寝付きが悪く、深夜と早朝で二度覚めたあと、無事に七時のアラームで起床することができた。久しぶりに瞑想をしたあと(七時一分から一五分まで――最中、特に気分の変化や何らかの精神作用などはなかった)、上階に上がって行き、台所に立つと、出勤前の父親が立つ脇、ソファに置かれた黒いバッグに陽射しが掛かっている。生ゴミや燃えるゴミを母親とともにゴミ袋に詰め込んで、生ゴミを保管するのに使っている薄黄色のバケツを洗って、勝手口の外に干しておいた。何を食事に取ったのかは覚えていない。ニュースは東京でも始まっているシェア自転車サービスを取り上げており、(……)さんが中国で利用しているのもこういうものなのだなと、リポーターが皇居周辺を走っているのを見やった。下階に戻るとキリンジ『3』を掛けて、服を着替える。上はボタンの色がそれぞれ違った白いシャツ、下はインクのような紺色に染まったなかにストライプが入り、裾がやや細くなったパンツである。それから上階に行って、靴下は先日買った臙脂色のものをおろし、出発前に風呂を洗った。リュックサックを背負い、「ノーブル」一〇個入りの箱の入った「(……)」の紙袋(リュックサックにはうまく入らなかった)を片手に提げて家を発ったのは八時半である。道端の草の上で朝露が光り、傍の家の屋根はその襞に合わせて川の水面のように純白を乗せて輝いていた。坂に入るとガードレールの向こうの草間に生えた彼岸花の細い手が、これもやはり陽を受けて、触れればぱきりと音を立てて折れそうな硬質の光沢を帯びている。陽射しのなかに夏日が既に窺えた。街道を渡って裏路地に入ると道は途端に静けさを増し、人は家先に出た老人やベランダで物を干す主婦ばかりで通行人も見られず、靴音が際立つようになる。見上げれば、すっと引いた線を左右に筆で搔き乱したような薄雲が走っていた。汗をかきながら二〇分ほど歩いて(……)駅に至ると、ホームの先のほうに行ってマンションの作り出した日蔭に入る。まもなく、電車がやって来た。乗りこんで手帳にメモを取ったあと、カロリン・エムケ/浅井晶子訳『憎しみに抗って 不純なものへの賛歌』をひらいて読む。(……)駅で正面に乗ってきた幼子と母親の、子どもが座席に乗ると最初は「くつぬがして!」と大きな声を上げ母親に窘められていたが、その後はその子は(ミッキー・マウスのリュックサックを背負い、「LONDON」と文字の入った靴下を履いている)喋ることもなく、ただひたすらに窓の外をじっと見つめていた。立川に着くと降りて、南武線に乗り換える。川崎行きに乗って扉際に就き、四〇分ほどのあいだ、人が多く乗り降りする駅では持った本を胸に押しつけて避けながら、文章を追って到着を待った。川崎で降りると、映画館「CINECITTA」が東口方面にあると聞いていたので、そちらに合った改札口を探してホームを歩いたが、中央北改札と中央南改札は向かい合っていたので、これはどちらでも良かったのだ。中央北から抜けて、(……)にメールを送ると、予想した通り宛先が見つからないとの知らせが戻ってきた。今年の四月に数年ぶりで再会するまで随分と間があったから、アドレスの変更を通知されていなかったのだ。それで(……)のほうに到着したとメールを送っておくと、まもなく皆に知らせたと返ってきた。群衆の姿とざわめきに満ちたコンコースの一角に立って周囲を見回したり、高い天井から洩れ落ちる陽が床に矩形型に宿っているのを眺めたりしていると、突然、横から話しかけられた。見れば、やや褐色に染まった肌で青いTシャツを着た女性が箱を持って立っており、素性がよくもわからないが募金を集めていると言う。それについて何の知識も持っておらず、実態のよく知れず、あまり興味関心もない団体に対して、何も考えずに募金をすることに思うところがないではないが、せっかくなので、と呟き、日和見的に一〇〇円を与えた。女性は礼を言い、富士山の水で清めたお金だと言って、五円玉の入った小さなビニールの包みを渡してきた。礼を言って受け取ったそれの詳細を今ここに書き記しておくと、なかに入ったチラシの片面には、「NPO団体Animals Life Saves」と組織名が上端に掲げられ、その下に、「地球の生命・環境の為にあなたが出来ることを」との誘いが記され、さらにその下の段にはQRコードが付され、横には「命の危機に直面してる生命を救うために温かいご支援をお願い致します。」とある。下部には「あなたの寄付で出来ること」との題に括られた囲みのなかに、例えば「1,500円で63生命に清潔な水を」「3000円で120生命に予防接種を」などと挙げられており(「生命」が一つの数的単位として用いられている)、全体の背景として影を帯びた富士山が描かれている。紐のついた五円玉の収められたもう片側のほうには、左上に「福銭」と大きめの文字で掲げられ、右上からは縦に三行で「天下の霊峰【富士山】より/湧き出ずる霊水で清めた/神聖なる福銭です」と述べられて、下端には横向きに「あなたに幸せが訪れますように」とあり、やはり背景にはオレンジ色に染まった富士山の姿と、そのすぐ脇に、太陽を表しているのか月を表しているのか、同じ色で塗られた真円が描かれている。この包みに関してはそんなところである。それからまた立ち尽くしていると、すぐ目の前に(……)が現れていることに気づき、こちらをまだ認識していなかった彼に向けて、(……)、(……)、と声を掛けた。それからまもなく、(……)さんも現れて、こんにちはと挨拶をした。確かこの時もうすぐに、母親が頂きものをしたようで、とか言って、持っていた「(……)」の袋を彼女に渡してしまったはずだ。そうしてじきに(……)も合流し(髪が結構伸びていた――仕事が忙しく、前回会った四月以来切っていないという話だった)、一人遅れている(……)を待つ。一一時一五分頃になって改札から現れた彼女は、紫の風味の含まれた紺色(いくらか和風の雰囲気を感じさせるような色合い)の地に全体にピンクの小花が散ったワンピースを纏っていた。そうして皆で連れ立って歩き出し、こちらは(……)と並んで彼の仕事の話をちょっと聞く。(……)は企業のセキュリティ環境の診断・監修のような仕事をしていると言い、最近は案件/業務外で試験の類を三つ受けなければならないらしく(そのうちの一つは国家試験だと言っていた)、忙しいようだった。横断歩道で立ち止まると、夏日の陽射しがじりじりと顔に照りつける。「CINECITTA」のある区画に入ると、黄土色じみた穏やかな褐色の西洋風建築を、(……)は、「似非ディズニー・シーみたい」と評していた。「CINECITTA」の建物自体は外壁に結構褪色が見られた。なかに入り、機械を使って(……)がチケットを五枚発行し、各々に配る。そうしてエスカレーターを上がって行き、上映開始の一一時三五分とほぼ同時に上映ホールに入場した。人の顔のわからない暗闇のなかで席に就くと、しばらくアニメ作品の宣伝が流れたあとに、例のお定まりの撮影・録音禁止の注意が表示され、そうして『リズと青い鳥』が始まった。音が良かった、というのは上映後に皆が一致して口にしていた評価だ。冒頭、鎧塚みぞれがまず登場して、物思いや躊躇いを含むような歩調を見せたあと、次に誰なのかわからない無名の女子生徒が通り過ぎて行き、最後に傘木希美が現れてまっすぐな足取りで歩いて行く、その三者それぞれの足音に既に、性格造形をも担った細かな差異がはらまれていた。その他、こちらが生々しくて良かったと思うサウンドは、序盤の音楽室で椅子に座った傘木希美が鎧塚みぞれに近づく時の、椅子と譜面台の足が床を打つ連打の音、バスケットボールが体育館の床に打ちつけられる音、水道から流れ出た水が流しに落ちて当たる音などだが、こうして並べてみるとどれも「打音」に属するものである。シーンとして最も印象に残っているのは、フルートに反射した光の演出だろう。理科室にいる鎧塚みぞれと、そこから見える教室にいる傘木希美とのあいだで、窓越しに身振りによる無言のやりとりが交わされ、傘木希美の持っているフルートに反射した光の玉が偶然、鎧塚みぞれの身体の上で戯れる、という場面である。あとで聞いたところ、(……)もここが最も良いシーンだったという評価だったようで、こちらはあまり注目していなかったが、彼が言うにはこの作品は「窓」を利用した演出が多用されていたと言い、窓ガラスをあいだに挟んだ描写などは、鎧塚みぞれと傘木希美のあいだにある壁を表すことになる。二人の関係性には常にすれ違いや齟齬が含まれているわけだが(鎧塚みぞれは傘木希美に対して同性愛的な強い思いを抱いているが、それが傘木希美に受け止められることはない。また、作中でコンクールの自由曲として演じられる"リズと青い鳥"は、第三楽章のフルート(傘木希美)とオーボエ(鎧塚みぞれ)の掛け合いが一番の勘所とされているが、そこでの二人の演奏はうまく相応しない。終盤では、鎧塚みぞれの才能を目の当たりにした傘木希美は、彼女との差を思い知って涙することになる)、先のフルートに反射する光のシーンでは、こちらは注視していなかったものの、(……)が言うところ彼女らのあいだに挟まった窓がひらいていたらしく、とするとここは常にすれ違い続ける二人が唯一、屈託なく感情を通わせた特権的な瞬間として描かれていることになる(のちのイタリア料理店での会話の際には、こちらはそれを「ユートピア的な」瞬間という言葉で形容した)。ほか、一般的なクライマックスとして捉えられただろう場面は、終盤の合奏で、鎧塚みぞれが迷いを捨ててそれまでうまく演じられなかったオーボエのソロを朗々と吹き上げるところで、(……)はここでのオーボエの音に涙したと言っていた。楽曲 "リズと青い鳥"の原作である童話は、「一人ぼっちで」森に住むリズという少女のもとに、ある日突然青い髪の少女が現れるという物語である。その少女の正体は青い鳥で、リズは少女と暮らしを共にして心を通わせながらも、自分の「愛」が彼女を縛っているのだという考えに達し、大空に自由に羽ばたくようにと鳥を逃がすことになる。当初、物語中のリズは鎧塚みぞれと、青い鳥である少女は傘木希美と重ね合わされており(中学時代に「一人ぼっち」だった鎧塚みぞれの前に、傘木希美が「突然」現れて、吹奏楽部に入部するよう誘ったという経緯がある)、傘木希美を愛する鎧塚みぞれは、自ら好きな相手を解放して自分の前から離してしまうリズの心情が理解できず、第三楽章のオーボエのソロをうまく吹くことができない。その迷妄を解消したのは、鎧塚みぞれに音大進学を薦めた新山先生という女性教師で、彼女が鎧塚みぞれに、自分がリズではなく青い鳥だったとしたらどう思うかとヒントを与え、鎧塚みぞれは、青い鳥はリズを愛していたからこそ別れを受け入れたのだという答えに至る。この教師の導きによって、リズ=鎧塚みぞれ、青い鳥=傘木希美だった見立ての構図が反転することになるわけだが(童話中の「リズ」と「青い鳥」が本田望結という一人の女優によって演じ分けられているのは、二者関係の反転/交換可能性を示しているのではないか)、同じ頃、傘木希美もこの反転に気づくことになる。傘木希美は、鎧塚みぞれの薦められた音大に自分も行こうかなと口にしていたが、高坂麗奈(トランペット)と黄前久美子(ユーフォニアム)という後輩二人(本篇の『響け!ユーフォニアム』では、彼女らが中心的な主人公になっているらしい)が、傘木希美らの演じるはずの"リズと青い鳥"第三楽章を、独自に演奏しているのを聞き、目撃したことで、「私、本当に音大に行きたいのかな?」と自分の選択に疑念を抱く。そこで、彼女も自分たち二人の関係性が、それまでの見立てとは逆であることに気づく――と言うのは、自分の存在が鎧塚みぞれを束縛しているのだと気づくということだろう――わけだが、この関係の「反転」は一方では「教師」によって、もう一方では「後輩」によって導入されているわけだ。迷いを振り切った鎧塚みぞれの演奏を耳にした傘木希美は、自分が今まで彼女の才能/可能性を制限していたのだと痛感し、合奏の途中で泣き出し、フルートを吹くことができなくなってしまう。その後に、理科室での、言わば「告白」のシーンである(理科室は、鎧塚みぞれの「居場所」である。彼女はそこで、水槽に飼われたフグをぼんやりと眺めながら、過去の記憶を回想したりするのだが、そこに新山先生が現れるのに、彼女は「どうしてここがわかったんですか」と口にする。したがって理科室は鎧塚みぞれにとって「一人になれる場所」であり、一種の「逃避」の場であるのかもしれず、イタリア料理店での会話の時には、少々大袈裟な言葉だったが、こちらはそれを「サンクチュアリ」のような場所と呼んだ(ちなみに、先の「ユートピア的な」シーンでの傘木希美とのやりとりは、この理科室とのあいだでなされている))。自分が今まで鎧塚みぞれの才能を阻害していたのだということをまくし立て、「みぞれは、ずるいよ」と口にする傘木希美を遮って、鎧塚みぞれは「大好きのハグ」(中学時代に彼女らの周りで流行っていた慣習)をしながら、傘木希美が自分のすべてなのだということを「告白」する。「希美の~~が好き」と四つくらい並べるなかに、「足音」が含まれていたのが冒頭以来の演出と合わせてこちらとしては印象的だが、それに対して傘木希美は、「みぞれのオーボエが好き」と返して、その後、身体を折り曲げて姿勢を前に崩しながら大きく笑い声を上げる(この笑いの意味はあまり判然としない)。このシーンは、鎧塚みぞれの感情が傘木希美によってともかくもようやく受け止められた場面、終盤のクライマックスなのだろうが、鎧塚みぞれにとって傘木希美がまさしく「すべて」である、つまりは全的な愛の対象であるのに対して、傘木希美が「みぞれのオーボエが好き」とただ一つの要素を返すのに留まったのは、彼女にとって鎧塚みぞれはあくまで音楽的な才能を尊敬する対象であるに留まるということなのかもしれない。とすればこの場面は、「告白」の「成就」と言うよりもむしろ、(語の意味がやや強すぎて、少々ずれてくるが)ある種の「決別」の場面であるのかもしれず、ここに至っても二人の関係は、それまでとは違った形ですれ違い続けている。実際、傘木希美は音大選択を取り止め、普通大学への進学を目指して勉強しはじめるわけで、彼女らの進路は分かれるのだが、しかしそれがこの二人の関係の収まり方だということなのだろう。二人が下校する結びの場面の確か直前に、紙の上に滲んだような赤と青の色彩が互いに浸潤し合うというカットがあったのは、二者の関係が一つの「和解」(と言うとまた言葉の意味が少々ずれてはいるのだが)に至ったということを示しているはずだ(赤は鎧塚みぞれの瞳の色であり、青は傘木希美のそれである)。そして、真っ暗な背景の上に記された「disjoint」の文字(既に冒頭に登場していた)が「joint」に変更されて『リズと青い鳥』は終わりを告げることとなる。作品を見て読み取ったことをつらつらと記してきたけれど、今回の映画鑑賞は、それなりに楽しめはしたものの、こちらにとって特段に大きな感動や興奮や衝撃を与える体験ではなかった。しかしそれは作品の質というよりは、こちらの芸術的受容体の問題であるはずで、見る人が見れば細部をもっと仔細に読み取って、この作品がこちらが感じたよりも遥かに緻密に構成されているということを実感できるのだと思う。映画が終わって場内が明るくなると、人々が一斉に席から立って退場しはじめる。その流れのなかに入って通路を下りて行くあいだ、後ろのほうの客が、「今世紀最高の女キャラ」云々とか言っていた。ホールを出て歩きながら横の(……)に、泣いた、と尋ねると、オーボエの音で泣いたと言う。(……)さんもいくらか涙したらしいが、どこの場面と言っていたかは忘れてしまった。「CINECITTA」を出て、昼食の店を求めて陽の照るなかを川崎駅のほうへと戻って行く。場当たり的に「川崎ルフロン」というビルに入り、エレベーターに乗る。最初間違えて一〇階まで昇ってしまい、そこを経由して二階に下り、フロアを通って開放された露天の広場のような空間に出ると、その一角に「イタリア食堂 カルネヴァーレ(CARNEVALE)」があった。外見にはちょっと古めかしいような、こじんまりとした小屋のような店舗である。入店すると入口脇のテーブルに通されて、五人、席に就いた。こちらは真ん中に位置取り、右には(……)、左には(……)が隣り合って、女性二人は向かい側に並んで右が(……)、左が(……)さんだった。細い通路の店内には、牛の置き物が二つ見られた。メニューの主品はおそらくパスタやピザだったのだろうが、こちらは腹が減っていなかったので、サラダ(レタスに生ハム・サラミ・イタリアンハムが混ざっていた)とベーコンの炭火焼きを注文した。(……)がマルゲリータピザを頼み、(……)と二人でそれを分け合いながら食べており、(……)と(……)さんが何を頼んだのかは覚えていない。食事を取るあいだ、先ほど鑑賞した映画作品に対する感想や考察が語られた。(……)が率先する形で色々と思いついたことを口にして、こちらは例によってあまり発言しなかったが、それに応じる形で多少の考えを述べたりした。左の(……)にどこが良かったかと訊いてみると、間の取り方が攻めているなと感じた、というようなことが返った。本篇の『響け!ユーフォニアム』は登場人物も多く、もっとテンポは速くて動的なのに対して、『リズと青い鳥』のほうは歩くシーンの長さにしてもだいぶゆったりとしていて静かで、その間の取り方に注目したということだった。また(……)は、劇伴の音楽にも耳を向けていて、本篇では管楽器などの音は、物語が吹奏楽をテーマとしたものである以上、キャラクターが出す音と混同されかねず用いられないのだが、『リズと青い鳥』のほうでは生音の楽器によるBGMが躊躇なく使用されていたと比較を述べた。そのあたりはこちらはまったく注目していなかった部分だった。ベーコンを細かく切って、マスタードとマッシュポテトとともに口に運びながらそんな話を聞き、そうして三時に至ると用事のあるという(……)さんが先に去った。そのあとから会計をして(こちらの分は一五〇〇円)退店し、「川崎ルフロン」の外に出た。カラオケに行こうという話になっていた。(……)がスマートフォンで近間のカラオケボックスの所在を調べているあいだ、傍の電気屋の入口では何かキャンペーンめいたことを催しているようで、巨大な「ピカチュウ」の人形が立っており、店員がマイクを通して、今ならこのピカチュウを殴り倒すことができます、などと緩い声で誘いを掛けているのに(……)と二人で笑った。じきに歩き出し、横断歩道を渡って高いビルの並んで固まった通りに入り、そこから裏に折れて繁華街めいた区画をちょっと行くと、カラオケ店がいくつも軒を連ねていた。そのうちの「カラオケ館」に入店して、手続きを取り((……)が持っていたメンバーズカードはもう一一年も前のものだったが、それでどうにかなったようだ)、四階の一室に入った。トイレに行ってきてから、こちらがDeep Purpleの"Burn"(我々が高校二年生の時に文化祭で演じたハードロックである)を勝手に入れて、(……)にトップバッターを切らせた。こちらはその後の時間のなかで、くるり "ばらの花"から始まって、二曲目は小沢健二 "流星ビバップ"、三曲目は忘れたが四曲目はSuchmos "YMM"、そうしてくるり"ワールズエンド・スーパーノヴァ"、最後にthe pillows "ストレンジカメレオン"と、全六曲を歌ったと思う(のちの電車内では、このうちSuchmos "YMM"が一番こちらに合っていたとの評価が(……)から下された)。(……)は大方『THE IDOLM@STER』の曲を入れて、女声曲なのに声を張り上げてハイトーンを歌い、(……)もアニメや声優方面の曲をいくつか選んでいた(なかに、『STEINS;GATE』のキャラクターである椎名まゆりのキャラクター・ソングが含まれていたが、これは帰りの電車内で語られた話に繋がることになる)。カラオケの途中にこちらは、リュックサックから「(……)」で買ったサブレを取り出して、皆に配った。五個入りなので一度配っても三つ余ったが、さらに(……)にもう一枚食べてもらい、(……)にも持ち帰ってもらって消化した。定められた時間がやってくると、最後に(……)がQueen "Bohemian Rhapsody"を入れ、こちらもいくらか声を合わせて口ずさみ、それでおひらきとなった。一階に戻り、会計を済ませて(こちらの分は一〇〇〇円)退店すると、このあとどうしようか、喫茶店にでも入ろうかと立ち迷う空気があった。時刻は五時半頃で、夕食を取るにもまだ早い。こちらは映画とカラオケでこの日の用事は済んだと思っており、もう解散しても良かったのだが、ひとまず、自然と駅まで戻ることになった。雨が降り出していたので地下街に入り、通路を通って広々とした駅のコンコースまで辿り着き、歩いていると、正面奥にその入口が見える「ラゾーナ川崎プラザ」に、芝生の広場があると(……)が言う。天気が良かったらそこで寝そべりたかったのだが、と彼女は言い、生憎の雨だけれど、その広場をちょっと見てみようという話になった。それで入ってみると、人工芝の敷かれた広場では「オクトーバーフェスト」が催されていた。良くも知らないがドイツ発祥のイベントらしく、要は集まって騒ぎながらビールを飲もうということなのだろうが、テントに覆われた座席に人々が集って飲んでいるなかにステージも設けられており、あれはドイツの音楽なのか、アコーディオンとアコースティック・ギターを伴奏にした、カントリーともブルーグラスともつかないような土着的な雰囲気の楽曲が演じられており、その舞台の傍には雨を意に介さずに盛り上がって身体を動かしている人々が何人かいた。我々はエスカレーターを辿って二階上、四階に上り、中央広場の周りを円形に縁取った通路の壁に身を寄せ、下を見下ろした。雨がやや入りこんで来る場所だったが、しばらくそこに留まって立ち尽くしたまま、眼下の催しを眺めながら何でもないような話をした。屋台の屋根を彩る電飾が線になって光り、奥の舞台上にはローカルアイドルなのだろうか、女性の三人組や、DJとボーカル三人の男性グループなどが現れて歌を披露していた。高校の同級生と集まるのはやはり何となく良いな、と(……)は口にした。また、ここで(……)から、実は過去にこちらと彼女で作った楽曲("Tears"という題のもので、こちらが曲を作り、(……)がそこに歌詞を乗せたのだったが、あれを作ったのはこちらが文学に出会って間もない頃、二〇一三年の二月くらいではなかったか)を今、書き直しているのだという話があった。(……)は良い曲だと言い、(……)もメロディが良いと言っていたが、こちらとしては未熟で粗雑な大したことのないポップスに過ぎず、思い入れも特にないので、全面的に直してもらって構わないと言った。そのうちに、もう一階分、エスカレーターで昇ったが、この五階から広場を見下ろしてみるとかなり高さがあって怖く、あまり壁のほうに近づかないようにした。五階には長テーブルの座席がいくつも用意されていた。そこで、そのうちの一つに四人で腰を下ろしたのだが、雨が強まっており、座っているところにまで雨粒が散ってくる。そんな落ち着かない環境で、このあとどうするかと話が上がるのに、山梨の祖母に何か甘い物を買って行きたいとこちらの用事を明かすと(先ほど、母親からそれを頼むメールが届いていたのだ)、それではこの「ラゾーナ川崎」で買って行こうということに話がまとまった。それで場を離れ、エスカレーターで一階まで下り、菓子の店を求めてフロアを歩き、大きなスーパーの横などを通って行く。GODIVAの店舗があるのに、ゴディバは英語では「ゴディバ」という発音ではなかった気がすると(……)が口にして、こちらは「ゴダイヴァ」だとそれに答えた。Queenの"Don't Stop Me Now"のなかにも、"Lady Godiva"という歌詞が出てくる、とどうでも良い知識を隣の(……)に披露すると、しかし俺の彼女も「ゴディバ」と言うなと彼は呟く。日本人ならそうだろうと返せば、(……)の彼女というのはモンゴル人なのだと言った。(……)大学への留学生で、何やら調査の仕事の手伝いにそちらのほうに行った時に知り合ったらしい((……)は(……)大学の博士課程に所属する院生で、午前に映画館へと向かっているあいだに、エコノミークラス症候群について研究していると聞いた)。しかしこの彼女についてはのちに、(……)にはもう彼女と関係を続けようという気があまりなく、結婚を考えるような相手でもなく、正直なところいつ別れようかと思っていると述べられた。そうこうしながらフロアを回っていたが、菓子の店舗は、通路の途中、繋ぎのような場所に並ぶいくつかしかないことが判明した。祖母は一人だからちょっとしたもので良いと思うなどと話しながら、(……)と二人でそれらの前を回り、ショーウィンドウのなかの商品を眺めていると、試食用の欠片を差し出してくれるのに行き当たった。「横濱フランセ」の店である。そのガラスケースのなかに、レモンケーキ四個入りという商品があるのを見つけて、もうこれでいいんじゃないかと思うと口にすれば、(……)が、そう思ったならそれがいいよと後を押すので、それを一箱購入した(八六四円)。それで(……)と(……)の二人に合流し、通路の途中で立ち止まりながら自然発生的に始まった雑談をちょっと交わしていたのだが、じきにこちらが、何でここで立ち尽くしているんだよ、と突っ込みを入れて、それでこのあとどうするか、飯はどうするかという問題に立ち返った。(……)がちょっと食べたいような気がすると言うので、すぐ傍にあったフードコートに入り、混み合ったフロアを回ってようやく空席を確保すると、(……)と(……)が商品を注文しに行き、こちらと(……)はその場に残った。彼らが食したのは、(……)が「PANDA EXPRESS」のモンゴリアンビーフ丼、(……)はどこかの店の親子丼である。入れ替わって席を立った(……)は、ほんの少しだけということで小さな春巻きを二個のみ入手してきた。こちらは腹が減っていなかったので(と言うか、「腹が減る」という感覚自体がほとんどなくなってしまったのだが)、ここでは食べないことに決め、ほかの三人はそれぞれの品を食べながら、長々と雑談が交わされた。多分八時半頃まで留まっていたのではないか。時折り、モダンジャズ風のサックスの音や、女性ボーカルの"Summertime"がBGMに聞こえたが、人々のざわめきによってそれらはほとんどかき消されていた。"Summertime"はこの場所にいるあいだに二度耳にしたので、BGMが一周するくらいのあいだ、滞在していたということだ。ここでは左隣の(……)から、小説を読んでいる時には、登場人物の考えが自分と近いとか思いながら読んでいるのか、と質問があったので、最近はあまり読んでいても楽しくはないのだがと置きつつ、そんなに深いことは考えていないと答えた。どんな点に着目するかと言うと、やはり表現である、こんな言い方をするのかとか、こんな言葉を使うのかとかそういった点を見ると言い、あとは書抜きをしているものだから、読みの基準が自然と書抜きをするかしないかという風になっているなどと話した。さらにまた(……)からは、今日見た映画のなかで、敢えて言えば好きだと思ったキャラクター、強いて言えば気になったようなキャラクターは誰かとの問いがあったのだが、これについては該当するキャラクターは自分の心中に挙がって来なかった。映画を見ながら「感情移入」という心の働きもなかったのだが、そもそも『リズと青い鳥』のなかで内面の襞を直接的に描かれていたのは圧倒的に鎧塚みぞれなのであって、「感情移入」の余地があるとしたら彼女くらいしかいないのではないかとは思ったが、(……)はそうしたこととは関係なく、部長である黄色いリボンをつけた吉川優子が好きだったり、気の強い後輩である高坂麗奈が好きだったりするらしかった(なぜ彼女らが好きなのか、その理由は尋ねなかった)。そうこうしているうちに、時間も遅くなったのでそろそろ帰ろうということになり、フードコートをあとにした。駅のコンコースに出て、皆で改札を入り、(……)だけは別の路線を使うので別れ、(……)と(……)と三人で南武線に乗った。座れるように遅発のほうに乗り、左から(……)、(……)、こちらの順で席に就く。電車に揺られているあいだは、(……)の彼氏である(……)氏((……)の会社の同期で、(……)らの作曲活動のなかではベースを担当している)や(……)の話、LINEでの二人のやりとりなどについて語られた。(……)氏はいわゆるオタクであるらしい。(……)も最近はアニメなど結構見るようで、ここ三か月くらいは『STEINS; GATE』の、それも椎名まゆりに嵌っているらしい。要はキャラクターに恋をしてしまったような状態らしいが、そうした(……)の思いに対して(……)氏は、自分を微分するか、キャラクターを積分すればいい、などと助言(?)を与えているらしかった。(……)は、自分がアニメのキャラクターに強い思いを抱くようになるとは思っていなかったが、いざそういう状態に陥ってみると、これは自分が今まで現実の女性に対して抱いてきた「無駄な」、報われない片思い((……)は結構惚れやすい性質のようだ)と別に変わらないなと感じたと言った。むしろ、対象が二次元の場合、金があれば例えばフィギュアなどのグッズを買うこともできるし((……)自身は今の所そうした欲望はないようだったが)、創作力があれば二次創作で話を作ったり絵を描いたりして物語世界を自由に広げていけるというメリットもある。そこからちょっと話が続いたあと、(……)氏のことに話題は移って、(……)曰く彼が言うには、オタクがオタクであり続けるというのは非常にエネルギーがいることである。だからオタクがオタクでなくなってしまうというのは寂しいことなのだというが、そこで(……)が話を一般化して、熱中する対象がなくなってしまうと虚無になってしまうから、などと話したのに対して、それは俺だなとこちらは横から差し入った。(……)は、そのことのみに夢中になりすぎてほかを顧みないようになると、「神様にそれを奪われる、取り上げられる」と言う。他人のことを考えたり、社会のためになることを思ったりすれば大丈夫なのだと話して、こちらはそのようなことを信じてはいないが、重いうつ症状に沈んで読み書きのできなかったあいだに、自分は自分の能力を「奪われた」と思っていたことは事実である(何に「奪われた」のかはわからないが)。そのほか南武線に乗っているあいだは、(……)とその恋人との関係についても語られたが、これについては細かな話は良いだろう。ただ二人のあいだには結構齟齬があるようで、話を聞いたこちらは思わず、お前らもう既に仲悪いじゃん、と突っ込みを入れてしまった。(……)は稲城長沼で降り、その後は(……)と二人で立川まで乗るあいだ、今しがた降りた(……)についてなど話をした。(……)が見るに、彼は彼女と音楽活動を始めて以来明るくなったというのだが、そう言われてみると確かに電車内で(……)は自分のことを良く話していたし、何やら楽しそうだったという印象が残り、以前よりも積極的になったような気がしないでもなかった。(……)にとっては今があるいは、人生を謳歌している時期そのものなのかもしれない。(……)は(……)で家族関係などで様々苦難を経験してきてはいるものの、今はそれらを飲みこんで屈託なく笑う強さを持っている(イタリア料理店で彼女が、このチーズが一番乗っているところ、貰っていい、などと笑いながら(……)からピザを分けてもらっているのを見て、まさしく「屈託の無さ」というものを見たような気がしたものだ)。翻って自分はと言えば、彼や彼女よりも随分と冷淡な、不感症的な人間になってしまったように思われなくもなく、その点で隔たりを感じないでもない。立川に到着し、ホームを移って乗り換えると、車両の端の三人掛けに並んで入った。(……)が統合失調症患者であるお兄さんの状態などを話すのにこちらは、今の自分の感情的/感性的希薄さというのは、ドーパミンが出ていないということなのではないかと思っている、と自身の状態についての仮説を述べた。自生思考に襲われた年末年始の頃は、意識が非常に覚醒している感覚があり、書くことなども自ずと湧き出てくるような感じだったのだが、それは反対にドーパミンが出すぎていたのではないかと言うと、(……)は順当に、じゃあその反動で出なくなったのかと受ける。いささか単純で安直な考え方ではあるが、実際そうなのかもしれず、ひとまずこちらは先日、ドーパミンを増やすというサプリメントを注文したと明かし、しかしまあ効くかどうかわからないけれど、と疑念を表明すると、(……)は、でも何でもやってみよう、何が効くかわからないからと真面目に応じる。ドーパミンを増やすというその物質は何なのかと問うてくるのに、チロシンと言って、筍の周りの白い粉などに多く含まれているらしいと聞きかじりの知識を答えると、(……)は熱心にも携帯に情報をメモしていた。(……)に着くと彼女は乗り換えのために降り、こちらの乗った電車が発車するまでのあいだ、ホームに立って待っていた。出発すると、電車が動くのに合わせて小走りになりながら手を振って見送ってくれるのに、こちらも手を振り返して答えた。それからのちの路程は、本を読もうかどうしようか迷ったのだが結局書籍を出すことはなく、散漫にこの日の記憶を思い返しながら到着を待った。(……)で乗り換え、最寄り駅に至って降りると、木の間の坂道に入る。すると道の脇から、凛として涼しいような虫の音が、控え目に、ちょっと躊躇いを含ませるようにしながら、「たおやかな」とでも言いたいような質感で鳴り出てくる。アオマツムシの音と紛らわしいが、僅かに差異の見受けられるあれが、多分鈴虫の鳴き声なのだと思う。帰宅する頃には時刻は一一時近くになっていたはずだ。服を着替えてきて、熱した豆腐と即席の味噌汁を食事に取る。ニュースは樹木希林の訃報を伝えており、義理の息子の本木雅弘が話すには、このたび亡くなるより以前にも、一時危篤のようになって危なかったが持ち直したのだと言う。その時に樹木希林が絵とメッセージを記した紙を彼は見せるのだが、それには、「糸一本で何とか繋がっています/声がまったく出ないの/いつまでもしぶとい、仕方のない婆婆です」というような文言が書かれており、その横にはまた、糸一本で何とか生きており、鋏でそれを切られたらお終いだという、自虐的な皮肉とユーモアを利かせた絵も描かれていた。その他、過去の樹木希林の発言がいくつか振り返られるのを見ながら、病に陥って死が迫りながらも、それをクールに、飄々とあるいは淡々と受け入れるという姿勢(ニュースのなかでは「病と寄り添う」という言葉が用いられていた)には好感が持てるなと思った。入浴をして自室に戻ったあとは、日記を書かなければならないはずが、長くなるのがわかっているからあまり気が向かず、本を読もうかとも思ったがそれもせずに、ただ無益な夜更かしをして、午前二時過ぎに床に就いた。朝から一二時間以上も外出していたにもかかわらず、眠気はまったくなく、疲労感もほとんど感じなかった。