2018/9/26, Wed.

 九時半のアラームで覚醒して、鳴り響く音を聞きながらゆっくりと起き上がり、携帯を止めたあとにふたたび寝床に戻ったのを覚えている。そこから一時間後、一〇時半にふたたび覚めるまでに夢を見た。まず最初に、(……)駅前で誰だかわからない一人の子どもと遭遇した。さらに、その子どもの友だちであるらしい(……)とも出会い、彼に、リュックサックだったか、こちらの荷物を奪われ、どこかに隠されてしまった。返してくれと言って(……)の身体を抱き上げながら、職場に行くと、(……)がいる。精神疾患で休職していたこちらが現れたことについて、良かった、とか、何かしらの反応があったはずだ。ふたたび働きはじめることになっていたのかもしれない、(……)に、新システムがどうのこうのと尋ねているところで目が覚めた。この日実際に職場に挨拶に行く予定が入っていたので、それを先取りしたかのような夢だった。一〇時半に覚めてからもしばらく、瞼をひらいたまま何をするでもなく布団の下に留まって、一〇時五〇分を迎えると枕の上に起き直って瞑想を始めた。深呼吸を繰り返してから目をひらくと、二七分が経っていた。それから上階に行き、顔を洗って、前夜の残り物たちを冷蔵庫から取り出して食事の支度をした。五目ご飯に玉ねぎと豚肉の炒め物、小ねぎと椎茸と卵の汁物にサラダ、そしてゆで卵である。卓に就き、新聞を瞥見しながらものを口に運び、磯崎憲一郎文芸時評を読むと立ち上がって食器を洗った。それから薬を飲んでいないことに思い当たって、水を汲んでまた卓のほうに行き、抗精神病薬サプリメントを服用する。そうして風呂を洗ってしまうと、この日は食後の一服は用意せずに下階に戻った。コンピューターを起動して前日の記録を付け、この日の記事も作成すると、早速日記に取り掛かった。前日分をさっさと書き終え、この日の記事にも入って夢の記述を済ませたところで時刻は一時過ぎ、そろそろ外出の身支度を始めるかとそこで打鍵を切った。歯を磨き、着替えをする。元は薄いピンク色だったが今は色褪せてほとんど白くなってしまったシャツに、最近よく履いているストライプ入りの紺色のズボン、その上にくるみボタンのブルゾンを羽織った。鏡で確認すると、ブルゾンとズボンの毛色が近く、全体に地味な色合いにまとまってしまったようにも見えたが、もう時間もなかったのでこれで良いと払って、出発した。雨降りの空気が、昨晩髭を剃ったばかりの口の周りにいくらか冷やりとする。左手にモロゾフの紙袋を提げ、右手に傘を持って歩いて行く。街道に入ってまもなく、道端の段の上、それからその下の地面にも、オレンジ色の帯が生まれている。金木犀か、とそこの塀内からはみ出しているのを見上げ、鮮やかな色の地帯を見下ろしながら過ぎて行った。雨は弱く、ほとんど視認されないほどで、粒が風に乗せられて横に流れたり、不規則に舞い踊ったりするくらい軽く、傘をひらく必要もない。裏路地に入ると、白線を辿るようにして、足音のあいだに傘を突くリズムを差し挟みながら進んで行った。合間に挟まる坂を横断してすぐの家の百日紅に目を上げると、もう大方散って葉っぱも色を変えつつあるなか、枝先に残った薄紅色の花弁のさらにその端に、露を溜めてぶら下げていた。市民会館の跡地では、何を建設するものなのか、赤銅色の巨大な鉄骨が組まれて人足たちが立ち働いている。駅前の横断歩道を渡り、職場がいよいよ近づくと、どことなく緊張のようなものが胸のあたりに差すようだった。扉をひらき、挨拶をする。(……)さんと(……)と、この人とはこれが初対面だが(……)さんという三人の人間がいた。靴を脱いでスリッパに履き替えてから、(……)さんに向けて、(……)と申します、よろしくお願いしますと挨拶をする。それから(……)さんに促されて、脇の面談スペースに入り、彼女と向かい合って椅子に就いた。ちょっとやりとりがあったあと、手紙を書いたと(……)さんは言うので、小さな紙片を受け取ってブルゾンのポケットに入れたこちらは、お返しに紙袋から小さい包みを取り出して、餞別の品ですと差し出した。それから大きなほうも取り出して、職場の皆さんで、と言って贈る。そうしてしばらく話をした。(……)さんの退職というのはメールでは「一身上の都合」と記されていて、そのあたり聞いても良いものなのだろうか、あるいは結婚でもするのだろうかなどと考えていたのだが、普通に転職をするのだということだった。人間関係の問題だろうか、社内で「色々あった」と言い、(……)は何だかなあと思い、もういいやという感じで転職を決断したらしい。こちらの症状については、以前はパニック障害、不安障害を持っていたのだが、それがずれてうつ症状のほうが主になり、そこから回復してきて、今は経過観察をしているところだと搔い摘んで説明した。そうすると復帰にはもう少し掛かりますかと言うのに肯定する。それは待つしかないものなんですか、それとも何か楽しいことをやるとかと(……)さんが訊くのに、まあ待つしかないんじゃないですかねと返答し、読み書きも一時はまったくできなかった、今はまたやっているのだが、やはり以前よりも面白くなくなってしまった、プラスの感情がなくなってしまったので、もう少し何とか持ち上がってきてくれないかというところだ、と述べた。しかしまあ精神疾患は長いものだと思うので、一年後に今よりも楽しくなっていれば、とそのくらいの感じで考えてはいるけれどと言うと、達観しておられると笑うので、パニック障害の時には結構酷い状態を体験したし、今回またそれとは違った形でどん底を経験したと思うので、達観もするものだと受けた。体調が万全になったらいつでも戻ってきてください、という雰囲気だったが、正直なところこの職に戻るつもりはもうない。しかしそうした気配は漏らさずに、丁重にありがとうございますと受けた。一〇分少々話していたと思う。(……)さんが、最後に会えて本当に良かったですと力強く言ったので、話の切りはここだなと察して礼を返し、立ち上がって面談スペースから出た。お菓子を貰ったよ、と(……)さんが報告するのに重ねて、皆さんでいただいてくださいと言ったが、敬語の誤りに気づいて、いただいてくださいじゃないや、召し上がってくださいと続けて訂正したが、誰もそんなことは気にしていなかった。それで挨拶をして職場をあとにし、帰路に就いた。紙袋も渡してきたので、傘だけを持ち、片手はポケットに突っ込んだままゆるゆる歩く、手の軽い道だった。向かいから吹いてくる風を受けながら(往路を歩いてきたので身体は温まっており、肌寒さは感じられなかった)、ふたたび白線に沿うようにして行き、足音と傘の打音とでリズムを作る。表に出たところで、雨が消えたにしては行きよりもかえって暗いようなと宙空に見て、真っ白な空を見上げて行くと、まだ顔に散ってくるものが残っていた。行きにも通った金木犀の帯の上をまた踏み越え、裏路地にふたたび入ったところで、前方に犬を散歩させている人がいる。(……)さんである。近づいてこんにちはと挨拶を交わし、さらに寄って、噛みますかと尋ねると、どうだろう、もしかするとと言うのだが、ポケットに入れていた左手を出して焦茶色の頭に触れさせてみると、特に怯えるでも気色ばむでもなかった。可愛いですねと言うと、お父さんも可愛いって言ってくれると(……)さんが返すので、そうですかと笑みで受けた。それからちょっと触って、じゃあねと切りを付け、どうも、失礼しますと先に立って歩き出し、坂を下って自宅に戻った。時刻は三時直前だった。飲むヨーグルトを一杯飲んでから自室に帰り、脱いだ服を収納に吊るしておき、ステテコパンツとジャージの姿に着替えると、この日の日記の続きを書きはじめた。そうしておよそ一時間で現在時に追いついた。
 以下省略。



カロリン・エムケ/浅井晶子訳『憎しみに抗って 不純なものへの賛歌』みすず書房、二〇一八年

 バスの進路妨害および怒鳴り声を記録したこの映像には、難民の側がなんらかの間違いを犯したようすはまったく見られない。この映像にも、その後の報告にも、車内の難民たちが歓迎されない理由となるなんらかの事情は認められない。この映像には、そもそも車内にいる人たち個人に関することはなにも映っていない。こういう状況における憎しみは、具体的な現実を無視または誇張することでこそ、その独特の力を発揮する。現実の指示もきっかけも必要ない。なんらかのステレオタイプの投影で事足りる。憎しみは確かに難民たちに向けられている、すなわち難民たちを対象としてはいるが、その憎しみの理由は難民たちではない。タイターニアがボトムを愛する理由が、ボトムがありのままのボトムだからではなく、魔法の液の作用がそう仕向けているだけであるように、クラウスニッツでバスの進路を妨害した人たちが難民を憎むのも、難民が難民だからではない。他者を尊敬、尊重するための前提が他者の認識であるのと同様、他者を軽視し、憎むための前提は他者の誤認である場合が多い。憎しみの場合も、その原因と対象とが一致するとは限らないのだ。タイターニアがボトムを愛する理由を説明することができるように、クラウスニッツの人々も、難民を憎む理由を説明すること(end55)ができるだろう――だがそれは、憎しみの本当の理由ではない。彼らは単に、バスのなかの難民のみならずあらゆる難民たちに、自分たちが「憎むべき」「危険な」「身の毛もよだつ」と考える特徴をあてはめているだけなのだ。
 この憎しみは、どのように生まれたのか。難民を「憎むべき」者ととらえる視線と思考パターンは、なにに由来するのか。
 憎しみは無から生まれるわけではない。クラウスニッツでも、フライタールやヴァルダシャフでも。トゥールーズでも、パリやオーランドでも、ファーガソンでも、スタテンアイランドやウォーラー郡でも。憎しみには常に特有の文脈がある[﹅15]。憎しみはその文脈を理由とし、その文脈から生まれるのである[﹅27]。憎しみの拠り所となる理由、なぜあるグループが憎しみに「値する」のかを説明する理由は、誰かがある特定の歴史的文化的枠組のなかで作り出さなければ、そもそも存在しない[﹅17]。何度も繰り返し持ち出され、語られ、表現されなければ、定着し得ない。既出のシェイクスピアのたとえを借りれば、こういうことだ――恋に落ちる効果を持つ魔法の液は、誰かが作らなければ存在し得ない。強烈で熱い憎しみは、長年にわたって準備されてきた、または何世代にもわたって受け継がれてきた冷たい慣習と信念の結果なのだ。「集団的な憎しみまたは軽蔑の構造は(中略)、社会的に軽蔑または憎しみの対象となる者たちから社会的な損失、危険、脅威が生まれるというイデオロギーなしには成立し得ない」
 クラウスニッツでの憎しみを招いたイデオロギーは、クラウスニッツでのみ作られたわけではない。(end56)ザクセン地方でのみ作られたわけでもない。インターネット上、議論の場、出版物、トークショー、音楽の歌詞など、難民が基本的には決して尊厳を持った同等の人間とは見なされないあらゆる文脈で作られてきたものだ。憎しみと暴力を分析しようと思うなら、それらの下地となり、それらを正当化する思考パターンが浮き彫りになっているこういった言説を注意深く観察せねばならない。クラウスニッツの映像が最初にアップロードされた前出のフェイスブック上のページ「デーベルンは抵抗する」も、大いに観察に値する。このページは特に有名なものではない。だが、バスのなかの人たちを人間として[﹅5]不可視の存在にし、なにか恐ろしいもの[﹅9]として可視の存在にする嫉妬と誹謗のパターンのすべてが、ここに見られる。だがこのサイトは、右翼過激派組織、PEGIDAに近いグループや個人など、ほかの無数のサイトに見られるイデオロギーのひとつの例に過ぎない。このイデオロギーは、その他の多くの例を用いて分析することもできる。
 「デーベルンは抵抗する」を見て最初に目につくのは、現実の意図的な矮小化[﹅3]である。ここには、移民たちをそのユーモア、音楽の才能、技術、知的または芸術的または感情的な資質などを通して際立たせる記述も情報も説明もなにひとつ見られない。ちなみに、移民個々人の失敗、弱点、俗物性などの報告も同様に見られない。実のところ、ここにはそもそも「個人」が見あたらない。あるのはただ象徴的な存在のみだ。イスラム教徒の男性や女性(とはいえ、このページで扱われているのは主に男性イスラム教徒だが)の誰もが、全体の代表者と見られている。どのイスラム教徒または移民を全体の代表として利用するかの選択は恣意的だ。彼らの全員を悪だと断定するために必要な特定の例とし(end57)て利用できれば、誰でもいいのだ。
 憎む者たちの世界は、テレビ番組「事件ファイルXY――未解決」と同じようなものだ――ただ「未解決」という言葉を除いて。悪いのは常にイスラム教であり、イスラム教徒の流入であり、難民の誰もが持っているとされる犯罪への衝動だ。社会は常に非常事態であると暗示され、個人的な幸福や、奇妙で不条理で感動的で、ときには腹立たしく面倒くさいこともある人間どうしの絆が入る余地はない。彼らの世界には、とにかく日常というものがないのだ。あるのはただ例外的なスキャンダルであり、それがすべての基準だと主張されている。彼らの世界には、文化的、社会的、または単に政治的な現実の多様性というものがない。無害な出会いもなければ、幸運な経験も、楽しい出来事もない。軽快なもの、楽しいものの一切は場違いなのである。
 こんなふうにフィルターのかかった目で世界を見ると、どんなことになるか。人間を繰り返し特定の役割、特定の位置、特定の特徴でばかり判断していると、どうなるか。最初のうちは、まだ憎しみなど生まれない。こういった種類の現実の矮小化がもたらすのは、まずなにより想像力の枯渇である。難民が常に集団として扱われ、決して個人としては登場せず、イスラム教徒が常にテロリストまたは文明の遅れた「野蛮人」として描写されるネット掲示板や出版物の致命的なところは、それが移民をなにか別の存在として想像する[﹅4]ことをほとんど不可能にする点にある。想像力が弱まれば、共感する力も弱まる。イスラム教徒あるいは移民としての在り方には無数の可能性があるが、それがたったひとつの[﹅7]形に収斂されてしまう。そして、それによって個人が集団と、集団が常に同じ特徴と結び付け(end58)られる。こういったメディアからしか情報を得ず、こういったフィルターのかかった目線を通した世界像、人間像ばかりを与えられれば、人は常に同じ固定イメージを抱き続けることになる。やがて、イスラム教徒または移民と聞いて、固定イメージとは別のものを思い浮かべることがほとんど不可能になる。想像力の枯渇だ。残るのは、こじつけの特徴や世間に出回っている批判によって操作された短絡的思考である。
 (55~59)

     *

 クラウスニッツの映像がアップロードされたフェイスブックページ「デーベルンは抵抗する」の周辺では、「人種」という概念は用いられない。代わりに語られるのは「文化」であり「移民」であり「宗教」だ。だがこれらは人種差別または反ユダヤ主義といった社会的なタブーを覆い隠すための概念であり、暗黙のうちに示されるイデオロギーは不変のままだ。ある特定の集団に向けられる敵意はいまだに存在するし、特定の集団に対して歴史とは無関係な不変の特徴がいまだに押し付けられている。ただ「人種」という概念が抜けただけだ。同じ疎外の構造に、同じイメージやモティーフが使われる――ただ使われる言葉が違うだけだ。政治的な意図がすぐに察知されてしまう「危険な言葉」は使われない。それゆえ、現在では守られるべきものとして「西洋社会」「民族」「国家」という言葉が使われるが、それらが正確になにを指しているのかは明らかにされないままだ。
 彼らの描く世界には、楽しいもの、軽やかなものがまったく存在しない。偶然も存在しない。どんな偶発的出来事にも意味が与えられ、背後に誰かのなんらかの意図があると考えられる。人間なら誰でも犯す単純な間違いや事故などない。誤謬はすべてなんらかの意図の結果であり、偶然はすべて、(end63)自分たち同胞を抑圧し、自分たちに害をなそうとするなんらかの陰謀の結果だと見なされる。「デーベルンは抵抗する」のようなフェイスブックページや、それに類する無数の出版物の中心となるテーマは、同胞どうしの「交流」ということになっている。そこでは、異質だと烙印を押されたあらゆる人間――難民、移民、非キリスト教徒、非白人――は権力者によって操られており、「同胞」を迫害する、という図式に沿ってさまざまな議論が交わされている。恐れられると同時に望まれてもいるのは、内戦が起こるというシナリオで、こういった妄想世界にモティーフとして通奏低音のように響き続ける。
 このような文脈で常に繰り返されるのは、終末論的な物語だ。同胞の没落、同胞の迫害といった(古い)物語が、自分たちの使命を特別に重要で運命的なものとして美化するために、劇的に再構築される。世界は、弱小化し破滅の危機に瀕するドイツ国家の市民たちの側と、彼らの没落を積極的に画策するとされる者たちの側とに二分される。彼らが敵と見なす側には、実際には文明社会を支え、当然のように難民たちと連帯し、難民に助けの手を差し伸べる人間たちも含まれる。彼らは「善人」だとか「駅で拍手するやつら」と蔑まれる(まるで、善人であることや、列車で到着した難民に歓迎の拍手をすることが恥ずべきことであるかのように)。
 自分たちの行動や信念に向けられる外部からの批判は、言及されることすらない。「同胞」対「異邦人」、「我々」対「彼ら」という二極化された世界観は、批判を最初から跳ね返してしまう。批判は、自身の土地、民衆、国家のための唯一正当かつ真なる戦いに身を捧げる者たちに対する検閲、弾圧、(end64)情報操作だとして貶められるのである。こうして、異議や疑念をさしはさむ余地がないとされる閉鎖的な思想が完成する。疑問視されるのは、女性や子供を脅したり、難民申請者施設に放火したりする者ではなく、それを批判する者になる。批判的な報道は、愛国的、英雄的に立ち上がる者たちを称揚しない悪意ある「虚偽のメディア」の証拠としてしか通用しなくなる。彼らはパラノイアに取りつかれており、すべてを自身の妄想の裏付けだと捉える――そしてそのせいで、自身の攻撃性を正当防衛だと思い込むことになる。
 こういう類のフェイスブックページを長時間読むのは楽ではない。同性愛者であり、ジャーナリストでもある私自身が、彼らの世界で特に憎まれる社会的集団のうちのふたつに属するからだ。私は自分がなんらかの集団の一員であるとは考えていないが、憎む者たちにとっては、そんなことは重要ではない。私のような人間は、彼らの世界においては、さまざまな特徴や傾向を持つ個人としては、いずれにせよ不可視の存在なのだから。駅で拍手をしたことが一度もなくても、私は軽蔑される人間たちのひとりなのである。私の愛し方ゆえに。考え方、書き方ゆえに。とはいえ、私が憎まれるのは、少なくとも私の行為[﹅2]の結果である。それはほとんど特権とさえ言える。肌の色や身体のせいで憎まれ、軽蔑される人たちもいるのだから。私は白人で、ドイツのパスポートを持っている――どちらも偶然与えられた条件だ。だがそのどちらもが、黒人だから、イスラム教徒だから、またはその両方だから、または有効な書類を持たないからという理由で、私が受けるよりずっと大きな憎しみと軽蔑になすすべもなくさらされている人たちと私とを隔てるものなのだ。
 (63~65)