就床してから僅か三時間半後、五時半の頃合いに一度覚めていた。精神は軽いのだが、しかしさすがに三時間半では眠りが少ない。それでもう一度寝付き、何度か覚醒しながらも結局はいつも通り、一一時半過ぎまで床に留まった。雨が降っていた。便所に行ってきてから瞑想を行う。窓を開け、気温がいくらか低いようなので薄布団を脚に掛けて、呼吸の動きに注視しようと試みるが、頭のなかに絶えず様々な音楽が代わる代わるに流れて妨害をされる。雑念というものが絶える瞬間は、ほとんど一瞬もないように思われるほどである。意識がいくらかの深まりを得て、視界に丹光も生まれて、靄のようなものが眼裏の中央に吸いこまれてはまたすぐに供給されるのを見ていると、どことなく心地良いような感じがしないでもなかったが、以前よりも深い意識に入れないのは明白である。しかしまあ、地道に続けてみるものだろう。二〇分ほどの瞑想を終えて上階に行くと、居間は水っぽく、薄暗かった。カレーの残り、鮭、豆腐をそれぞれ電子レンジで温め、五目ご飯をそれらに添える。食卓灯を灯して、新聞記事をチェックしながらものを食べると、飲むヨーグルトの空のパックを始末し、食器乾燥機のなかを片付けてから洗い物をした。さらに風呂も洗って、緑茶がなくなったので蕎麦茶を代わりに用意して自室に帰る。一二時四五分頃だったのではないか。コンピューターを起動させてEvernoteに記録を付け、茶を飲みながら瞑想について検索したりして時間を過ごすと、あっという間に二時である。そこから書き物に入って、二時間を掛けて前日分を仕上げ、さらにこの日の分を綴ることができた。既に時刻は四時過ぎ、夕食の支度を始める五時までに新聞でも読むかということで、机に積まれたなかから数日前の、九月二〇日のものを遅れて読みはじめた。いくつか記事を拾っておき、それからこの日二度目の瞑想に入る。五時の鐘が鳴るとともに切り上げ、上階の台所に行く。母親がほうれん草を茹でてくれと言うので、フライパンに水を沸かして野菜を投入し、そのかたわらピーマンや玉ねぎを切り分ける。茹で上がったほうれん草を洗い桶のなかに入れておくと、別のフライパンに油を引いて切ったものを炒めはじめた。それから、豚肉のパックを持ち、箸で少しずつ取り上げてフライパンに加えて行く。そうしてしばらく炒めたのち、醤油を垂らして、フライパンを振るってかき混ぜ、完成とした。次に、小ねぎと椎茸を切って湯を沸かしてあった小鍋に投入する。それらが加熱されるのを待つあいだに、ほうれん草を桶から掴み取り、端を揃えて水を絞って切り分けるとパックに収めておいた。汁物は醤油と味醂で味を付けて、最後に溶き卵を加えて終い、時刻は五時半頃だった。自室に帰り、七時過ぎまでだらだらと時間を使う。それから食事に上がって行くと居間は無人でテレビの画面も真っ暗で、母親は風呂に入っているらしいから、父親の帰りが近いのだろうと推し量った。台所に入り、豚肉の炒め物と小さなカキフライを大皿に乗せて電子レンジに突っ込む。そのほか、淡い褐色の五目ご飯、小ねぎと椎茸の汁物にゆで卵を卓に並べた。音のない静けさのなかで、傍らに置いてあった新聞にも目を向けず、一人で集中してものを口に運んで行く。まず最初にカキフライを取り上げ、次に炒め物とともに五目ご飯を咀嚼し、僅かに甘いような風味のある汁物を飲み干したあと、最後に塩を振りかけながらゆで卵を食べた。食事が終わる頃には母親が風呂から出てきて、ソファに就くと脚から背中に掛けてが痛いと嘆きを漏らした。こちらは皿を洗ってしまうと、父親がまもなく帰ってくるということだったので、風呂を先に譲るつもりで一旦自室に帰った。何だかんだしているうちに父親が帰宅し、風呂も済ませて、こちらが上がっていった頃にはもう九時が過ぎていたのではないか。入浴すると湯のなかで瞑目し、この日の記憶をたどりはじめたが、じきに眠いようになって脳内が融解し、記憶の道筋を見失ってしまった。上がるまでに結構長く、三〇分以上は浴室にいたと思う。出てくると、父親が食べたモロゾフのカスタードプリンの残り半分を食し、それから自室に帰った。そうしてまた零時頃までだらだらと無益な時間を過ごした。その後歯磨きをしながら『多田智満子詩集』を読みはじめたが、ベッドに移って読んでいるうちに眠気らしきものが差し、瞼も閉じるようになってきたので、一時前に読書を切り上げて、そのまま瞑想もせずに明かりを落とした。