて、そのなかに、二〇一五年の大晦日にドイツでは複数の都市で集団的な性暴行事件があったと記されており、お祭り騒ぎのなかで総計で一〇〇〇人を越える女性が被害に遭ったと言うからその規模に驚いた。とんでもない話である。口をゆすいできて訳者あとがきを読み終えると冒頭に戻り、「はじめに」を読んだところで既に時刻は一時半近く、読書はそこまでとして眠りに向かうべく消灯した。勿論、眠気はまったくなかった。眠くもないのに無理矢理にでも眠らなければならない、というのがやりきれないところである。そして朝には速やかに起きられず、やはり大して眠くもないのにベッドから離れられずにぐずぐずと時間を無駄にしてしまうのだ。



朝吹三吉・二宮フサ・海老坂武訳『女たちへの手紙 サルトル書簡集Ⅰ』人文書院、一九八五年

 (……)雨が牛の放尿みたいな勢いで降っていた(……)
 (183; ボーヴォワール宛; 1937年9月)

     *

 (……)彼女は、からだつきからもほぼわかるように、ブーブーなら「大恋愛家」とでも呼びそうな女だ。それに、ベッドでの彼女は魅力的だった。茶色の髪の女――いやむしろ黒ヘヤーの女[﹅6]と言った方がいいが――と寝るのは初めてだ。悪魔のようなプロヴァンス女、匂いに満ち、奇妙に毛深く、腰のくぼみに小さな毛並があり、からだは真っ白、ぼくよりもはるかに白いからだをしている。はじめ、この多少強烈な肉感性と、髭をよく剃っていない男のあごのようにチクチクする足は、少しぼくを驚かし、半ば嫌悪感を催させた。しかし慣れてしまうと、反(end198)対にかなり刺激的だ。彼女は、水滴のような形の尻をしていて、たるんではいないが、上よりも下の方がより重く、より広がっている。胸には小さな吹出物がいくつか(これはあなたにもよく知っているはず。栄養の悪い、あまり身だしなみに気をつけていない女子学生の小さな吹出物、それはむしろ優しい気持を誘う)。とてもきれいな足、筋肉質の、完全に平らな腹、肥満の影はひとかけらもない。全体的にみてしなやかで魅力的なからだだ。葦笛のような舌はとどまるところを知らず伸びてきて扁桃腺を愛撫し、口はジェジェのと同じくらい快い。概して、牢獄の扉のように仏頂面をした人間でも満足しうる程度の満足を得た。(……)
 (198~199; ボーヴォワール宛; 1938年7月14日; マルチーヌ・ブルダンの描写)

     *

 ボクサーはすばらしく美しい。十八歳の青年のようなからだをし、稀に見る軽やかさであいかわらずやせぎすで、上半身は腰の上でちょうど軸の上を自由に回る部品のように回転する。髪は黒く、銀色の糸が沢山ちりばめられている。あいかわらず美青年の持つあの一徹な顔付きをしており、とくに唇は知ってのとおり甘やかされた甘えん坊の子供のようで、上唇が突き出て官能的にふくらんでおり、下唇は引っこんで上唇の下にふてくされたように隠れ、下方で顎とともに終わっている。ただほかの部分はすべて以前より固くなっており、骨が(end206)はっきり見える。こめかみは乾いて固く、頬骨が飛び出し、美青年の顔に農夫の荒々しい顔が現われてくるのが見える。(……)
 (206~207; ボーヴォワール宛; 1938年7月水曜)

     *

 (……)フジタの細君も落ち着き払っているどころでない。彼女は、自ら言うところによると(ぼくの隣のテーブルにいたのだ)、ドゥ・マゴで戦争について大討論をしてきたらしい。罵倒されたので、そのとき彼女の連れだった男が介入しようとすると彼女はこう言った。《あなたはあたしの父親でも兄弟でも恋人でもないじゃない。ただの友だちでしょ。あたしの喧嘩に口を出したらあなたは敵よ。あたしのために喋る権利などないのだから》。
 (224; ボーヴォワール宛; 1938年9月)

     *

 (……)水っぽく緑色で柔かい自然で、しぼれば乳が出てきそうなあの緑色の植物に満ちていた。(……)
 (236; ボーヴォワール宛; 1939年7月)

     *

 (……)彼女の出発に関して言うなら、ぼくはこんなふうにも想像している。彼女にはパリがとてもうつろなものに見えるのだろう、また田舎をすこし見てまわりたくてじりじりしているのだろう、と。六月頃になると、緑野を見ることは彼女にとって絶対的な、すさまじい欲求になるのだよ。ぼく自身はこういうことがよく理解できないが、事実としては認める。彼女にとってはおなかがすいているときの食べたいという欲求と同じぐらい激しい欲求なんだ。落ち着かなくなり、そのためもう眠らなくなる。取りつかれたようになり、すこし陰気になる。(……)
 (241; ルイーズ・ヴェドゥリーヌ宛; 1939年7月)

     *

 (……)正午にそろそろ家に顔を出し、それが夜の十時半まで続く。それは葬式に近い。というのは、義父は病人で神経が高ぶっているからだ。ぼくは他にやりようがなくなると話をする。だいたいは、必死になって礼儀と共犯をないまぜにした薄笑いをしてみせる。さもなければ義父の言葉の末尾の語を繰り返す。(最近の)例、
   義父が窓際のところで――
    「おや、あそこにとまったのは誰?」
   私――
    「とまったのは誰?」
   母――
    「エムリーさん一家じゃない?」
   義父――
    「違う、地図を見るために立ちどまった人たちだ。地図をね」
   私――
    「ああ! 地図をね?」
 といった具合だ。母は五分おきにいろいろ質問をしてくる。《ここにいて満足かしら、プールー?》 《満足ですよ、お母さん》。《どう? 気分悪い?(探るような目つき)》――ぼく《いや、いいですともお母さん》。すると、力強く決然と顎を動かし、楽観的な様子で、《とにかく、あんたのためになるわ。健康にいいのよ》。(……)
 (245; ルイーズ・ヴェドゥリーヌ宛; 1939年7月)

     *

 (……)でもぼくは、どんなにきみのことを愛しているか、十分に強く言わなかったような気がする。ときどき、そのこ(end261)とをきみに感じてもらえなかったように思われる。それは、きみの愛情にしっかり確信が持てて、ぼくにはもうたった一つの願望――ぼくの愛情もまた強く激しい、現存するなんらかのショックをきみに及ぼしたいという願望――しかなくなるようなときに。きみはここにいない。けれどもきみはあんなにおもしろく手紙を書くすべを心得ていた。そこで何かしらが、ぼくにのしかかってくる。それはきみのぼくを愛する仕方だ。これは本当に一つのもの[﹅2]、現存するもの[﹅2]で、形はもたないが、重りのようにのしかかる。ぼくの愛情もまたきみにとって重苦しいものであってほしい。ぼくのいとしい宝物さん、すごく愛している。(……)
 (261~262; ルイーズ・ヴェドゥリーヌ宛; 1939年8月)