2018/9/21, Fri.

 七時台に一度、自ずと覚醒があった。アラームを待ってふたたび寝入り、八時半のそれが鳴ると床に立ち上がって携帯を取ったが、例によってふたたび寝床に戻った。起床を見たのはそれから一時間後の九時半だった。まだ意識が重いようなのを無理やり断ち切って布団から抜け出し、洗面所に行って顔を洗って来てから、枕に尻を乗せて瞑想を行った。雨が物静かに降っており、雨滴に満たされた空間の遠くからは鳥の声が間歇的に薄く伝わってきた。目をひらくと一七分が経っており、手帳に瞑想を行った時間をメモしてから放心したようになって窓のほうに顔を向けていると、梅の木の葉叢のなかのところどころで、上の葉から溢れた雫が落ちて当たるのだろう、たびたび縦に揺れるものがあって、大きな機械仕掛けの楽器の部分部分が入れ替わり立ち替わり鳴っているかのようだった。上階に行き、前日の残り物のうどんや林檎で食事を取る。抗精神病薬サプリメントを服用し、食器を洗ってから薬缶に水を汲んで、湯の少なくなっていた電気ポットに水を足した。そうして、パジャマからジャージに着替えてから風呂を洗い、出てくるとポットは湯を沸かしている最中なので一旦自室に戻ってコンピューターを立ち上げた。ちょっと経ってから緑茶を拵えにまた上がって行くと、母親はテーブルの端、ポットに一番近い席に座って書き物をしていた。大学時代に付き合いがあったのだろうか、石橋幸というロシアの歌を歌うらしい歌手から兄に向けて先般公演への誘いが送られてきていたのだが、それに対して、息子はモスクワに赴任中のためコンサートに行けないという返信を小さな紙片に律儀に綴っているのだった。電気ポットの台とテーブルとのあいだの狭い隙間に入り、母親の傍らで茶を注いだこちらは自室に帰って、そこから一二時頃までだらだらとした時間を過ごした。何ら有効な活動を行っていないのに、目の奥が重いような疲れが湧いていた。それで日記を記さなければならないところを、ひとまず身体を休めることにして、ベッドに横たわって金子薫『双子は驢馬に跨がって』の続きを読んだ。雨は降り続いており、腹のなかで消化が進んだためでもあろうか、寝転がりながら身に寒気を帯びる瞬間も何度かあった。それで薄布団を引き寄せてその下に入り文を読み進めるうちに、殊更に眠いわけでもないが瞼の落ちる時間が訪れる。本格的に寝入ってしまわないように注意しながらも目を閉ざしていると、突如携帯の振動音が響いて、それで落ちかけていた意識が明るむことになった。メールは、クレジットカードの請求金額確定の通知だった。それからまた少し読書をして、二時一〇分で切ると豆腐でも食べようかと上階に行った。レトルトカレーを食べて随分美味しかったと母親が言うので、こちらもそれをいただくことにして、パウチの水に浸けられているフライパンを火に掛ける。加熱しているあいだに卓のほうで、前夜の残りの炒め物を食べ、そうして台所に入ってカレーを大皿に用意し、それを続けて食した。テレビは『ミヤネ屋』を流していて、どこかのコンビニの店長の不適切な振舞い(深夜に店を訪れた女性客に向けて、ズボンのチャックの隙間から手を出してみせたり、猥褻な言葉を吐いてみせたり)を取り上げていたが、それについては細かいことは良いだろう。洗い物を済ませると、いよいよ日記を書かねばと思いながら階段を下ったが、ここに至ってもあまりやる気が湧かず、自室ではなく隣室に入ってギターに逸れてしまった。じきに三時を迎えた。便意を催したのを機にギターを弄るのを切り上げてトイレに行き、排便をすると(大したことはないが、久しぶりに肛門から血が漏れて便器のなかの水がぽつぽつと赤く染まった。排便とともに出血を見ることが、一年以上前から折に触れてあるのだが、痔なのだろうか?)自室に帰って、ようやく日記に取り掛かった。一九日の分が完成しておらず、二〇日のものに至っては一字も記していなかったが、まだ記憶の新しいこの日のことから初めに綴った。その後、一九日の記事を書き足し、二〇日のものも短く綴って仕上げると、時刻は四時一五分を迎えていた。それから(……)さんのブログを読んで五時を越えると夕食を作りに行くべき頃合いだったが、マウスの下敷きにしていたガブリエル・ガルシア=マルケス百年の孤独』を久しぶりにひらいて、アウレリャノ・ブエンディア大佐の最後の一日の記述を読んだり、自分のブログの文章を読み返したりしてしまって、部屋を出る頃には五時半を過ぎていた。階を上がって台所に入ると、茄子を二個分、楕円形に切り分けてフライパンで炒めた。野菜に焦げ目がつき、蒸気が底から薄く立ってはすぐに散っていくくらいになるまで調理をすると完成として、隣のコンロで火に掛けられていた鍋に味噌を溶かした。白菜と椎茸の味噌汁だった。あとは、食事のすぐ前に鮭を電子レンジで調理すれば良いのだった。仕事を終えて下階に帰ると、一年前の日記の読み返しを始めた。二〇一七年九月一五日の分からだった。三日分を読んで一旦打ち切り、インターネットを回ってから食事を取りに上がった頃には、八時がもう近かったはずだ。ものを食べるあいだ、テレビのなかではモーリー・ロバートソンが、日本人でも知らないような日本語のクイズに挑戦しており、一度も見たこともないような難読語を彼が正解するのを目にして母親は、凄く頭がいいんだねと感心していた。そうしたおよそどうでも良い番組に目を向けて空虚感を味わいながら食事を取ったあと、入浴に行った。浴槽のなかで身体を湯に取り囲まれながら両腕を縁に掛けて静止し、八時二〇分から八時三五分まで目を瞑っていた。そうして風呂を上がって自室に戻ると、その内実を記憶していないが午後一一時を迎えるまでインターネットに触れてだらだらと過ごしていたらしい。それからふたたび日記の読み返しを始めて、二〇一七年九月一八日から二一日の分まで四日間に目を通した。二一日の記述をここに引いておく。

 茶を用意しながら居間の南窓を見通すと、眩しさの沁みこんだ昼前の大気に瓦屋根が白く彩られ、遠くの梢が風に騒いで光を散らすなか、赤い蜻蛉の点となって飛び回っているのが見て取られる明るさである。夕べを迎えて道に出た頃にはしかし、秋晴れは雲に乱されて、汗の気配の滲まない涼しげな空気となっていた。街道に出て振り仰いでも夕陽の姿は見られず、丘の際に溜まった雲の微かに染まってはいるがその裏に隠れているのかどうかもわからず、あたりに陽の気色の僅かにもなくて、もう大方丘の向こうに下ったのだとすれば、いつの間にかそんなに季節が進んでいたかと思われた。空は白さを濃淡さまざま、ごちゃごちゃと塗られながらも青さを残し、爽やかなような水色の伸び広がった東の端に、いくつか千切れて低く浮かんだ雲の紫色に沈みはじめている。
 裏通り、エンマコオロギの鳴きが立つ。脇の家を越えた先のどこかの草の間から届くようだが、思いのほかに輪郭をふくよかに、余韻をはらんで伝わってくるなかを空気の軽やかに流れて、それを受けながら歩いて行って草の繁った空き地の横で、ベビーカーに赤子を連れてゆったり歩く老夫婦とすれ違うと、背後に向かって首を回した。夕陽が雲に抑えられながらも先ほどよりも洩れていて、オレンジがかった金色の空に淡く混ざり、塊を成した雲は形を強め、合間の薄雲は磨かれている。歩く途中で涼しさのなかに、気づけばふと肌が温もっている瞬間があったが、あの時、周囲に色は見えなくとも光線の微妙に滲み出していたらしい。それから辻を渡って、塀内の百日紅が葉の色をもう変えはじめていると見ていると、もう終わったと思っていた樹の枝葉の先に、手ですくわれるようにして紅色が僅かに残って点っていた。

 その後、日付が変わるのを待たずに音楽を聞きはじめた。いつも通り、Keith Jarrett Trioのスタジオ版の"All The Things You Are"から始め、『Tribute』の"Just In Time"、"Ballad Of The Sad Young Men"を聞いた。そうして最終曲の"U Dance"を流してこのアルバムを一通り聞き終えると、Ryan Keberle & Catharsisの"Ballad Of The Sad Young Men"に飛んだ。Camila Mezaが伸びやかな声で歌う『Into The Zone』収録のそのバラードのあとには、『Azul Infinito』の最終曲、"Madalena"を聞いて音楽鑑賞を終いとし、すると時刻は零時半だった。それから(……)一時過ぎから金子薫『双子は驢馬に跨がって』の続きを読んだ。そうして二時を回り、本を閉じて瞑想をしたあと、二時半ちょうどに明かりを消して眠りに向かった。